*...*...* Nose (Eto) *...*...*
ここ数日、からりとした天気に恵まれているからか。今日はこれ以上なく気持ちいい風が吹いている。
梅雨だ台風だと、湿度の高さに辟易していた俺が、日本も悪くない、って思い始めているのが不思議だ。
(香穂子……)
最初に浮かんでくるのは、笑った顔。
ってあいつ、くるくると表情を変えるから、こっちも追いかけるのが大変だ。
ところどころ飛び跳ねた髪。匂やかな頬。
……最近またあいつが小さくなった気がしたけど、それは俺が大きくなったからなのか。
『4時に森の広場に集合ね。遅れちゃダメだよ?』
なんてあいつから誘っておきながら、当の本人が遅れてるというのもおかしな話だけど?
そう考えながらも、あいつを待っている時間が全然イヤじゃない。
今、こうして息を吸い込むたび、気持ちが高揚していくのを感じている。
中3の冬に出会って。あいつと同じ高校に進んで。
あいつとの初めての夜。……初めての朝。
Virginityなんて面倒なものという感覚しかなかった俺に、あいつはいろいろなことを教えてくれたっけ。
恋を語るのには、俺はまだ言葉も音楽も不十分だったってこと。
愛しいって思う気持ち。10与えられた言葉じゃ足りなくて、次を求める傲慢さとか。
これからあいつと新しい季節を過ごしたら、少しずつこの渇きは満たされるのかな。
それとも……。
身体だけじゃない。言葉も。笑顔も。
全部俺のだから、って、俺は更にあいつに我が儘をぶつけるようになるのだろうか。
「ごめんね! 衛藤くん。遅くなっちゃった」
「いや、全然。『物思う秋』だっけ? いろいろ考える時間があってよかったよ」
「……衛藤くん、って……」
ヴァイオリンを手にしているときは走るな、ってあれほど言ってるのに。
香穂子は遅れたのを申し訳なく思っているのか、パタパタとスカートを翻して走ってくる。
だが……。
そんな様子を可愛く思って見ていたのにも関わらず、何を思ったのか香穂子は朱い口を尖らせている。
「衛藤くんって、なんだかすごく大人だ」
「は?」
「つまりね……。衛藤くんは私よりも2つも年下なのに、私よりもずっと大人っぽくて、しっかりしてて。
そして、ヴァイオリンも上手で、ってなると、なんだか私、いいところがない、っていうか」
「確かにあんた、少し頼りないないもんな。子どもっぽいし、おっちょこちょいだし」
「そ、そんなことない、……ハズだもん」
「ははっ! 『ハズ』ってなんだよ。自信がないんだろ?」
図星を指されたのか、香穂子の顔が朱くなる。
ところどころ飛び跳ねた髪と赤らんだ頬は、いつもの香穂子を幾分幼く見せている。
俺は譜面台を立てながら、今日の練習曲を広げた。
『美しく青きドナウ』
ウィーンフィルのアンコールでよく使われる名曲だ。
「大体さ、男を年上だから年下だからって切り分けるのって、それってどうかと思うぜ?
好きか嫌いか。そういう気持ちが1番大切なんだろ?」
そういえばこの前、暁彦さんが、どっからか……、多分、あの金やんとかいう先生からだろう。
俺と香穂子がどうやら真剣につきあっているらしい、ということを又聞きしたのか、
日頃のポーカーフェースを蝋人形みたいにして尋ねてきたことがあったな。
『お前はまだなんといっても学生の立場だ。日野君とは節度ある交際を心がけてもらいたい』
『節度、って、寝るとか寝ないとかそういう話? それこそプライベートな問題だろ?
俺と香穂子が納得していればいいんじゃないの?』
『……彼女が、まさか、2学年下の相手を選ぶとは……。私の目も曇ったものだ』
『は? 暁彦さん自身は、2つ年上の女は対象外って言いたいの?』
俺としては結構真面目な質問をしたというのに。
暁彦さんは会議がどうとか呟きながら、そそくさとその場を離れていった。
……よく分からないけど。
日本人っていうのは、付き合う相手の年格好をすごく重要視する、という国民性があるのか。
『頼りない』って言われたことが応えたのか、香穂子はしょんぼりと肩を落としている。
って、こいつ、どうして、これが褒め言葉だってわかんないんだろ。
「『My Girl』っていうんだぜ? あんたのような存在のこと」
「マイ・ガール?」
「そう。俺だけの女、って感じ?
まったく。日本の高校の授業で、1番失望したのって、英語の授業だったな。
あんな文法でガチガチの文章なんて、田舎のじいさんだって使わない。
それより、どうやったら女を口説けるか? なんていうスラング中心にやった方が使えるぜ?」
俺は香穂子のすんなりとした鼻を摘みながら笑った。
「ひゃ……。な、に、するの……?」
ったく。
俺はいったい、どうしたら、こいつに気持ちが伝わるの?
キス? 寝る前の電話? 『好きだよ』って言葉? 時間を忘れて抱き合うこと?
全部やってる。俺の気持ち、100パーセント伝えてるって自信ある。
──── それでも、まだ俺に言わせたいわけ?
「ちゃーんとさ、あんたにわかってもらおうと思って」
「い、いひゃいよ……、な、なに?」
「あんたがさ、年上だろうが年下だろうが、そんなの俺には関係ない。
どっちにしたって、あんたは俺の『女の子』なの。わかった?」