*...*...* Snow White *...*...*
 もうすぐ、か?

 俺は小さくため息をつくと、わけもなくネクタイの結び目に手をやった。



 手芸部の発表が1年生から順に終って。

 やはりそのレベルが素人の俺から見ても、格段に上がっていることが、
 1年生の発表と2年生のそれから見ても明らかで。



 次は3年生の発表だ、ということ。
 発表内容がウェディングドレスであること。
 それらがみんなに知れ渡っているからか、
 そのためか、講堂の熱気も急に高まっているようだった。



 あいつ。



 もう今頃は、着替えも済んで。
 準備も万全にして、控え室にいるんだろうか?



『ちょっとだけお化粧もするんだよ?』


 なんて恥ずかしそうに言ってたから、
 まだ鏡の中の自分とにらめっこしているんだろうか?


 本当は、講堂の一番後ろで目立たないように、彼女のステージを見るつもりだった俺は、2年生の発表が進むにつれ、そわそわしはじめた。



 しっかりしているようでおっちょこちょいな彼女。


 必要以上に緊張して。
 緊張すると手の平にじんわりと薄い汗をまとわせて、いつもより口数が増えるからすぐわかるんだ。


『けーくんっ。いかないで? いかないでったら、いっちゃやだっ!!』


 もう暗くなったから帰ろう、と説得する俺の手を、
 まだ一緒にいて?とベソかきながら引っ張った幼い頃と。


 ……きっと、今も、全然変わらないんだろうな。


 俺は幼い頃の彼女を思い出して、知らないうちに微笑んだ。



 本番前の彼女に会っても、
 多分俺は上手く励ましたり気を紛らわしたりすることはできないだろう。

 ―― でも。



 俺のつまらない冗談で、彼女の緊張が一瞬でも解ければ、行く価値があるかもしれない。



 俺は組み直した脚をそっと元に戻すと、舞台裏に行くために目立たないように通路の方へと歩き出した。
 ステージのわきにある、『関係者以外立ち入り禁止』の張り紙をちらっと横目で確認してドアを開くと、 暗いトンネルのような急勾配の階段を昇っていく。


 そして。
 舞台の袖にすべり込んだ、と思ったら。
 いきなり照明用のライトを真正面から浴びて、俺は一瞬目が眩んだ。


 ……どこに、いるんだ?あいつ。



 気がつけば、もう3年生の発表は始まっていて。


『えへへ。一応ね、部長は一番最後に出場するの。ずっと、そういう決まりなんだよ?』


 なんて、ちょっと誇らしげに言ってたから、もうステージに出たってことはないだろうけど。


 決して広くはない舞台裏で。
 出番が済んでしまったやつ、これからのやつ。
 それぞれ喜びや緊張を抱えて浮き足立ってる。


 本当なら、オンナばかりのこの場所に俺がぽつんといるのは場違いだけど、
 みんな、自分と、自分のドレスしか目に入ってないみたいだな……。


 俺はドレスのすそをかき分けるようにして、あちこちと歩き回った。


 ―― どこだ?
 あいつ、どこにいる?



 俺は立ち止まってゆっくりと息を吸い込むと、それをもっとゆっくりとしたペースで吐き出した。



 これはやみくもに探してもダメだ。
 ……あいつなら、こんなとき、どこに行きたいと思うか? なにをしたいと考えるか?


 とろいくせにおせっかいで。
 自分のことより人のことばっかり考えている彼女、なら。



 俺はふと思いつくと、ある確信を持って踵を返した。



 多分、……あそこ。



 ステージが一番良く見えて。
 それでいて、客席からは死角になっている、ステージわきの小さな踊り場だ。








 ―― やっぱり。

 カツンと音を立てて、俺がそこにたどり着くと。



 そこには、ステージの深紅の垂れ幕のきゅっと握りしめて、
 息を止めて出番を待つ彼女の斜め後ろ姿が飛び込んできた。



(……雪?)



 俺が最初に受けた印象はそれだった。
 左手に白っぽい花のブーケを持って。
 どんな汚れた水に入れても染まりそうにないほどの真っ白なドレスに身を包んで。


 自分で作ったんだから当たり前かもしれないけど、
 そのドレスはほっそりとした彼女の身体にぴったりと馴染んでいた。


 広く開いた襟元、背中。
 どんな人の手を使っても、決して表現することができないような柔らかい曲線が、彼女が呼吸をするたびに軽く上下をしてるのが分かる。


 頬を上気させて。
 薄く口をあけて。



 ステージに立つ同級生や後輩の様子の一瞬一瞬を食い入るように見てる。



 この様子を見てると、彼女、は……。
 自分の出番以上に部員の晴舞台が気になるみたい、だな。



 俺は、そのドレスをぼんやりと見ながら、この2週間の彼女の頑張りぶりを思い出していた。
 俺から見ると、彼女がどうしてそんなにまで他人に対して一生懸命になれるのかわからなかった。



