*...*...* My Happiness *...*...*
 その日。

 俺はワケもなく、ソワソワしていた。
 ……ワケもなく、というのもヘンかもしれない。



 本当は、どうしてなのか自分が一番よく分かっていたから。




 深雪へのプレゼントも買った。
 家を出るために、着替えもした。


 あとは、そのプレゼントと、家のカギと、ケータイを持って。
 玄関のドアを開ければいいんだ。

 プレゼントは、もう手元に。
 着替えも、朝起きてすぐ済ませた。


 ……なのに、もう時計はくるりと半回転をして、午後4時の角度を示していて。
 俺は、テーブルの端をコンと指で弾くと、その上にそっと置いてあったプレゼントを手に取った。



 これ以上遅くなっても、な。

「……行く、か」


 履き慣れたスニーカーに足をすべり込ませて、
 俺は、西日に赤く照らされている玄関の扉を背中に押しやった。




 深雪の家は、俺の家から歩いて約15分。

 俺は、やや早めに足どりを進めると、この頃、急に高くなった空を見上げながら、ため息をついた。



 俺と同じ月に生まれた彼女。
 俺の中で、その存在がどんどん大きくなる彼女。


 目には入るもの、耳に届くもの、全てを、彼女へと関連づけてしまう俺。



 俺の中にこんなに入り込んできた他人も、彼女が初めて、なら。
 こんな感情に戸惑う俺、も初めて、で。


 俺は深雪の家の途中にある公園に目をやると、足元でかさりと音を立てた落ち葉を見つめた。



 この季節はキライだ。
 この季節に続く、寒い冬も。
 ……いや、キライだった、と言った方が正しいかな。



 去年から。

 深雪と再会してからのこの季節は。


『珪くん。寒いね〜〜!』


 とじゃれるように俺のそばにすりよって来る、深雪のぬくもりを感じるようになってからは。
 むしろ春や夏より、深雪との距離が近くなったような気がして、
 だんだんこの季節を心待ちにしている俺がいるようになった。


 去年も着ていたこのセーターも、左袖の部分が、深雪の手で引っ張られて伸びている。


『ちょっとだけ、貸してね?』


 と、袖の部分をつまみながら、恥ずかしそうに見上げる深雪の顔も、
 もう去年のことなのにハッキリと思い出せて。



 そんなささやかなことさえも、嬉しくて。



 深雪、がいるから。
 深雪が、俺のそばで微笑んでくれるから。


 深雪が笑うと。

 秋が来れば、冬を。
 冬が来れば、またその次の春を、と。

 そのちょっと先を信じることが出来るような気がして。


 ―― 俺はきっと、この季節が好きになったんだろう。
*...*...*
 ゆっくり歩いたつもりだったけど、気がつけば、もう深雪の自宅に辿り着いていた。

 俺は俺らしくもなくやや緊張しながら、ドアのベルを押す。
 すると間髪入れず、玄関ポーチの灯りが乳白色の穏やかな光を広げた。


 ……ここは。
 住んでる人だけじゃなくて。
 灯り一つでさえも、深雪のような嬉しそうな温かそうな表情をしているんだな。

 そう思うと、俺は自分でもそうとは気付かず、微笑んでいた。
 ドアの内側では影が大きく小さくクロスして、パタパタと人の気配がする。



「あ〜〜っと〜〜。はいはい〜〜。ねーちゃん、待ち人来たる、ってところか〜〜?」
「ちょっと、尽、なに言ってるの? 全然違う人かもしれないじゃない」
「いやあー。俺のカンは当るんだよっ。絶対、そうだぜ〜」
「わ、待って、尽、待って!! わたしが玄関開けるのっ。……った!」
「おい、ねーちゃん、なに玄関でつまづいてるんだよっ。ったく」



 ……にぎやかだな。
 俺の、閑散とした家、とは、大違いだ。


 やがてカチリとドアが開いて。
 そこには、パーカーを手にした尽と恥ずかしそうにしている深雪、2人の姿があった。



「……こんちは」
「よぉ、葉月〜。待ってたぜ〜。こーんなねーちゃんだけどなっ。仲良くしてやってくれよ」

 尽はそう言うと、パーカーを羽織って俺と行き違いに外に出ようとする。

「おまえ、どこ行くんだ?」
「どこ、って、この心遣いの細やかなオトートに感謝して欲しいね〜。
 ちなみに母さんは買い物! しばらく帰って来ないから。お茶でも飲んでいけよ? じゃあな」



