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*...*...*  Hotaru (衛藤x香穂子 ← 土浦) *...*...*
「ブラボー。香穂、お前、調子いいな」
「ありがとう、土浦くん! 今の曲は気持ちよかった!」
 
 あらゆる木々がいっせいに赤や黄色に染まるこの季節。
 だいたい今までの俺は『春夏秋冬』や『季節感』って言葉を聞いても全然興味がなかった。 自分が典型的な理系人間だってよくわかってたし、 国語みたいに複数答えがある教科も元々好きじゃなかったからだ。
 なのに、今、紅葉した木々の中で香穂を見かけることは、心躍る瞬間だったりする。
 春。勢いよく木々が自分の葉を伸ばすこと。 夏。これ以上なく生い茂った葉の色が、深く濃くなること。 秋になり夕陽を照り返すほどに、自分の身を朱く、濃くこがすこと。  こうやってこの1年のことを振り返ってみると、高2だったころの俺はどれだけ 無知で幼かったのだろうと密かに恥ずかしくなる。 最近ピアノの音に深みが増したと言われることが増えてきたが、 俺自身は香穂の影響を認めずにはいられない。 折に触れ、『季節の変化』について教えてくれたこいつには、実はすごく感謝しているんだ。 ……もっとも、こんなことは恥ずかしくて本人に伝えたことはないが。
 
「『冬』の第2って暖かいメロディだよね。何度弾いても私、飽きない」
 
 香穂は肩からヴァイオリンを降ろすと満足そうに微笑む。 『ヴィヴァルディ』と言えば、『四季』、それも『春』のモチーフが有名だが、 どういうわけか俺と香穂は『冬』の第二楽章を飽くことなく合奏していた。 この第2は、第1楽章で、寒さで身震いしていた主人公が、暖かい暖炉の前で満足げに休息したときのことを歌った旋律だ。 俺は改めて香穂の顔を覗き込む。 今までこいつと過ごした季節。教えてくれたたくさんのこと。 ──── 2回目のこの冬。香穂はどんなことを俺に教えてくれるだろうか。
 
「ね、次はなんの曲弾く? 私、今日何枚か楽譜を持ってきたの」
 
 スカートから見える香穂子の膝が寒さのせいか、血色を無くしたかのように青白い。 そろそろ森の広場での練習も潮時か、と考え、俺は香穂子の足元に気づく。あれは……。
 
「香穂! 動くな」
「やっ。な、なに……?」
「んー。やっぱりな」
 
 俺は香穂子の腕を引っ張ると自分の胸の中にその身体を納める。 香穂の脚は俺の思惑どおり大きく進路を変えて、対象物から離れていった。
 
(香穂……)
 
 その現実にホッとしながらも俺の理性は簡単に吹き飛ぶ。 抱きかかえてわかる香穂の身体の細さ。柔らかさ。 ふわりと鼻先をかすめる香りは、この先の先。 行き着くところまで行ったとき、もっと強くなるのか、それとも違う香りになるのか。
 香穂子が衛藤とかいう生意気な後輩と付き合い始めたと聞いて、かれこれ半年くらいになる。 あの男は帰国子女ってこともあってか、 目上の人間と尊敬するという考えがまるでないところが俺の気に触っているのも事実だ。 ヴァイオリンの実力は月森の再来と言われるほど素晴らしく、理事長とも血縁関係にある。 ……まったく以て非の打ち所がない生徒として、今の星奏に君臨している。
 俺はあいつのどこが気に入らないのか? 『生意気なところ』というのは表向きだ。 本音を言えば、俺はその生意気なところと、香穂と付き合っているという事実が気に入らないんだ。
 
「びっくりした……。どうしたの?」
 
 俺に触れられていることにまったく違和感がなかったのか、香穂はのんびりと身体を離すと、俺を見上げてくる。ったく。この仕草からするに俺は100パーセント『友だち』認定。男として意識されてない、ってことか。
 
「ホタル」
「はい?」
「ホタルの死骸」
「……え?」
「まあ、この時期はいろんな虫が死ぬよな〜。子孫を残してさ」
 
 冬の到来を思わせる風が足元の落ち葉を舞い上がらせ、 重なり合った葉の奥のホタルの姿が露わになる。 ホタルに人間のような表情があるわけではないが、俺にはホタルがどこか満ち足りた顔をしているように見えた。やることはやった。あとはもう、いい。そう言っているようにも思えてくる。
 香穂は痛ましそうに唇を硬くして見ていたが、なにか思い付いたのだろう、ぱちんと両手を合わせた。
 
「そうだ。お墓、作ろう?」
「墓?」
「うん。この夏、ホタル、すごく綺麗だったから……。お礼、っていうのもおかしいけど」
 
 香穂はそっとヴァイオリンをベンチに置くと、花を探してくる、と言い捨てて走り出す。
 
「おい、そんなに走ったら、またお前、スカートが」
「平気。土浦くんしかいないし」
「ってお前……」
 
 あいつの言葉に俺はまたガックリと肩を落とす。 ……ったく。 あいつが鈍感なのは今までの様子からバッチリわかっているつもりだったけど、 さすがに今のセリフは堪えたぜ。
 ……と思うギリギリのところで、諦めの悪いもう一人の俺が顔を出す。 今、衛藤を除いて、あいつの1番近くにいる男は俺だ。自信のような確信がある。 衛藤なら、言い寄ってくる女には事欠かない。 俺たちが大学に行き、あいつが高校に残り。 そうなったとき、香穂と衛藤が付き合いを続けているかなんて、わからない。 もし、あいつから別れた、という話を聞いたならそのときには、俺が1番に名乗り出る。
 他のヤツにでも踏まれてたら可哀想だしな、と俺はホタルの死骸をそっと木の根本に運ぶと、そこに穴を掘った。 この夏の、ひょうたん池での光を思い出す。一つ一つは小さくて儚いが、無数に集まる力というのはそれこそとてつもなく、 俺たちは言葉もなくその光景に魅了され続けた。
 
