余裕のない他人を横で見てる分には楽しいけど。
コレは学園に入ってから形成された性格じゃない。
多分、そう。
物心が付くか付かないかの頃から、そう感じてはいた。
個を出すな、と。
お祖母さまが二等辺三角形の頂点になって高圧な支配をしている柚木家で。
そのヒエラルキーの中では、落ち着きのないサマが最も禁戒とされたから。
Noと言うことを許さない家庭環境が今の俺を作ったとも言える。
── でも、事と次第によっては、俺が俺らしくなくなる場合だって、ある。
良く晴れた放課後。
金色のフルートと同じような空気を持つ、こんな日なら、さぞかし音色も響くだろうと、俺は、フルートケースを持って音楽室へと向かう。
第3セレクションの選曲に誤りはないつもりだったが、もう一度、楽典と照らし合わせて、選曲を極めるのも悪い事じゃない。
「あの、柚木くん、ちょっといいかしら?」
声をする方に目を遣ると、クラスメイトのオンナが1人、立っていた。
「やあ。なにか用だったかな?」
……ったく。
口では柔らかく受け返しながらも、俺は頭の中で時計の文字盤を思い浮かべる。
お前には無限の時間があるとしても、俺の時間は有限で。
その中でお前にシェアできる時間なんて、それほど多くはないんだけどね。
俺が呼び止められたのを見定めたのだろう、ティンパニーの傍にいたオンナ2人もパラパラと話しかけてきたオンナの周りに取り囲んだ。
「柚木くん。このごろ日野さんとずいぶん仲がおよろしいっていうことですけど……」
「そうですわ。本当のところはいかがですの?」
加勢したオンナが1歩、前に足を出す。
独りじゃ何もできないクセに、集団になったオンナは強烈だ。
……ん?
思えばこの端のオンナは、昼休みに火原の髪にカラフルなゴムを付けてからかっていたヤツじゃなかったか。
「ああ。日野さんのこと?」
今朝も天羽さんに報道部用の小型マイクを差し出され、質問されたはずだ。
まったくもって呆れるね。
自分には何も関わりがないというのに、他人の動きがどうしてここまで気になるんだ?
他人に費やす自分の時間が惜しいとか、思わないのか。
俺は考えていることを微塵にも外側に出さないように、いつものように微笑みを浮かべて。
俺のイメージに合う、もっともそうな言葉を選んだ。
「普通科の彼女がここまで頑張ってるのを見てると、僕としても何か協力をしてあげたくなってね。
綺麗な音色を奏でる彼女の努力を、僕は評価しているんだ。ねえ、君たちもそう思わないかい?」
「ま、まぁ。柚木くんってなんてお優しい……」
「そうですわ。そのとおりですわっ」
白を黒。黒を白、と。
俺のこれだけの言葉で真逆に考えを変えるヤツのことを俺は信用していない。
「だから……。コンクールが終わるまでの間、僕は後輩である彼女のサポートをしていきたいと思ってる。
車に乗るのは、彼女のヴァイオリンのためでもあるんだ。彼女はまだ不慣れだからね。……許してもらえるかな?」
『ヴァイオリンのため』
この言葉だけに執着したオンナが、黄色い声を上げる。
「そうですわね。彼女のため、と言うより、ヴァイオリンのためですものね」
「それに、土浦くんともかなりイイところまでいってるらしいもの。あまり気にすること、ないわよ。……ねぇ?」
そう言うと、一番最初に俺に話しかけてきたオンナに笑いかけている。
── ふぅん。土浦、ねぇ。
普通科とは全く異なるカリキュラムで授業を受ける音楽科に籍を置く以上、俺は、普通科の情報全てを網羅しているワケではない。
でも、オンナっていうのは、どうでも良いことを話したがるモノだから。
正絹の、ふとした折りキズ。
そっと引っ張ると、全てが跡形もなく、ほどけていく。……それと一緒だね。
俺はさりげなく呼び水を撒く。
「そう……。日野さんと土浦くんって仲が良いのかな?」
「そうなの! さっきもね、泣いてる日野さんを土浦くんがフォローしてましたわ」
我が意を得たりとばかりに、オンナは得々と口を開いた。
「あれ、役得ねえ。土浦くん。泣くオンナに慰めるオトコ。わかりやすい図よね」
「私たち、ちょっと助言しただけなのにねえ。柚木くんの大事な時間を取らないで、って」
正義を振りかざして、それが全く以て迷惑なモノになる。
── これほど笑止千万なことはないだろう。
「でもまあ、柚木くんのご慈悲っていうのかしら? 柚木くんのお考えを尊重しなくちゃね」
