夏休み中にオーダーしておいた、音楽科の制服が、2学期開始1週間前にようやく届いた。

「うわあ、この上着、真っ白! 冬海ちゃんみたいだなあ……」

 私はビニールに入ったままの制服を鏡の前、胸に当ててみた。
 音楽科、って普通科からしてみると、お嬢さんの集まり、って感じで、コンクールが始まる前は遠い遠い存在だったのに。
 今、こうして自分が音楽科の制服に手を通すことがあるなんて、今になっても信じられないよ。

「よし。ちょっと着てみようかな?」

 私は冷房を強くして神妙に座ると、一列に並んでいたシツケ糸をぴぴっと取っていく。
 こうしてみると、音楽科と普通科の制服は、上下の色が逆になってるんだ。
 上着が白。スカートが濃い緑。
 ブラウスは2、3色の中から優しいパープルと、落ち着いたベージュを選んでみた。

 わくわくしながら、スカートも当ててみる。
 わ……。スカートの型、プリーツじゃなくて、ボックス、なのね……。
 結構短い丈が好きなのに、ボックスの短いタイプってすごくカッコ悪そうな気がする。これじゃ丈を詰めるのはムリかも。


 私は真新しい真っ白な制服を身に着けて、鏡の前でくるりと一回転してみた。
 確か、1年半前、星奏学院の普通科の制服を着て、こうしてドキドキ鏡の中を眺めてたよね。

 この先、3年間、私にどんなことがあるんだろう、って。

 髪も短かったし、もっと頬もパンパンに張ってた。幼いまでの顔で、笑ってた気がする。


 ── これからは、どうなるのかな?

 中身は全然変わってないのに。
 身に着けるモノを変えただけで、こんな気分になるのかな?
*...*...* Seifuku *...*...*
 夏休み明け初めての学院。
 私は夏休み前と同じスケジュールで、時間前に自宅の前に立っている。

 転校、って今までしたことがなかったけど、こんな感じなのかな?
 不安と、期待、と。
 気持ちが盛り上がると、期待が膨らんで。
 ちゃんとクラスで馴染めるのかな、って考え出すと、不安でいっぱいになる。

 まるで知らない学校に転校するわけではないし、このコンクールの間で知り合いになれた人も多い。
 けど……。

 コンクールが終わってからというもの、やっぱり、普通科と音楽科は何か特別な行事がないと、1日中会うことはないんだなあ、ってしみじみと感じたっけ。
 もちろん、コンクールが普通科のコたちに広げた影響はすごいモノがあって。
 リリが言ってた、『音楽科と普通科の架け橋』……割り箸レベルだけど。それには協力できたと思う。
 コンクールが終わった直後は、みんながそれぞれ好きな作家のCDを持ち寄って、コピーして、なんて光景があちこちに見られた。
 普通科の音楽担当の金澤先生も驚いてたっけ。

『おいおいー。古びた頭にそんな難しいこと、聞くなっていうの。
 そう、バッハはみんな音楽家一家なんだよ。息子4人もみんな音楽家なの。
 父親が、ヨハン・セバスティアン・バッハ。息子がヨハン・クリスチャン・バッハとヨハン・ウイリアム・バッハ。……以上。
 なに? 数が足りない? 後で自分で調べてみろよ。なあ、日野』
『わ、私も知らないですよー』
『おいおい、そんなんでお前、大丈夫か〜?』


 その盛り上がりは、嬉しかったんだ。

 けど。
 級友が音楽の話をしてるたびに、思った。
 こんな時、先輩ならどんな返事をしてくれる? って。

 ── どうして、こんなに柚木先輩に会えないんだろう、って。



『校舎が離れすぎてるよね。音楽科の生徒さんへの取材って大変だよ。会えるのは放課後の森の広場か、特別校舎の柊館くらいだから』
『うーん、そうかもしれないね』
『行ったら、良い取材が出来るってワケでもないでしょ? 相手は人間だもの。無駄骨になることも多いよ。……特に月森くんとか!』

 天羽ちゃんはそう言うと、クヤしそうに眉根を寄せてる。
 もしかして、私には言ってないだけで、また月森くんに体当たりして 当たって砕けちゃったの、かな……?
 天羽ちゃんは、手にしたHDレコーダーのスイッチをカチカチと鳴らしながら、コンクール参加者1人1人の顔を思い浮かべるように言った。

『志水くんはいつ行っても不思議ちゃんだしねえ。
 火原先輩は、見た目と中身が同じであまり記事にしてもウケないんだよね。
 もうみんなが知ってる事実、っていうか。
 そうそう。それにアンタの好きな柚木先輩もね。なんて言うかなー。
 ……柔らかい口調で煙に巻かれちゃうっていうのかな?
 帰ってHDを掘り返してみても、何にも中身がないというか、ねえ……。あの人もなかなか記者泣かせな人だよ』
『そ、そっか……』


