「んー。これでよし、っと……」

 キレイにラッピングされた淡いイチゴ色のカップケーキ。
 控えめに結んだ白いリボンが可愛い。
 砂糖はいつもの3分の1にしてみた。
 その分の風味をハチミツで補う。

 だってなんだか、月森くんて、甘すぎるのは苦手なような気がするんだもん。

 月森くん……。

 彼の表情を追うのはとてもとても難しくて。
 今こうして、頭の中で思い浮かぶのは月森くんの後ろ姿ばかりだったりする。

 同じ楽器ということもあって、何度か声をかけたモノの、彼は不愉快そうに顔を背けて。
 追いかければ追いかけた分だけ、遠ざかる月森くん。

 映像はそうやっていつも私を置いてけぼりにする。

 けれど、彼の作った音色だけは、たえず私の中で響き続けている。
 不思議。
 初めて聞いた彼の音色に、私の中で何かがことりと音を立てた。

(こんな風に、自分の気持ちや想いを自分の外側に出すことができたら……)

 どんなに素敵だろう、って考える。

 日頃、クラッシックにはまるで興味がなくて。
 どんな音楽を聴いても、泣いたことなんて一度もないのに。
 言葉よりも、雄弁に、豊かに。
 同じ曲でも曲想やとらえ方によって、響いてくる音色が違うと知って。

(もっと、月森くんの音色を知りたい)

 私は制服の上に付けていたエプロンを取り外すと、パタパタとキッチンを出て、学校へ行く準備を始める。
*...*...* Friend *...*...*
 えっと、ヴァイオリンと、教科書と……。
 リリにミエを張ってコンクールの出場を決心した日から、私の荷物は増えた。

 しかも、魔法のヴァイオリンの代わりはどこにもないから、自然とヴァイオリンだけは取り扱いも慎重になる。
 ── やってみたことないけど、落としたら、多分、マズいよね?

 それに今日は体育の準備と、カップケーキを入れた小さなクリーム色のペーパーバックを持つ。

 雨が降ってなくて良かった。
 これで傘まで追加したら、私、不真面目にもヴァイオリンを自宅に置いて学院に行きそうだよう。

「い、行ってきまーす……っ」
「香穂子。なんだかスゴイ荷物ね。もう少しまとめられないの?」
「む、ムリ。どれも、お取り扱い慎重商品なの」
「そ。ま、学院まで近いからねー。筋トレってことで割り切れば?」

 社会人のおねえちゃんはそう笑ってキレイにお化粧した顔を向けた。

 筋トレ、かぁ……。
 思えば日に日に右腕と左肩が張ってきた気がする。
 ヴァイオリンってすごく軽い楽器なのに。
 やっぱりムダなところで、余計なチカラが入っているのかなあ……。

 両手がいっぱいの私は自宅の門をおねえちゃんに閉めてもらうと、小走りで学校へと向かった。

 月森くん……。

 喜んでくれるかな? だといいな。
 お菓子作りは私の趣味、とはいうものの、すごく親しい、とはとても言えない男の子に食べてもらうのはやっぱり緊張する。

 なんだろう。
 私、どうして、突然、月森くんにお菓子を食べてもらいたいって思ったんだろう。
 学院へ向かう広い通りを歩きながらボンヤリと考え続けた。

 喜んでくれないかもしれない。
 ううん。悲しいけどもしかしたら、受け取り拒否、されるかもしれない。

 けど。……知りたい。

 月森くんの作る音色が、どうして、こんなに私に響くのか。

 上手だから?
 もしそうなら、ヴァイオリンコンチェルトなんていうCDを聴いても同じように泣けるはず。
 けど、そうじゃなかった。
 どんなCDも、ただキレイな音、と感じるだけで、泣けるほどの気持ちを起こしてくれるものはなかった、から。

 月森くんの音、だから、気になる。
 奏でているのが、月森くん。だから、泣けちゃうんだ。

 そんな気持ちをくれたこと。
 ……ありがとう、って伝えられたら、いいな……。

 私は転ぶことなく正門に滑り込み、そっと、ペーパーバックを撫でた。
 カップケーキだし、よほど振り回さない限り、型くずれなんかはしないと思うけど。

 無事学院に着いたことで、ほっとため息が漏れた。

(どこかな、……月森くん)

 ゆっくりとファータの銅像まで脚を進める。
 学院の生徒たちも2人、3人グループになってにぎやかに登校してくる。

 森の広場へとノドの白い小鳥たちが、大きな弧を描いて飛んでいく。
 小鳥が飛んだ後には、どうして飛行機雲ができないのかなあ。

 校舎を背に振り返る。
 月森くん、どこだろう……?