「ごめんねー。柚木くん。コンクールも近いっていうのに。じゃあ、また。ごきげんよう!」
「ああ。ありがとう、君たち。……貴重な情報を、ね?」
オンナたちは晴れ晴れとした表情を浮かべて。
今まで話していたことをまるで忘れてしまったかのように、今から行くカフェの話で盛り上がり出した。
弾むように肩を並べて音楽室を出て行く。
ふぅん。なるほどね。
今まで、火原や月森くんなど。
香穂子の隣りにいる人間に、思えば音楽科の人間ばかりを当てはめていたけど。
土浦くん、か……。
第3セレクションのキーワードである『愁情』は、土浦の得意分野なのだろう。
このごろ、正門など良く目につく場所で、彼を輪にしたブラボーの声を聞いたような気もする。
第2セレクションから参加した土浦は俺の盲点だった。
*...*...*
「田中。せっかく来てもらってすまないけど、今日はこのまま帰って」「は? あの、梓馬さま……?」
運転手の田中は面食らったようにぽかんと俺の顔を見上げている。
それもそうだろう。
今まで俺が車で帰らなかったことはないのだから。
「いいから」
「でも梓馬さま……」
なおも何か言いかけようとする田中を安心させたくて、俺は微笑みながら告げる。
「今日は特に用事がないしね。── なんとなく、季節を感じて歩きたくなったから」
「……はい。かしこまりました」
こういう時の俺に何を言っても無駄だと分かってるのだろう。
運転手は小さくため息をつくと、軽く一礼し、車ごと正門をスルスルとバックしていった。
── さて、どうする。
学園内をあちこち歩き回ってあいつを捜すというのはむしろ浅薄で。
今は、なるべく2人でいるところを周囲に見られない方が良いだろう。
そう考える冷静な自分と。
この前の練習室。
俺が香穂子にしたことと同じようなことを土浦はしたのだろうか。
オトコなら誰でも浮かべるであろう、安易な妄想が俺の中を駆け回る。
泣いている香穂子を、抱きよせ、抱きしめ。
あいつの香りや息づかいまで胸の先で感じたのだろうか。
そして香穂子は。
それを俺の時と同様、柔らかく受け入れたのか?
……とはいえ、密室の練習室とは違う、エントランスでのことだ。
いくら土浦でもそこまではできないだろう。
俺は足先を変え、正門から校舎へと向かう。
俺の勘が正しければ、多分、あそこだ。
あいつは、練習を終えたら北門へ進むはず。
── 俺とは交差しない場所へと。
恋をしたら、誰か身近な人に語ると良い、と聞いたことがある。
その行為によって、人は恋に恋した状態に自分をおとしめることができるから。
俺はあんなものにウツツを抜かす気はなかった。
恋は結局自己満足で。
自分の気持ちが相手に伝わるなんて幻影に過ぎないのだから。
程なくして俺は北門の陰へと辿り着いた。
門扉は、薄い色のネイビーと苔が複雑に絡み合うことで時代を感じさせる風合いを出している。
ひっそりとした雰囲気は数寄屋のような品格があって、俺の目に止まった。
待っている間に考える。
複雑に絡み合った自分の感情を。
イライラ、する原因を。
もつれた糸を解くほぐすかのように。
俺があいつを。
おもちゃのようにからかい、遊ぶことで、俺のクラスメイトのオンナに目を付けられたこと。
泣いてた、ってことだから。
多分、あいつは、傷ついただろう。それも、俺が思っているよりも深く。
そこに土浦が1枚かんで。
結果。
いつもの、俺の中で習慣化されはじめた帰り道が、こんな風になっていること。
たん、と、石畳に歩を移す音がして、俺の思考は遮られる。
足音は、何かを確かめるように、1歩1歩、進んで。
誰もいないと判断したのだろう。ぽつりと独り言をつぶやいた。
「へぇ〜。こうなってるんだ……」
「……こんなところで会うなんて奇遇だね、日野さん」
「はははいっ!?」
声の主は、まさか俺がこんなところから出てくると思わなかったのだろう。
長く伸びた影はぴくりと右の肩を揺らした。
「どどうしてここに……!?」
「……俺がお前の考えていることをわからないとでも?」
「は、はい……」
自分の周りを好意で固める。
オンナたちはそのためのツールだ。
俺の学園での立場を優位なモノにしておくために欠かせないモノ。
今まで、そう思っていた。
けれど、そのツールにしか過ぎないモノが、
一番大切なモノを傷つけているとしたら……?
