不思議。
 こんな簡単な一言なんかじゃ、絶対言い表せないよな。今のおれの気持ちって。
*...*...* More than me *...*...*
 時折、厚い雲の間から差し込むヒカリはもう、真夏そのもの。
 けど、雲の色はまだまだ梅雨の名残を残してる、そんな季節。

 日曜日の昼下がり、おれは、こうして大好きな女の子を待っている。

 ── やっぱ、これって、初めてのデート、って言えるのかな?

 毎日会ってても、時間が足りなくて。
 夜、電話で話していても、話したりなくて。
 おれは今日初めて、香穂ちゃんをデートに誘った。

「っと、まぶしいな、ここ」

 駅前のショッピングモール。
 おれは煉瓦色の壁を背に、向きを変える。
 今日は真夏日ってアニキが言ってたけど、本当かもな。

 (出会った頃は春だったよな)

 普通科の女の子。
 これまでまるっと1年以上は一緒の学校通ってたんだから、顔は見知ってたかもしれない。
 けど、これほどまでには彼女の内面を知らなかったのは事実で。

 ね。その1年と、このコンクールの期間の2ヶ月と。
 この間のおれの変化と言ったらどうだろう。

 毎日がめまぐるしくて。
 ぐいぐい、心が、揺れていって。
 彼女の解釈を理解できなくて、戸惑って。
 けれどその解釈の意味がわかるようになった今では?
 もっと、もっと、って止まらない気持ちが湧いてくる。
 ── 香穂ちゃんのこと、もっと知りたい、って。

「火原先輩!」
「うわっ!!」
「そ、そんなにびっくりしました? ごめんなさい」
「い、いや、香穂ちゃん、後ろからくるからっ」

 今のおれから見た香穂ちゃんは、逆光のせいなのか、一瞬深い影が差したようにシルエットだけが見える。
 香穂ちゃんの背景は、赤や緑の粒子が光っている。

「香穂ちゃん……」

 目が慣れて、改めて香穂ちゃんを見たおれは、文字通り、絶句してた、と思う。
 薄い水色のキャミソール。首や袖には繊細な感じの真っ白なレース。
 日に焼けてない華奢な二の腕がすんなりと伸びて。
 ── 思えば、俺、香穂ちゃんのプライベートな服装って初めて見たんだ。

 そりゃコンクールの時は別だよ?
 どのドレスも香穂ちゃんに似合って、とても可愛かったと思う。
 けど、こんな風に、間近でまじまじと見ることができるのって今日が初めて、かも……。

 香穂ちゃんは、何も言えないおれを、どうしたの? と言いたげに首をかしげている。

「な、なんかさ、全然違うんだね。女の子って……」
「はい?」

 ぼくのすぐ下に見える、ふわふわとした髪に包まれてるつむじとか。
 ふと、うつむいたときに影を落とす長い睫、とか。
 手を伸ばして包み込んだら、あっさりと身体の中に入っちゃいそうな、身体、とか。

 っと。いかんいかん。何言ってんだろ、おれ。
 今、そんなことして香穂ちゃんに嫌われちゃったら、ちょっとやそっとじゃ、立ち直れないぞっ。

「先輩? じゃ、行きましょうか」

 おれのそんな心配をヨソに、香穂ちゃんは、普段と変わりないペースでおれの左側を歩き出した。
*...*...*
「わぁ、可愛いお店。ここ、ですか?」
「うん! ここ。ここのシフォンケーキが1日15個限定なんだって。まだあるかな?」

 駅前のケーキ屋さん。
 重い木製のドアを押すと、木琴を鳴らしたかのような丸みのある音が広がる。

 店内はシックな中にも、あちこちに小物が飾ってあって、いかにも女の子が好きそう、って感じの店。

 トランペットを思い切り弾いた後って、すっごくお腹が空く。
 即物的って言われようがなんて言われようが、事実だもんね。
 けど、……やっぱり。
 おれ、1人では立ち寄れない店って、ある。
 その1つがこのケーキ屋さんだった。

 ったくなんかこの世の中って不公平だよな。
 女の子2人で行くお店はいっぱいあるのに、オトコ2人で行けるお店って、なかなかないんだよな。
 ……って待てよ。
 今度柚木を誘ったら、あいつも結構甘いモノ大丈夫だから、来てくれるかもしれないよね。