 と、俺を家の中に押しやると、駈け出すような勢いでバタンと玄関の扉を閉めた。


「なんだ? あいつ」



 笑いをこらえながら、家の中を振り返ると。
 深雪は耳まで赤くして玄関に突っ立っている。


「深雪……?」
「も、もう、ごめんね。珪くん。尽がうるさくて……」
「……別に」
「…………」
「…………」



 さっきの尽の投げかけた言葉を反芻しているのか、
 深雪はいつもの深雪らしくなく、言葉少なに俺の顔を見つめている。


 俺は深雪の視線に頬が熱くなるのを感じながら、
 ぶっきらぼうに、背中に持っていたプレゼントを深雪の前につき出した。



「?」
「……おまえが生まれた、特別な日、だろ?」



 だから、おまえに。





 おめでとう。
 おまえがいてくれて、良かった。


 心の中で、言えない言葉を繰り返す。



 俺、おまえのこと……。
 ―― 愛してる……。



 自然にさらりと心に浮かんだ言葉に、ますます頬が熱くなる。



 これが、愛、なのか?
 こんなに、熱くて。
 こんなに、説明のつかないものが。


 言いたい、けど、言えなくて。



 こんな簡単な5文字が、掠れた喉にひっかかってる。




「わあ、珪くん。ありがとう!! 嬉しい」



 俺が自分の感情の整理に手間取っていると、
 深雪はさっきの尽の言葉が少し記憶の後ろにいったのか、いつもの様子でニコニコと微笑んでいた。


「ねえ、開けてもいいかな?」
「……ああ」
「わあ、良く眠れそう〜!! あったかくて、ふわふわしてて」
「気に入ったか?」
「うんうん。とても〜!! 珪くん、すっごくすっごくすっごく嬉しいよ」


 深雪は赤い頬のままそう言うと、きゅっとその包みを抱きかかえて頬擦りしてる。


 喜んでくれるとは思ったんだ。
 たとえ、どんなモノを贈ったとしても。
 けど……。
 この反応は想像以上、だな……。



 深雪の笑顔が俺に映ると、俺の顔も。
 まるで熱が、伝わるかのように。


 ―― いつも、自然にほころぶんだ。



 ……でも、出てくる言葉は、いつものとおり、そっけないもので。
 


「そんなに嬉しいか?」



 と言いながらも、微笑んでいる深雪を見て、目が細くなる。
 良かった。
 普通の顔の深雪もかわいいけど、やっぱり、笑ってる深雪が一番だから。



 すると深雪はやや改まって。



「うん。……あのね。
 わたしね。
 プレゼントももちろん嬉しいんだけど、
 珪くんが、ね。
 このプレゼントを選ぶとき、わたしのこと考えててくれたのかな、とか。
 こうして、家に来てくれる間も、わたしのこと、思っててくれてたのかな、とか、ね。
 ……一緒にいないときにね。
 わたしのこと、思い出してくれる、ってことが嬉しいんだよ」
「深雪……」



