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*...*...*  Hotaru (土浦x香穂子 ← 火原)  *...*...*
「閉館でーす。残っている人たちは全員退出してくださいね。閉館でーす!」
 
 おれは大声を張り上げながら、図書館内を回る。 考えてみればおれがこんなインドア系のバイトをするなんて珍しい。 ったく、友人の長柄が今日も今日、それも2時間前になって急に振ってきた図書館の戸締まりと それにホタルの水槽の水替えを頼んで来たから、なにげなく引き受けたんだよね。
 
『ホタルの、水替え? なにそれ』
『なんでも司書さんが持ち込んだ私物らしい。そんなことにバイトを使うなっての』
『んー。おれ、別に平気かも。子どものころから虫って好きだったし』
 
 おれは改めて小さな水槽の中で光っているホタルを見つめる。
 昆虫ってどんなヤツも、自分のフィールドで懸命に生きてるって感じがする。 誰が見ていても見ていなくても、必死に自らを光らせ続ける。 もしこの昆虫に音を創る力があったら、ホタルはもっと大事にされて今のホタルの地位にはいなかったんじゃないかな。
 
「へぇ……。バッハの変調論かぁ。バッハって一番美しい旋律を書く音楽家だったのに」
 
 おれは見回りのついでに、日頃行ったことのない奥の書架で見かけない本を見つける。 バッハと言えば、クラヴィーア。 高校時代は平均律のことばかり学んだのにこういうタイトルは不思議だ。
 高校と大学と大きく違うところ。たまにこう聞かれて、考え込むことがあるけれど、 おれは高校時代の音楽は、音楽の中の音楽を、大学時代の音楽は、 音楽を包む音楽の外の音楽を学ぶものなんじゃないかな、って曖昧な答え方をしている。 本当に、音楽の話っていうのは尽きることがないって思う。この世界のどんなところにも音楽の欠片がある。 たとえば、この前のニュース。 宇宙を旅するボイジャーに人類を紹介するための道具としてバッハのフーガを積み込んだ、とか聞くと、 バッハの偉大さとか、バッハの時代をおれたちは次の時代にちゃんと届ける使命があるんだな、とか? なんか、いろんなことを考えちゃうんだよね。
 これは、まるっきり子どもだったおれが少しずつ大人に近づいている証拠ってことになるのかな。
 
「香穂? なんだ、欲しい本があるなら俺に言えばいいのに」
「うーん、残念。指先だけは届いたのに」
「こういうときはさ、男を頼ればいいんだよ」
 
 ありがと、という嬉しそうな声に、気にするな、っていう男の声が重なる。コンマ0.1秒。 声をかけるのに、おれの脳内がストップをかける。なのに身体は敏捷に本棚の影に隠れた。おれ、なにやってるんだろ。どうして隠れてるの?
 見覚えのある背中。夏を過ぎて少し長くなった朱い髪が楽しそうに背中を跳ねている。
 
「やっぱ大学は蔵書の数からして違うなあ。都築さんの言ったとおりだ」
「本当だね。私の欲しかった本もあったし、この前志水くんが見たい、って言ってた本も見つかったし。 ……よかった」
「なあ、香穂。来年さ、俺たちもこの大学に通っているといいな」
「そうだね。土浦くんはきっと大丈夫だけど、私はまだまだだなあ……」
「なんだ、ピアノか?」
「うん。やっぱりヴァイオリンより不安だよ。もう夏休みも終わっちゃったし、もっとペースを上げないと……」
「大丈夫だって。お前のピアノは俺が教えてやるから」
 
 男の手は、当然の権利と言わんばかりに香穂ちゃんの背中をすべっていく。香穂ちゃんはその行為を穏やかに受け入れる。2人の様子はウワサよりも正確に残酷におれに2人の関係を突きつけた。
 おれだって、本当に香穂ちゃんのことが好きだった。だけど、誰の目から見ても、香穂ちゃんの視線は土浦を追っていることを知っていた。普通科。同級生。どう考えたって、おれより土浦の方が、香穂ちゃんにピッタリの話題を提供できるだろうとも思った。
 卒業の日、おれは香穂ちゃんを好きだった気持ちを学院に置いて卒業したつもりだった。おれが大学に進学して。香穂ちゃんは高校。入れ物が変われば、少しはこの気持ちも収まるだろうと思った。
 ……だけど。
 今、本棚越しに見る香穂ちゃんは、おれの想像よりも可愛い。それに、夏が終わるっていうこの時期に、もう香穂ちゃんの横顔は、透けて無くなりそうなくらい白く光っている。
 