「内装も素敵……。私も一度このお店に来てみたいなって思ってたんです」

 きょろきょろ辺りを見回して香穂ちゃんは微笑んだ。
 ごとり、と重厚感のある椅子を引きながら、おれもつられるようにして笑う。

「おれも、コンクールが終わったら、香穂ちゃんを誘おうって思ってたんだ」

 そうそう。香穂ちゃんのこの顔。おれの大好きな表情なんだよね。
 もちろん、満面の笑みっていうのかな?
 明るい気持ちが全開になったような香穂ちゃんの笑顔も大好きだよ。
 だけど、花がほころびかけた、っていうのかな。
 のどかな表情がほぐれていく瞬間のような、この顔も大好き。

「先輩、どれにしますか?」
「ねえ、香穂ちゃん。違うの注文して、半分こしない?」
「賛成! んー、どれがいいかな? 迷っちゃう」

 メニューをふたりで覗き込んで。
 キレイに爪を揃えた指が、ひらひらと踊っていくのを見て。

「えっと、じゃあ、コレ、と……」

 おれは香穂ちゃんの声を近くに聴きながら、ワケもなく胸が痛くなった。

 ヘンだよね。
 切なくて、痛くて。幸せでも、痛くて。
 どうしたんだろ、おれ。

 でも。
 ヘンだとは感じながらも、頭の片隅でどこか納得している部分もあった。

 おれ、ずっと、こう、したかったんだよね。
 日野香穂子って子と、ずっと、こうしたい、って思ってて。
 今、それが現実のモノになったのが、嬉しくて、幸せで、そして痛いんだ。

「あの、私ね……」
「うんうん」

 会話の中で知り得るいろいろなこと。

 この子の好きな紅茶は、ダージリンのセカンドフラッシュで、マロンはちょっと苦手で、……って。
 この子を形作っている特徴を、一つ一つ、全部、おれの中に残していきたい、って。

「夢だったんだ。女の子とこうしてケーキ屋さんでデートするの。……今日は叶って良かったよ」

 香穂ちゃんはこそばゆそうに目を細める。

「え? 私で良かったんですか?」
「香穂ちゃんが良かったんだよ」

 メニューをテーブルの隅っこに戻し、香穂ちゃんは、こくり、と美味しそうに水を飲んだ。

「なんだか意外です」
「え? どうして?」

 思わず即答。
 おれってどうなの? そんなに他の女の子たちと遊んでいるように見えるかな?

「先輩なら……。どんな女の子からも好かれるんじゃないかな。
 優しくて、明るくて。ほら、この前だって、オケ部のみんなからもすごく人気があるんだ、って思ったもの」

 そうだった。
 コンクールが済んだ後、おれは自分が所属しているオケ部の見学に誘ったんだった。

 こんな短時間でこれほどまでにヴァイオリンが上手くなるコなら、
 そのままヴァイオリンで弦パートを担当しても良いし、
 そのセンスを逆手に取って、新たに管パートを始めてもいい。

 だから、両方のパート、見たらいいよ。って言って、おれは香穂ちゃんを連れてオケ部に乗り込んだ。

 ……っていうのは建前で。
 本当は王崎先輩と同じ弦パートに香穂ちゃんが行っちゃうのがクヤしかったから。
 理由を付けておれのフィールドである管パートに連れて行きたかったんだだけなんだけどね。

「あ、あの! 香穂ちゃん、ご、誤解しないでねっ。オケ部のみんなは、友達なの。ファミリー、なの!」
「あはは、うん。わかってます」
「ホントに?」
「はい。……けど、嬉しいじゃないですか。自分の好きな人が他の人からも好かれてる、ってわかること」
「えっ……?」

 って、今、スゴイことを聞いたような気がするんだけど……?
 ……うわっ。静まれ心臓。おれの一部のクセに、おれと関係ない動きをするなっ。
 なだめてみても、止まらない。
 頭上では静かに冷房のファンが回っているのがわかるのに、おれの頬は熱を増すばかり。

「香穂ちゃん……、あの、おれ……」
「はい……? あ、ケーキ、来ましたよv」
「は?」
「お待たせしました〜」

 大学生かな? 少しおれたちよりも年上のウェイトレスさんが笑いをかみ殺して、テーブルにサーブしていく。
 うう、こういうシーンって、ハタで見てる方が面白いだろうな。

 場慣れしないオトコと。
 無邪気なまでの女の子。

「わぁ……。なんだか、食べるのがもったいないくらい、可愛いですね」

 嬉しそうに目の前のケーキに見とれている香穂ちゃん。
 幼いまでのその表情に、またおれは香穂ちゃんが好きになる。

「そうだね。食べよっか」
「美味しそう。いただきまーす!! ほら、先輩も」

 香穂ちゃんから手渡されたフォーク。
 すっきりと磨き込まれた銀色がまぶしい。

 目の前のケーキに夢中になっている香穂ちゃんに、おれは心の中で独り言をつぶやいた。


 今は、おれよりケーキの方が大事、でもいいか。
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