 思い出す、か……。
 そう考えて俺は苦笑した。



 俺は、深雪を思い出すってことは、ないんだぞ。
 ……いつも深雪のことを、思ってて。考えてるから。
 だから。



『思い出す』



 って作業は、必要ないんだ。




 自分でそう言い訳している間に、また頬に熱が溜まる。

 深雪は、大事そうにプレゼントを靴箱の上に置くと、ふと俺の顔を見て。


「わ、珪くん、ほっぺた、真っ赤だよ。
 この部屋、暑いかな? それとも外が寒かったかな!?」


 そう言って、……そう。
 なにげなく俺の頬に手を伸ばした。



 その、手を。



 俺は、深雪の、その、白い手を、握りしめる。



「わっ。あの、……珪くん?」
「…………」
「あの、離して……って、ダメ?」
「ダメ」




 ふっくらとした小さな手は、俺が握っている間にじんわりと温もりを増して。



 深雪の存在は。
 確かにここにある、と。



 その温度が、俺に知らしめてくれた。




 俺が欲しかったもの。


 それは。


 おまえの笑顔と、この声、言葉。
 おまえの存在、全てなんだな。




「珪くん? 珪くーん!」
「……ああ、悪い」



 深雪の必死に抵抗する様子に俺はようやく手を離すと。
 深雪はそれを、恥ずかしそうにもう一方の手で撫ぜながら、



「あ、珪くん、一緒にお茶しよう?
 この前ね、マスターから美味しい豆をもらったんだよ〜」




 そう言って、小首をかしげた。



「……おまえ、家に1人、なんだよな?」
「うん。そうだよ? それがどうかした?」



 深雪は2、3歩、室内に足を踏み入れると、不思議そうに振り返った。



 こいつ。
 可愛くて、明るくて、優しくて、お人よしで。
 その反面、残酷なくらいニブいところがあるんだよな。



 俺がどんな気持ちでいるか。
 おまえへの、想いが溢れて。
 このまま2人でいたら、手をつなぐ以上のことがしたくなる、って。



 ……きっと、全然、わかってないんだろうな……。



「えっと。ごめんね。珪くん、もしかしてこれから用事があった?」


 俺の沈黙を悪く受け取った深雪は、慌ててフォローしてくる。



「いや……。そうじゃない」
「? じゃ、どうぞ、上がって?」
「いや……」




 押し問答をしている、ちょうどその時。



「ただいま〜。深雪。バーゲンやっててね、つい、いっぱい買いすぎちゃったの。ちょっと持って?」



 深雪の声を一回りゆったりさせたような声が、ドアの向こうから聞こえてきた。


「わっ。お母さん。お帰り。早かったね〜」


 深雪はそう言うと、細く開いたドアに手をやって、荷物を持つのを手伝っている。


「深雪の誕生日だからね〜。あれもこれもって手を出しちゃって。
 あ、あら、葉月くん、いらっしゃい。来てくれてたの?」


 深雪の顔のパーツをぱらりと広げたような穏やかな顔が俺を見上げた。



「うん。素敵なプレゼントももらったんだよ〜」
「まあ、良かったわね。どうもありがとうね。葉月くん。
 あ、そうだ……。葉月くん、良かったら、今日ここでお夕食取っていきなさいな、ね?」
「いえ、俺は……」
「わ、それ、いい考え〜。プレゼントのお礼に、食べていってくれたら嬉しいな〜、なんて」



 せっかくの特別な日。
 家族水入らずで過ごしたいんじゃないか……、なんていう俺の意見は、
 あっさり2人のにぎやかな声と笑顔に消された。



「はい……。じゃあ、お願いします」


 と俺がぼそりと言うと、さらに2人の顔はほころんで。



「じゃ、深雪、お夕食の準備手伝って、って言いたいところだけど、
 今日は誕生日だしね。尽が帰ってきたらやらせるわ。
 深雪は葉月くんのお相手をしてなさいな」
「うん。ありがとう。じゃ、そうするね?」
「尽はまだ帰ってこないの?」
「うん……。行き先言わずに出てっちゃったんだ。どこ行ったんだろうね?」
「あのコったら……」
「ねぇ……」



 発すれば、必ず返って来る、声。

 水を流す音。
 それに続く、調理の音。湯気。



 ―― 暖かい、空気。



 今更、望んでも得られないものばかりだけど……。



 ……深雪はいつも、家族がいる穏やかな家で暮らしてるんだ、と思うと。



 嬉しい。


 深雪につきまとう、俺の大好きなこの雰囲気が、
 この家、で作り出されてるんだ、と思うと。


 こんなにも嬉しい。



「ごめんね〜。うちって騒々しいでしょ〜?」


 珪くん、きっと静かなのが好きだよね? とすまなそうにしている深雪。



 俺は曖昧に笑って、淹れ立てのコーヒーを口に含んだ。






 深雪。
 17歳の誕生日、おめでとう。





 ―― 世界で一番の幸せが、おまえに降り注ぎますように。
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