*...*...* Star 2  (hihara) *...*...*
 相手への想いっていうのは、会っているときより、会っていないときの方が募るんじゃないか。
 ──── なんて。
 最近のおれは、高校時代には考えたこともないようなことばかり考え続けている。
 そして、そんなおれの顔を見て、兄貴は『ちょっとだけお前も凛々しくなった』って笑う。

『凛々しく?』
『ああ。お子ちゃまだった和樹も、少しずつオトナの男になっていくって感じかな』
『そうなの? 自分じゃおれ、全然わかんないんだけど』

 とは言いながら、おれにもハッキリわかる変化が1つある。
 それは、考える時間というのは、確実におれの食欲を奪っていく、ということ。
 今晩、夕食当番係だった兄貴は、おれのどんぶりに残ったご飯を見て目を丸くした。

「って、和樹、一体どうしたんだよ? 風邪でも引いたか?」
「え? 全然そんなことないよ?」
「なあ、お前、あの可愛い『香穂ちゃん』とは上手く行ってるんだろ?」
「あ、兄貴! なに当然なこと、聞くの? 当たり前だよ、そんなの」

 あわてふためくおれを見て、兄貴は したり顔でうんうんと頷く。
 そして、これくらい腹に入るだろ? と、残ったご飯の上にドンと親子丼の具を乗っけると、自分は缶ビールの蓋を開けた。

「あの子、マジで可愛いもんなー。ああいう子、手放したら、お前、一生独身だぞ。気をつけろ?」
「も、もう! 万年彼女募集中の兄貴に言われたくないよ!」

 兄貴はクチではブーブー言いながらも、案外料理を作るのは上手だったりする。
 こういうのが一色入ると美味しいんだぜ? と、自分のどんぶりからおれに、と三つ葉のついた卵をくれる。
 色鮮やかなそれは、少し稚くて瑞々しくて。
 おれは1人、昨日の香穂ちゃんの白い身体を思い出す。

 兄貴は缶ビール1本でご機嫌になったのか、ぐぃと身体を乗り出した。

「まあまあ。でもなあ、和樹。もし、お前が彼女と別れることになったら、必ずオレに知らせるんだぞ?」
「へ? どうして?」
「……もちろん、オレが彼女をもらい受ける!」
「は!? な、なに言って……。兄貴でも、冗談でも、おれ、そんなこと言わせないから!!」
「……って!! お前、突然叩くことないだろ?」
「ご、ごちそうさま! おれ、もう、行く! 洗い物はあとでやっとくから」

 せめてもの反抗を足音にして、おれは大げさに部屋のドアを閉め、ベッドの中にダイブした。

 兄貴が? 香穂ちゃんと?
 確かに何度か、香穂ちゃんはこの家に来て、兄貴とは会ってる。
 って、あれ? よく考えれば、ちょっとの時間だったけど、香穂ちゃんと兄貴が2人きりになったこともあったっけ?

 受験生の香穂ちゃんと違って、大学生のおれは考える時間がたくさんある。
 時間の余裕ってある意味、悩みを抱えている人間からしたら残酷だって思う。
 昨日の香穂ちゃんとのやりとりを、何度も自分の中で噛んで噛んで。
 今、兄貴に言われたことも、何度も何度も味わって。
 ああすれば、よかった。こう言えば、よかった。って。

 兄貴にはあとでクギを刺しておく、として。
 もしかして香穂ちゃんに嫌われた? なんて考えては、1人ベッドの上でゴロゴロと のたうち回る。

「昨日の香穂ちゃん、可愛かったな……」

 ヴァイオリンを弾く香穂ちゃんも。一生懸命な香穂ちゃんも。笑顔の香穂ちゃんも。
 付き合う前からずっと香穂ちゃんを見てきたおれは、香穂ちゃんのいろいろな顔を知っているつもりだったのに。
 やっぱり幼いおれには、『セックス』という行為は刺激が強すぎるのかな。
 今は、おれに抱かれてるときの香穂ちゃんばっかり思い出す。
 そしてその思い出は、何度もおれの股間を熱く濡らしていく。

