*...*...* with me、without you *...*...*
 大学卒業を間近に迎えたある日。


 俺はマネージャーに呼び出され、モデルの契約終了の手続きに出かけた。

 我ながら好きでもない仕事を、よくこんなに長いこと続けた、と思う。

 俺の夢、宝飾デザイナーになるための審美眼を磨くためというのが、 一番の理由だったが、がずっと応援してくれたことも大きな励みになった。
 この仕事のツテで、デザイナーとしての就職も決まった。

 今までほとんど親とは接点のない生活だったけど、 大学を卒業して経済的にも自立できるというのは、俺にとっては大きな喜びだった。

 これでと一緒に堂々と暮らせる。

 今まで憧れていてずっと手に入らなかった生活。
 父がいて、母がいて。
 家族全員が一緒に暮らせる。

 そんなありきたりな日常を、と過ごしていけるわけだから。


 ……もちろんその前に、しなければならないことをクリアして、の、話だが。
*...*...*
 コトッ……。



 ペンを置く音がやけに大きく聞こえる。


「葉月……。本当に辞めるのね?」
「はい。お世話になりました」


 腕組みをしながら、せわしなげに行ったり来たりを繰り返しているマネージャー。


 幾度となく持たれた話し合いの場。……でも今日で全てが終わる。
 マネージャーはおおげさに溜息をつくと、俺の近くの椅子に腰を降ろした。


「あの子のために辞めるの?」
「……いや、あいつと俺のため」



「……まあ、いろいろあったけど……。
 あの子のおかげであなたもモデルとしての幅が広かったと思う。
 ……あなたを通して知り合ったのでなければ、わたし、あんな子と友達になりたかったわ」
「あいつと?」


 突然な話の流れに驚きながらも相槌を打つと、
 マネージャーは、意外だった? と口元だけで笑って話を続けた。


「最初はただ可愛いだけのおとなしい子だと思ってたのよ。彼女のこと。
 でも、……大学に入ってから彼女はどんどん変わったわ。
 ただ可愛いだけではなくて、そこに愛する強さとたくましさを備えていったわ。
 ね……、葉月、知ってる?」
「…………」
「この世には、自ら光り輝ける人間と、他人を光り輝かせてくれる人間、
 その2種類しかいないってこと。
 彼女といると誰もが輝けるの。そばにいたいって思うのよ。
 そういう能力を持った子なの。
 ああいう子……。人間としてなかなか得がたいタイプよ。
 大切にしてあげなさい。
 ……はい。コレ」
「なんだ?」
「今までのお詫びと餞(はなむけ)を兼ねて。
 はばたきタワーホテルのスイートよ。
 ディナーもついてるから、彼女、連れて行ってあげなさいな」


 こいつも仕事とはいえ、わがままな俺に付き合ってずいぶんツラい思いもしてきたんだろうな。
 でも、そんな思いからももう解放してやれる。


「……サンキュ」


 俺が心から礼を言うと、マネージャーは眩しそうに俺を見て、


「やっぱり、辞めるの惜しいわね」


 冗談ぽく言った。
*...*...*




 そして俺はホテルのロビーにいる。


 待ち合わせまで、後20分。……少し早く来すぎた、か。

 ……自宅を出る前、俺はリングの入った小箱をそっと開けた。


 ルース(裸石)から選んで。

 これは特別な日につける、という類(たぐい)のものではなくて、 普通の日にもずっとつけていて欲しいと思ったから。
 よくある婚約指輪のような立て爪ではなく埋め込みのタイプを選んで。
 最高のカッティングのダイヤの左右にはピンクダイヤを埋め込んだ。


 ダイヤモンド……。おまえの誕生石。
 おまえの指は6号と細いから、こうして正面から見ると、石ばかりのリングに見える。


   おまえ……泣くかな?

 いつもはおまえが泣くと途方にくれてしまうけど。
 今日だけはおまえの泣くところが見たい。そんな勝手なことを思う自分がいる。



 スッとポケットの上をさすってリングの存在を確かめる。

 今までたくさんの宝飾品でおまえを飾り立ててきたけど。
 このリングは一生身につけるものだから、と、片手の指の数では足りないくらい、何度も作り直した。


 白くてすんなりしたあいつの細い指にはどんな形のリングでもしっくり馴染む。

 けれど、俺しか知らない、爪の色、形、小さなくぼみができる節まで。
 あいつの指を思い出しながら、ようやくできたのがこれだった。



 ……ん?