「や、やだ、土浦くん、こんなところで……っ」
「誰も見やしないって。それにさっき閉館のアナウンス流れただろ?」
「でも……、こわい、誰か来たらって……」
「……悪い。お前見てるとすぐ辛抱できなくなる」
 
 服の上を滑る音。それに男の荒い息が重なる。必死に抵抗しているらしい香穂ちゃんの声は口づけで消されていく。
 おれは? どうすればいい? 
 このまま聞き続けるのは苦しい。だけど、今、足音を響かせてこの場を去れば、確実におれの存在は2人にバレる。それも苦しい。……どうしよう。
 っておれって本当にバカすぎる。
 最初に2人を見つけたとき、素直に声をかければよかった。元気? どうしてるの? そうだ、金やんの様子はどう? おれもしょっちゅうオケ部は見に行ってるんだけど、なかなか君たちに会えないね。なんて。おれの長所は? って聞かれたら、どんな人とも明るく話ができる、ってことだけだったのに。どうしてだろう。香穂ちゃんと土浦。2人の間には割り込んでいけない。別に香穂ちゃんも土浦も、おれに冷たい態度を取るわけじゃない。

『闖入者っていうんだよ、そういうの』
『闖入者?』
『"When I was a stranger, I am a stranger."』ってね』
 
 以前自分が感じている違和感をぼそぼそと親友に伝えたとき、親友は綺麗な笑みを浮かべて言ったけど。今になっておれはようやくStrangerの言葉の意味を知った気がする。……場違い。そう、そんな感じだ。
 
「土浦くん、やめて。怖いの。私、まだ……」
「香穂」
「まだ、そのね、……私、最後までしたくないの。その、受験が終わるまで、待って」
「どうして? 最初の男が俺では不満か?」
 
 おれは息を殺してしゃがみ込む。聞くのが苦しい、と言っていたのとウラハラに、おれの耳は2人の会話を一言も漏らさず聞き続ける。『最後までしたくない』? 『最初の男が俺では不満か』? ……っていうことはなに? まだ、香穂ちゃんは土浦のモノになってない、ってこと……?
 とたんにおれの中で喜びに似た色が広がっていく。まだ、……まだ、なんだ。香穂ちゃんはまだ、 なんだ。誰のモノにもなってないんだ。
 
「ったく。オトコとオンナはそういうところが違うんだろうな。お前は辛抱できるかもしれないが、俺はもう限界だぜ?」
「ごめん、土浦くん……」
「生殺しって言うのか。キスは許して、その先も許して。一番手前で遮断されたら、おれも保ちそうにない。……香穂、いいか?」
 
 オトコは切なげに声を震わせている。カチャカチャとベルトを外す音とジッパーを下げる音がする。気が付けばおれは、本棚を背にズルズルと座り込んで自分のモノを握っていた。
 
「ん……っ」
「そう……。上手だな、もっと口をすぼめて」
 
 オトコはいろいろと香穂ちゃんのやり方に注文をつけている。
 そんなの、おかしいだろ。彼女の手がおれのに触れる。彼女の口がおれのを愛撫する。小さな朱い舌が懸命におれの先端を舐める。考えるだけで頭が沸騰する。先走りがてらてらと亀頭を光らせ、指の動きを滑らかにしていく。きっと彼女の指はもっと細くて、白くて。もっと柔らかくて、もっと吸い付くようで。
 
「……っ」
 
 必死に自分の声を殺す。どうしよう。快感に揺すぶられながら、頭ではどこか冷静にティッシュの場所を探している。だけど、今、こんなところにあるワケない。このまま思いの丈を放ったら、ほとばしりはどこまで飛ぶのだろう。
 
「……お前もすごく濡れてる。……たまんないぜ」
「だ、ダメ……。そこ、ダメ」
 
 
 
 オトコは強引に香穂ちゃんの中に指を差し込んだらしい。 抑えきれなかったのだろう、彼女の切なげな声が図書館内に反響する。
 まぶたの裏にさっき見た、ホタルの白い閃光が走る。 おれは香穂ちゃんの声を聞きながら自分の精を解き放った。
 
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