 何度目を凝らしても、月森くんらしい姿は見当たらない。
 私は、背中をファータの像に預けて、白っぽい空を眺めた。

 月森くんなら、どうやって登校するかな。
 きっと曲想を練ってる、とか言って。
 孤高なまでの美しい表情を見せて、学院の門をくぐるんだろう。

 ── 周囲の羨望や視線に、全く気付かないで。

「あはは、それもなんだか月森くんらしいなー」
「俺が? どうしたって?」
「つ、月森くん!?」

 突然視界に入ってくる、青い髪。
 空の蒼さと同化してるような透き通るような髪がふわっと揺れて。
 私の目の前に、月森くんが立っていた。

 わ、私って……。
 どうしてこんなにニブいんだろ。
 一番会いたいと思ってた人がすぐ近くに来たことに気付かないなんて。

「あ、あの……。おはよう」
「……おはよう。何か用だろうか?」

 月森くんの育ちの良さ、ってこういうところに現れてる、って会うたびに思う。

 礼儀正しい挨拶。
 視線の移し方。
 必ずしも好意は持っていないであろう、私への接し方、さえ、も……。

「あの、あのね……。ハッピーバースディ、だね。月森くん」

 私は月森くんを見つめ続けるのがコワくて、持っていたペーパーバックを月森くんの鼻先に突き出した。

「こ、これからね、私、頑張る。コンクール。
 少しでも、月森くんの作る音楽に近づけたらいい、って思ってる。
 これからも、仲良くして欲しい、って。……全然頼りない友人だけどっ……」

 しどろもどろの私。
 うう、鳥が雲を作るとか何とか考える前に。
 どうして月森くんと会ったとき何を話すか考えておかなかったの? 私ーー。

 月森くんは何も言わない。
 自分で起こした行動とはいえ、ペーパーバックがジャマをして、月森くんの表情が見えない。

 ど、どうなんだろう……。
 私の行動に面食らってる、って感じなのかな?

 そ、それとも。

 うう……。あまり考えたくはないけど。
 ……迷惑、なのかなあ。

 ふいに手から重みが浮く。
 月森くんが受け取ってくれた……?
 と考える間もなく、ペーパーバックは月森くんの手の中に収まる。

 ── 私の指も、一緒に。

「日野。この指はどうした?」
「あ! あの、これはね……。ケーキを焼くときにうっかりしてオーブンの鉄板を触っちゃって……」

 ケーキの生地がカップからこぼれそうになっていたのを思わず指でせき止めた。
 そのとき、まだそれほど暖まってないだろう、と思っていた鉄板が思いの外熱かった、から。

 私は、月森くんの鋭い視線に、慌てて指を振りほどこうとして。
 思ってた以上に頑ななチカラで握りしめられていたことに気付いた。

「全く。君はヴァイオリニストだろう? 音楽を奏でる指を大切にしないでどうするんだ?」
「ご、ごめんなさい……」

 見る人をひやりとさせる、射るような目付き。
 プレゼントのケーキを、要らない、とそっけなく断られるかも、って考えが頭をよぎったことはあったけど。
 私の指のことで、こんな風な展開になるなんて、考えもつかなかった。

 私の態度が怯えているように見えたのだろう。
 月森くんはふと目を細めて、口調を和らげた。

「あ、いや。……すまない。君の友人としての好意を傷つけるつもりはなかったんだ」
「ううん? 私の方こそ、自覚が足りなくて……っ」

 指を大切にする人生。
 そんな生活をまるで送ったことがない私は、コンクールが始まっても以前とまるで変わらない生活をしていた。
 体育でバレーボールがあれば、平気でパスとかしていたし。
 家で食事の後かたづけをお姉ちゃんと順番にやって。皿とか平気でごしごし洗っていたし。

 そう考えて、はっとする。
 昨日の音楽室。
 月森くんの模範演奏が高く低く流れる中、音楽科の生徒さんたちが、耳打ちしていた話を思い出す。

『月森くんってさ、球技は必ず見学してるんだってね〜』
『まあねえ。ヴァイオリン界のサラブレッドでしょ? それが彼の普通の生活、なんじゃない?』
『特別よね。音楽科の中でもさ』

 月森くんは、私の普通と思う空間にはいないんだ。
 ── それが、やけに、悲しかった。

 高校生がする普通の生活とは明らかに違う生活。
 月森くんはそれで納得してるんだろうけど……。

 ヴァイオリンと引き替えに、彼はいろんなモノを諦めてるのかな?
 そう、思えて。

 月森くんの指が、そっと、私のヤケドの痕を撫でる。
 ひんやりとした感触が、心地良い。

「月森くん……?」
「……すまない。こんな風に言うつもりはなかったんだ」

 月森くんはキズの具合を確かめるようにゆっくりと私の指を撫でた後。
 そっと離すと、ペーパーバックを持ち直した。

「日野。……ありがとう」

 はにかんだような、照れたような声が、私に届いて。
 じわりと嬉しさが滲んでくる。

 ── ね。今、私、月森くんの心の奥に、触れられた?
 そう、思ってもいいかなあ……。

「う、ううん? 私こそ、受け取ってくれて、ありがとう、なの!」

 恥ずかしくて月森くんの顔を見られないまま、私は月森くんの足元を見ながらお礼を告げる。

 こんな風に真剣にヴァイオリンに向き合ってきた人。
 しかも、生まれてから、けっして短くない時間を。
 ── 私が、月森くんの音に惹かれるのは当たり前のことなのかもしれない。