 手芸部の後輩に対しても。
 たとえば、俺に対しても。


 自分のドレスがようやく形になりかけた、と嬉しそうに言ってたから、
 その翌日からはもう少し早く家に帰れるのかと思ったら、



『ごめんね、2年生の子のドレスがなかなか仕上がらなくて……』



 とすまさそうに見上げてくる。
 次の日はどうかと思ったら、



『今日は◯◯ちゃんのドレスのすそ、まつり縫いしてたの』
『明日は△△ちゃんのデコルテにビーズを付けるの、手伝うの』



 帰る時間は全然変わらず。
 そうして何度聞いても頭に入らないオンナの名前だけが、毎日目まぐるしく変わっていったっけ。





 彼女は、いつでも、一生懸命だ。



 自分のことも。
 周囲の人間に対しても。



 眩しいほど、一生懸命なんだ。




 あっという間に暮れかかる教室の中で、
 なにをするわけでもなくぼんやり彼女を待つのが好きだったのは、
 きっと、彼女の嬉しそうな、誇らしげな笑顔を見るのが楽しかったからなんだろう。

 疲れてるはずなのに晴れやかな表情をした彼女に訊いてみたこともあったな。



『……どうして、そんなに頑張るんだ? おまえ』


 すると彼女は首をすくめて。



『ん〜。えへへ。頼りないけど、一応手芸部部長の看板しょってるから』
『そうなのか?』
『ん。って言うのは冗談だけど……。
 せっかくファッションショーやるんだもの。
 みんなで納得いくものが出せたらいいな、って思う。あと……』
『…………?』
『……今までね、わたし、部活の先輩たちにはすごく良くしてもらってきたんだ。
 技術的なことだけじゃなくて、ね……。もっとこう、たくさんのものを、もらったの。
 だから、そのお返し、っていうのかな?
 後輩たちに、なにか……。
 そう、技術的なことじゃなくてもなんでもいいの、些細なことで。
 一緒に作品作って、ね。
 一緒の時間を過ごしたんだよ、って。
 伝えられたらいいなあって……』


 そう言えば、先輩ってポカばっかりしてたよね、って、そんなんでもいいから、ね。
 と、少しだけ淋しそうに笑って、帰りを待ってた俺に礼を言った。





 彼女は十分感じているんだ。

 俺たちの高校生活が、もう少しで終わることを。
 自分という存在が、やがてこの学校から消えることを。




 今度は。


 ……必ずおまえをつかまえておくから。



 寒くなるにつれ、大きく、強く、なる思い。
 そんな自分をもてあまして、
 彼女を待つ間に俺は、いろいろなシルバーのデザインをノートの裏に描き散らすようになっていた。


 思い描くオンナは彼女しかいなくて。

 どれもこれも、彼女が喜んでくれるものがいい、似合うものがいい、と。


 これを渡したら、彼女はなんて言うだろう? と。
 笑うか、泣くか、それとも突っ返されるか……。


 付き合ってもいないくせに勝手な妄想ばかりをして。
 赤くなった顔を彼女にからかわれたこともあった、な。



 そんな2週間のめまぐるしかったことを頭の片隅に置くように、俺は軽く頭を振って。
 彼女に声をかけようとして、思わず口をつぐんだ。



 ブーケの端のリボンが揺れている。
 それは小刻みで、規則的で。
 つつつっと伝っていくと、それは、真っ白なブーケ、彼女の手、彼女の肩に行きついて。



『つかまえておくから』



 自分の声がこだまする。
 伸ばした手が、自分の手じゃないみたいに頼りなさげなのを見て俺は苦笑した。


 ―― 今度は、絶対、つかまえておく。



 そうだ、な。そうなんだよな。





 そんな思いに押し出されるようにして、俺は彼女の肩に手を載せた。



 「わっ。珪くん……」


 今まで斜め後ろからおまえの様子を伺っていた俺は、別人かと思う程キレイな彼女の顔を真正面から見て、言葉を失った。


 5歳のころの面影を引きずっていながら。
 彼女は彼女でありつづけながらも。
 日々薄い紙を剥ぐように、キレイになっていったんだ。


 彼女は、俺を認めると安心したように1歩2歩近づいて来て、




「わーんっ。いよいよだよ〜。ちゃんとできるかな、やれるかな……っ」


 いつもとは違う、赤く光った唇が、大きく小さく動いて言葉を紡ぐ。

 それは大きく空いた胸元の白さとは対照的な、イロ、で。
 励ますつもりで来た俺は、何も言えずただ無言で立ち尽くしていた。



 彼女は緊張からかそんな俺に気づく風でもなくて。


「こうっ、ね? ステージの真ん中で、くるっと1回ターンするの。
 で、見てくれてる人に、『あなたに会えて幸せ』って……。
 あ、これは花婿さんがいないから、観客さんが、その代わり、というか……。
 そんな想いをこめて微笑むの。でもでも、き、緊張ばっかりで……。
 笑えるかな、わたしっ!」


