*...*...* Embrace 4  *...*...*
 勢いよく走りすぎたせいだろう。耳元でジージーと夏虫が鳴くような音がする。
 合間を縫って走るように、月森の創る軽やかな音も聞こえてくる。
 ふぅっと、ため息のような息をする。
 あれほど高鳴っていた心音は、今は嘘のように静まり返っている。

「香穂子……」
「もう、大丈夫?」

 ふと気付くと、俺の身体を、見覚えのある華奢な白い腕がそっと支えていた。
 月森さんとの話の途中で飛び出してしまった自分へのカッコ悪さもあって、俺は慌てて腕を振りほどく。

「わ、悪い……。またあんたに甘えちまったな」
「ううん? もう、落ち着いた?」

 今までこいつのこと、ただ可愛いとだけ思っていたし、この可愛さを知っているのは俺だけだ、とも思ってた。
 そしてもちろん、香穂子の気持ちも俺に向いていることを知っていたから、あまり他の男が香穂子のことをどう思ってるかなんて、考えたこともなかった。
 知り合ったばかりのころから、アンサンブルだ、コンサートだって走り回っていることも香穂子本人から聞いていたけど、
 別に香穂子の周囲の男が、俺同様、香穂子を愛しくに思ってるなんて意識してなかったからだ。

『香穂子の音色を聴いて感じることがあった』
 月森さんが口にしていたことを思い出す。
 つまり、香穂子は、俺以外の男にも、なにかしらの影響を与え、そして与えられてきて。
 香穂子は持ち前の鈍さで、いろいろな男の好意をスルーしてきたのかもしれない。
 月森さんも、香穂子の音色に気付き、惹かれ。
 隔たった時間を経て、あの人の音色はより高みへと登った、ということか。

 プライドの高そうな人だったと思う。
 そんな男が、自分の中で音楽的に昇華するまで、香穂子への思いを暖めてきたとはね。

「ん……?」

 シャンプーの香り、なのか?
 上気した体温の上に、さらに優しい香りが広がっている。
 いつもだったら、触れても服の上から、顔を押し付けるくらいしかしなかった俺が、今日は直に香穂子に触れたい。そう思った。

「なあ。香穂子。こっち向いて?」

 甘噛みのような甘えたキスを何度か繰り返した後、俺は黙って制服を持ち上げると、胸の間に顔を埋めた。
 窓の外には、まだ昼間のような明るさの太陽が密かに俺たちを見守っている。
 夏至。香穂子が教えてくれた言葉。
 1年で1番贅沢に太陽を感じることができる季節。
 そんなとき、俺も1番香穂子を身近に感じられたらどんなにいいだろう。

 ケイイチとカホコのじゃれあいのような甘ったるいキスに、やがて本気の色が乗ってきたのがわかったのだろう。
 香穂子は2つの手を俺たちの身体の間に滑り込ませると、必死に抗っている。

「やめて。え、衛藤くん……?」
「静かに。まだ残ってるやつもいる。声、聞こえてもいいの?」

 俺の言葉に、香穂子は恨めしそうな顔をして俺を見る。
 先へ進むことを許してくれる優しさに甘えながらも、もし俺以外の誰かがこうしてムリヤリ香穂子に近づいたら。
 と考えるだけで、目の奥がチカチカする。

 着やせして見えるタイプなのか、制服の下からは、大きなふくらみが隠れていた。
 目の前いっぱいが、白い肉に囲まれ、他は何も見えなくなる。
 俺の身体、どこだって、こんなに柔らかい部位はない。
 下着の隙間に指を差し入れて、そっと取り出す。
 頂きが外気に触れて、初めて香穂子は驚いたらしい。
 びくりと肩が強ばった。

「衛藤くんって、その……。あの、女の子と、こういうこと、したことあるの?」
*...*...*
 香穂子はあっけにとられたように、落ちそうなほどまん丸な目をして俺を見ている。
 というか、そういえば、いつだ? こいつと初めてキスしたの。
 かれこれ2ヶ月くらいは経っている。
 俺たちはまだ子どもだ。
 だけど、子どもっていう入れ物に入りきらない部分もたくさんある。
 なのに、香穂子は、ずっと俺とキスだけを繰り返す関係が続くと思っていたのか?

