「……やれやれ。こんな古い代物が残っていたとはね」
 
 私は、自分の背よりも高く積み上げてあるCDの類を見て息をつく。
 星奏の歴史を担うことに対する不安か。対峙する熱意か。
 どちらかはわからないが、圧倒される空気がここにはある。
 
 国内外のコンクールの結果。それにまつわる音源の数々。
 その中に、ひっそりと星奏学院音楽コンクールの音源があった。
 背表紙の年号を確認し、その中に入っている説明書に目をあてる。
 そこには懐かしい名前が踊っている。私の名前。それと、姉の名前。
 それに、この年の優勝者として金澤さんの名前もあった。  
*...*...* Three (Kira End) *...*...*
 理事長室に戻ると、書架から勝手に持ってきたCDをプレイヤーにかける。
 そして、他の雑念に惑わされないために椅子に深く座り込むとヘッドフォンをし目を閉じた。
 
 学内コンクール、か。
 
 音楽の妖精。年の近い姉。
 音楽に造詣の深い両親に育てられたのも功を奏したのだろう。
 姉の作る音に少しでも近づきたくて、ヴァイオリンを肩に乗せない日は年に5日もなかった。
 音楽はどんなときも私のすぐそばにある。
 そう信じて疑ってなかった頃だ。
 
『おう! こいつが美夜の弟か〜。なんだ、坊ちゃんだな』
 
 初対面での金澤さんの第一声は、今でも記憶に残っている。
 高1の私に対して、高3だった金澤さんは背も高く、いっぱしの大人の人に思えた。
 
『次は、声楽科の金澤紘人さん。曲は、フォスター作曲、『おおスザンナ』』
 
 今、耳元で広がる金澤さんの声は、まっすぐ私を高校時代に連れていく。
 金澤さんがいて。姉さんがいて。──── 近くにヴァイオリンがあって。
 CDの中の金澤さんの声が止んで、それでもなお、しばらく続く沈黙。
 あのときの興奮は今も私を震撼させる。
 伸びやかな声。豊かな表現力。1度この声に魅了された人間は、
 自分のすべてを差し出してでも、彼に願い、乞い、彼の再来を信じる。
 観客はみな、金澤さんの声量と豊かさに圧倒されて、すべての身体の機能を奪われていたといってもいい。
 
「おーーい。吉羅、いるか〜? 入るぞーー。日野も一緒だぞー」
「か、金澤先生! ちょっと、その、待って……」
「いんや。お前、あのままじゃ危険だぜ?」
「危険……?」
 
 突然、理事長室のドアが開いたと思ったら、そこには、金澤さんと香穂子が立っている。
 金澤さんはまっすぐに私を見、そして香穂子は金澤さんに抗議をしていたのか、金澤さんを見ていたが、
 私の視線に気づくとバツが悪そうに下を向いた。
 
 私は耳からヘッドフォンを取り外すと、ゆっくりと2人に近づく。
 
「金澤さん。一体何事ですか?」
「おうよ。危険も危険。紳士な俺はギリギリで手を出すの止めたけど、ほうっておいたら、他の男に食われちまう。
 というワケで、こいつが食われても1番安全な男のところまでご招待、ってワケだ」
「……相変わらず騒々しいですね、金澤先生は」
 
 『先生』という言葉に若干のイヤミを込めたつもりだが、金澤さんには通じなかったらしい。
 金澤さんは飄々とした様子で首をすくめた。
 
 昨日の1件以来、香穂子は私の電話に出ないことが気になっていた。
 このCDを聞き終えたら、学院内を探そうと思っていたところだったがちょうどいい。
 金澤さんと香穂子、2人一緒ならなおさら好都合だ。
 
 金澤さんは香穂子と私、両方を等分に見つめて念を押すように言った。
 
「女ってのは慣れた男の方がいいってもんだ。お前、ちゃんと なだめてやれよ〜? こいつ、かなり辛そうだからさ」
「金澤さんに言われなくてもそうするつもりですよ」
「ふーん。……だったらいいが。……なあ、吉羅よ?」
「はい」
 
