*...*...* 願い 〜 After 〜 *...*...*
「な、……もう、5回目か? こうしておまえに祝ってもらうの」
「ん、そうだよ〜」

 テーブル越しにじっとわたしの顔を眺めながら、珪くんは嬉しそうに言った。
 この穏やかな声の調子と、わたしを包む柔らかな視線に、いつもわたしは癒されてる気がする。


 先月までの暑さがウソのように遠のいた10月。
 わたしはこうして珪くんの家で20歳の誕生日のお祝いをしていたりする。



「高1のはじめの頃は、ツレなかったよね〜?」
「…………」

 ちょっと意地悪く珪くんの顔をニラむと。
 珪くんはちらりとわたしを見て、バツが悪そうに視線をそらした。


 そうなんだよね。
 わたしが珪くんと……少し、近づけたかな、と思うようになったのは高1の2学期くらいからだもん。

 ……それまでは、嫌われてるとばかり思ってた。
 表情も、今よりずっと乏(とぼ)しくて。
 ボソボソ話す声も、まるでわたしを拒絶しているように思えて。

「ね。そうだったよね?」

 食べ終わったお皿を片付けながら、なおも言い募ると、珪くんは視線をそらして、

「ほら、モモ、……こっち来いよ」

 と、今やすっかりこの家の主になったような顔で立ち振る舞う、猫のモモを抱きかかえてリビングに行ってしまった。


 ……あ。また、逃げた。
 そんな珪くんにわたしは笑い声を返す。



 こんなとこ。
 何年経ってもちっとも変わってない。
 照れ屋で、口下手で。



 ──でもここっていうときは、誰よりもわたしを喜ばすとこ。泣かすとこ。


 一見、ムッとしているように見える珪くんでも、実際は全然怒ってないのが伝わってくるから、わたしは安心しきって声をかける。


「待っててね。急いで片付けて、モカ入れるから」



 返事はない。
 ないけど、それは了解のサイン。


 わたしは珪くんのお皿の中の料理がきちんと綺麗に食べられてるのを見て、笑った。



『来年も、その次も、ずっとずっとお祝い、しようね?』



 高1のときにわたしが漏らした、幼い、約束。
 それをこうして2人で繋ぎ合わせていけること。
 お互いがお互いの唯一の人で在り続けること。




 ……嬉しいよ? やっぱり。



 なにも言わなくても、キッチンから見える珪くんの背中がいつもより心持ち柔らかそうな気がして、わたしはまた、幸せな気分になった。
*...*...*
「はい、どうぞ」
「ああ」


 なんだか難しそうな洋書を読んでいる珪くんの横にトンっと座って、わたしも一緒のモノを飲む。
 はじめはモカって苦いばかりであんまり好きじゃなかったけど。
 好きな人の好きなモノ、は、特別で。
 わたしは珪くんと一緒にいるときに感じた味覚とともに、ほっとした雰囲気も思い出すようになって、いつしか、一人の時でもモカを入れるようになっていた。


「そうだ! 珪くん、誕生日プレゼント、プレゼント、なの!!」



 そうだよ。ここからが始まりなんだから。

 毎年、いつも2人の間で繰り返されるイベントであっても。
 わたしは珪くんを、いつもいつもビックリさせたい(あ、もちろんイイ意味で、だよ?)って、そう思ってるから。

 わたしは、うんしょ、っと部屋の端に置いてあったバスケットボールが入りそうなくらい大きな紙袋をガサガサと手繰り寄せて。そこからラッピングされているものを取り出す。



 ちらっと珪くんの様子を見ると。
 ……っと、……なんだか唖然としてるみたい。

(これじゃ、喜んでくれてるのか、呆れてるのかわからないよう……!)