 ……やっぱり、緊張してる。


 思ってたとおり、早口なおまえに俺は少し余裕を取り戻して、くすりと笑いながら言った。



「……できる。おまえなら」
「そ、そうかな!?」
「……練習、するか?」
「え?」

「……いつもみたいに笑ってみろよ。……俺に笑うみたいに」



 彼女は口を尖らせて考え込むと、少し困ったような顔で俺を見つめて。


 「ううっ。いつもだったら、笑うなって言われても笑えてきちゃうんだけど、
 き、今日は、今はムリみたい…・…。あ、そだ!」
 「ん?」
「珪くんっ。なにか冗談言って!
 わたしが笑い転げるような、スーパーハイレベルの。ね、一生のお願いっ!」



 と、ブーケを抱え込むように両手を合わせて、俺を見上げている。


 おまえ……。
 俺が冗談言うの、一番苦手だって分かってて言ってるだろ?



 ちょっとむっとしてにらみ返すと。


 ―― 彼女はそんな俺の様子を見て満面の笑みを浮かべている。



 かなわない、こいつには。



 笑わせようとしてやってきた俺を、こうして笑わせる。
 元気付けるつもりが、逆にこうして元気付けられてるんだ。

 いつも。
 きっと、俺だけでなく。
 まわりの誰もが。



「……俺、おまえのそんなとこ、好きだ」


 言ってしまってから、はっとした。
 いつもの、ありきたりな日常の中で、俺は俺なりに自分の気持ちを彼女に告げてきたつもりだったけど、 ニブい彼女には、なかなか伝わらなくて。
 俺自身も、いざ告げるとなると身構えてしまうところもあって。


 でも。
 口に乗せてしまった後では、却ってすっきりした思いだけが残って、俺は意外にもいつもと変わらない視線を彼女に投げかけていた。



 彼女は一瞬ぽかん、とした後。
 見る見るうちに耳まで赤くして、唸るように言った。



 「そそれが、珪くんの冗談、なの……?」




 ……は?
 どうしてそうなるんだ?


 俺はこれ以上ないくらい深いため息をつきながら言い返した。



「……冗談なんかじゃない」



「? それも、冗談なの? あーん、もう、ワケ分からなくなってきちゃった。……でも」



 クルリと目を輝かせて言う。




「ん?」
「嬉しい。
 ……珪くんが、こうしてそばにいるってことが。
 今、一緒の時代に生きてるってことも。
 ……珪くんと出会えたってことが……」
「おまえ……」


 俺が何か言いかけようとしたその続きを塞ぐように、彼女は言葉をつなげた。



「本当のことだから、何度でも言うよ。
 嬉しい。
 ありがとう……」



 見ると。
 目を潤ませて、続きを、言いよどんでる。



「……言ってみろよ」


 俺は高ぶってる自分に気づかれないように、彼女の頬に触れながら、彼女の発するコトバを待っていた。



 と。
 突然周囲にパタパタと人の気配がして。
 部員の1人が駆け込んでくると、こう言った。




「先輩、出番ですっ」




 俺は手を頬に滑らせたまま、頑張って来いよ? と言うと。
 彼女は自分の頬に置かれてあった俺の手を、そっと名残惜しそうに外して。



 俺の顔を真正面からじっと見つめると、


「……じゃ、行ってくる。
 珪くん。……見ててね? わたしの、精一杯」



 そう言い残して、ゆっくりとステージに昇っていった。
*...*...*
 彼女のステージは大成功だった、と思う。


 その鳴り止まない拍手も、歓声も。
 俺が聞いた中では一番大きいものだったし。


 俺が見ていた彼女は、可憐で、愛らしいばかりで。
 でも、観客に見せる笑顔は、どこか威厳も備えて、堂々としてて。


 かすかに震えていたブーケは、実は俺の見間違いだったんじゃないか、と思えるほどだった。


 でもステージの正面で、美しい姿勢でお辞儀をして、幕が下りた後。
 顔がくちゃくちゃになるのも構わず、大泣きしながら俺に抱きついてきた彼女の肩が、さっき以上に震えてるのを感じて。



 それはすべて俺の間違いだったことに気づいた。




 俺の前で泣く彼女。笑う彼女。
 その茶目っ気も、一生懸命なところも、ニブいところも。
 ―― 全部、全部。



 すべてがこんなにも、イタくて、愛しい。




 彼女の笑う表情を作る原因が、自分であるならば。
 彼女の泣く表情を壊す原因も、自分でありたいと思う、願う。




 今、彼女に触れている、手から、胸から、頭から、この想いが伝わればいい……。



 そう思いながら、俺は彼女の頭を撫ぜつづけいた。
←Back