*...*...* Disturb 2 *...*...*
 美しく、ソツのない人。
 生徒会の役員をやってて、親衛隊がいるほどの有名人。
 さりげない物腰もどこか気品があって、高貴な感じ。

「でしょ? 柚木先輩の雰囲気って」

 天羽ちゃんに、柚木先輩ってどう思う? なんて聞かれて、私は思っていたことをつらつらと口にした。
 そりゃ、私に対してはちょっと意地悪なところもあるような気がするのも事実。
 けど、やっぱり自分にも負い目、というか引け目があるから、彼の冷たさも、仕方がないかなと感じるところもあって。

 第一セレクションが済んで、ほっと気を抜いている放課後。
 遠くに野球部のかけ声を聞きながら、私はコンクールを通して親しくなった天羽ちゃんと廊下を歩いていた。

 天羽ちゃんは私の意見にやれやれといった風情で首を振る。
 うう、どうしてそんな反応するのかな?

「香穂ってさぁ、人を疑うってことないの?」
「え? 天羽ちゃん、疑うってなあに?」
「いや〜。私は仕事柄っていうか、好奇心が人より多いだけかもしれないけど……」
「うん……。って、わっ!」

 天羽ちゃんは突然私の肩を掴むと耳元に口を寄せた。なんかとても、こ、こそばゆいよ?

「……どーも、うさんくさいのよ。柚木先輩って」

 天羽ちゃんのこそりと湿った息が私の耳に被さる。

「へ? でも、各学校に一人くらいはいるタイプだよね?」

 私がそう笑い飛ばすと、天羽ちゃんは深刻そうに眉を顰めて話を続けた。

「人ってさ、どこか探せば長所があるように、短所も持ち合わせてて、
 そのでこぼこを組み合わせて帳尻を取ってると思うのよ。
 それが、柚木先輩にはないでしょ? ……なーんかネコかぶってるようにしか見えないんだ、私」
「あはは! いいね。もしその柚木先輩のネコを剥がしたら、天羽ちゃんのトップ記事だね!
 校内新聞、コンクールネタよりも売れるかも!」

私がくすくす笑い出すと、天羽ちゃんもつられたように苦笑した。

「お気楽ノーテンキなコだね〜。ま、そこが香穂の可愛いところだけどさ。
 ねえ。……アンタも一枚かんでる、ってこと忘れないでね」
「はい?」

 天羽ちゃんの細い指でこつんと額を押されて我に返る。
 私になにが出来るっていうの??

「柚木先輩のネコ剥がしは香穂にかかってるの。なにしろ香穂は、普通科・オンナの、唯一のコンクル参加者なんだよっ」
「それって荷が重すぎるよ〜」
「アンタに全部調査させようなんて思わないよ。とっかかりだけでもいいからさ」
「ううっ。……が、んばらせていただきます」

 私は笑いながら天羽ちゃんと別れ、第二セレクションのための楽譜を探しに屋上へと出た。

 透明のセロファンを何枚も重ねて出来たような透き通るような空が見える。
 音楽棟の屋上は、私がヴァイオリンを始めて以来、一番のお気に入りになった場所。
 5月の風を薫風って言った人って、正しいと思うな。

 第二セレクションの幕開けはそんな素敵な放課後から始まった。

「リリ。今日も私、頑張ってみるね」

 なんて独り言を言いながら、鉄製の重いドアを開けて。

 …………。
 ねえ、神様。
 私、どうしてここで、一番会いたくない、って思ってるご当人と出くわすのでしょうか?
*...*...*
 彼の周囲は、風さえも彼の味方なのかしなやかな髪を屋上の風にそよがせている。
 ぴんと張った背中。
 肘の角度までも完璧なフォルムを持って、彼は優雅な立ち姿で音を響かせている。

 音楽科の白の制服って着ている人によってはこんなにノーブルに見えるんだ。

 数秒の間、私はぽかんと彼のことを見ていた。
 ううん、目が離せなかったと言ってもいい。
 音楽は、耳から入るモノなのに。
 彼の音楽は違う。聴覚以外からもいろんな想いを訴えてくる。