「あのね。いっぱい、あるの。
 これ珪くんにどうかな、いいかな、って思うと、なんだかつい買っちゃって……」



(イツモ ケイクン ノ コト カンガエテル カラ)


 なんてことは口には出せずに、わたしは、まるで無言の珪くんの目の前に、次々と箱を並べる。


 真っ白な仕立ての良いシャツ、に、ランバンのグレーのサングラス。
 これはね、写真集なの。世界の動物、なんて、お子様向けのタイトルが付いてるけど。
 まっピンクなフラミンゴたちが朝焼けに向かっていっせいに飛び立つところなんて、泣けてくるほど、素敵なんだから。
 それとこれは……なんだっけ。
 そうそう、この前奈津実ちゃんと旅行に行ってきた時に買ったんだ。
 珪くんのお部屋の、あの窓際にぴったりかな、って。


 ……とめどなく話し続けるわたし。


 珪くんは、というと。
 口に手を当てたまま、いまだに唖然とした表情(かお)してる。

 珪くん、な、なにか言って欲しいんだけどっ!!


「あ、あの、ごごごめん! 気に入らなかったら、わたし、お持ち帰りするからっ!」


 焦ってあれこれ話してるわたしの口を珪くんはそっと指で遮って。


「気に入らない、なんて言ってないだろ?
 ……おまえが選んでくれたのだったら、どんなものでも嬉しいから、俺」



 これ、だもの。

 あまりに沈黙が長くて、もう、お持ち帰り〜、なんて、自己完結してるわたしに、珪くんは優しい言葉をかけてくれる。
 それが、いつも、わたしの心の準備が全く整ってないときに。
 さりげなく、だから。

 ……その、優しさが、好き。

 絡まりあってた視線をほどくように、わたしは視線を珪くんから再び紙袋に向けた。


 あああ、もう!
 この赤くなる頬、いつまで経っても直らないなあ。
 大人になれば直るとばっかり思ってたけど。
 珪くんに見られるのが恥ずかしくて、わたしは耳にかけていた髪の毛をさらりと落とす。


 そして、やや改まって、一番メインのプレゼントを取り出した。



「あと……コレ。珪くん……ハタチ、だから」



 コトリ、とテーブルが軋む。
 これだけは奮発したんだ。珪くんのバースイヤービンテージ。
 自分と同じ年だけ重ねたワイン、ってどんな味がするのかな、って。
 なんでもドイツでは16歳からビールはOKということで、珪くんはアルコールは経験済み、なわけだけど、
 日本ではアルコールって20歳から許される特別なものって感じがするし……。



「マール・ド・ブルゴーニュDRC……、か」


 珪くんはワインのレーベルをさらりと読む。
 これって、英語でもないし、ドイツ語でもないんだけど!


「わ、珪くん、知ってるの?」
「少し、な。……おまえも飲むか?」


 わ、わたしはまだ……。
 ふるふると首を振ったにも関らず、ま、保護者がいるからいいだろ、と言って珪くんは、細長いフォルムのワイングラスを持って来た。



「保護者?」
「……俺が、おまえの。……ハタチになったしな」


 確かに、いまだにわたし、ナリも態度も子供っぽくて。
 大人っぽい珪くんと一緒にいると、そ、そうかもしれないけど。
 しゅん、と落ち込んだわたしの頭をぽんぽんとあやすように撫ぜて、珪くんは微笑んだ。

 ゲンキンな、わたし。
 そんな珪くんの仕草に、わたしはとたんに元気になって、目の前に注がれたワインを見つめる。


 トクトクとグラスに注がれる音とともに、琥珀色の液体がなめらかにグラスの縁を伝って、それは思ってた以上に甘い香りを漂わせた。

「うん! 飲みやすい〜」

 コクリとのどを通り過ぎたソレは、お店の人が薦めてくれたように、初めて飲むわたしでも馴染みやすくて。


 20年。
 わたしたちに出逢うまで、待っててくれたんだなあ、なんて思ったり。

 珪くんの生まれた年に生まれたもの。
 珪くんに関っているもの。

 全て、なんでも、愛しい気がするんだ。


 珪くんは物慣れた様子でワインを一口飲んで、目を細めた。


「いいな。こういうの」
「うん。美味しいね。これ」

「いや。……おまえとこうして2人で過ごせるってことが」



 大学に入って。
 やっぱり学科も違うこともあって、わたしたちは高校の時ほどは、一緒にいられる時間が少なくなってきていた。
 でも、2人になれる時間、っていうのを珪くんは一生懸命に作ってくれる。
 そしてその時間をとても大事にしてくれてることを、逢うたびに強く感じていたから。


