*...*...* My special *...*...*
……なんだかなあ。夕食時。
今日は、25年ぶりに高校の同級生に会うの〜、と
ウキウッキで出掛けたかあさんの代わりに、ねえちゃんが夕食を作ってくれた。
ねえちゃんの料理の腕も、この頃じゃなかなかなもので。
俺はほとんどの料理をあっという間に平らげて、
正面に座っているねえちゃんの顔をちらっと盗み見る。
すると。
『ん?』
とでも言いたげにこちらに顔を向けるから、
俺は何もなかったフリをして、残っていたブロッコリーとトマトのサラダに箸を伸ばした。
でも。
……なんだかなあ。
ねえちゃん。
またなにか、俺に隠し事をしている気がする。
まあ、な。
俺にバレちゃうと。
何かにつけて、これでもかって言うくらいからかっちゃうからな。
ねえちゃんもその辺を十分察してるから、か、
この頃は葉月とのこと、あんまり教えてくれなくなったんだよな。
まあ、考えようによれば、
俺の助けが必要ないくらい、葉月とねえちゃんの仲は万全、ってことなんだろうな。
でも。
黙っていられると、どうなのかな?って思うのが人間で。
知らんぷりされると、なんとなーく、さぐりを入れたい、と思うのが人間で。
(って、俺、自分を正当化しているわけじゃないぞ)
ちょっとハッパをかけるだけで、赤くなったり、早口になったり。
ホント、我がねえちゃんながら、イジめがいがあるんだよな〜。
葉月も実はこんなところを面白がってんじゃないかな。
なんて。
―― これは俺の勝手な臆測、かあ。
俺は温かい淹れたての緑茶を飲みながら、またねえちゃんの顔を伺うと、今度はどうやら俺がこっちを見るのを待ち構えていたようで。
テーブルの真ん中でねえちゃんと俺の視線がぱちんと合ってしまった。
「んもう、なあに? 尽。さっきからわたしの顔、見てばっかり」
「へへっ。そんなことないよ。俺のねえちゃん、またキレイになったなあ、って。ははっ」
「? ヘンな尽。……ほら、もう、夕食食べちゃって? 急いで片付けるから」
ねえちゃんはすっと立ち上がると、手際よくカチャカチャと自分の食器を片付け出した。
「あ、俺がするよ」
「いいの。尽は試験勉強があるでしょ? わたし、やっておくから、ね?」
そう言って、シンクの脇に置いてあった真っ白なビニールの手袋に手を通していく。
……ん?
ややオレンジがかったダイニングの照明の下、すらりと伸びたねえちゃんの指がキラリと光って。
―― ねえちゃん、また、例の指輪、付けてる。
『卒業式にもらったの』
『珪くんが作ってくれたんだよ』
『……嬉しいの。珪くんの気持ちが、嬉しい……』
こうやって何度か季節が巡っても。
あの時のねえちゃんの嬉しそうな顔は今でも鮮明で。
……どうして、今になってもこんなに心に焼き付いてるんだ?
俺はふと思いを這わせてみる。
うーん。……きっと、そう。あれ、だな。
ねえちゃん、あの日を境にどんどん変わっちゃったもんなあ。
いや、葉月と親しくなり始めた高2の頃からずんずんキレイにはなっていったけど。
あの、卒業式の日は強烈だった。
まるでねえちゃんの身体の中の固くて甘い部分が、全部溶けてきたようで。
みじろぎするたびに、それは香りをまとって、溢れ出て来るようで。
こうやって、オンナはキレイになっていくのかな、なんて、
俺は自分のクラスメートの顔を思い出したりしてたんだよな〜。
泣きそうになったり、妙に浮かれたりのねえちゃん。
初めて、俺の知らないねえちゃんのオンナの部分を、目の前にに突き付けられて。
俺、なんだか勝手に葉月にねえちゃんを持っていかれちゃったような気がしてたんだよな……。
なんて、思い出しているうちに、キラリと光ったそれは、手袋の下に大事そうに隠されてしまった。
「……手袋?」
「ん……。特に冬場はね、けっこう洗剤で、手が荒れちゃうの。すぐひび割れ作っちゃうんだ〜」
「ふーん」
「ひび割れのある手なんて、……キライかな、って思って……」
ねえちゃんは、軽く目を伏せると手袋の上から手の甲をさすった。
キライ、かあ。
……ねえちゃん、主語、省略してたけど、それが誰を指すかってことぐらい、明らか、で。
俺は思わず突っ込んでしまった。
