*...*...* Stranger *...*...*
午前中の休み時間。アタシは相棒のカメラを首にかけると席を立った。しっかりと馴染んだ感覚は、仲の良い親友と同じだ。
「さて、と。情報収集の旅に出ますか、と〜」
大抵の休み時間、アタシは用もないのに教室を飛び出しては、注意深く周囲を見渡す。
『え? あの短い時間に、天羽ちゃん、音楽科棟まで行くことあるの? 本当?』
こっそり内緒話を告げるように耳打ちをしたとき、香穂は大きな目をさらに見開いて笑っていたっけ。
もともと香穂子はおとなしめ、な女の子で。特に用事がない限り、あの時間は教室から出ることはない。
悪友の須弥ちゃんと乃亜ちゃんに囲まれて雑誌を見たり。
コンクールが近いときは、懸命に譜読みをしていたりする。
「お、っと? あれ? 開いてる? これ」
北側に面した薄暗い廊下。滅多に脚を踏み入れることのない奥まった場所に向かうと、そこからはかすかに光が細く漏れている。
ここって、確か、応接室。星奏中のお宝が飾られてる、っていうウワサの場所?
しかも、7の数字が付く日、夜中の12時7分ごろ、飾ってあるヴァイオリンの弓が、カタカタと動き出す……。
確か、『音楽を奏でるのではないところが興味深い』by月森くん、って言われてる、幻の場所じゃない?
アタシが星奏に通い始めて2年。今まで1度も開いているところを見たことがない場所だ。
そこが開いてるなんて……。わ、わわ! ラッキーすぎる!!
アタシは慌てて教室に戻ると、大声で香穂を呼び立てた。
「ねえねえ。ちょっと香穂。あんたも付き合いなよ」
「天羽ちゃん? えっと、どこへ? まだ、休み時間は少しあるけど……」
「いいからいいから」
教室に入る時間ももどかしくて、アタシは廊下で香穂に向かって手招きをする。
そして不思議そうに近寄ってくる香穂の耳を捕まえて、アタシは簡単に説明した。
「さっき珍しく応接室もドアがあいているの、見ちゃったんだ。興味ない? 一緒に行こうよ」
「え? 応接室、ってあの、オールドヴァイオリンが飾ってあるってウワサの?」
「ストラなんとか? ああ、お宝グッズのことね。んー。わかんない。アタシはドアが開いてるのを見ただけだからさ」
「そうなんだ」
「とりあえず、急ごうよ。ね、香穂」
「ん……。どうしよう」
香穂はのんびりした口調で相槌を打つ。
こういう香穂の態度、いつもなら可愛い、って思うんだけど。
今のアタシは野次馬根性がいっぱいで、まずは強引に香穂の腕を取って歩き出すことにした。
だって、今、こうやって話している間にも、誰かがドアの開いているのに気付いて、カギをかけてしまうかもしれない。
そうしたら、確率的にアタシ、卒業するまで応接室の中に入れないかも、ってことでしょ? マズいよ。それ。
「さ、香穂、早く早く」
「天羽ちゃん、相変わらず歩くの速い……」
「いいからいいから。っと」
……そういえば。
アタシの、この何でも首を突っ込みたがる性格を、お母さんはすっごく嫌ってたっけ。
『女の子でしょう? お姉ちゃんはそれなりに育ったのに、どうしてあんたはそう落ち着きがないのかしら?』
小さい頃から言われ続けている言葉。
っていうのは、こういう一番思い出したくない、っていうシチュエーションの時に、突然脳裏に張り付いてきて、アタシの行動を抑制させる。
ああ、お母さんは香穂みたいな女の子が好きだったんだろうな、って。
想像してたより、ずっと少ない荷物を手にして、自宅を出て行った後ろ姿を思い出す。
そっか。アタシ、もう1年、会っていない。
あの人、元気でやってるのかな。
『気になる人がいるの。あんたたちならどういう意味かわかるでしょう?』
今は、アタシの見たこともない街で、見たこともない男の人と住んでる、かも、ってことか。
はは。なんか、複雑だ。
「天羽ちゃん? どうしたの?」
「あ? あはは。なんでもない」
「ん……。応接室の中か−。どんな感じだろうね」
香穂は優しい笑顔でアタシを見上げてくる。