 私の細い指が神経質にドアを叩く。
 マボガニーのドアは、意外にも軽い音を立てる。
 イラついている私の代わりに抗議する。
 
 金澤さんはふと真顔になると、俺の目を見据えて言った。
 
「……俺はいつでも、こいつを貰い受ける準備はできてるからな。忘れるなよ」
*...*...*
 金澤さんは言いたいことだけ言い終えると、長居は無用とばかりにさっさと部屋を出て行った。
 私と、香穂子。2人の間に、ピンと糸が張ったような緊張感が生まれる。
 
「……感心、しないね。私という存在がありながら、別の男にセックスの依頼をするとは」
「な……。私、そんな依頼、してないです!」
「君は、まだ幼いからか、従順すぎるからか。
 時折、男からしてみると誘い文句のような言葉を言うことがある。心当たりがあるだろう?」
 
 じっと彼女の眉間に目をあてていると、思い当たる節があったのだろう。
 彼女のまぶたの端がさっと赤らんでいく。
 
「香穂子?」
「も、元はと言えば、悪いのは吉羅さんです! 吉羅さんがあんなこと、するから……」
「すまない。昨日のことは少々君には刺激が強すぎたようだ」
「そ、そうです。吉羅さんが悪いの……」
 
 素直に謝ったのが意外だったのだろう。
 香穂子は虚を突かれたように黙り込む。
 次は私のターン、というところだろう。
 
「でも、だからと言って、私が君を許したわけではない。さて、……どんなお仕置きを君に与えたものか」
 
 私は香穂子を強引に引き寄せると、息をつかせない勢いで口づける。
 普段ならすぐ大人しくなる身体が、今日はもがくように揺れている。
 その、手に入っているはずの獲物が、逃げてしまいそうな様子は、私の劣情を誘った。
 もっと……。傷つけても、いい。逃げなくなるなら。
 今までにない強い刺激を与えてでも、私は彼女を逃がしたくない。
 
「2日続けて君を抱くとは。……まだまだ私にも若さが残っていた、ということかな」
 
 制服の下に這わした手に、彼女は小さな悲鳴を上げた。
 
「やっ。つ、冷たい……」
「ほう。冷たい、か。……なるほど、君のそういう感想は初めてだ」
「あ……」
「それが、私と金澤さんの違い。……そう言いたいのかね」
 
 ハッとしたように香穂子は口を押さえる。
 沈黙はより雄弁な答えだと思うが、まだこの子には、上手く誤魔化すという術は身についていないらしい。
 金澤さんの指の温度、か。
 常日頃、自分の指の温度など気にしたことはなかったが。
 季節も秋から冬に近づく今、私の手はよりいっそう冷たく、固くなったようには思う。
 ……そう。ヴァイオリンを止めてからというもの、私は自分の指に気を遣うことを止めたのだ。
 
 私は理事長室の隅にある、ミニキッチンに近づく。
 そして客用に常時用意してあるコーヒーメーカーの中の黒い液体を、おもむろに自分の手に注いだ。
 
「吉羅さん!! なにするんですか? 止めてください」
「コーヒーの温度は80度に設定してある。それほど熱いわけではない」
「駄目です。火傷になったらどうするんですか……っ」
 
 香穂子は私の手を握ると、勢いよく水道の水を出し必死に冷やし始める。
 手のひらの赤みはなかなか消えない。
 彼女は私に救急箱のありかを尋ね、ないとわかると今度は病院に行こうと言い出した。
 
「吉羅さんの手は、楽器を弾く手なのに。……どうして、こんなこと、するんですか?」
「……冷たい手では、君に触れるのに不便だと思ったからね」
「それは……っ」
「病院より、まず君を抱きたい。……いいだろうか」
 
 駄々っ子のように同じ要求を繰り返す私に、香穂子は途方に暮れたようにつぶやいた。
 
「……馬鹿、です。吉羅さんは」
「ほう。そんな生意気なことをいう口はこうしよう」
「待ってください。私、話が! ……んっ」
 
 私は香穂子の顔を持ち上げると強引にその唇を吸う。
 唇をこじ開けて、舌を吸い上げる。
 少しずつ弱ってくる抵抗。
 私は強引に彼女の手を引くと、彼女との情事に利用している、小さな部屋へと押し込んだ。
 昨日3人で使った時間はかなり日が落ちていたが、今はまだ存分に光が残っている。
 
