「……これは困ったことになりましたな。え? 吉羅理事長、どうなんです?」
「おやおや。事実かどうかわからない投書を信じるほど、あなたは慧眼なのですかね」
「いや、事実などこの際どうでもいい。問題はこんな噂が立ったという現実だ。
 お若い理事長と、学院の生徒との醜聞。新理事長様はこの事実をどう見るね? うん?」
 
 大きな丸い鼻をヒクつかせながら、副理事の1人は、虎の威を纏ったかのように話し続ける。
 語らぬ方が安穏とばかりに残り3人の副理事は、黙りこくったまま微動だにしない。
 
「受験者数の増加も今年限り、ということですか。
 なにしろ女生徒の親というのは、自分がしてきたことを棚に上げて、娘には清純を求めるものですからな!」  
*...*...* Back (Kira) *...*...*
 暗闇に紛れて香穂子を車に乗せると、私はそのまま首都高に乗り込むと、かなりのスピードで都内へと向かう。
 最初は今週にあった出来事を楽しそうに話していた香穂子も、なにか感じるところがあったのだろう。
 流れていく夜景に目をあてたまま黙りこくっている。
 
「……すまなかった」
 
 気づけば車は都内を通り過ぎて、房総の海岸まで来ていた。
 秋の風が凪いでいる。カモメの鳴き声のような響音は、西風が作る海鳴りだ。
 行けば、帰るための時間も必要だというのに。……自分1人ではないのに。
 大人になって久しく時間が過ぎているにもかかわらず、このザマは一体どうしたというのか。
 
「ううん? こんなに速い車に乗ったのは、私、初めてです」
「……そうか」
「ちょっと怖かったですけど。……吉羅さんの運転だから大丈夫って」
「やれやれ。君は少し人を信用しすぎる傾向がある」
 
 今日初めて、といえるほどの深呼吸を1つしたあと、私は今置かれている立場を考える。
 理事長、という位置。学生、というこの子の立場。
 元々、一族に頼み込まれて始めた仕事だ。辞めるのにそれほどの未練もない。
 とはいえ、ようやく学院全体の経営状態を見渡せるようになった今、心残りのある仕事がないとは言えない。
 だが、今の私にできること。それは、香穂子の未来を一点の曇りもない空の下に立たせることだ。
 
 私は香穂子を胸に引き寄せると尋ねた。
 
「君は確か高3だったな」
「はい……」
「そうか、卒業まであと半年か」
 
 こくりと頷く気配を感じながら、髪を撫でる。
 私の指に従順に従う朱い髪が、可愛くて仕方ないなんて我ながらどうかしている。
 こんな、お互い快感を生まない場所を、私が愛撫するようになるとはね。
 
「もし……、学院で私に会えないとなったら、君はどう思うかね?」
「吉羅さん?」
「たとえばの話だ。君の意見が聞きたい」
 
 自分でも想定外の真剣な声音に、一瞬香穂子の背中にピンとした緊張が走る。
 それを宥めるように、指で華奢な背骨を確かめる。
 
 小さな、少女の身体。
 こんな小ささで、今まで私を受け入れてくれたのだと思うと、言いようのない愛しさが沸いてくる。
 
「……それは、寂しい、です。……寂しくて、だけど」
「だけど?」
「きっと吉羅さんの考えがあって、なんですよね? その、出向だとか、出張だとか。お仕事の関係なんですよね」
「それ以外になにがある?」
「……よかった……」
「よかった、とは?」
「──── 別れたい。そう言われるのかな、って不安でした」
 
 恐ろしく緊張していたのか。それとも、事実を知って気が抜けたのか。
 腕の中の女の子は、ぽろりと大きな涙を流した。
 
「吉羅さん、優しいから。……きっとそういうときは、今みたいに私を傷つけるようなことは言わないと思うから」
 
 こみ上げてくる想いをどうすることもできずに、私は香穂子の口元を強引に塞ぐ。
 そして、何度か彼女の舌の感覚を味わったあと、泣きべそをかいている顔を覗き込んだ。
 
 
 
 
「……やれやれ。君に私の気持ちが伝わってなかったとはね。これが今日1番の出来事かもしれないな」
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