なーんかさ。アタシ、音楽のことは全然よくわからないけど。それでもって、加地くんみたいなウンチクは言えないけど。
これだけは言える。
香穂の音楽って、今、香穂が作り出す空気と同じ。
ふんわりと優しくて、温かいんだ。
だからアタシは、もっとこの子の音楽が聴きたいと思うし、アタシなりのやり方で応援したい、って思うんだと思う。
って、スクープ記事にこんなドリーミンなこと、書けないしね。
記事の基本は5W1H。それに派手なポップ。端的な表現、なんだからさ。
「あれ? 天羽ちゃんじゃん。 なんで天羽ちゃんスキップしてるの? なんかいいことあった?」
「おっと、こんにちは。火原先輩に、柚木先輩」
角を曲がって、応接室までもう少し、というところで、アタシは、星奏音楽科の有名人2人に出くわした。
なんだか、全然雰囲気の違う2人。火原先輩と柚木先輩、だ。
柚木先輩は学校中の有名人だから、っていうことで知らない人がないくらい華やかな人だけど。
ひそかにアタシは知っていたりするんだ。
火原先輩も、実はかなり人気がある、ってこと。
だけど、本人が、こう、後輩のアタシから見ても、どうにも幼いんだよねー。
女の子の機微にまるで疎い、というのか。
多分、この人は、今日突然ひょいとラブレターを渡されても、なんのためらいもなく封を開け、声に出して読み上げそうな気がする。
「ふっふっふ、それが! 聞いてくださいよ。お二人さん」
アタシはかいつまんで説明する。
開いていた扉。中から漏れてきた光。
応接室にまつわる話まで。
── 仲間は多い方がいいし?
それに、もしかして、もしかすると、優等生の柚木先輩が来てくれたら、まさかのとき、さらっと申し開きも出来るってものよ。
案の定、火原先輩は興味を惹かれたみたいだ。
「へえ、応接室が? おれ、一度あの中に入ってみたかったんだよね」
「じゃ、一緒に見に行きましょうか」
押しながら、一歩引く。こうすると、上手いこと記事を引き出せることも多い。
火原先輩は、にぱっと笑って、親友を誘っている。……よし、あと少しだ。
「やった! ね? 柚木も行こうよ」
「そんなに見たいんだ。そうだね、それじゃ行こうか」
「よし!」
やった! 予想以上に上手くコトが運んだ、かな。
柚木先輩をなんとかしたい、って思ったら、火原先輩からアプローチするといい、ってことか。
「ん? なに? 天羽ちゃん」
「い、いえ。あははっ、失言、です〜。じゃ、ドア、閉まらないうちに行きましょう?」
アタシの隣りに、香穂。そして、アタシたちの後ろには、火原先輩と、柚木先輩が続く。
香穂は、アンサンブルメンバー、誰とでも仲が良い。
だけど、どうかな。この2人と一緒にいるときは、いつもより、リラックスしてヴァイオリンを弾いている気がする。
『香穂ってば、本当は誰が本命?』
からかって尋ねてみても、的を得た答えは返ってこないけど。
露骨に、以前、先輩ズがいいんでしょう? と聞いてみたこともあったけど。
その問いには、『音楽科の先輩、っていうだけですごく安心できるの』、っていう、あっさりとした答えが返ってきたっけ。
アタシは香穂の横顔を注視する。本当に、それだけなのかな? って。
少しだけ細く開いた応接室のドアは、音も立てずにしなやかな動作でアタシたちを招き入れた。
こっくりとした、壁紙。調度。
星奏学院、って制服と校舎が可愛い、ていう評判だけど、ここだけは、なんか違う。
教室の造りより、ずっと凝っていて、それでいて、ずっと陰気だ。
照明の関係か、テーブルの上に散らばっている紙が、教室で見るよりも黄ばんでいる。
い、いいや。とりあえず、文章は、あとでどんな風にだって、無い知恵を絞ればいいんだ。
まずは写真写真、っと。
「よおし。では記念写真を、っと。ほら、並んでくださーい。って、あれ?」
ちょうど入り口から見て、ソファの背もたれ。
シックな色合いのソファの中で、これもまたシックな色が軽く身動きをする。
ま、マズイよ。誰か、いる?