(どうしてなんだろう)

 柚木先輩は私の姿を認めると、フルートを下ろしてにこやかに微笑んできた。
 うう、素知らぬふりをしててくれたら、私もさらっと通り過ぎるのに……。

「わ、柚木先輩、こ、こんにちは」

 とくり、と心臓が跳ねる。
 先輩だもんね、一応挨拶はしておかなきゃね。礼儀だもん。

 あわてて頭を下げて。
 上目遣いで見上げたその先には、射るような視線があった。

 その視線を受け止めようとして、私は失敗したことに気づく。
 いくら鈍い私でも、この頃、分かり出したことがいろいろあって。

 柚木先輩の微笑みは優しさに満ちている。非の打ち所のない完璧なまでの微笑みなのに。
 どうしてか、私の中では柔らかく響かない。
 完璧な故の不完全さが、ある冷たさを持って、身体に迫ってくる気がするんだ。

『日野さん。自分がコンクールにふさわしいか不安にならない?』

 あのときの彼の目の底はちっとも笑っていなかったから。
 目の前のこの人は、わたしに好意を持っていないということ。
 ううん……。もしかしたら。
 悲しいけれど、悪意に満ちた気持ちを私に向けて発信してる、とも。
 ヒトって、自分に向けられる感情には悲しいくらい敏感だもの。

 月森くんもそう。
 私を見ると不愉快そうに顔を逸らす。
 やっぱり普通科のぽっと出がコンクールに参加するのって、イヤなんだろうな……。

『逃げ場がないのよ。音楽科の人間は』

 以前柚木先輩の親衛隊と名乗る女の人が私を取り囲んだ、と思ったら、私の目を覗き込んで言い放ったことがあった。

『真剣に音楽を目指している私たちと、ふらふらと良いところ取りをしていく普通科の人間は、所詮分かり合えないのよ!』

その言葉の裏には、音楽科の聖域に踏み込んでいる私への牽制が混じっていて。

(勝手に私たちの領域を踏みにじらないで)

 言われた言葉は痛かったけど、あとで家に帰って考えてみれば、もっともなことにも思えた。

(きっと柚木先輩も、私のこと、嫌いなんだろうな)

 こんな魔法のヴァイオリンで参加している、って知ったら、彼はもっと凄みを増して、参加辞退を強要するかもしれない。

 ……に、逃げよう!
 目の前のこの人をスルーするための良い策略なんて、私の頭では思い浮かぶワケないもん。
 逃げ切っちゃおう!

「えっと、私、楽譜を探してて……。あの、1曲弾いたらすぐどこかに行きますから」
「そんな言い方は寂しいね、日野さん」
「で、でも! 柚木先輩のおジャマをしても申し訳ないので」
「日野。お前、俺のジャマを出来るほど、存在感があるとでも?」

 きらり、と切れ長の瞳が光る。

 ……怖いよう……。

 豹変、って言葉がピッタリだ。柚木先輩って。
 うう、柚木先輩が屋上にいるってわかってたら、私、今日は絶対屋上には来なかったのに。

 壁際に寄った私に柚木先輩は余裕を持って近づいてくる。
 もう、……私のバカ。どうして壁際に寄っちゃったんだろう。
 自分で逃げ道を塞いでるようなもんじゃない。

 柚木先輩はにっこりと高貴な微笑みを浮かべて、一歩、じわりと脚を進めた。

「大体、俺に勝てると思ってるわけ? 何事も」
「あ、えっと! この前のセレクション、頑張りましたよね? 私。一応私が1位で柚木先輩が3位……」
「冗談。セレクションは1回だけじゃないんだぜ? 4回トータルの順位を競うんだよ。初めから全部の力を出し切ってどうするんだよ?」
「確かにそうです。……け、けど!!」

 皮肉な口調。
 けど、意地悪な表情の中に、どこかしら私の反応を楽しんでいる素振りが見えて。
 私はさっき感じた怖さを忘れて笑い出してしまった。

 もしかして、柚木先輩って、子どもみたいな人……?