「君の話は、聞かない。待てば多分君は面白くないことを言い出すからね」
「面白くない?」
「たいがい君は、金澤さんが忘れられないと言うのだろう。……君の身体をここまでにしたのは私だ」
「吉羅、さん!」
「君の身体は私が1番よく知っている。……どこが弱くて、どんな風に濡れるのか。どんな風に私を受け入れるのかも」
 
 香穂子の背をベッドに押しつけながら、私は熱を持った手のひらを胸に当てる。
 トクトクと規則正しい音を立てる彼女の心臓は、一瞬驚いたように波打った。
 
「吉羅さん、ダメ……。手、痛いでしょ?」
「君のためなら、構わない。私が君の身体をなだめよう」
 
 私はベッドに横たわっている香穂子の胸を持ち上げる。
 柔らかな膨らみが、弾力を持って私の指の間からこぼれる。
 男が……、少なくとも私は、自分の胸を弄られたからといって股間を擦られるほどの快感が浮かばないのを理由に、
 私は今まで、香穂子の胸を義務的に触れていたのかもしれない。
 金澤さんに胸を弄られて、蕩けそうな目をしていた香穂子を思い出す。
 
 もったりと持ち上がってきた頂きを口に含む。
 舌先でころころと転がすと、香穂子の頬は浮かされたように朱くなった。
 
「胸を突き出して……。気持ちいいのだろうか?」
「はい……。すごく」
「香穂子……」
 
 いつもどおり下着の中に指を這わして驚く。
 そこは湿り気が増したという表現では足りないほどの蜜が滴っていた。
 
「……君の好きなところを見つけてくれた金澤さんには、感謝しなくては」
「吉羅さん……。なに、するの……?」
「こうすれば、君の好きなところを弄ってやれる」
「ああ……っ」
 
 私はバックの体勢になると、香穂子の中に自身を埋める。
 彼女の中にミチミチと入っていく自分を認めたあと、ゆっくりと腰を揺する。
 揺すりながらも、右手は弦を押さえる正確さで彼女の突起を捕らえ、刺激を与える。
 
「あ、そこ……っ! ダメ、私……」
「そんなに腰を突き出されては、止めるわけにはいかない」
 
 私の腰と指は、高々と上がった香穂子の恥部を追いかける。
 彼女の中は快感を逃がさないように内側を震わせている。
 背中を這い上がってくる強い快楽とともに、私は彼女に最後の刺激を与えて、果てた。
*...*...*
「……私は金澤さんにはなにもかも敵わない」
「吉羅さん、そんな……。吉羅さんは吉羅さん、金澤先生は金澤先生です。なにを……?」
「高校の時からそうだった。練習をサボって授業を抜け出しては昼寝ばかりしている金澤先輩を、私はずいぶん嫌っていた。
 先輩はそんな私にちょっかいをかけては姉によく叱られていた。
 そのくせ歌はすごかった。……さっきも、高校時代の金澤先生の歌を聴いたが、何度聞いても圧倒される」
 
 香穂子は私の独り言のような話に、途中からは黙って私の髪を撫でている。
 
「この前の賭けもそうだ。……彼はすべてのものからある一定の距離を取っているように私には見える。
 それが、もどかしくて、……くやしかったのだと思う」
「いいんです。……もう、わかりましたから」
 
 香穂子は私の手を持ち上げると、火傷をした手のひらを持ち上げてキスをする。
 
 抱き合ったあと、ベッドの中でたわいのない話をする。肌が触れ合う。
 初めて彼女とそうなった春先には、お互いにぎこちなさが先立って、行為のあとの戯れなどはなかった。
 夏は、汗まみれの身体をどうにかしたくて、すぐシャワーを浴びていた。
 そして秋。
 触れれば返ってくるぬくもりに、弾力に溺れそうになる自分がいる。
 
 ──── これも、3人の情事で金澤さんが教えてくれたこと。
 
 
 
 
 どうしたわけか、香穂子が身体をすり寄せてくる。
 どうした? という思いを込めて見つめると、笑う香穂子の目の中に、穏やかな自分がいる。  
 
 
 
「……嬉しいです。その、……終わってからも一緒にいられることが」
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