*...*...* Let's get married !! *...*...*
「なごり雪、かな?」今年は暖冬で、ホワイトクリスマスもホワイトバレンタインもないまま、朝夕はずいぶん身体が寒さを訴えなくなってきている。昨日少しだけ降った雪も積もるところまでいかなくて、ブーツのつま先が少しだけ湿る、そんな程度だった。
「♪なごり雪も、降るときを知り、ふさげすぎた季節のあとで〜」
「……『今、春が来て君はきれいになった』だろ?」
「あれ、珪くんも知ってるんだ、この歌」
わたしは鼻唄交じりで口ずさんだ曲を珪くんが知っていたのに驚いた。これは今、鉄道会社のCMの中で使われていて耳によく馴染んでる曲だ。
真っ赤に目を腫らした女の子が、一生懸命ガラス越しに訴える。小さな赤い唇が、目を凝らすと『待ってるね』って動いている。そしで手にはこれからの彼と唯一の繋がりとなる携帯がきゅっと握られているんだ。
「でね、女の子はね、彼と手を繋ぎたいって思って手を伸ばすの。でもそこには新幹線の冷たい窓があるから届かないの」
テレビを見るという習慣がない珪くんにわたしは身振りを交えて説明する。
「でね、新幹線は走り出して……。彼も一緒に走り出すんだけど、だんだん新幹線の方が早くなって彼の姿が見えなくなるのね。そして、呆然と座り込んでる彼女に彼からケータイメールが届くの。『会いに行くから』って。……切ないよね。どんな理由があるにしろ、大好きな人と離れちゃうんだもん」
こうやって手を伸ばせば届くところに、珪くんという安心する場所がなくなるというのはどんな気分なのか今のわたしには想像がつかない。もしわたしが彼女だったらどうするんだろう?
泣いて、泣いて、泣き疲れて。ぼんやりして、……尽や奈津実ちゃんにいろんなこと聞いてもらって、そうやって珪くんがいない隙間を埋めていくのかな? それとも時間がわたしの身体を馴らしていくのだろうか?
「バカだな、そいつ」
妄想にあれこれ思いを巡らせて思わずうるっときていたわたしは、こつん、と頭をつつかれて我に返った。
「えっと、そいつって?」
「そのCMに出てくるオトコ」
「って、離れるには事情があったかもしれないじゃない。大学とか、就職とか」
付き合っているから、といってわたしたちみたいにずっと一緒にいられることは当たり前のことじゃない。きっとみんな事情があって、みんな何か痛みを抱えて生活してる。
CMの画面の中の必死に悲しさをやり過ごしている男の子の表情が浮かぶ。出てくる時間は少ないけど、彼のその切なそうな視線は、きっと彼女以上に淋しいんだってことを見ている側にも伝えてきてて。
うん。きっと珪くん、CM見てないからそうやって言い切れちゃうんだよう!
わたしが子どもみたいにぷぅと頬を膨らませていると今度は、ヘンな顔、と珪くんが頬をつついてくる。ううっ。この頃は特に扱いが小動物化してきたみたいで、それも情けなかったり、する。
(わたし、このままでいいのかな)
こうして街の中をふたりで歩くだけで、いろんな年頃の女の子が珪くんを振り返る。制服を着ている子から、ぱりっとしたスーツを着こなした大人の女の人まで。中には友達とスクラム組んで、ケータイのカメラで珪くんの表情を撮ろうとしてるコもいたりする。
目立つ努力なんてまるでしてないのに、誰よりも目立つ人。さっきの待ち合わせの時だって、珪くんは壁に背を当てて俯いてた。ただそれだけの仕草なのに、まとってる空気はそこだけが静かなスポットライトが照らされてるみたいで。みんなが振り返る。ぼんやりと見つめてる人もいる。そんな中、わ、わたし、珪くんに声かけるの、必死だったんだんだから。
いつも訊きたいって思ってること。
『わたし、珪くんと一緒にいても、いい……?』
その質問はいつも『肯定』という答えだけを期待しているわがままな自分がいるから、絶対本人には訊けない。けど、わたし、いつもそう思ってるんだよ。ふたりでずっと一緒にいれたらいいな、って。大好きな珪くんにふさわしくありたい、って。
「俺なら……」
珪くんは頬をつついた指を今度はさらりと髪に這わせながら、わたしの視線を絡めとる。こんな目で見られたら、自分の知らない感情まですべて汲み取られちゃいそうだ。トクン、という胸の音と共にわたしの頬は勝手に熱を帯びてくる。
「付き合ってるやつと離れることはしない。話し合って、そいつを呼び寄せるか、俺が近くにいくか。……結婚するか」
「ん。珪くんの彼女になる人は幸せだね……って!」
わたしはあまりにも自然に出てきた珪くんのセリフに返事をしたあとで、勝手にパニックになる。お、落ち着かなきゃ。一般論、これはCMのお話から派生した一般論だもの。一人舞い上がってるって思われちゃったら恥ずかしい。でも、付き合ってるやつって、やつって……!
「なに赤くなってるんだ?」
茶化すような声が上から届く。きっとわたし、頬以上に耳まで真っ赤だ。悔しいから絶対顔は見せないんだもん、とばかりに珪くんの足元を見つめる。そうやってしばらく珪くんの言葉に知らんぷりを決め込んだら、今度は吹き出すような声が聞こえた。うわーん、は、恥ずかしすぎるよう。
「ま、また人のこと、おもちゃにしてるでしょー!」
思い切って顔をあげて猛抗議。
でも、その返事は、言葉ではなく、深い深い翠の色。
一瞬まぶしそうに細めて。わたしだけを映す濃い色がわたしの全身を支配する。
「おまえもバカ。……さっき、考えてたろ? 俺と離れたらどうしよう、って」
「そ、そんなことない!」
「おまえ、俺といると不安になる?」
「そ、それは……」
ならないと言えばウソになる。
卒業してから何年経っても。ううん、時間が経てば経つ程、珪くんの大好きなところが増えてきて。この幸せに固執したいっていう思いがいっぱいになってきたのも事実。
こうしてふたりで一緒に歩くだけで、珪くんに降り注いでくるたくさんの視線にへたり気味になる自分がいるのも事実。
でも『付き合う』って自分一人じゃできないこと。わたしが好きだからという理由で、相手の気持ちを、珪くんの気持ちを縛りつけることなんてできないよ。
わかっているから、切なくなる。この幸せを気持ちをずっと持ち続けたい、って思うから、見えない未来に自分がぐちゃぐちゃになって泣きたくなる夜もある。それらの感情を不安という言葉に置き換えるなら、さっきの珪くんの質問への答えはきっと、Yes、なんだろう。
けど……。
「だったら、結婚するか?」
まるで、来週のデートコースを決めるときみたいなあっさりとした口調。
こんなよく行き慣れたショッピングモールで。
多くの人が交わる雑踏の中で。
珪くんだけしか映さなくなる視界の中、最愛の人は穏やかな瞳でわたしを包む。
「…………。えええっ!?」
「俺の気持ちは変わらない。これまでも、これからも。……考えとけよ、行き先」
髪をもてあそんでいた大きな手が、肩をすべっていつものわたしの手のひらに納まる。
大好きな、安心する香りに包まれる。
ふたりの間に春風が吹く。