 俺は別に隠す必要もないかと思い、今までのことを告げた。

「まあ、身体だけはね。1人でやるのって不健康だろ?」
「ふ、不健康、って……っ。あ、あれ? あの、衛藤くんって、今、何歳だっけ……? 15? 16?」
「俺、3月が誕生月。だから、最近15になったばっかり」
「さ、最近なんだ……。えっと、だけど、その……」
「なに?」
「その。女の子と、そういうこと、したこと、ある、の?」
「って別に今は、俺もあんたもお互い以外の steady がいないんだし、いいんじゃない?」

 香穂子は困り切ったような表情を浮かべて、俺の髪に手を当てている。
 なんていうか……。あれ? 香穂子、今、高3だっけ? 俺と2つ違いか。
 だけど、こいつって、ホント、年よりもずっと幼く見える。
 なんか。守ってやらなきゃ、とか。こいつを支えてやれるのは俺だけだ、とか。
 アメリカの女たちはよくも悪くも開放的だったし、俺もあまり深く考えてはなかったのか。
 今、抱き寄せている香穂子に対するような、愛しい思いはあまり無かったような気がする。

 香穂子は自分の中に浮かぶぴったりとした言葉が決まらなかったのだろう。
 この子は、自分の曲想を追いかけるときも、こんな顔をする。
 なにかを言いかけては揺れる唇に、俺は口づけを繰り返す。

「そんな真剣な顔して考え込んで。あんたって可愛いな」
「うん……。もう、グルグルしてる」

 香穂子の様子からは、俺の過去に逡巡しているのがありありと伝わってきた。
 なんだ? これも文化の違いなのか?
 それとも俺と香穂子の違い? いや違う。男と女の違いなのか?

 我慢強く待ち続けた俺に、香穂子が発した言葉は俺の予想外のものだった。

「な、なんか、不公平だ。ずるい。こういうことも、ヴァイオリンも」
「は?」
「衛藤くんは私より、いろんなことに、経験値高いんだもの」
「あんた、それ、真剣に言ってる?」

 香穂子の真顔に、『悪い』と思いながらも思わず俺は吹き出すのを止められなかった。
 って、なんだよ。不公平、って。経験値って。

 なんだってタイミングってものがある。ましてや、この手のことは1人じゃできない。
 相手を選ばなければ誰とだってできるかもしれないけど。
 俺はあんな小さな愛撫で身体を強ばらせた香穂子にとって、俺が1番だといい、と思った。

「── 香穂子って結構負けず嫌い?」
「う……。そ、そうかも」

 俺の手は、香穂子のブラウスの中、するすると肌の上を行ったり来たりしている。
 怯えたようにそそけ立った頬とはウラハラに、2つの頂きは堅く芯を持って立ち上がってきた。

「俺さ。今までスポーツやるときのようなノリで女としてた。別に相手も同じノリだったと思う」
「ん……」
「give and take って感じ。快感を与え、与えられ。会ってやって別れる。それきりの関係だ、って」

 香穂子は黙りこくって、俺の手に手を重ねてくる。
 まだ、鬱々となにか考え込んでいるのか、きっちりと結ばれた口元が可愛いなんて、俺は香穂子を見つめていた。

「衛藤くんと、別れるのは、やだな……」
「は?」
「ん……。たとえばね、こうやって私と衛藤くんが抱き合うことが、すごく素敵だったら……、って」
「素敵だったらいいことなんじゃないの?」
「ううん。だから困るんだよ」
「は?」

 香穂子は言いづらそうに口を開いた。

「……衛藤くんの音楽と一緒。ずっと聴いていたい、って。ずっと衛藤くんとこうしていたい、って思ったら……」
「思ったら?」
「その……。困るし、淋しい、って思う……」

『会ってやって別れる』
 さっきの俺の告白を気にしているのだろう。
 俺にとってはとっくの前に済んだこと。大昔のコロセウムみたいな遠い記憶なのに。
 香穂子にとっては、今直面している危機、みたいな感じ?
 引きつった頬は変わらない。

「でもさ。俺、ヘンな自信があったりするんだ」
「そうなの?」
「俺があんたのヴァイオリンに対する姿勢っていうの?
 そういうのに惹かれたように、セックスについても、きっと、俺、あんたに夢中になる。絶対」
「ありがとう……。そ、そういうものなのかな?」
「しょうがないな。じゃあ、別の機会にする?」
「う……。そ、その。ごめん!」

 以前の俺だったら、なんとかして女をなだめすかしてコトに及んでいたかもしれない。
 そもそも、こんな風に自分の戸惑いを素直に見せる女に出会ったのは初めてで。
 下半身に疼く自分の欲望よりまず先に、俺は香穂子を怖がらせたくない。
 そっちの気持ちの方が強くなるのを感じた。

「了解。わかったよ」
「衛藤くん……?」

 俺は丁寧に香穂子の服を整えると、仕上げに香穂子の頬に口づける。




「俺、あんたのことを予約する」
「はい?」
「いつか、俺が、あんたの1番になるから。ちゃんと覚悟、しておいて」
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