 わたしは、ワイングラスの脚をきゅっと握りしめながら、今日、一番伝えたかったことを口に乗せた。


「あのね。珪くん……。わたし、やっと、決めたの」
「なにを?」
「……カギ、をね……。もらう勇気が持てたの」


 もう、1年以上前から、告げられていたこと。



『一緒に暮らそう』



 ちょっと前まではね。
 まわりのことが気になってた。
 同棲してるって言われるのが、なんだかとても非難されてるように感じてた。

 でもね、今は、もう、いい。


「桃香……」
「珪くんと、一緒に、いたいの。
 仮に、一緒に暮らすことで、……その、あの……。
 珪くんが、わたしに飽きちゃうってことがあっても。
 それでもいいの。
 わたしが一緒にいたいから」



 飽きるほど。
 ずっと、そばに、いたいよ。

 これが、今日最後のプレゼント。





 これからのわたし、を、プレゼントするよ。







 ねえ、珪くん?
 どうして、わたし、わからなかったんだろうね?
 ──こんな簡単なこと。






 一緒、に、いたい。

 朝起きたときの『おはよう』とか。
 夜帰ってきてからのとりとめのない話、とか。
 ひとつのものを2人で分けて食べること、とか。

 そんな日常の些細な積み重ねを、珪くんとしていきたい。



 早い、とか、若い、とか。
 そんな大人の非難より。
 わたしは珪くんと一緒にいることを選びたい。


 ……そう、思ったから。





 珪くんの肩にコテンと頭を預けると。

「よく、決心したな」

 わたしの髪の毛をつつーーっと指で巻いたりほどいたりしながら、珪くんは言った。


「……ん。
 珪くんに一緒に暮らす家族がいれば、こんな風には思わなかったかもね?」
「そうなのか?」
「……そう。やっぱり1人で暮らすのは寂しいよ?
 1日誰とも話さない日があるなんて……。
 だからわたしが珪くんの家族になってあげる!」



 すると珪くんは、カチリ、とワイングラスをテーブルの隅に置いて、まじまじとわたしの顔をのぞき込んだ。




「? な、なあに?」
「……ちょっとクヤしいな、桃香に先越されて」
「? 先越されて、って、なにが?」


 珪くんはわたしが両手で持っていたワイングラスをそっと取り上げてテーブルの上に置くと。
 髪の毛をいじっていた手に力を込めて、わたしを胸の中に抱きこんだ。


「そのうちわかる」
「?」
「俺もそのうち……。同じこと言うから」
「……? そ、そう、なんだ……」
「それに」
「?」


「俺がおまえに飽きるなんてこと、ないから」




 首筋に触れる吐息と、滑べり落ちる指先がこれからのことを予感させて。
 その焦(じ)れるような指使いに、わたしは思わず声を上げた。

 そんなわたしを見て、珪くんはクスリと笑う。




「どうしてなんだろうな? 身体はこんなに敏感なのに……」
「え?…………っ」


 返事をする前に返されるキスで、あっけなく唇はふさがれてしまう。


 でも、ダメなんだから。




 珪くんの、特別な日。
 わたしの、特別な日。



「ダ、ダメっ!」
「なにがダメなんだ?」




 必死で胸を押しのけるわたしに、やや興がそがれたような表情(かお)をして珪くんは唇を離した。




「あのね、これだけは言わせてね?」



 珪くんの髪の毛をそっと後ろに流して。
 むきだしになった形の良い耳に唇を寄せる。







 ――心の中で、喜び、が、鳴る。







 珪くん。
 ハッピー・ハッピー・バースディ!

 これからも、ずっとずっと仲良くしようね?
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