「おーいっ。月森くん、日野ちゃん! おっはよーー」
「あ、火原先輩!」

 火原先輩が正門から駆けてくる。
 その横を保護者のように微笑んでいる柚木先輩もいる。

「あれ? どうしたの? 二人とも。朝から合奏ってワケじゃないよね?」
「はい。えーっと、今日、月森くんの誕生日なんです。だから、友人としてお祝いしたくて……」

 火原先輩は興味津々って感じで、月森くんの持っているバックをつん、と指で押した。

「あーーっ。月森くんいいなー。それ、何が入ってるの? お菓子? ケーキ??」
「火原。2人のジャマをしちゃいけないよ?」
「いいじゃんいいじゃん。おれたちもさ、コンクールを一緒にやる仲間じゃない?」
「全く火原は……。ごめんね、2人も。僕に免じて許してくれるかな?」

 柚木先輩はすまなそうに月森くんを見上げた。

「……いえ。全く気にしませんが」

 月森くんは火原先輩の行動もあまり気に止めることなく、さらりと受け答えをしている。

「日野さんは、優しい気配りのできる女性なんだね」

 柚木先輩は感心したように、私を見て微笑んだ。
 どうしたらそんな風に優雅に微笑むことができるんだろう、と思えるような、キレイな顔で。

「そ、そんなこと、ないですよー」

 ホント、不思議……。
 この先輩2人って、醸し出す雰囲気が全く違うのに。
 一緒にいるとしっくり、してる。── お互いがお互いを補っているような。

「おれね、おれね、誕生日12月なんだよね。って、ヤベ、この時期ってとっくにコンクール終わってるころだっけ? 柚木?」
「ああ、多分ね。金澤先生の話だと、夏休み前に終わるってことだったから」
「え? じゃあ、日野ちゃんからのプレゼントはもらえない、かぁ……」

 火原先輩は、ガックリと肩を落とす。
 その喜怒哀楽の激しさは、火原先輩の性格の良さを表してる、とは思うけど。
 しっかり自分が関係しているだけに、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 私はあ、っと思い出して、カバンの口を広げる。

「ま、待ってください。あの、お昼にクラスメイトと食べよう、って思って持ってきたの、あります。これ、良かったら……」
「え? いいの!? やりぃ!」

 火原先輩は、がばっと顔を上げて、嬉しそうに手を出した。

 ラッピングされた白いリボンは風に揺られて。
 火原先輩に渡した2つのケーキのうちの1つは、どこか嬉しげに柚木先輩へと渡っていった。

 それを合図にして、4人並びながらファータの像を後にして。
 ── 予鈴が鳴り出した校舎へと歩き出す。

「ねねっ。おれさ、みんなを見てたら、イイコト思いついちゃった」
「何かな? 火原」
「今日、放課後さ。みんなで合奏、やらない? 月森くんの誕生祝いってことで」

 月森くんは自分のお誕生祝いっていうのが恥ずかしいのか、うっすらと頬を赤らめて反論する。

「いえ。お断りします。俺はそういう人寄せのような演奏は……」

 座を取り持つように、柚木先輩は言葉を繋いだ。

「月森くん? 先輩たちの好意は素直に受け取るべきだと、僕は思うよ」
「そうだよ。おれたちの音に誘われて、冬海ちゃんや志水くんたち1年の2人も来るかもしれないよ?
 そしたら、一緒に入れてあげようよ。土浦くんはおれが昼休みに誘っておくから! 決まりね!」
「……はい」

 月森くんは諦めたように返事をして。
 1度深く息を吸い込むと、のびやかな表情をして空を見上げた。

 その表情が、あまりに美しかったから。
 私は、彼がこの提案を喜んでいることが伝わって来て。

(……良かった)

 月森くんの、誕生日。
 きっと私が初めて月森くんの音色を聴いた時のように。

 月森くん。火原先輩。柚木先輩。
 それに、土浦くん。志水くん。冬海ちゃん。
 みんなの作る音は、すごくすごく、月森くんの中にまで響いてくるはずだから。

 心に響く音色がどれだけ素敵か、って、月森くんに伝えたい。

(月森くんも、同じように感じてくれたら、いいな……)

「楽しみです。放課後、私、聴きに行きますね」

 笑って言う私に、1歩先を歩いていた火原先輩は振り返る。

「え? 何言ってるの? 日野ちゃんも一緒に合奏するんだよ?」

(…………。はい?)

 一瞬、空気が止まる。

「えええーー? ムリ、です。まだ。というか、ずっとムリですっ。私、まだ弾ける曲、4曲しかないんですっ」
「火原。それは良い考えだね。日野さんは月森くんに手作りの品をあげるくらいなんだもの。
 ……どんな思い入れの籠もった音が聴けるか、僕も楽しみだよ?」
「ゆ、柚木先輩……っ」

 予想外の展開でわたわたと歩みを止めた私に、柚木先輩は意味深に微笑んだ。

「まさか、日野さん。……君、イヤだ、なんて言わないよねえ?」
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