「うわあ、土浦くん、すごいすごい〜〜!!」
「……まあ、慣れてるからな。料理するの」
「これならどこのお店に出したっておかしくない、立派なプリン・アラモードだよ!」
「ははっ。立派なプリン、か」
「うん!」

 香穂子は目の前に出されたプリンに目を見張っている。

 母さんが、ピアノ教室の父兄からもらったリンゴがあるから、いっぱい食べなさいね、と言っていたのは昨日。
 香穂子が果物の中でリンゴが一番大好物だと聞いたのが今日。
 だったら、今から俺の家に遊びに来るか、という話がまとまって。
 放課後、今こうして香穂子は俺の家にいる。

 リンゴだけ出すこともできたけど、この前姉貴に出してやってわりと好評だった プリンとリンゴ、キウィ、生クリームのセットで、俺は手早くブツを作ると目の前の香穂子に差し出した。

 ……まったく。
 ヤセたい、ヤセなきゃ、と言いながら、こうして冷蔵庫を開けたらさくっとこんな材料が出てくるんだもんな。
 姉さんの口だけダイエットもまだ先が長そうだぜ。

「こんなことができる土浦くんってすごいよ」
「……そんなものなのか?」

 俺は首をかしげる。
 こんなの、小さい頃から包丁 持ち慣れてたら誰でもできるだろ?

 ……って、待てよ。
 俺は自分の周りにいる周囲の人間を思い出してみる。

 サッカーつながりのあいつらは、リンゴっていうのは皮付きで丸ごと食べるものだと思ってそうだな。
 なにしろ試合の終わった後の食欲ってすざまじいし。

 コンクール参加者の顔を思い浮かべてみる。
 火原先輩はサッカーつながりのジャンルに入れるとしても、他の参加者って……。

 ── ダメだな、あれは。そもそも包丁ってのを持ったことがなさそうなやつらばかりだ。

 香穂子は俺の屈託にお構いなくきちんと両手を合わせると、目の前のプリンに目を奪われている。

「いただきます! わ、このリンゴ、可愛い。チューリップみたいに切ってある」
「ああ。8つくらいにクシ切りしてから、ペティナイフでギザギザに切れ込み入れるんだ。わりと簡単」
「そうなんだー。……あ、これはなんて切り方? すごい、左右ばっちり線対称」
「木の葉切り。ったく線対称、ってなんだよ。小学校の算数か?」
「あはは、そうそう。あったよね、そんなの」

 香穂子は銀色のスプーンとフォークを器用に使って、それは楽しそうに 俺の作った、と言っても、盛りつけただけ、とも言えるか。プリンをおいしそうに口に運んだ。

「土浦くん、おいしい。うーん、幸せ」
「そうか。良かったな」

 なんて言うんだろうな。こいつ、本当にうまそうに食べるんだよな。

 ヴァイオリンを構えてるときの真剣そのものの顔と全く違う。
 顔中のパーツがすべて緩んでしまった、っていうか。
 まあ、俺もなんていうか。……こいつのこんな顔が見たくて、以前より料理の腕前が上がったような気もしなくもない。

 ── 付き合いだして3ヶ月。


 今はまるで姿を見せなくなったリリ。あいつ、どうしてるかな?
 初めてコンクール参加、って聞かされたときは、面倒なことはごめんだと横柄な態度を取ってたよな。
 けれど、今。
 香穂子にねだられるようにして、毎日ピアノを弾いて。
 俺は忘れたつもりでいた音楽の美しさに、再び目を奪われ始めている。

 こうしてコンクールを通して出会うことができた香穂子といるのが当たり前のような毎日を過ごしてると、今度リリに会えたときは、ちょっと真面目に礼でも言いたくなってくる。


『リリ、サンキュ。── 香穂子と会えたから、コンクールも悪くなかった』


 リリはなんて答えるだろう?
 ……って。礼を言う俺を見て却って面食らうだろうな。そんなの俺の柄じゃないか。

 香穂子は俺の顔を見上げると、はっと照れたように顔を赤らめた。


「あ、私ばっかり食べててごめんね。……はい」
「……は? はい、ってなんだよ?」

 柄の長いスプーンが、白い生クリームを載せて、俺の目の前にひらひらと飛んでくる。
 スプーン越しの香穂子が嬉しそうに笑っている。

「おすそわけ。一緒に食べよう? ほら、口、開けて?」
「口、って、お前……」


 俺には俺にぴったり馴染んだこの両手があるわけ、で。
 ── 照れるだろうが。病気でもあるまいに、一人前のオトコがそんな、オンナの手から食べさせてもらうの。

 何も、そんな、誰も見てないからって言って、香穂子に食べさせてもらう、っていうのは……。

 まあ、その、なんていうか。そ、そうだ。俺の柄じゃないんだよ。
 俺はテーブルの上に目を遣る。
 ってそっか、プリンは香穂子の一人分しか作ってなかったから、スプーンもフォークも一組しか置いてなかった。

「いや、俺は……」

 まるでDVDを見てる時みたいに、情けなく俺が香穂子にクリームを食べさせてもらってる図が浮かんでくる。
 ……やばい。やっぱり想像つかねえよ。

「どうして? おいしいよ」

 香穂子は何の屈託もない顔で笑っている。ああ、確かにその表情は可愛いとは思うぜ。

 けど、どうしてもやれることとやれないことっていう境界線が俺の中にあるわけ、で……。

 そうか、別にフォークでクリームを取ったっていいよな?
 俺は状況を立て直すと、目の前にあるフォークに手を伸ばした。

 ── そのとき。

 香穂子はひらめいた、とでも言いたげな得意満面な表情を浮かべて、俺より先にフォークを手に取った。

「あ、そっか。土浦くん、甘いものより、リンゴの方がいいのかな? ……えい、っと。ほら、ウサギさん、あげる」

 香穂子はそう言うと、ちょっとだけクリームのついたリンゴにフォークを刺して、再び俺の顔の前に差し出す。

「甘酸っぱくて、おいしいよ?」

 リンゴの赤い皮。クリームの白。
 その瑞々しいまでのコントラストと、香穂子の唇の朱と歯の皓さが重なる。


 いや、……その、なんだ。いいんだけどな。別に。
 ここは俺の家で。俺たち二人しかいなくて。誰も見てないし。
 香穂子は俺との仲をあちこちに吹聴するやつじゃないし。

 ……ったく、しょうがないな。
 どこまでも暢気な香穂子に観念して、俺は目の前の赤い物体を口に入れる。


 新鮮なリンゴは俺の中でいつもに増して、甘くおいしく感じられた。
 ── 弾き手によってどんな風にも音色を変える音楽と一緒なのかな、これは。


「あれ? 土浦くん、暑い? 顔、赤いよ」
「今度はお前の番。ほら、口 開けろよ」
「は、はい!? え、パ、パス!」
「お前なー。人にはしておいて、されるのはイヤってのはないだろ?」


 俺はテーブルに置き去りにされていたスプーンを手に取ると、今度はクリームをすくって、香穂子に同じことをしてやる。
 制服の胸元まで赤くなった香穂子を見て、俺は笑った。

 ほらな、する方とされる方では恥ずかしさの度合いっていうのが違うだろ?
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