*...*...* 桜桃  *...*...*
 女の子ってケーキみたいだって思ってた。
 だから、そっと、大事に、触れなきゃ、って。
 そうしなきゃ、簡単に壊れちゃうんだ。元には戻せないんだって、信じてた。

 だけど、おれが好きになった女の子は、ケーキみたいに可愛いけど、ケーキみたいに脆くない。
 そんな簡単な一言では表現できないくらいの強さを持ってる。
 そう感じたのは、春のコンクールで知り合ってからちょうど1年が過ぎた頃だった。
*...*...*
 絶好の行楽日和。目を細めると、春の日差しの太陽が、ぴかっと嬉しそうにこちらを見ている。
 ホントなら、こっちが男らしく加地くんみたいにデートの行き先をコーディネートしなくちゃいけないんだろうけど。

『どこでもいい。香穂ちゃんとでかけたい』

ってムリをいうおれに、香穂ちゃんは、

『じゃあ、私の行きたい場所があるんです』

って、以前何度か練習してたところとは違う、電車でちょっと行ったところにできた森林公園を提案してくれた。

「うっわ。いいところだね! 香穂ちゃん」
「えっと、街のガイドブックに載ってたんですよ? 火原先輩が気に入ってくれそうかな、って思って」
「うん! バッチリ、大当たりだよ!」

 最近できたばかりらしく、座ったベンチは顔が映りそうなほどつやつやしてて、かすかにまだペンキの匂いがする。
 2面もあるバスケットコートも充実していて、小学生かな? 歓声を上げながら、3オン3をやっていたりする。

「んーー。気持ちいいね〜。春まっさかりって感じ?」
「そうですね。今日は火原先輩の卒業のお祝いも兼ねて、お弁当、いっぱい作ってきました」
「ありがとね、香穂ちゃん」

 そうだ。おれ、来月4月からは星奏学院大学1年の火原です。なんて名乗るんだ。
 あんなに先輩、って思ってた王崎先輩と、同じ団体……、っていうのもヘンか。
 同じ所属、っていうのもおかしいな。えっと、とにかく同じ大学生になるんだ。
 だけど、なんだかまだ高校生気分が抜けないよ。なんでだろ。
 なーんか自分では納得のいかないまま、もうすぐ星奏学院高校には1年生が入学してくるから、
 3年の君たちの教室、使いたいんだ。だから卒業していってね。
 って、物理的な理由だけで、ぐぐぐっと背中を押されちゃった、って感じなんだから。

「火原先輩。さくらんぼ、って好きですか?」

 香穂ちゃんはバスケットの中の小さなプラスチックの容器を広げると、小さなフォークで赤い実を取り出した。

「あ! おれ、なんでも大好き。好き嫌いナシ!」
「良かったです。今日はいっぱい作ってきましたよ〜。でも火原先輩の食べる量がよくわからなくて……。
 足りないと申し訳ないかな、と思って、多めに作ってきました!」
「わ、こんなに?」
「うう、やっぱり多すぎましたか?」

 途端に香穂ちゃんの眉が大きく下がると、申し訳なさそうな見上げてくる。
 その途端、またおれは香穂ちゃんの可愛いところを1つ見つけたなんて、嬉しくなる。

「そんなことないない! 香穂ちゃんが作ったのなら、なんだって、オッケーだよ」
「よかった、です。ウチのお母さん、面白いんです。お花見、っていうと、必ずサクランボを用意しなきゃ、って思うみたい」
「サクランボ?」
「はい。よくわからないけど、『花も実もある方が楽しいじゃない』って……。
 だから、今日もしっかり用意してきました」
「ははっ。香穂ちゃんのお母さんって面白い人だね」

 香穂ちゃんはウキウキした手つきで、バスケットの中に入っていた小さなお弁当箱を広げる。

 なになに、っと……。
 わ、三段重ねのお弁当箱を広げると、1段目はおいなりさん。
 2段目はおれの好きなから揚げとか、卵焼き、グラタンなんかが入ってる。
 そして3段目には、リンゴ、イチゴ、キウイ、パイナップル。
 そして、香穂ちゃんの言ってたサクランボがちんまりと並んでいる。

 女の子って、食べるものまでちょこちょこと可愛いのかな。
 こまごまと入っているその様子は、なんか、本当に香穂ちゃんって女の子なんだ、なんて、気持ちにさせる。
 だって大食いのおれの家じゃ、ウィンナーをタコやカニにする、なんて工夫もないし。
 グラタンもこっちはポテトグラタンで、こっちがマカロニグラタン、なんて違いもない。
 それに、絶対的に違うところ。