「ねえちゃんっ。葉月なら、ねえちゃんの手にひび割れのひとつやふたつあったって、ノープロブレムなんじゃないか?」
ったく葉月のベタ惚れぶりは、見てるこっちの方が恥ずかしくなるっていうか、
そこらへんが、クォーターならでは、で、アメリカナイズされてるっていうか。
葉月がねえちゃんのそんな傷を見つけたら、恥ずかしがるねえちゃんなんて 無視して、人前でも構わず傷口にキスでもしそうな、……そんな、気、がする。
「ん? どうして尽、顔赤いの?」
「べ、別に、何でもないよっ」
(そんな2人に、勝手にドキドキしてたなんて言えねーよ)
俺はサイドの髪を大袈裟に後ろに流すと、知らん顔を決め込んだ。
「……やっぱり、尽、ちょっとヘンだ」
ねえちゃんはそう言って笑うと、俺の皿を手に取ってシンクへと持って行って。
そして、皿の汚れを落とすために蛇口のレバーを持ち上げると、ふと思い出したように、俺の顔に顔を向けた。
「あ、そうだ、尽」
「ん?」
「もうちょっとしたら、おいしいコーヒー淹れてあげる。それまで頑張って勉強しておいで?」
「……もうちょっと?」
「そう……。8時くらいにね。珪くんが来るんだ」
見ると、ねえちゃんはほわっと温かそうに微笑んでる。
珍しいよな、こんな時間に……。
いぶかしげにねえちゃんの顔を見つめ返すと、
「うん。あのね、今度珪くんと一緒に、フリマするの。でね、そのときに出店するアクセサリーを見せてくれるって!」
また珪くん、上手くなったんだよ? 全部欲しいな、ってワガママ言いたくなっちゃうくらい!
ねえちゃんはそう言って、両手を胸の前できゅっと合わせて。
まるで目の前に葉月がいるかのようにうっとりしてる。
ワガママ、か……。
上手くなっただの、欲しいだの、そんなの葉月が聞いたら、
ワガママどころか嬉しいだけなんじゃないか?
……なんだかなあ。
ねえちゃんのそんな融けそうな顔見てると、
この頃の俺としては、どっかこう、こそばゆくて仕方ないんだよな。
「へいへい〜っと〜。優しい弟としては、ずっと部屋で勉強していてあげようかなっと〜」
俺はさらりと言い捨てて、ねえちゃんの返事も待たずにトントンと階段を昇っていった。
*...*...*
約束の時間よりも少し前に葉月はやってきたようで。廊下をパタパタと走るねえちゃんの足音と、それに続くゆったりとしたそれが交差して。
リビングのドアがカチリと遠慮がちに閉まった。
ねえちゃんの声も小さめなら、葉月もぼそぼそと話すから、ハッキリとした声は聞き取れないものの、2人の間の温かい空気がなんとなく伝わって来て。
俺は机に向かいながらも、勉強なんて全然手に付かずに、意味もなくシャープペンをくるくると回す。
と思ったら、銀色のシャープペンはくるりと手から逃げていって、机の端に転がって。
俺はそのシャープペンの描いた光の弧をぼんやりと見つめていた。
……っと。
さて、どうするか。
ねえちゃんから呼ばれるまで、待つ、か……。
それとも。
この頃ますますオトコっぷりの上がった葉月を間近で見れるっていうのも捨てがたいし、な。
俺は椅子の背もたれにぐぐんと体重を預けながら大きく伸びをすると、
深呼吸を一つして立ち上がり、ペタリペタリとスリッパの音を立てながらリビングへと向かった。
階段の真ん中の踊り場を曲がり、1階に近づくにつれ、2人の声はだんだん聞き取りやすくなる。
「あ、これ、いいね」
「……そうか?」
「うん。素敵。……あ、ペアリングなんだ」
「ああ」
「フリーサイズが多いんだね」
「……ああ、この前、増やしてくれって客に言われたからな」
「ああ!あのお兄さんね。……今度も来てくれるかな?」
「さあな」
「来てくれるよ、きっと。珪くんの作品、すごく気に入ってたもの。あの人」
「……だと、いいな」
穏やかな声。
お互いがお互いを必要としていて。
それでいて、なんの疑問も隠し事もない。
―― 優しい風。
こんなに寒い季節になったのに、2人を取り囲む空気はいつも温かくて。
葉月とねえちゃんの2人を間近に感じるといつも思う。
そんな相手を見つけることが出来た2人へのちょっとしたネタみ。
いつか俺もそんな相手を見つけたい、というひそかな願い。
つまりは、今の俺……。