 多分私は敏感になってる。
 柚木先輩、という言葉が、他の人の口から上がることに。
 私が音楽科に進むことで、先輩と私の距離がどんな風に変化するのか、ということに。

 ── 本当に、どうなるんだろう。

 私は車の停まる音、ドアの開く音にも気付かずに、ぼんやりと日差しの強そうな空を眺めていた。


「……そんな調子じゃお前、車にひかれても気付かなさそうだな」
「あ! 柚木先輩。……2学期最初の言葉が、それ、ですか……」
「間違ってないだろ? さ、行くぞ」

 真っ白な肌。さらさらした髪が少しだけ長くなったみたい。
 この人は、夏というより冬のイメージなのかも。

 さりげなく背中に手が回る。
 押された手に、夏休み前のように、ドキドキするようなことはない。

 ── 温かい。
 思わず微笑が浮かびそうな、安心する、感じ。

 柚木先輩は 一瞬目を見開くと私のスカートに目を遣った。

「ふぅん。音楽科の制服、か」
「あ、はい。……どうですか? ボックススカートってちょっと慣れないんですけど……」

 私は座席に座ると、膝の上のスカートを摘み上げた。
 わ、膝に掛かる長さって、この時期にはちょっと暑苦しいかも。

「まあ、いいんじゃないか? この格好なら音楽室や講堂をウロウロしていてもそんなに目立たないだろう?」
「そうですか。……良かった、……って、そうじゃなくて!」

 たしかに、そう。
 普通科の制服でヴァイオリン持ち、っていうと、それだけで星奏学院のコは不思議そうに振り返ってたっけ。
 制服に守られてる、っていうのはあるかもしれない。
 音楽科の制服なら、ヴァイオリンを持ってても人の間に紛れることができる。

 けど、けど、なんて言うんだろう。
 感想、というのかな。
 音楽科の制服が似合ってるとか、似合ってないとか。
 ……うーん。可愛い、なんて言って欲しいなんて、図々しいことまでは考えちゃダメだけど。
 ── 先輩のもう一声、が、欲しかった、かも。

『いいんじゃないか?』
 ってなんとも微妙な表現なような……。その前に、『まあ』が付くし。
 悲しいけど 柚木先輩の審美眼からしたら 私の音楽科の制服姿は ギリギリの及第点、ってところかもしれない。

「なに? 不満そうな顔して。……言って欲しいの?」
「はい? ふ、不満なんてありませんよ? 目立たなくなるのは いいことですよね?」

 車内の空調が思いのほか 柚木先輩にとっては涼しいのかもしれない。
 一時間近く乗ってきたであろう柚木先輩の手のひんやりとした感触が、私の脚の上を滑っていく。

 ふいに耳元が熱くなる、と思ったのは、吐息が吹き込まれたせい。


「可愛いよ、香穂子。誰にも見せたくない、って思うほどにね。
 ── また、その制服を 図書館で乱したい、と思うほどに、ね?」
「……な、なんてこと……っ」
「なに? 足りない?」
「も、もう 言ってもらわなくても、いいですっ!」
「すごいな。どうしてそんな急に顔が赤くなれるんだ?」
「……それは……。柚木先輩みたいに 褒められ慣れてないから、です……」

 事実を言うと、先輩は堪えきれなくなったように吹き出した。
 人の視線に慣れてる先輩からしたら、絶対わからない気持ちだろうな。

 本当に。
 コンクールがなかったら、こうして人の視線のを一身に受けるシチュエーションなんて、きっと一生なかったと思う。
 ましてや、こうして。
 ここまで人を好きになることもなかったとも思う。

 そして。
 ── 好きになった人に好かれる、という、ふと考えたら奇跡のような偶然に出会うことも。

「でも、困るね」
「はい? なにが、でしょう??」

 私はすぐ目の前に近づいてきた顔を見上げる。……困る、って? なにが??


「俺がお前を捜しにくくなるだろう?」


 ファータが光る正門前に降り立つと、柚木先輩は苦笑めいた表情を浮かべてつぶやいた。
 夏休み前、ファータの銅像の前で 右と左に分かれてた私たちは、今は音楽科のある同じ方向へと脚を進める。

 2年A組。
 ……月森くんと同じクラス。クラスメイトにはコンクールの間中、伴奏をしてくれた森さんがいる。
 それだけしか知らないクラス。

 けど。
 私は、横を歩く先輩の顔を見上げる。
 そんな不安を吹き飛ばしてくれる人がいる、から。


 だから、── 大丈夫。きっと私は、頑張れる。



「鳴らしますよ、ヴァイオリンを。ちゃんと先輩に、届くように」


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