 ── そもそも、果物なんて出てこない。
 もし出てきたとしたら、それは単色。1種類だ。

「いただきまーす!」

 香穂ちゃんは料理をしてると、それだけでお腹がいっぱいになっちゃうんです。
 なんて大人っぽいことを言って、果物に手を伸ばした。
 そして、サクランボを手にすると、そっと口元に近づける。

(あ……)

 瑞々しい朱色は、モノトーンの写真の中、そこだけ朱いインクを垂らしたような鮮明さがあった。

「ま、待って! 香穂ちゃん」
「はい? あ、あれ? さくらんぼ、火原先輩の分もありますよ?」
「そっち。香穂ちゃんの今持ってるのがいい」
「そっち。って、これ、ですか?」

 子どもみたいなやんちゃを言ってる、とは思う。だけど、男ってそういうとこ、あると思う。
 いつもより、ほんの少しのワガママ。
 告げることで、甘えてることを表現して。受け入れてもらうことで、自分がこの子に好かれてる、って納得したいんだ。

 おれは香穂ちゃんの手をそのまま握りしめると、ぱくりと香穂ちゃんの持っていたサクランボを口の中へ放り込んだ。

「ひ、火原先輩って、ときどき、すごく大胆なこと、すると思います」
「え? そう?」

 あたりは閑散としているとはいえ、ときどき、小型犬を連れた人が気持ちよさそうに散歩している。
 見られてるかも、って恥ずかしかったんだろう。
 香穂ちゃんは、さっきおれが食べたようなサクランボのような頬をしておれをちらりと見上げた。

「うーん。おれは足りないんだけどね」
「はい?」
「香穂ちゃんが足りないよ」

 この春から、おれは大学生になって、香穂ちゃんが学院に残る。
 いくらおれが先輩風を吹かせて、王崎先輩の代わりに、っていうイイワケを背負って学院に顔を出すっていっても、
 やっぱり、おれにはおれの、香穂ちゃんには香穂ちゃんの時間が流れていくことはわかってる。
 おれが心配って思うのはそれなりに理由もあるんだ。
 だってさ、いろいろな部活に引く手あまたの加地くんは、公言してはばからないんだから。

『僕が部活に入ってないだなんて、やだなあ。火原さん。僕は日野部に入ってますから』

 日野部だよ。日野部……。それだけでもうアドバンテージ取られてる、って思うよ。
 そんな加地くんと香穂ちゃんには、まだ1年もの長い間香穂ちゃんと時間を共有する権利がある。
 うーん。なんだか羨ましいかも。

「火原、先輩?」
「あ? ああ、ううん。なんでもない! ぜいたくだよね。おれ」

 おれの受験が無事すんで、それで、香穂ちゃんのコンミス試験も無事合格をもらったころ、
 おれの1番の関心事は、香穂ちゃんとの付き合い1つに絞られていった。
 アンサンブルを組んだみんなが香穂ちゃんを狙っていたのはわかっていたから、おれは必死だったんだと思う。
 初めて香穂ちゃんがおれに身体を任せてくれた夜は忘れられない。
 だけど……。
 香穂ちゃんを抱いてわかったのは、恋をして、心と身体を繋げあっても、まだ先には不安が生まれる、ってことだった。
 ……新鮮だったな、うん。
 以前、普通科の1年生の子からラブレターをもらったときは……。
 両思いにさえなっちゃえば、気持ちさえ伝え合っちゃえば、こんな切ない気持ちって消えると思ってた。
 だけど、香穂ちゃんと気持ちが通じ合ってるってわかってからのおれは、ずっと香穂ちゃんにその先を求めて。
 キスをしても足りなくて。
 おれ自身にはない柔らかな胸のふくらみに触れても。
 そして、香穂ちゃんを抱いた今でも、おれは香穂ちゃんに囚われ続けているおれがいる。

 心と身体を繋げた今は、さらに香穂ちゃんを好きになっている。
 おれのこと、これからもずっと好きでいてくれる? なんてね。

 あ、あれ? でも。同じ時間を共有できない、っていうのは、おれも香穂ちゃんも同じな、ワケ、で。
 あれ? でも、おれ、香穂ちゃんから、不安だとか、心配だ、とか、聞いたことって1度もない。
 うーん……。
 香穂ちゃんは、もしかして、おれが卒業しても、大学に行っても、平気、なのかな?
 淋しい、とか感じたこと、ないのかな?

「あ、あのさ。香穂ちゃん。香穂ちゃんって、おれが大学に行っても、淋しくない? 平気?」

 おそるおそる尋ねると、香穂ちゃんはちょっと考えたあと、ふわりと微笑んでおれの顔を見上げた。


「……私、火原先輩が好きですから」
「香穂ちゃん?」
「── 好きだから、大丈夫ですよ?」
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