*...*...* 7th *...*...*
「え? 七夕祭りを生徒会で?」目の前で満面の笑みを浮かべている女生徒に、どんな表情を作って良いのか、俺は思案に暮れたまま、
賛成とも反対ともどちらとも取れるような微笑を浮かべておく。
まったく。
生徒会役員でもなんでもない俺に、生徒会のメンバーは、一体いつまでこんな風に俺に手助けを求める気なのだろう。
彼女は俺の屈託に気付くことなく、早口で話し続ける。
「はい! 場所はカフェテリアの一角で。ここだと普通科、音楽科も関係なく集まれる場所だと思います。
それで、筆記用具と短冊を置いておいて、願いごとを書いてもらう、と。
笹は書記の木村くんが準備してくれるそうです。とりあえず金澤先生の許可は取ってあります」
「そう」
聞けば聞くほどお膳立ては完璧で、別に俺の手助けもなにも必要ない状況だ。
なのに、この子は俺に何を期待しているというのだろう。
……ま、ここまで決定事項を並べられて、今更反対意見を唱えたって俺になんの益にもなりはしない……、か。
俺自身が特に労力を使うこともなさそうだし、とここで俺はようやく賛成の言葉を伝えることにした。
「それは楽しい企画だね。みんなが君たちの意見に賛同して、たくさん短冊を書いてくれるといいね」
つい先週終わったばかりのアンサンブルメンバーの面々を思い浮かべる。
この手のイベントに真っ先に乗るのが、俺の親友の火原。
そして案外、天羽さんなんかも、学内新聞の記事にピッタリだとかなんとか言って、何本も短冊を書きそうな気がする。
月森は土浦にそそのかされて、しぶしぶ乗る、と言ったところか。
1年生のメンバーは、香穂子が書けば、一緒に書く、というスタンスか。
── 香穂子。
さて。あいつなら、どうするだろうな。
火原に誘われて、書く内容を覗き込まれるのを恥ずかしがりながら、書きしたためるだろうか。
それとも案外、真面目な顔で、ヴァイオリンの上達を願う文面を書き上げるだろうか。
どちらにしても愛らしい様子が目に浮かぶ。
なにをしていても、真っ先に浮かんでくるあいつの顔に、俺もそろそろ自覚をしなくてはいけない時期に来ているのだろう。
「柚木先輩?」
「いや。なんでも。じゃあ僕はそういう行事が開催されることを、音楽科のみんなに伝えればいいのかな?」
伝達。宣伝。プロパガンダ。
生徒比率の関係もあって、生徒会は半数以上が普通科の人間から成り立っている。
ともすれば、自分の音楽を極めるのに精一杯で、生徒会は普通科の仕事、と割り切っている音楽科の人間に
今の生徒会活動を伝えることは、案外大切なことだ、と今は思う。
先日終わったコンクールで、普通科の香穂子は、音楽科の俺たちを押さえて優勝を飾った。
その事実は少しだけ俺のプライドの表面を削っていったが、それ以上に俺を支配したのは清々しい敗北感だったから。
せっかく香穂子のおかげで普通科と音楽科の間に架け橋ができたんだ。
それをささやかなイベントで、少しずつ補強していくのも悪くない、か。
「いえいえ。柚木先輩には、もう1つ別のお願いがあって」
承諾の笑みを浮かべて、その場を去ろうとした俺に、目の前の女は、言いづらそうに言葉を繋げた。
本心を隠すかのように、銀縁のメガネに指を当てている。
「お願い?」
「柚木先輩じゃなきゃ、ダメなんです!」
*...*...*
次の日のカフェテリアは、普段なら弁当を持ってきて教室ですませる生徒も、購買でパンを買って外で食べる生徒も、こぞって笹飾りを見に来たのだろう。その一角は、購買でパンを購入するよりも人混みに溢れていた。
「ねえねえ。聞いたよ。柚木。柚木が何枚か短冊、書いたんだって。
しかもマジックペンじゃなくて、書道、っていうの? 習字、っていうの? 細筆で書いた、ってホント?」
「……ああ。まあね」
購買でパンを買いすぎた、という火原が、香穂子を誘いカフェテリアにいた俺と合流。
目の前には、俺の注文した和食と、火原が買ってきたパンが何種類か並んでいる。
火原は午前中、実技の授業ですっかりお腹を減らしていたのだろう。
気持ちいいほどの食欲で、目の前のパンのヤマを平らげていく。
香穂子は小さなクリームパンを手に取ると、美味しそうに口に運んだ。
「ねね、柚木。柚木は何枚短冊、書いたの? なんて書いたの?」
「5枚。……。『五色の短冊』っていうだろう? 生徒会のみんなが用意してくれていてね」
