一緒にいたい、って思う。いつもいつもそう思ってる。これはもう願いや祈りにも似た感情なんじゃないか、っていうほどのイタくて強い気持ち。

 ── ねえ、どうしたらキミに伝わる?
*...*...* Beyond description *...*...*
 卒業式の日、お互いの気持ちを伝え合ってから1ヶ月が経った。

 高校の3年間の自分の気持ちの加速度とこの1ヶ月のそれとは、不思議なことに後者の方が量的に大きいのが自分でも不思議だった。
 珪くんに会うたびに目を奪われる。心惹かれる。出会えたことの奇跡と、そしてかすかに増えてきた依存という気持ち。

 ……ずっと一緒にいたい、って気持ち。

 そんな状態になって初めて、3年間も気づかないでいた自分のニブさにも気づいた。いつも尽や奈津実ちゃんに指摘されても『そんなことないもん』って笑い飛ばしてくせに、珪くんの些細なところで見せてくれる優しい行為に、今更ながらどれだけの間わたしのことを見つめていてくれたかを気付かされて。

 (タッタ イッカゲツ ノ コト デ)

 こうしてふたりで一緒に歩いていて、ふっと初夏を思わせる風がわたしたちの頬を撫でていく。まるで会話の糸口を探してるかのように、桜の花びらが目の前を名残惜しそうに散っていく。

「……ね?」
「なあ……」

 同時に口を開いて、顔を見合わして。ふたりして続きの言葉を言いあぐねてる。
 お互いがお互いの動きをまだ手掴みで探ってる、そんな感じ。

「わ、ごごめんっ、珪くんから言って?」
「……おまえから言えよ……」

 ため息混じりの声が頭上から届く。
 なんだか友だちでいた頃の方がかすかに感じるこの警戒感はなかったなあ、なんて思う。ふたりの間にゴワゴワしたものが横たわってると思うのは……気のせい?

 両想いになれたことは嬉しい。それは偽りない気持ち。けど、どうしてだろう、恥ずかしさの方が先に立ってしまう。
 言葉よりも頬の赤味の方が早くわたしに現れる。視線を合わせるより珪くんの靴のつま先を見てる時間がちょっとだけ増えた気がする。
 そして……。

(これ以上は危険)

 頭の隅っこでランプが点滅している。もう引き返せないよ、って。
 このシグナルはなんなんだろう? 自分でも判別不能。
 引き返す? なにが? 誰が? どこへ?


 ── ん?

 さらりとわたしの前髪が形を変える。風のイタズラかなと振り仰げば、それは柔らかく珪くんの指にまとわりついている。

「百面相」
「わ、わたし?」
「ああ。……思い詰めたような表情してる、と思ったら、今度はニヤニヤ笑ったり、なにか言いかけて止めたり」
「んんん……。じゃあ、いいよ。言うよ? 言うんだから〜〜」

 見られてるはずないって思ってたのに、しっかり図星を指されたことがクヤしくて、わたしは頬を膨らませて言い返す。そうだ、トロいと評判のわたしがこんな風に敏感にドキドキ焦ってちゃおかしいもん。

 ……あれ?
 でもわたし、珪くんに何を言おうとしていたんだろう?

「言ってみろよ」

 余裕たっぷりの視線がわたしを捕らえる。熱に溶かされるようにわたしは簡単に敗北して下を向く。その瞬間に見た珪くんの表情の鼻から口のラインがとても綺麗だと思う。わたしは言葉を探すようにやや乾いた上唇を舐めた。

 心の奥のその奥。伝えるのが恥ずかしい、と思っていた言葉をようやく探し当てて、わたしはへどもどして珪くんを見上げる。
 ね、言わなきゃいけないの? と目で聞くと、その返事はこの季節の若葉のような色をたたえてYesと返ってくる。


 わたしはほっと大きく息をつくと、心の奥から引き出した言葉を口に載せた。


「……だな、って感じたの」
「ん?」

 聞こえないフリをしているのかそれとも本当に聞こえないのか。トクンと耳にこだまする自分の鼓動の方が気になってよくわからない。


 でも、伝えたい。……恥ずかしがらずに。
 わたしにとってはイチバン大切なこと。

 こうして一緒にいるだけで、湧き出でて枯れることを知らない気持ち。


「珪くんのこと、好きだな、って感じたの。何度言っても言い足りない、って思ったの」


 少し上ずった声が自分の発した音じゃないみたいに心もとない。恥ずかしすぎて顔も上げられない。こんなセンチなこと言うの、ガラじゃないって笑うかな? おまえ大丈夫か、って心配してせっかくのデートも早く切り上げになっちゃうかな?

