*...*...* 明日もその次もずっと…… *...*...*
「うわあ、すごい人……!」
高校時代は、徒歩で学校に通っていたけど、 大学に入ってからは電車とバスを乗り継いで、約1時間の通学経路。
ゴールデンウィークが終わるまでは、わたしのような慣れない人も多いせいか、
ラッシュ時間のはばたき駅はすごい人でごった返していた。
「明日、おまえ、一限目あったよな……?」
「うん、あるよ? どうして?」
「……電車、気をつけろよ? ……明日は俺、一緒に行ってやれないから」
「ん……、気をつけるって、何を?」
「……おまえ、人にはさまれて、出て来れなくなりそうだ……」
昨夜の電話でそんな心配をしてくれた珪くん。
……わたし、か弱い女の子に見えるのかな?
全然そんなこと無いのに。……でも、心の中で、嬉しいと思う自分もいたりする。
「だ、大丈夫! わたし、見かけよりずっと力持ちだから!
人混みなんて押しのけちゃうんだから!!」
……なんて言ってみたものの。
今日は4限も授業があるせいで、教科書と副読本、辞書……。
合計8冊の本とバインダー。うう、さすがに重い、かも。
電車のドアが開くと同時に、すごいイキオイで電車に吸い込まれる。
急いで座席と座席の間に身体を滑り込ませてみたものの、
こんな狭い隙間にもどんどん人が入り込んできた。
「ん!」
「……あ、失礼」
知らないおじさんが、思いっきりわたしの足を踏む。
混んでるから、しょうがない……けど、でも。
あまりの痛さに思わず涙が出てくる。
……いつもより混んでるような気がするのは何故?
わたしは周りを見渡す。
……あ、そうなんだ……。
いつも珪くんと一緒に登校する時にはこんなこと、一度もなかった。
こんなに他の人と密着することなんてなくて、
いつもわたしの周りには少しだけど、空間があって……。
わたしの身体の周りに少しの空間、それを囲むように珪くんの腕、そしてたくさんの人混み……。
あ、あれ……この香水……?
珪くんがつけているシトラスミントの香りが鼻腔をくすぐる。
珪くんの胸の中でいつも感じてる香り……。
わたしは抱かれた時のことを思い出して、一人で真っ赤になる。
……この香りをまとっている人が珪くんだったらいいのに。
そうだったらこの人込みを掻き分けて、珪くんについて行くのに。
人にはさまれて全く動かない身体を無理に捻って周囲を見渡す。
その途端、不愉快そうなオンナの人の顔が目に入り、
わたしはその香りの主を探すのをあきらめ、何気なく吊り広告に目をやった。
そこには、旅行、ファッション、グルメ、たくさんの情報が溢れている。
……あ、このサングラス、珪くんに似合うかな?
こんなところ珪くんと一緒に行ったら、珪くんはなんて言ってくれるかな?
わたし、珪くんに教えたいこと、見せたいもの、たくさんありすぎるの、かな?
珪くんと、一緒のモノ、見て、一緒のモノ、感じて、一緒の時間を過ごしたい。
なんでも……、全てのものは珪くんが基準になっているから。
そんなわたしに奈津実ちゃんはからかい気味に、
「そーーーんなに周りが見えてないと、危ないゾ!」
「……え? ……危ないって……?」
「重たい、ってこと。一途すぎると、フラれるぞー」
って、言うんだけど。
そうなのかな? ……重たいのかな? ……フラれるの、かな?
わたしは小さく頭を振って、どんどん暗くなっていく思考回路を止める。
少しでも、珪くんの、喜ぶ表情(かお)が見たい。
少しでも、珪くんが、笑ってくれたら……って。
わたしの言葉や、仕草は、全て珪くんのためだけのものだから。
……わたしの全ては、珪くんを喜ばせるためだけにあるから。
ようやく電車のドアが開いて、わたしは人込みに押し出されるようにして改札に向かった。
*...*...*
その日の夜。わたしは朝なにげなく考えたことがずっと心に残り、どんよりとした気分でいた。
……あまりに愛が大きすぎると、失うことを思ってしまう自分がもどかしい。
今だけを見て生きていければいいのに、って、自分でも良くわかってる。
「……珪くん、……会いたい、よ……」
今日何度となく口にした言葉。
今日は1日中仕事だって聞いてた。……まだ撮影は続いているかもしれない。
……それともようやく終わって家に着いたころ、かな?
大学も始まったばかりで、その上、仕事も急に忙しくなって。
きっと疲れてるよね……?
わたしはバフっとベットに倒れ、携帯をもてあそびながら溜息をつく。
……電話、したい、けど……。こんな自分も見せたくない。
「……栞……?」
「……え……、珪、くん!?」
わたしは周りを見渡す。……ここはわたしの部屋で、当然わたししかいなくて……。
……でも、こんなにもはっきり聞こえる。
「どこ!? 珪くん」
「……栞」
わたしが窓を開け放つと、そこには細長い影が手を振っていた。
「……珪、くんっ……!」
わたしはピンクのパーカーを羽織ると、あわてて階段を駆け下りる。
……うう、会えるとわかってたら、パジャマなんて着てないのに。
髪の毛だってきちんとしておくのに!
「珪くん! ……どうして、ここに!? ……っ」
あわてて階段を降りたせいで、なかなか息が続かない。
そんなわたしを見て、珪くんは小さく笑う。
「どうしてだろう……?」
「……ん。どうして……?」
「……今日、たくさんおまえに呼ばれたような、気がした」
「……そ、そう……?」
「……泣いてるような気も、した」
「…………」
「やっぱり、か?」
うつむいているわたしの頭を、まるで迷子になった子猫を慈しむように撫ぜる。
……あ、この香り……。
香りに誘われるように、ほっと安心する自分がいる。
「……ん。えへへ、……もう今は大丈夫、だから」
「ウソつけ」
言下に返される返事。
わたしは悔しくなって、つい言い返す。
「……も、もう! ……どうしてそんなこと言うかな!?」
「……俺、おまえに関しても超能力あるから」
言葉に詰まっているわたしを軽く引っ張って抱き寄せ、珪くんは呟く。
「大丈夫、だ……」
「……こんなに珪くんのことが好きでも?」
「知ってる」
「……ずっとそばにいたい、って思っても!?」
「わかってる」
「……どうして……?」
わかるの……? 視線を合わせながら尋ねる。
「……俺も、一緒……。だから」
強張ってた心が、すっと溶けていくのがわかる。
「珪くん……」
「……ほら、早く家、入れ。……風邪引くぞ」
珪くんはもう一度わたしを強く抱きしめると、少し身体を離して突然わたしの鼻をつまむ。
「……な、な、何するのーー?」
「鼻、赤い……。おまえ、寒いんだろ?」
笑いを含んだ声が聞こえる。
悔しくなって、わたしも同じコトを珪くんにしようとしたけど、それはあっさりとかわされて。
「じゃ……な。おやすみ」
わたしの、大好きな香りと、温もりと、言葉を残して、珪くんは帰っていった。
珪くんに抱きしめられると、わたしの中から珪くんに会えて良かった、って声が聞こえる。
誕生日、や、クリスマス、なんて特別な日なんていらない。
わたしにとっては毎日が特別な日、だから。
卒業してから日々変わっていく、あなたの姿。その横に寄り添っていられるわたし。
これからの季節を一緒に通り過ぎて、もっと素敵な二人になろうね。
わたしはウソのように軽くなった心の変化に戸惑いながら、階段を上がっていった。