「香穂ちゃん……」

 昨日は、って昨日も、かな。
 最後には、香穂ちゃんに何度もおれを求めさせて。
 おれってホント最近、おかしい。
 香穂ちゃんのおれに対する気持ちを疑ったことなんて1度もないのに。
 懇願されて、求められることで、安心してる自分がいる。
 彼女にとって、おれは必要な存在なんだ、って。
 求めてくれるなら、さらにもっと大きな快楽をあげる、って。

 彼女の中はキツくて。熱くて。
 ちょっとでも気を抜いたら、おれの方が先に持っていかれてしまうくらいだったっけ……。
*...*...*
 ……夢なのかな? それとも現実?
 今、おれの目の前で、1組の男女が絡み合っている。
 快感に揉まれて、声を上げそうな女の子。
 男の両手にすっぽりと収まっている頼りない腰には、引っ掻いたような、男の指の痕がついている。

 『お願い。もう……。ダメ、やめて、ください……』
 『しー……。声、出しちゃダメだよ? 和樹にバレちゃうだろ?』

 和樹、って、この声……?
 おれの動揺が空気を震わせて、2人に届いたらしい。
 男女は動きを止めると、ふっとおれの方を振り返った。

「兄貴……? それに、香穂ちゃん? って、わあああ!!」

 目の前に浮かんでいた映像が、自分の声とともに一瞬で消える。
 白いもやが少しずつ消えていって、見覚えのある天井が見えてくる頃になってようやく、おれは夢を見ていたことを知った。

 あー、もう! 本当におれ、どうかしてる!
 そっか、さっき夕食を食べたあと、兄貴と香穂ちゃんのこと考えてたから、それで、か。
 それにしても、すっごく生々しい。
 もう12月だっていうのに、背中にびっしょり汗をかいている。

 と、そのとき、机に置いてあるケータイが鳴った。
 メールかと思ったら、電話だ。
 枕元にある時計を見る。もう、12時近い。誰からだろ?

「はい! もしもし」
『夜分にごめんなさい。香穂です。火原先輩起きていますか?』
「え? えええ? 香穂ちゃん!?」
『今、私、火原先輩の家の前にいるんです』

 って、家の前!? どうしてそんな……。

「ごめん、待ってて。すぐ行くから!!」

 おれは携帯を握りしめ、バタバタと階段を駆け下りる。
 隣りの部屋で兄貴が『和樹〜? それともドロボーさん? どちらにしてももう少し静かに……』
 なんて、ワケのわからない寝言を言っている。

 兄貴は全然悪くなくて。勝手にあんな夢を見たおれが悪くて。
 そんなことは十分わかってるけど!!
 おれはこっそり兄貴の部屋に忍び込むと、ピン、と兄貴の頭にデコピンした。
 ふ、ふん! 朝、目が醒める前にまたやるからね。

 玄関のドアを開けて、辺りを見回す。
 塀の向こう、小さな白い息が、空へと昇っていく。あそこかな?

「香穂ちゃん!」
「あの、遅くにごめんなさい」
「って、そんなことはいいけど、ってよくないけど!!」
「はい?」
「香穂ちゃん、受験生でしょ? こんな遅くに来て、風邪でも引いたら、どうするの!?
 トランペットは風邪引くとやっかいなんだよ。きっとヴァイオリンでも一緒でしょ!?」

 おれは香穂ちゃんの手を取る。
 いつもひんやりとした指だけど、今日はいつもにまして冷たい。
 香穂ちゃんからメールをもらって、すぐ部屋を飛び出してきたつもりだったけど、
 それでもやっぱりこの季節は、香穂ちゃんの身体を冷やしちゃったのかな。

 おれは着ていた上着を香穂ちゃんの肩に乗せると、そのまま胸に抱きかかえる。
 そのときになって、ようやくおれは香穂ちゃんが大きな包みを持っているのに気がついた。
 おれと香穂ちゃんの間を隔てるようなふわふわとしたモノ。
 それを2人で抱きかかえるような格好になって、おれは改めて香穂ちゃんの顔を覗き込んだ。

「香穂ちゃん、これ、なに?」
「えっと、言い出すタイミングが掴めなくて……。あ」
「ん?」
「……ちょうど12時ですね。火原先輩、19歳の誕生日おめでとうございます!」
「あ……」