「私、初めてだったんです。コンクールに出場したのも、見たのも。控え室、もあんな素敵なドレスも初めてだったし。ワクワクして、ドキドキして、あとでジワーって嬉しくなって!」
「お前な、もうちょっとマシな日本語使えよ」
「あ、ごめんなさい。それで、同じクラスのお友達もとても喜んでくれたんです。
 も、もちろん、私の演奏を、じゃないですよ。柚木先輩の演奏とか月森くんのヴァイオリンの音とか、聴く機会に会えて嬉しかったって。
 コレですね。リリの言ってた魔法、って。音楽が、人の心の架け橋になるって! だから今度も、頑張ろう、って!」

 不思議。
 気がついたら、私はあの怖い柚木先輩の目の前で大演説をしていた。
 知ったかぶりしてエラそうに。

 柚木先輩は唖然としたような表情で私の良く動く口を見ている。
 ううう……。もしかしたら、『ウザイ』の上に『大バカ者』の冠詞までいただくことになるのかな?
 けれど、柚木先輩の前で啖呵を切った後には、結構冷静に柚木先輩の肩の向こうの空がキレイだな、なんて場違いなことを考えたりもした。

 リリが見えた。
 それだけの理由でコンクールにエントリーした。
 しかも楽器は魔法のヴァイオリン。

 そりゃ、3年間このコンクールに参加できることを期待して頑張ってきた音楽科の人には申し訳ない、とは思う。

 けど第一セレクションを経た今。
 私は私の意志でこのコンクールに参加したい、と。
 しぶといような思いが生まれてきていた。

 土浦くんや、クラスの普通科のみんながエールを送ってくれたことが嬉しかった。
 志水くんや冬海ちゃん、1年生コンビが頑張ってるのが素敵に見えた。
 月森くんの奏でた音色が泣きたいくらい綺麗だった。
 火原先輩のあったかい励ましが心に響いた。

 ── いいんだ。迷うこと、ないもん。

 月森くんと柚木先輩。
 コンクール参加者の中で2人くらい、私のこと嫌いな人間がいても、いいもん。
 私はかぶりを振って、2人以外の顔を思い浮かべる。
 ── こんなにも応援してくれる人が、いてくれるもん。

『それで、いいのだ』
『リリ?』
『音楽を世界に広げる。この学校の創立者もきっと同じ気持ちだったのだ』
『……うん、ありがとう……。うわーん、リリ〜〜っ』
『わっ。こんなところで泣くなっ。日野香穂子っ!』

 昨日のコンクール終了後。
 おめでとうの言葉よりもずっと重く感じていた『魔法のヴァイオリン』の存在を、リリはそう言って励ましてくれたっけ。

「……お前みたいに脳天気だと、人生ラクかもな」

 呆れたようにつぶやく先輩の声を背後に感じながら、私はヴァイオリンを取り出した。

「え? ……そうですか? あ、そうだ。柚木先輩、『アヴェ・マリア』、合奏していただけませんか?」

 怪訝そうに見つめる柚木先輩に、私は笑って言い募る。

「こんなに気持ち良い季節だから、季節に免じて、ね? きっとこの曲も似合いますよ、この空に」

 普通科で素人で。
 音楽のこと、何一つ知らなかった私。

 私自身のことが嫌いでも。
 柚木先輩は音楽が好きですよね?

 だったら……。

 ヴァイオリンとフルートの奏でる音色を通して。
 私の中の音楽の一面だけでいいから、嫌わないでくれるかな……?

「行きますよ?」

 相棒を肩に乗せる。
 すっかりすり減った人差し指の爪がやけに愛しい。


 2つの楽器の調べが放課後の空にゆっくりと流れ出す。
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