 キィ、と回転扉が開いて、上気した頬のが飛び込んできた。


 薄いベージュのツーピース。上品な形の栗色のハイヒール。手にはピンクのストール。

 ホテルで食事、ということで、フォーマルな格好をしてきたんだろうけど、 それがまた良く似合って。


 雰囲気は慎ましやかなのに、なぜか周囲の視線を集めている。



 俺の姿を認めると花が開くように笑って小走りに近づいてきた。





 俺が安心できる笑顔、がここにある。
 ……やっぱり、おまえじゃなきゃ、ダメなんだな、俺。





 あれ? 顔赤いよ? このロビー少し暑いかな? そう言うに俺は別に、と答えながら、 肩を抱いてエレベーターへと向かった。


「わわ、珪くん……、スーツだ〜」
「……キツい」


 ネクタイとワイシャツが首を締め付けてくるから、本当はあまり好きじゃないんだ。


「ふふ、珪くんらしい。……でも格好いいよ?」



 は少し歪んでいたネクタイの結び目をそっと直して微笑む。

 俺の顔の下あたりで揺れる髪の毛。
 そのたびに起こる花の香り。
 修学旅行で初めて感じた香りとは違うけど、今の俺にはしっくりくる。





 ……再会して、7年。


 決して短くはない月日が、俺とおまえの中で流れたんだな。




 スカイラウンジでは、静かな空間にクラッシックが小さく流れていた。
 次々と運ばれてくる料理を前に、は改まってお礼を言う。



「こんな素敵なところ……。ありがとう。珪くん」


 俺も笑顔を返す。


「餞(はなむけ)だって……。あいつから」
「え……? あいつ?」
「この前、ちゃんと仕事辞めてきたんだ」
「…………」



「あいつ……。おまえのこと、ちゃんと分かってた。
 ……おまえのこと、嫌いじゃなかった」



 はそっとナイフとフォークをテーブルの脇に置き、窓の外に視線を投げた。
 そこには夜の海が広がっていて、時折、遊覧船が思い出したように汽笛を鳴らしている。

 そうして再び俺の方に視線を向けると、ほっとした笑顔を見せる。



「……そう言ってもらえて嬉しい……。肩の荷がおりたような気がする」
「ああ」
「それに……ね?」
「ん?」
「……ようやく、わたしだけの珪くんになってくれたような……気もする」



 俺が言って欲しい言葉、はいつも恥ずかしがって小声で言うおまえ。


 でも今日は。
 どうしても伝えたいから。伝えて欲しいから。



「……聞こえない」
「……あは、内緒」


……言えないなら、俺が。

 俺は、に気づかれないように深呼吸をして言葉を紡ぐ。




「……俺だけのになってほしい」
「……? ……もうなってるじゃない」
「これまでは、な」
「?」


「これからも、ずっと」


 (この世で唯一、自分の意志で家族にできる存在。……それは妻になる、おまえだけ)



「一生守っていくから」




 そう言いながら、俺はポケットからリングの小箱を取り出して開いて見せた。



「珪くん、これ……!!」


「卒業祝い、じゃない」

 ふとの視線が揺れた。

「誕生祝い、でもない」

 (もっと優しい言葉をかけてあげられたらいいのにな)

「つけてやるから」


 ……手出せよ、そう言って、
 俺はの左手を取り上げると薬指にそれをはめた。


 そのとたん、の目から石と同じ輝きを持った涙が零れた。




「……やっぱり泣いた」
「あはは……。予定通り?」
「そう」


 涙が少し収まるのを待ってからちゃかすと、
 なんだか悔しいけど、……嬉しいからいいや、と、 俺の手を労わるように手に取り、極上の笑顔で紡いだ言葉。




「……目いっぱい、幸せになろうね? ……もう、これでもかって言うくらい!!」



 ……これは予定外。





 『守っていく』なんてエラそうなこと言ったけど。

 本当は何倍もの力で『守られてる』んだな。おまえのこの笑顔に。


 『幸せにしてね』ではなく『幸せになろうね』と言うところが、 いかにもらしくて。

 そんなおまえが愛しくて。


 俺は、ああ、と返事を返すのがやっとだった。



 食事が済んだ後、泣いたり笑ったり忙しいおまえを部屋に連れて帰って。


「7年……か」
「ん、そう……」
「いろいろあったな」



 たくさんの感情が俺を支配する。


 ……今でも悔やまれるのは、言葉が足りなくておまえを傷つけたこと。
 おまえを一瞬でも不安な思いにさせたこと。


「ね……珪くん?」


 眉をひそめた俺を気遣うような明るい声では言った。


「……わたし、生まれ変わっても、またわたしに生まれたいよ。
 ……生まれて、珪くんと出会って……。
 愛して、愛されて。
 
 珪くんが見てる景色と同じ景色を、一緒に見たいよ」


「……つらくても?」
「ん。……珪くん、……わたし、珪くんだから、泣けるの。
 わたしが、こんなに感情を揺さぶられるのは、珪くんだけ、だから」
……」



 抱きしめたい。
 これほどまでに、愛しい存在。
 未来永劫。


 生まれ変わっても、また、おまえと。
*...*...*
 わたしの横で穏やかな寝息を立てている珪くん。


 わたしは薬指のリングをそっと撫ぜる。……そのひんやりした感触を確かめながら。

 ……ふふ、こうして見ると、今まで一度も傷付いたことのない、
 小さな子供のような表情(かお)して眠ってる。



 ……ね、わたし、おかしいかな?
 
 身体の大きさも、力も。
 男の珪くんには何もかもかなわないのに。

 珪くんを『守ってあげたい』って思ってるの。




 ディナーの最中にね、珪くんが『一生守っていくから』って言ってくれたこと。
 ……上手く息がつけないほど、嬉しかった。





 わたしも同じ気持ちだったから。





 守りたいの。

 珪くんの金色に輝く髪の先から、力強く抱きしめてくれる腕、しなやかな脚、
 ……珪くんを形作るすべて。
 珪くんの存在自体を。


 ……そして心も。

 困ったことがあったとき。
 真っ先に話して?
 そこで立ち止まって、一緒にいっぱい、考えよう? 話し合おう?

 嬉しいことがあったとき。
 それもやっぱり、真っ先に話して?
 そこで振り返って、一緒にいっぱい、笑おう? 感謝しよう?




 神様なんて信じてなかったけど、
 もし、この祈りを聞き届けてくれるなら。



 珪くんを、守れるだけの力を。
 誇れるだけの勇気を。





 ……わたしに下さい。



 珪くん。……愛してる。


 過去も未来も、ずっとずっと。
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