*...*...* Pillow Talk 〜彼の場合〜 *...*...*
かさり、とシーツの上をすべる、音。
眠るのをためらっているような、身体。





「……どうしたの?」
「……このままの俺を、……愛してくれ」





 人より秀でたものをたくさん持っているのに、
 その価値を認識していない、彼。

 たえずひそやかで、誰よりも目立たないようにしていながら、
 持ち合わせた天性のものがその努力をまるで無いものにしている。


「大丈夫だよ? ……わたしはどこにも行かないから」



 そういう関係、になってから。
 ―― 時々彼は、わたしにひどく甘えるようになった。
 そんな時、わたしは。
 自分の腕には入りきらない大きな身体を抱きかかえながらも、
 5歳の、幼い彼を抱きしめているようなやるせない気がしてくる。


 甘え方を知らなくて。
 甘え方を教えてもらえなくて。
 甘えようと思ったときには、周囲のオトナは忙しくて。


 5歳のオトコのコは、為す術(すべ)もなく、立ち尽くしたんじゃないかな?



 その時。
 ズボンの裾をキュッと握りしめながら、
 幼い彼は、ナニを考えていたんだろう?


 幼いオトコのコの視界には、なにが映っていたんだろう?



「どうした?」
「……クヤシイよ?」


 泣こうと思って泣いたわけじゃなく、ただ生理的に押し出される涙に今度は彼の方があわててる。


「5歳の時、一緒にいられなかったことが。
 わたしなんかでもそばにいれば、
 少しは寂しさが紛(まぎ)れたかもしれないのに。
 寂しい思いはさせなかったのに!」

「バカ。おまえが泣くことないだろ?」


 そう言って、彼は、目の縁にぽっかりと浮かんだ涙を拭うと、
 これ以上ないくらい穏やかな表情でわたしを見つめる。


「俺、で良かった。
 おまえがそんな寂しいコドモじゃなくて良かった」
「…………」


 いつも彼は、自分より、わたしのことを一番に考えてくれる。
 デートの行き先も。食事するお店も。
 今こうして一緒に寝ているベットの、スプリングの固さまで。


 それは決してわたしの言いなりになっている、というのではなく、
 わたしのことをいつも考えて、のことだから、


 だからわたしは、湖の縁から小さな風がたって、それが全体にじわじわと広がっていくみたいに嬉しくなるんだ。


 けどね、相手のこと一番に考える、って。
 それはわたしも、同じ、だよ?


 ねえ。
 どうしたら、伝わる?
 どうしたら、人は過去の寂しさを埋めることができるの?
 どうしたら、人は過去を思い出として、なつかしがることができるのかな?



「また、泣く……」
「ん。ごめ……」

「謝るな」

 即座に返される、声。

 言葉自体は。
 短くて、冷たいようで。
 でも、わたしの身体を滑べっていく手は、優しさに満ちていて。
 言葉よりも雄弁なその動き、に、わたしは知らず知らずため息を零す。


 彼はわたしのそんな思いに気づくこともなく、わたしの胸に額を当てる。
 さらりとした髪は、わたしの腕の中でもぞもぞと形を変え、
 自分の居場所を探すようにして、肩の付け根のところで止まった。


「……?」
「おまえが『腕まくらが好き』って言ってたの、わかる気がするな」
「えへへ。……そう?」
「こんなに気持ちいいんだ……」


「……いいよ? いっぱい、して?」


 こんなことで、彼の寂しさが埋まるなら。
 わたし、何でもしてあげたいよ。


 余っているもう片方の手で彼の髪を撫ぜる。
 初めは乱れていたそれも回数を追うごとに
 従順に、滑らかに、わたしの手に納まっていって。
 それをするたびに彼の目が細くなるから、



 わたしはついからかっちゃうんだ。いつも。




「……猫みたい」



 ねえ。
 ホントはね。

 わたし、こんなこと言いたいわけじゃないんだよ?



 すごくすごく好き、なこと。愛しい、と思ってること。
 それだけを。
 ただ、伝えたい、と思ってるのに。


 ――でも、ちっとも、上手く言えないね。
*...*...*
「ん、と……」


 彼の頭の下にあった腕をそろっと抜いて、
 わたしはベットの下に申し訳なさそうにたたまれてるバスタオルを手繰り寄せると、身体に巻きつけた。


「あ……」


 もはやわたしにとっては見馴れた部屋の見馴れた窓から、わたしは見馴れない星、を見つけた。
 わたしは、ちらっと後ろを振り返って彼がよく眠っているのを確かめてから、南側の窓を薄く開ける。


「……火星?」


 火星、という名のとおり、
 それは肉眼で見ても、燃えているかのように赤くて。

 なんでも地球の軌道と火星の軌道の関係で、
 次にこんなに近づくのは780日後、ってニュースで言ってたっけ。


 2年以上、先。



 ……このまま。このままでいいから。

 彼と一緒にいられますように、なんて。
 悲しくなるほどに、火星が赤くて綺麗だったから、
 『星に願いを』じゃないけど、
 しおらしく両手を合わせてお願いしてみる。


 この星みたいに。
 ずっと、彼の横で。
 きらきらした女の子でいられるかな?



 きっと。

 運命、みたいに、自分じゃどうしようもないこと。
 感謝。悲しみ。喜び。たくさんの思い。
 伝えたくても、伝わらないこと。
 どれだけ口に出して伝えても、まだ伝え足りない、と思うこと。


 そんな思いを形にしたくて、
 人は星に祈ったり、神様に願ったりするのかな……?





「……っひゃっ!」
「あんまり真剣そうだったから、ジャマしてみた……」



 音もなくベットから降りたって。
 背後からわたしの両手を包むように重ねる、最愛の、人。



「も、もうっ。ジャマしちゃダメ〜〜!」
「する。……何度でも」




 そう言って、バスタオルの結び目をほどこうとする。




「す、するって、する、って……っ!!」




 もはや、向き合ってバスタオルの結び目を巡り、必死で応戦しているわたし。
 彼は、むき出しの肩をつつーーっと、撫ぜるやいなや、眉をひそめた。




「こんなに冷えて……。暖めてやるから。ほら……」




 おいで、と、あっけなく結び目をほどくとバスタオルを足元に落とす。


 あわててそれを拾い上げ、身体に当てると。
 仔猫がじゃれてるみたいに、また、落とす。


 当てると、剥(はが)されて。
 ――拾うと、落とされる。




 何度目かの後。



「そんなに、焦らすなよ」





 と、彼はわたしを抱きあげてベットへと運んだ。
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