── 俺は、かなり、やり切れないかもしれない。
俺はつかつかと香穂子の横に並ぶと、ゆっくりと歩き出した。
「あれ? 今日、車は……?」
香穂子は不思議そうに視線を揺らす。
そんな質問に答える気はなくて、俺はあっさり無視してやった。
「聞いたよ。土浦と濡れ場があったんだって?」
「え? 濡れ場? 濡れ場って、あの、濡れる、ってことですか? あの、確かに泣いちゃいましたけど……」
含みを持たせて聞いたものの、呆れるほど幼い返事しか返ってこない。
(本当のところはどうなんだ?)
俺は困ったように見上げてくる香穂子の白い顔を見つめた。
「ご丁寧にもね、詳細を知らせてくれる女の子がいるんだよ。
きっと自分が可愛がったコがどうなるか興味があるんだろ? 物好きだな。……で?」
俺は立ち止まって、香穂子の顔を持ち上げた。
少しずつ車内での効果が出ているのだろう。
この頃の香穂子は俺に触れられても、それほど怯えるように身体を震わせなくなった。
「は、はい?」
「どうされた? 土浦に」
「へ? あ、あの……。何でもないです。あ、立ち上がるとき、手を引っ張ってもらいました。ちょっと重かったかも」
香穂子はくすくすと笑いながら言う。
……なるほどね。
この屈託のなさからして、香穂子の言っていることは多分事実なのだろう。
もう少し雰囲気が読める女だったら、土浦もそのままにはしておかなかったんだろうけどね。
ま、諸刃の剣ってところか。
……俺にもたえずその刃は降りかかってくるワケだから。
俺は手をほどき、香穂子の隣りに並んだ。
「……香穂子」
「はい。なんですか?」
「もし、エントランスじゃなくて。
たとえば今日のようなことが練習室で起きてたら、お前はどうしてたかな?」
「え? どういう意味ですか?」
香穂子は訝しそうに首をかしげている。
「つまり、この前の俺とお前みたいに、ってこと。
誰もいない密室で、泣いているお前と土浦、だったら?
手を引っ張るだけじゃすまないかもな」
言ってて、自分の口をひねりたくなる。
全く……。見苦しいな。
この俺が、こんなことを口に出すなんて。
挙げ句に想像に嫉妬して。
でも。
目の前にある透き通るような肌。艶やかな唇。
匂やかな香りを纏った、少女。
そういうのを見ていたら、抑えが、効かなく、なってくる。
「んーー。そうでしょうか?」
香穂子はちょっとの間、思慮深そうな目をして。
何か思いついたのか、笑いながら言い返してきた。
「ううん? 今日のエントランスで、土浦くんじゃなくて、もし、柚木先輩が来てくれてたら……」
「……俺が来てたら?」
「私、人前でも抱きついちゃったかもしれませんね。── 安心して」
自分の告げたことが余程恥ずかしかったのか、香穂子は少し前を歩き出した。
「そ、そう言えば、歩いて一緒に帰るのって、初めてですね」
日毎に、香穂子に手応えを感じる。
音楽の世界でも、女としても。
俺はゆっくりと香穂子の隣りに並んだ。
(願わくば、俺が土浦くんの代役をやりたかったね)