*...*...* 降り止まぬ想い… (後) *...*...*
「ええええ?」「何度も言わせるな。……どうする?」
みるみるうちに染まる頬。その赤味は、あっという間に耳の先端まで伝わる。手にしたコートをシワが寄る程きゅっと握りしめて目を見開いている。……そんなにびっくりするようなこと言ったか? 俺。
真っ白な雪の光がそのまま映えるようなつややかな頬をした彼女が、うっとりと窓の外の雪を眺めていた。そして暗くなると怖いから、といつもよりも早く帰り支度を始めて。ヘンだよな。コートを手にした彼女を見てたら、俺の方が怖くなったんだ。
俺がさっき『帰るな』と言わなかったら……。
玄関を出る。彼女の手を取る。ふたりで肩を並べて歩き出す。俺たちの影が夕焼けの中、本物よりもずっと細く長くなる。頭の方の影はだんだん闇に紛れて見えなくなる。
サクサク、サク。
サク、サクサク。
彼女の小さなブーツと、俺の革靴が交互に規則的な音を作り出す。それが、帰りには自分だけの間の抜けたような音になる。そして、俺は、また一人で暗い家に帰る。
そんな当たり前のことが、彼女のセリフじゃないけど『怖く』なったんだ。
俺は彼女から視線を外すと、窓の外に視線を当てながら自分の中の感情をやり過ごした。
(耐えなくちゃ、な)
彼女には帰る家がある。俺以上に、彼女を大事に思っている家族もいる。彼女が俺一人のものじゃないことくらい、充分分かっているつもりだった。なのに時々、彼女の肌の匂いを身近に感じながら眠りにつきたいと思う自分がいる。
―― 女々しいよな、俺。
彼女を知らなかったときからは想像もつかなかった淋しさがまとわりつく。無から有になったときの喜びの大きさが、有から無になるときに切なさとして撥ね返ってくる。そんなこと理性では解り切っていた。けど感情が追いついていかない。
「いや、いい……。送る」
たぶん自分のこの気持ちは『甘え』なのだろう。
何度抱いても、ふいに俺が彼女に抱かれているような不思議な感覚。この世にオトコっていうものは俺だけしかいないんじゃないかと思わせるような反応を示すたおやかな身体。だんだん俺の手で朱に染まっていく、蒼ざめて見える程白くて柔らかいぬかるんだ部分。その身体が、今、俺の手の届くところにある。
どうして彼女はこんなに俺を惹きつけるのだろう?
俺はゆっくりと彼女に手を伸ばす。
彼女の、俺を思う気持ちは疑うところがなくて。心配することなんて何一つない。いつも俺のことだけを見てくれている。俺と一緒の時間を過ごして、好きだと言ってくれる。身体さえも預けてくれる。
でも、ふと。
こんな心と身体を持った彼女だから、俺以外のどんなヤツとでも上手くやっていけるんじゃないか、って思ってしまう。おっちょこちょいで、可愛くて、幼くて。そして、抱けば俺を惑わすぐらい感じやすくて。いつもは自分を抑えてはいるけど、どうしようもなく彼女を求めてしまう俺がいるんだ。
―― 今、が、その時。
「珪くん? どうしたの?」
はらり、と去年より長くなった髪が肩へとなびいて赤くなった耳が覗く。見上げてくる瞳は、出会ったころとあまり変わらない。あどけないばかりに幼いのに。
「珪くん?」
全部見たい。幼い顔に隠れてるオンナの部分を。その瞳が潤んで切なそうに震えるところを。泣くような声をあげて俺を求める姿を。
風が出てきたのか、ピシッと空気を切るような音が窓を鳴らす。耳を澄ますように彼女が首をかたむける。額に落ちた小さな影がそのまま頬に長い睫毛の影を作る。それが妙に艶めかしくて。
俺は彼女を引き寄せると、彼女が手にしていたコートを床に落とした。
*...*...*
「……まだ、降ってる?」「ああ、積もりそうだな」
「わぁ……。真っ白、だね」
絶対、見ちゃ、見ちゃダメだからねっ、と、彼女はもそもそと毛布を身に巻きつけながら、遠慮がちにベットのわきのカーテンを開けている。
薄寒い空気の中、剥き出しになっている肩の上気した色がさっきの行為の名残を伝えてくる。『見ちゃダメ』なんて、何、今更なこと言ってるんだろう、と思わないでもなかったけど、なんだかそれも彼女らしいと俺は苦笑した。
俺は彼女のどこがこんなに好きなのだろう?
取り立ててキレイ、というわけではない。スタイルが抜群に良い、というわけでも。
ちょっと色素の薄い、街でよく見かける女の子。
でも、きっと。
俺はたくさんの人の中から、彼女だけを見つけ出すことができるだろう。その自信があるんだ。
(彼女、だから)
こんなにも惹かれる。彼女が彼女らしくあること。それ以上でもそれ以下でもダメなんだ。
彼女のためになにかをしてやりたいと気持ちが、この降ることを止めない雪のようにどんどん溢れ出てくる。
こんな感情、今まであったか……。
彼女の肩が冷えないように、と背後から腕を這わせながら考える。
父さんや母さんにそう思ったことがあるか、と聞かれれば、俺は黙って首を振るしかなくて。それほどまでの感情を沸かせてくれる友人がいたか、と聞かれても、俺は押し黙ってるしか方法がなかっただろう。
俺は彼女の肩に顔を埋めて、彼女と同じ方向を見つめる。ふたりの視線の先には、夕方には想像もつかない程の真っ白に染まった世界が広がっている。
今年初めて空から舞い降りてくる雪。それをこうしてふたり一緒に見れることに泣きたい程の喜びを感じながら。
「……。愛してる」
「な、なに、どうしたの? いきなりっ」
「言いたくなった。……ダメか?」
ずっとずっと。
カーテンの隙間から見える、この止むことのない雪のように彼女のことを愛していけたら。
「じゃあ、……わたしも」
「ん?」
彼女はえへへ、と恥ずかしそうに笑いながら、耳元に柔らかな唇を寄せる。それは軽い湿り気を伴って俺に言葉以上のものを伝えてくる。
なあ、。
5歳のときもこうやって俺たち、内緒話するみたいに耳元でゴソゴゾとお互いの気持ちを伝え合ってたよな。そしてあの時は、『愛してる』っていう言葉の代わりに『大好き』ばかりを使ってたな。
『けーくん、だーーいすきっ』
『おれもがだいすきだよ』
幼さの残る甘い声は今もあまり変わらない。けど、彼女を腕の中に抱いていると、言葉が今、時を越えて永遠さえも突き抜けてくるような気がする。
確実に変わった俺たちの関係がここにある、から。
。
『大好き』だけでは言い表せない思いを込めて、この5文字を言い続けよう。
溢れるほどの思いが胸の中でいっぱいになって破れてしまう前に。
わ、耳、耳はダメだよう! くすぐったいからっ、と、恥ずかしそうに身をよじる彼女の華奢な首筋に唇を這わす。
「もう、一度……」
言葉よりも確実に伝わる行為を。
指からも唇からも。俺は俺の全部の思いを込めて彼女に触れるんだ。まるでそれしか知らないみたいに。
「、……愛してる」