この2人に完全に憧れちゃってるんだよな〜。
俺は頭の後ろに手をやりながらリビングのドアを勢い良く開けると2人に声をかけた。
「よっ。葉月、いらっしゃーい。久し振りじゃん」
「ああ。お邪魔してる」
「んもう、尽ったら、いつも呼び捨てにして〜。ごめんね。珪くん」
「別に、構わない」
「あ、尽、もうすぐコーヒー出来るよ? 淹れたら呼ぼうと思ってたんだ」
ねえちゃんはそう言うと、持っていたプレーンなシルバーのバングルを大事そうにコトリと置いて、キッチンの方へと向かった。
俺は、ねえちゃんが座っていたソファにどかっと腰かけると、そのバングルを手に取った。
…………。
見ると。
ねえちゃんの言ってたことが全然お世辞じゃないってことが分かる。
見るからにシンプルで、ちょっと目にはなんの変哲もないものだけど、
一度手に取ったら返すのが惜しくなるような、つるりとした丸みの中に温もりが一杯込められているようで。
こんなのを作ってる葉月も、実はこんな人間なのかな、と思えて来て、俺は思わず葉月の顔を見上げた。
「ん?」
「……なあ、葉月。……これ、俺に売ってくれないか?」
どうせフリマで売りさばくものだし、ちょっと先に俺が葉月の言い値で買うのなら、葉月的にも問題ないだろう、そう思って、俺は軽い調子で言うと。
葉月は困ったように首を横に振った。
「ど、どうして? どうしてダメなんだよ!?」
売ってもらえるとばかり思っていた俺は、ついクチを尖らせて、葉月の顔を見つめた。
でも、あいつは全く動じずに。
あ、でも、あれかな?
いつもよりも至近距離で見つめていたからか、葉月の目の色が、すっと翳っていったのが分かって。
俺は怒るのも忘れて、その変化に魅入ってしまっていた。
葉月は目をしばたかせた後、穏やかに俺の目を見つめ返すと。
「悪い、尽……。それは不特定多数のヤツのために作ったんだ。だから、おまえにはやれない」
「は?」
「今度、おまえに合うヤツ、作ってやる。だから、な……」
そう言ってちょっと傷ついたように目を伏せた。
「あ、そそそうかっ。なんだか悪いなっ葉月、サンキュ〜」
胸にチリっとした痛みが走る。
バカだよな、俺。
勝手に勘違いして、勝手にハラを立てて。
―― それにしても。
なんだよ、付き合ってるオンナの弟にまでそんなに優しくするのか?
本当なら。
今そこにある不特定多数向けのバングルをさらりと手渡した方が、楽なわけで。
そうすればきっと、俺も葉月も一瞬だけれどもこんなギグシャクした雰囲気を味合わなくて済んだわけで。
なのに。
敢えて、そうして。
思ってもみなかった優しさで包み込むんだな。
……なんだかなあ。
俺のイイ男への旅もまだまだだな〜。
見た目だけじゃダメなんだ。
どっか、こう、同性さえも魅了しちゃうような底知れない優しさ、みたいなものが、備わってないと、な。
バツが悪くて、葉月の顔をマトモに見ることが出来ない俺に、葉月は穏やかに微笑んで。
「な、尽。……どんなデザインのものが好きなんだ?」
と訊いてくる。
「あ、あああ、もう、もうっ。葉月師匠にお任せ。イイオトコのイメージでっ、俺のイメージで頼んだっ」
かなわないな。全く。
照れくさくてそっぽを向いてる俺の鼻が、香ばしいコーヒーの匂いを嗅ぎ分けて。
くるりと後ろを振り返ると、ねえちゃんがお待ちどおさま〜と暢気なことを言いながら、コーヒーを載せたトレーを手にリビングに入って来るところだった。
そして、一人ずつ丁寧に配膳し終ると、テーブルの上に広げられたアクセサリーの中から、蔦の絡まった模様が入っているリングを一つ取り上げて。
「ねえ、珪くん。これ、素敵。一つだけ、……欲しい、なあ。……ダメ?」
「「……ダメ」」
俺と葉月は顔を見合わせて笑った。
「え? どうして? えええ? どうして尽がダメって言うの〜〜!?」
「っと〜。後は葉月、よろしくな」
俺はコーヒーを手に、ニヤニヤながらリビングを出る。
その後に。
洩れて来た言葉は、俺と一緒。
俺はそのときのねえちゃんの表情を想像して笑った。
「今度、おまえに合うヤツ、作ってやる……。おまえの指に合う、おまえだけのやつ」
ちぇ。
やっぱり、好きなオンナに対しては口数が多いんだ、あいつ。