*...*...* Pillow Talk 〜彼女の場合〜 *...*...*
 彼女と、そんな風、になってから。


 俺は彼女に。
 『彼女』という役割り以上の役割りをさせてしまっているんじゃないか、と時々不安になることがある。



 一度堰(せき)を切った水が、もう元には戻らないように。
 俺の周囲には、彼女に対してとめどない執着と独占欲がまとわりついて。
 自分の中の感情に呆れることが増えてきていた。



 1人の人間に、こんなにも執着するなんて、間違ってる。
 少なくとも、今までの俺からは考えられないことだった。




 5歳の時。
 ほんの少しの時間を共有した。
 しかもそのときのことを、彼女はまるで忘れていた。
 幼馴染み、とも呼べない、たったそれだけの関係から始まって。


 高校時代の3年の間に、彼女は、どんどん俺の中に入ってきて。





 初めは、からかうだけの存在。

 それが。
 気にさわる、気にかかる。どうしてるのかとたえず思う。
 なんでもない景色を、見せたくなる。
 自分がどんなことを考えているのか、伝えたくなる。
 彼女がどんな反応を見せてくれるのかを想像して、ほほえんだりする。



 そうやって。
 彼女への感情は、とどまることを知らずに膨らんで。



 そして今は。
 こんな小さな身体が、俺、の存在全てを包みこむほどにまで大きくなった。





 こんなにも彼女に依存している俺、を彼女はなんて思っているんだろう。



 そうなることを、ずっと望んで。

 望み続けていたものが、今、ようやく自分の手の中にあるのに。
 抱くたびに遠くに感じるのは……なぜなんだ?




 ……自分に自信がないんだろうな、多分。

 こんなに口下手で、無器用で。
 汚い感情ばかりの俺を、彼女は受け止めてくれるのか?
 いつかこんな俺に呆れて、俺の手の届かないところに行くんじゃないか、と。


 なんて。
 考えなくてもいいことを、あれこれ思ったりして。




「……このままの俺を、……愛してくれ」



 すべて。

 初めての恋に戸惑っている、自分。
 余裕がない、自分。
 距離感がつかめない、自分。


 彼女、というだけでなく。
 母親や、姉、妹。
 女。
 ……すべての役割を押し付けてしまっている自分を。




 彼女は目を見開いて、ゆっくりと俺の言葉を理解すると。
 花がほころびるように笑った。


 そして。
 赤ん坊をあやすように言う。



「大丈夫だよ。……わたしはどこにも行かないから。……あ」
「ん?」



 俺の腕の中で気持ち良さそうに胸におでこをあてていた彼女が、もぞもぞと顔を上げ、俺の顔を茶目っ気たっぷりに見上げる。
 彼女、がこんな顔をするときは、いつもなにかとんでもないことを思い付いたときだから、俺は少し身構えて彼女の様子を見守る。

 すると、彼女は俺の腕からぴょん、と飛び出して。
 ね、こっち、と、優しく微笑むと俺の頭を抱えこんだ。



「…………」




 時間って不思議だと思う。

 毎日同じことを繰り返しているように見えても。
 実はそれは螺旋階段のように、少しずつ上へ上へと上り続けて。
 今見えていた景色が、全く違って見えるようになるんだ。



 彼女のつむじばかりを見ていた俺は、今度は彼女の華奢な腕に頭をのせて、ぱらり、とホクロがある彼女の胸を見つめた。



 信じたい。

 5歳の時、とは違う。
 2人の意志でこうなった、2人。
 2人を隔てるような障害をはねのける力が俺にあるんだ、ということ。
 もう2度とこのぬくもりを失うことはないんだ、ということ。



 小さな手の平が、蝶々みたいに舞って俺の髪をすべって。
 猫みたいだ、と言って彼女は笑う。



 彼女の前なら、ありのままの自分が出せて。
 それが、とても、心地好いから。




 俺は返事をする前に眠りにつく。
 ――人肌、って、こんなに懐かしいものなのか?
*...*...*
 俺は頬に冷たい風を感じて目が醒めた。

 昔は、よくこうやって夜、眠れないことがあって、そのたびに、温かみを感じる景色を探しに1人で出掛けたこともあった。


 でも、今は。
 光も、温もりも、そばにある。
 俺はすでに必要な時に、必要なだけ、いや。必要以上に与えてくれる愛情に、慣れ親しんでからというもの、夜中にふらりと1人で出掛けることはなくなっていた。



 感じた風の方向に目をやると。
 彼女は俯(うつむ)きかげんに空に向かって手を合わせている。

 彼女の薄い肩の上を風がなめるように吹いて、彼女の髪を揺らす。
 ――彼女は、なにを願っていて、なにを望んでいるんだろう?




 俺が彼女にできること。



 それは、他人から見たら、バカげてて些細なことなんだろう。
 でも、俺のそんなささやかなことが、彼女の微笑みを誘うなら。
 彼女の願いが叶(かな)うなら。



 ――なんだってしてやりたい。



 手出しをしたことで、


『もう〜。わたしひとりで出来るよう?』


 と、困ったように非難されても。




 きしむ床をなだめるように伝いながら、彼女の背後に立つと。
 少し長くなった髪から俺の匂いがした。

 こんな、明日になったら簡単に消えてしまうような小さな証拠が、俺と彼女を繋げているようで。



 ただ、愛しくて。
 俺は彼女を背後から抱きかかえると、手に手を合わせる。




 びくっと手を震わせた彼女が、口を尖らせながら俺を見上げるから。
 その顔が可笑しくて、ついいつもの口調になってしまうんだ。

 ……別にからかいたいわけでも、ジャマしたいわけでもないんだけどな。




 ふと彼女の肩に触れると。
 さっきのことがウソみたいに冷えている。



 ――風邪引くだろ? どれだけの間、そうやって空を見てたんだ?




 彼女が、元気で。
 いつでも俺のそばで笑っててくれたら。

 冗談言ったり、言われたり。
 なにげない日常を2人で繋げていけたら。


 それが、俺の、願い。





「暖めてやるから」



 俺の視線に照れて恥ずかしがって、必死の表情でバスタオルを握ってる彼女。


 そんな彼女を、星の光の中、全部眺めてみたくなって。
 もっともっと暖めてみたくなって。




 相反する気持ちに収拾がつけられなくなった俺は、バスタオルの代わりに、自分の身体を巻きつけた。




 これから始めること、で。
 伝わるもの、があれば、いい。




 そう祈りながら。
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