 自分でも驚いてる。でもねわたし、ようやく今になってわかったんだ。
 女の子は生まれたときから女の子じゃなかったんだってこと。男の子と出会って恋をして。想って想われて、女の子は女の子になるんだ。
 恋に恋して恋い焦がれていたわたしはまだ女の子以前だったんだ。

 18歳でようやく女の子、かあ。
 なんだか遅すぎるような気もしなくもないけど……。


 ね、珪くん。
 わたし、これからすっと珪くんに恋をして、女の子から素敵な女の人になれるかな?


 …………。
 あ、あれ?

 えっと、さっき大きな声で死んじゃいたいくらい勇気を振り絞って伝えた、と思うのに、珪くんの身体はピクリとも動かない。
 はらりとわたしの髪を掴んだ手は最初の位置に収まったままだ。

 こんな雑踏の中で言うべき言葉じゃなかったのかな? ああでも、言ってみろって言ったよね? って、そもそもこんな大胆なことを口にしちゃって、珪くん呆れてるのかなあ!?

「……珪、くん……?」

 おそるおそる視線を上げる。でも珪くんの瞳を覗き込む前に、わたしは少しだけ赤味を帯びた彼の頬の美しさにまた眼を奪われる。
 わたしが今どこを見ているのか察したのだろう、珪くんはわたしの顔を覗き込んでつぶやいた。

「……気持ちいいものなんだな」
「え?」
「『好き』って言葉」

 そう、かな?
 女の子同士は仲良くなるとよくじゃれ合って、『好き』って言葉、連発するようになる気がする。実際わたしも、さすがに志穂さんにぎゅってすると迷惑がられたけど、奈津実ちゃんやたまちゃんたちには抱きつきながら『好き〜』って連呼してたし。
 男の子同士ってそういえばやらないよね? というかやってたらちょっと退いちゃうかも、だもの。

 わたしは姫条くんや和馬くんにぎゅってされて困惑してる珪くんの様子を想像して思わず頬が緩んだ。
 そして笑おう、として笑えない自分に気づく。


 ……もしかして珪くん、今まで誰にも言われたことがない? 好意に満ちたこの言葉を。


 ふと高校1年の頃の珪くんが思い浮かぶ。
 伝えたいと思う言葉を伝える前に飲み込んでしまう人。いつも人の輪から外れて人と交わらない努力、のようなことまでしていた、人。

 人一倍寂しがり屋なクセにね。
 その抜きん出た容姿に付随するたくさんのトラブルに周囲が巻き込まれちゃいけないって。
 ── 自分のことより人のことばかり考えて、ね?

 熱くこみ上げるものをやりすごすためにわたしは唇を噛む。
 ヘンだね。自分のことより切ないよ、珪くん。


 わたしは、人間1コ分のキャラしか持ち合わせてない1コ分のわたし、でしかなくて。
 珪くんが追いかけるのを諦めちゃった人すべての人の代わりになれないことはわかってる。

 けど。
 決めたよ。

 わたし、これから珪くんの傍にいられる限り、いっぱいいっぱいこの言葉を伝え続けよう。
 珪くんが聞き飽きたって苦笑しても、ずっと。
 今まで珪くんに出会ってきて、頑な心を持ってた珪くんに伝えることを諦めた人の分まで、たくさん。

「……サンキュ」

 やや湿った声が耳元で聞こえる。珪くんがぎゅっとわたしの身体を引き寄せる。抱きしめられる、と思った瞬間、珪くんはわたしの肩に顔を埋めて、わたしが珪くんを抱きしめているような恰好になる。

 よろりと傾く身体。思いっきり膝にチカラを入れて大切な重みを支える。

 ── わたしが彼を。

 神様。
 もし今あなたがわたしのそばにいてくれるなら、彼のことをお願い。
 どうか珪くんが『好き』って言葉の先にある、確かなぬくもりを感じてくれますように。


「大好き、だよ?」


 大きな背中に手を回す。キミの震えが止まるように、キミのチカラになれるように。

 頭の隅っこで点滅してたランプが消える。強張っていた自分が少しずつキミにほどけていく。

 ── もう、わたし、引き返さない。
 どこにも。キミ以外の誰にも。


 (ズット ズット イッショ ニ イヨウ ネ ? ……ヤクソク)


 少し舌足らずな、柔らかい声が聞こえる。


 ……あ。
 まだナニにも傷ついていない頃の、幼い珪くんが笑った。
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