『……オーケストラ、みたい』
 
 放心したように呟いた香穂の声も、ついさっき聞いたみたいに耳元に残っている。夏の制服。華奢な白い腕。今よりもずいぶん幼い顔が俺を見て微笑んでいる。
 
「……こんにちは、土浦さん」
 
 ぼんやりと夏の日の香穂を思い出していたからだろう。俺は背後からの声に飛び上がると慌てて振り返る。 そこには今、1番俺が会いたくない人間がつまらなそうな顔をして突っ立っていた。
 
「衛藤か。なんだお前、脅かすなよ」
「ふうん。なに? あんた、人の彼女と、なんか見られちゃいけないことでもしてたってわけ?」
 
 可愛くない後輩の言葉にもう一度ギクリとしながら、俺は素知らぬふりを決め込んだ。 言い訳はたくさんある。いや、言い訳じゃない。『香穂を守りたかった』 そう言えば、どんな事実だって真実になる。
 
「土浦くん、お待たせ! あれ? 衛藤くんも来てたの?」
「あんたさ、こんなに冷えてきたっていうのに、なんで外で練習するわけ?」
「うーん。今日は練習室が取れなくて。それに音楽室はオケ部がある日だし」
「講堂は?」
「いや、講堂は来年の入学説明会のために閉鎖になってる」
 
 元々遠慮のない性格が、香穂に対してはより顕著に激しくなるらしい。 衛藤はなおもあれこれ言いたげに口を歪めていたが、香穂の手の中にあるものを見て首をかしげている。
 
「……で、あんた、手になに持ってるの?」
「あのね、ホタルのお墓のお供えなの」
「墓?」
「これ、ハナミズキの実だよ? 綺麗でしょう」
 
 また香穂があれこれ責められるのを見るのも、と俺はかいつまんで説明する。 ホタルが足元で死んでいたこと。踏まれては可哀想だと香穂がお墓を作ろう、と言い出したこと。
 真っ白な手。細い指先の先にある『ハナミズキ』の実は、香穂の白い頬をますます白く輝かせている。
 
「今まで、ありがとね。……ゆっくり休むんだよ?」
 
 香穂は俺がホタルを埋めたという場所にしゃがむと、きまじめな顔をしてハナミズキの実を置く。 そして小さな子に話しかけるかのように言葉を紡いでいる。 男2人は祈るのも座るのも香穂一人に任せた格好で、ちょっと離れた場所で香穂の後ろに立っていた。
 小さな土の山の上、ハナミズキの実は確かに死者を弔っている。
 ──── こいつの、こういうところ。真面目なところや、可愛いところ。 そして、ひたむきなところや誰にでも誠実なところが、俺は好きなんだ。
 
「やっぱりこいつ、いいヤツだよな」
「……なにを今更」
 
 思わず口を突いた言葉に、衛藤は不機嫌そうにそれだけ言うとあらぬ方向を向いている。
 ったくまだガキっていうか、目上の人間に対する態度を知らない、っていうか?  体育会系の俺としてはどうにも腹が立って仕方ないが、 その態度をなじれば、香穂が謝る姿が目に浮かぶ。だから黙っている。
 俺たちが話していることが香穂に聞こえないことがわかったからだろう。 衛藤は自信満々の顔で俺を見据えた。
 
「あんたってさ、俺よりもずっと前から香穂子のこと知ってたんだろ?  こいつのこういうところ、わかってただろ?  それをなに? ずっと手をこまねいて放置してたの? そんなこと、マジありえないんだけど」
「……ほっとけよ」
 
 衛藤の言葉は腹が立つと言うよりもむしろ清々しく、俺はポケットに手を突っ込むとぼそぼそと気の抜けた返事を返すのが精一杯だった。
 
「ごめんね、お待たせ」
「香穂子。寒くなってきたからそろそろ柊館に戻ろうぜ? 土浦さん、もういいだろ?」
「でも……」
 
 今日楽譜を持ってきた、と俺に告げたことが気になるのだろう。 香穂は戸惑ったような表情を浮かべて俺と衛藤を交互に見ながら言葉に詰まっている。
 
「あー。いい。俺はもう少しここで練習していく。お前、先に帰れよ」
「そう? ごめんね……。じゃあ、私、ヴァイオリン取ってくる」
 
 香穂は申し訳なさそうに頭を下げるとベンチの方に駆けていく。 さっきより心なしかスカートの揺れが少ない。 やっぱり俺と衛藤じゃ態度が違うってか。
 衛藤は眼を細めて香穂の背を見つめたままつぶやいた。
 
 
「あんたにはやらないよ」
「は……」
「──── 土浦さんにも、ほかの誰にも」
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