── お前のそんな顔が見たかったんだ。
 たまには自分に素直になって そう告げたなら、目の前の少女はどんな反応を見せるのだろう。
 
*...*...* Gift *...*...*
 大学入試も終わって、卒業まであと少し、という時期。
 俺たちは、意地を張って会えなかった時間を少しでも縫い縮めるかのように、毎朝登下校を共にしていた。

 朝、香穂子の自宅まで迎えに行き。
 昼休み、放課後を共に過ごし。
 帰り。自宅に送ってもなお、門の前で話をする。

 日頃見慣れている俺から見ても、毎日確実に長くなる陽のように、香穂子は花開くように綺麗になっていく。

 理性より感情の方が柔軟に動くことが、どうにも面白くなくて、最初は気付かないフリをしていたが。
 律儀にも俺の親友は、ことあるごとに普通科の情報を伝えてくる。
 加地を初めとした、香穂子の周囲にいる人間のやりとり。
 香穂子のヴァイオリンの音を聴いた、音楽科の人間の反応。

 それらのことを、香穂子は特に俺に告げることもなかったが。
 聞く限り、どうも今の俺の状態は、感情だけが先走りしているというワケではないらしい。

 そう。香穂子は確実に綺麗になった。

(俺のせい?)

 綺麗になった理由。聞きたくて聞けない言葉の代わりを、今日も俺は贈り物に託している。

「お待たせしました! 今日も寒いですね」

 下校のチャイムは、春の正門前に広がっていく。
 香穂子はヴァイオリンを片手に小走りで俺の近くまで走ってくると、嬉しそうに顔を見上げた。

「なに、お前。暑いの?」
「え? ううん。暑くはない、ですね」
「ふぅん。結構 朱い顔、してるけど?」

 慌てて車に乗り込んできた香穂子の頬を、軽く指で弾く。
 弾力ある桃色の頬は、みずみずしさとともに、優しい体温も返してくる。

 多分……。
 そんなに遠くない未来、俺は香穂子のすべてに触れたいと思う時がくるだろう。
 ── こいつは俺の行動を許してくれるだろうか。

「柚木先輩。あの、今日の5時間目の授業のことなんですけど」
「ん?」
「あのね……」

 話しても、話しても。
 どうして話題はこれほどまでに途切れないのか。
 いや、人は話すからこそ、ますます話すべき事柄が増えていくものなのだろうか。
 朝も。そして、昼も、放課後も。
 たくさんの時間を共有しているというのに、俺と香穂子は話題に困るということがなかったことに気付く。

 それでもどうにか一区切りついたあと、俺はようやく話し手になった。

「そうだ。お前に渡したいものがあったんだよ」

 運転手を気遣ってか、さっきまで香穂子にちょっかいを出していた俺の左手は、今はおとなしく香穂子の両手の中でおとなしくしている。
 細い指の感触を心地よく感じながら、俺は、空いている方の手で鞄の中から小さな箱を取り出した。

「これを、お前に」
「えっと、なんでしょうか……?」

 香穂子は俺の手をそっと膝に置くと、両手で箱を受け取った。

「あの、包み、開けてもいいですか?」
「どうぞ。それはもうお前のだから」

 香穂子は壊れ物のようにそっと箱を裏返すと、大振りのリボンをそっと引っ張る。

『柚木先輩からもらったものは、きちんと全部取り置いてるんです。リボンも。包装紙も』

 以前、話していたのを思い出す。
 そんな几帳面なところも俺のお気に入りだったりする。
 俺は香穂子の両手が贈り物に夢中なのをいいことに、つるりと丸い膝の感触を楽しんでいた。

 香穂子は、箱の中から取り出した人形2つを手の平に並べると、目の高さに持って笑った。

「あ、お雛さま、ですか? 可愛い!」
「気に入った?」
「はい! 見てください。こんな小さいのに、ちゃんと着物、10枚くらい着てますよ?」
「そう?」
「2人とも優しい顔、してますね」
「豆雛。『マメビナ』というらしい」

 さりげない風を装って、俺は香穂子の家のことを聞く。
 家の門構えは毎日のように見ていて、香穂子の部屋にも何度か入ったことがある。
 だけど実際、ごく普通のサラリーマン、という香穂子の家の細部までは知らない。

 いや。考えて我に返る。
 思えば、友だちの家に遊びに行く、という習慣を持っていなかった俺は、普通の家の間取り、を知らないのだ。

 行くとしたら、宗家の付き合いで、付き添いの形で参列する、ホテルばかりだった。
 経験のなさが、俺の人間性の足りなさに思えるような感覚に、俺は苦笑する。
 今まで、普通の人間の生活に興味を持ったことなどほとんど無かったのに。

 香穂子は俺の屈託に気付くことなく、目の前のお雛さまの話をしている。

「ねえ。お前の家にはお雛さま、あるの?」
「はい! えーっと、『平飾り』っていうのかな、お内裏さまと、お雛さま。
 男の人と女の人の2人のお雛さまがありますよ?
 厳密に言うとお姉ちゃんのもの、らしいんですけど。……私は次女だから」
「そう」
「毎年お母さんが、懐かしいって顔して飾ってます」
「へぇ。……お前は手伝わないんだ」
「は、はい?」

 流し目で相槌をうってやると、香穂子は決まり悪そうにそっぽを向いた。

「そんな風に拗ねないの」
「あ、そうか。だから、柚木先輩がくれたこのお雛さまは、私だけのお雛さま、ってことですね。
 どうもありがとうございます!」

 香穂子は大切そうに2つの人形を箱に納めようと、真剣な眼差しで人形の衣装に指を添えている。。
 俺の顔が近づきつつあるのも、気付かない。



 それがなんとなく面白くなくて、俺は香穂子の頬に口づけた。
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