「天羽ちゃん……」
香穂は、ギクリとしたように身体を硬くすると、怯えた様子で一歩後ろに退いた。
「あちゃー。誰もいないと思ったのに。ひとまず退散しますか。……あ!」
そりゃ、もともと声は大きい方だ、って思ってたよ。滑舌もハッキリしてる、って。
カラオケにはすごく重宝なんだけど。
だけど、人間、焦ったとき、ってどうしようもないくらい自分の地が出てくるんだよね。
アタシの不用意な大声で、ソファの一部だった人間がおもむろに起き上がった。
まだ、若い、人。だけど、秋色の落ち着いた色のスーツは、かなり高価な印象。
金やんの着てる白衣とは絶対違う!
「……なんだ君たちは?」
「えー、えっとですねえ。社会見学? はは……」
軽いジョークで交わそうとすると、目の前の男は不快そうに眉を顰めた。
「誰の了承を得てここに来てるのかね。用がないのなら速やかに出て行ってくれたまえ」
眼光が痛いくらい鋭い。こんな人、初めて見る。
香穂は、というと、じろりと睨み付けられたのが怖かったのか。
そもそも、入ってはいけない場所にきているという自覚がそうさせるのか、不安そうに柚木先輩を見上げている。
そ、そう。柚木先輩! アタシが、今、この人たちを一緒に、って思って期待してる理由、それは。
── こんなとき本領発揮、なんじゃないのかな。
クチパクで思いを伝える。ヘルプ。助けてください。
あとでなんでも……、って、親衛隊さんのような優雅な茶くみはできないけど、やれと言われれば、今のアタシならやる。頑張るから!
柚木先輩はアタシに軽く頷き返すと、今度は、スーツの男性に典雅な笑みを浮かべている。
「いえ、お休み中失礼しました。それじゃ僕たちはこれで」
アタシたちは神妙な表情を作ってドアを出て、廊下を曲がる。
応接室の男がこちらをじっと見つめ続けているような気がして、おそるおそる後ろを振り返ると、そこに人影はなかった。
「天羽ちゃんてば、緊張したよ〜。さっきの人、怖いような人だよね」
「ごめんごめん。香穂。あーあ。それにしても写真、撮りたかったなー」
本当にアタシってば情けない。
ドアを開けてすぐ。アタシが大声を出さなければ、あの人、まだ寝ていたかもしれないのに。
「でもさー。すっごくスリリングだったと思わない? おれ、結構楽しかったなー」
火原先輩は結構楽しそうに笑っている。
本当に、陽気な人だ。でもこの人の音楽、って人を元気にさせるパワーがあるんだよね。
「それにしてもさ、柚木。さっきの誰だったんだろうね。応接室で昼寝してるなんてさ」
「学院関係者。おそらくは経営に携わってる理事かな」
「え? 柚木あの人知ってるの?」
「いや、だけど、机の上に積まれていた書類が財務関係のものばかりだったからね」
「へ?」
確かに黄ばんだ紙があるなー、細かい字がいっぱい並んでいるなー、とは思ったけど。
経営? 財務? って。
ああ、そういえば、この学院は、アタシたちの親から、学費、という収入をもらって、経営が成り立ってるんだったっけ。
「貸借対照表、資金収支計算書。聞いたことがあるだろう? 学院が経営難に陥ってるっていうウワサ」
そのウワサなら、何度も聞いたことがある。
初めは冗談だろう、とか、学院伝説の一つ? なんてお気楽な気持ちでいたアタシも、
さすがにいろいろな情報網から聞く限り、どうやら事実のかな、って突き止めたのが、今月の半ば。
あの小うるさい……、っと、失言か。豊かな情報網を持つ親衛隊さんたちの中心にいるこの人なら、なにか、知ってるかも。
アタシは、柚木先輩の顔をじっと見つめると、突っ込んだ質問をする。
「ということは、火のないところに、煙は立たぬってことですか?」
「さあ、ね。僕には何とも」
柚木先輩は、ふっと曖昧な笑みを浮かべると目を伏せて、これまたさらに曖昧な返事をしている。
なーんかね。こういうところが胡散臭い、ってアタシが思う理由なワケ、だけど。
うわあ。これって、ビッグチャンス? 在学中、最大最高の記事が書けるかも、ってこと?
アタシは揉み手をしそうな勢いで、柚木先輩に頭を下げた。
「ね。柚木先輩! アタシ、柚木先輩のお茶くみに協力しますんで、ぜひ、また機会があれば、一緒に応接室に行きましょう!」