 きょとんとしたおれに、香穂ちゃんは嬉しそうに言葉を紡ぐ。
 ──── 優しい、おれが好きになったときそのままの笑顔で。

「今は……。その、今は、なかなか、会えなくて。たくさん気持ちが伝えられなくて、ちょっと悔しいです。
 私が、卒業したら。もっともっと時間が取れるようになったら、その」
「なに?」
「今、火原先輩が私にしてくれている分以上にお返ししますね。本当にいつもありがとうございます」

 息が苦しいのか、胸の中、香穂ちゃんは少しだけ身じろぎする。
 そしておれに、手にしていた包みを差し出した。

「火原先輩に似合いそう、って思ったら、つい買っちゃいました。開けてみてください」
「え? これ? おれに?」
「はい!」

 少しだけ香穂ちゃんに頬ずりする。……うん、さっきより温かくなってるかな。
 さっき会ったときより少しだけ暖かみが増した体温に安心しながら、おれは香穂ちゃんに言われるままに包みを広げた。
 満月の灯りだけが今だけは頼りだ。

「これ……」
「はい。ダッフルコートです。これがあれば大学に通うときも暖かいですよね」

 そっか。香穂ちゃん、この前会ったとき、おれのジャンパーの袖がほつれてたの、気づいてくれてたんだ。
 あの服、確かに気に入っていたけど、高1の冬に買ったものだから、少し年季が入ってるって言えばそうかも。

「ありがと! 香穂ちゃん。すごく嬉しいよ。大切にするね」
「よかった〜。その、サプライズだったから、気に入ってくれるかな、って不安で」
「きみが選んだもの、気に入らないハズないでしょ?」

 ……そうだ。
 今なら、言えるかな?
 自分の中の、汚い思い。持っているのが辛くなるような想い。
 だけど、この想いに全然後悔してない自分がいる、ってことを。
 ──── 香穂ちゃんのぬくもりが手の中にある今なら。

「おれ、さ……。本当にきみが好きだよ。自分でもどうしていいかわからないくらい」
「火原先輩?」
「このままきみに依存してたら迷惑をかけちゃうかなって。バスケしてみたり、昔の仲間と会ってみたりして」

 香穂ちゃんは黙っておれの話を聞いている。
 ときどき、片方の耳が温かいのは、香穂ちゃんの手が触れているから。

「それでも、どうしていいか分からなくて。
 昔の人はこういう気持ち、どうやって処理してたんだろう、って思いつくまま本を読んだり。
 あ、そうだ。少しだけ星座にも詳しくなったんだよ? ね、見て?」

 おれは東南の空に輝く6個の星を順に指差した。

「冬の大三角形っていうのは有名だけど、あの6つの星のこと、『冬のダイヤモンド』っていうんだって。キレイでしょ?」
「本当……。私、知らなかったです」
「おおいぬ座のシリウスとこいぬ座のプロキオンは有名だよね。プロキオンの上にふたご座のポルックスがあって」

 おれの胸の中、香穂ちゃんはおれの指の方向に顔を向け、微笑んでる。

「まだ、さ。……おれもきみもまだ若いから、まだずっと先の話かもしれないけど……、さ」

 おれは舌の上に乗った言葉をやりすごすようにして、唇を舐める。
 不自然に飲み込んだ唾が、ごくりと音を立てた。

「いつか、もっとおれたちが大人になって、きみの気持ちが変わらなかったら」
「……変わらなかったら?」
「結婚しよ? そのときは、香穂ちゃんに似合うダイアモンド、贈るから!」

 香穂ちゃんは一瞬、かぁ、と頬を赤らめて、そのあと、あれ? という風に口元をほころばせた。

「どうして……?」
「え?」
「だって、さっき火原先輩、『きみの気持ちが変わらなかったら』って言ったけど……。
 火原先輩の気持ちは? 変わるかもって考えないんですか?」

 困ったように笑う香穂ちゃんが可愛くて仕方ない。
 おれは香穂ちゃんの顔中に口づけると、最後に耳元でささやいた。





「それはないよ。絶対に。……おれ、ずっときみと一緒がいい」
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