日本の五行説にまつわる五色の短冊。
このイベントをやる、と言ってから準備にそれほど時間をかけた、とは思えないのに、
この手のことに詳しい人間が混じっていたのか、用意されていた短冊は、古来の色そのものだった。
さらに用意されていた筆も穂先が硯の陸の上、素直に揃った。
笹の葉の匂い。それに、墨の香り。
家以外で、書をたしなむのは久しぶりだったが、悪くない時間だった、とは思う。
やはり俺は書が好きなのだろう。
俺の書いた短冊は人寄せのための道具だとわかっていても、どこか気持ちよかった。
「柚木先輩は、どんな願いごとを書いたんですか?」
「うんうん。興味あるなあ」
火原は勢いよく炭酸を飲み干すと、次のパンに取りかかっている。
火原の1番お気に入りのカツサンドは、最初に平らげてしまったのか、ソースのついた包装紙が、ふわふわと空調の風に吹かれている。
自分の好物を一番最初に食べる人間は、人がいい。
一番最後に食べる人間は、実は疑り深い人間なんじゃないか、なんて思ったりもする。
もちろん俺は後者だからだ。
「願いごと、って人に言ったら叶わなくなる……んじゃなかったかな?」
言葉を濁してそういうと、火原はいてもたってもいられなくなったらしい。
強引に残りのパンを口に含むと、駆け出さんばかりの勢いで立ち上がった。
「うーー。気になる! おれ、ちょっと見てくるね。香穂ちゃんと柚木はゆっくり食べてて!」
「あ、あの! 火原先輩?」
「ごめん。すぐ戻ってくるから!」
火原は頬にクリームをつけたまま走り出す。
風をはらんだ背中に向けて、鏡を見るように言ったけど、果たして聞こえたかどうか怪しいところだ。
「……やれやれ。行ってしまったね」
「あはは。でも火原先輩らしい、かな?」
香穂子は残りのパンの多さに一瞬目を見開くと、テーブルの上を手早く片付け、残念そうに俺の顔を見上げた。
「うーん……。柚木先輩の願いごと、知りたいなあ。ダメですか?」
「さあ? 今回書いた願いごとは、俺にしては結構真剣に書いたからねえ。
人に告げると叶わなくなる、というなら言いたくないね」
香穂子はなおも諦めきれないらしい。残念そうにアイスティを飲み干した。
こくんと、白い喉が揺れるのを俺はまぶしい思いで見つめる。
「あ、そうだ。お習字で書いたんですよね。
だったら、柚木先輩ほど上手な人はあまりいないだろうから、見ればわかるかな?」
「それもどうだろう?」
俺は目の前の食事を食べ終えると、香穂子が食べ終わるのを待ちながら話し続けた。
「書道も華道も似たようなところがあるけれど。芸の道は変わり続ける。同じところにとどまることはない。
その道で生きていこうとするなら、ある程度の基本や技術は必要だけど。
そうではない場合は、ただ純粋に楽しむことが大事なんだと俺は思う」
「楽しむ……?」
「そう。この七夕のような催し物を通して、書道を身近に感じることは大切なことだ。
……実際、何枚か 書でしたためた短冊を見たけど、みんな基本にとらわれない、良い作品が多かったよ」
「えっと……。じゃあ、柚木先輩の短冊は、私が見ただけではわからない、ってことですか」
遠く、笹飾りの近くでは、大きな歓声が上がった。
見ると、生徒会役員がどこから手に入れたのか、高い脚立に登って火原から手渡された短冊を笹につけている。
どうやら火原は、自分の書いた短冊を、笹のてっぺんにつけるように依頼したらしい。
笹を支えている人間の手元が狂ったのか、一瞬笹は大きく傾いて、再び以前より高く天井近くまで持ち上がった。
周囲の歓声は、秋の体育祭のように盛り上がっている。
カフェテリアに来たときよりも、はるかに短冊の数は増えている。
色とりどりの短冊は、笹本来の清々しい青竹色も隠すほどだ。
「残念。あんなにたくさんじゃ、柚木先輩の短冊を見つけるのは難しいかも」
「それはなにより」
知られなかったという安堵とからかいを込めてそう言うと、香穂子は釣られるようにして笑った。
── そう。
俺が書いた五色の短冊の中の1枚。
生徒会の役員が笹の準備に夢中になっているとき、さりげなく自分で笹に取りつけた願いごと。
こいつの願いごとがなんなのか、俺は知るすべもないけど。
もし、神なんて存在が俺の近くにあるなら、俺はそいつに真っ先に祈りたいね。
(お前の願いが叶いますように)