*...*...* Sad truth *...*...*
 卒業も間近のある日。

 3年生もこの時期になると自由登校日になり、教室の中は閑散としている。
 春に近づこうとしているのに、時々寒さが『覚えていて?』と言いたげに、数日間だけ冷え込む日が続く。と思ったら、その後に来る春の陽気は、私たちの季節なんだから、と更に温かさを増して冬を押し返す。

 大学入試が終わった2月の終盤はそんな毎日が続いていた。

 奈津実ちゃんや姫条くんみたいに早々と就職を決めた人は、4月から始まる新生活に向けての準備をすでにスタートさせていたりする。
 姫条くんは今まで学校に宛てられていた時間をバイトに費やしているみたいだし、奈津実ちゃんは早速『写真養成講座』という専門学校の資料を取り寄せて、熱心に研究したりしてるみたいだ。

 『、明日学校行く? が行くなら、アタシもちょっと顔出そうかな〜(^o^)』

 昨日わたしのケータイにそうメールした奈津実ちゃんは、席に着くなり数冊の専門学校の資料を紙袋から取り出した。

「やっぱりさ、好きなことってすぐ始めたいじゃん? あ、ほら、の好きなお菓子も買ってきたよ?」
「わ、ありがと〜」

 友達の優しさがじんわりと空気みたいに身体に染み込む。
 そしてわたしは彼女が指差すカリキュラムを見ながらも少しだけぼんやりしていた。

 自分では、わかってるつもり。
 ── もうすぐ卒業だ、ということ。

 ずっとずっと高校生のままではいられないんだ、ということも。
 卒業、って小学生の時も、中学生の時もくぐり抜けてきたから、別に初めての経験ってワケでもない。
 ……けど。
 まだわたしは4月になったころの新しい自分が想像できないでいた、んだと思う。

「どしたの? 目、ウルウルさせちゃって。もう花粉症なの?」
「……えーん。奈津実ちゃん……」

 ワザとオドけて泣き声を作ってみる。
 ノドから声が生まれることで、今、わたしの中で生まれている寂しい気持ちが少しでも減ればいい、なんて勝手なことを思っている自分に呆れる。
 ごめん、ごめんね。奈津実ちゃん。

「しょうがないなあ、は。泣くのは卒業式まで取っておいたら?」

 奈津実ちゃんは色素の薄いわたしの髪に手を伸ばす。
 わしゃわしゃと髪の毛を撫でてくれる仕草が気持ち良くてわたしは目を細めた。

 奈津実ちゃんには自分の全部がさらけ出せて好き。
 奈津実ちゃんの笑った顔が好きで。
 たえずポジティブシンキングな考え方が好きで。

 人は二通りの生き方ができないから、奈津実ちゃんと出会わなかったわたし、というのは、今のわたしからは想像することしかできない。
 けどそんな3年間はきっとひどく物足りない日々だったんじゃないだろうか?

「卒業、やだな……」

 目の前にある赤茶けた机。奈津実ちゃんの肩の向こうに見える、深い緑の黒板。
 窓から差し込む光が、睫についた水滴と相まって、たくさんのスパンコールのように輝いている。

 なんだかね。
 こうして奈津実ちゃんと積み上げてきた時間が初めから何もなかったかのように、消えちゃうような気がする。

 そう告げたら、奈津実ちゃん、呆れちゃうかな?

 一緒にいたという事実が、過去になって。
 いつか、昆虫採集の標本みたいにガラス越しに見て『キレイだったね、コレ』と、冷たい無機物に触れるかのように、卒業アルバムを覗き込む。
 もう生きていた頃の今の生暖かさには決して戻れない。

 生暖かさが心地良かったわたしは、今もこれからもその生暖かさを求め続ける気がするんだ。

「バッカだね〜、は」

 奈津実ちゃんは呆れたような声を出した。そのとぼけた雰囲気のある口調も好きだった。
 口ではそう言ってても、本当はそうじゃない、って。
 わたしの表情を心配そうに見つめるまなざしがそう教えてくれる、から。

「ん。バカなのは認識済み、です……」

 奈津実ちゃんはパンフレットを閉じてわたしを見据えた。

「卒業は悲しい。それは事実。けどアンタ、卒業したらアタシとの仲もそれっきりって思ってるワケ?」
「そそんなこと、絶対ない!」
「じゃあ簡単じゃん。アタシもとずっと友達でいたい。だからこれからも続くんだよ、この関係が」

 だから、もう泣かないの! と奈津実ちゃんはわたしの口にポテトチップを押し込んだ。

 そして奈津実ちゃんは照れたように立ち上がると、ステップを踏むような軽い足取りで窓際に向かう。
 耳の後ろが赤い。── これはきっと寒さのせいだけじゃないハズ。

「……ありがと」

 嬉しくて言葉が上手く出ないわたしに、奈津実ちゃんは背を向けたままでいる。
 1、2年生はまだ授業中なのか本当に静か。
 体育館から聞こえてくる小さな歓声も、昔の夢の中から聞こえてくるようにたどたどしい。

「はぁ、女の子に告るなんて、アタシもちょっとセンチになってるのかな〜」
「あはは、奈津実ちゃんも?」
「……それとも予行演習だったりして。卒業式の」

 奈津実ちゃんは窓側の手すりに両手をかけて、ぐぐんと背を伸ばしている。
 表情が見えない。
 わかるのは、春とはいえ寒さの残る今日もいつものように髪を一つにまとめて、うなじを見せている、その赤さだけだ。

「予行演習? なんの?」
「姫条に、自分の気持ち、伝えるための」

 とくり、と、自分の鼓動が自分以外の生物が発したように耳元で聞こえる気がした。
 わたしは相づちを打つのも忘れて、奈津実ちゃんの背中に見入る。
 言葉が、出ない。

「知ってたんだ。姫条がアンタのことずっと好きだったの。けど、アンタはずっと王子ばっかり見てたから、気付かなかったでしょう?」
「奈津実ちゃん……」

 姫条くんは誰にでも優しくて。
 奈津実ちゃんやわたし以外にも親しく話をしている女の子はたくさんいたから、わたしは自分へ向けられている思いがもしかして特別なのかもしれない、と感じたのは、情けないことについ先日のバレンタインだったのだ。

 いつもの感謝の気持ちを込めて義理チョコを渡したわたしに、いつも明るく輝いている彼の瞳が濃く翳った。
 自分の中に疑問符が浮かび上がった頃には、もう彼は走り去った後、で。
 この3年間の彼の行動とか、わたしに向けられた言葉とかを全部つなぎ合わせて一つの確信に達したのは、その日の夜だったのだ。

 翌日からはいつもの姫条くんに戻ってたけど、それ以来わたしの態度はなんとなくぎこちないものになっていた。

「けど、アンタの場合と一緒。アタシは卒業してもアイツとの関係を続けていきたい。だから告白するって決めたんだ」

 くるりと教室に向き直ると、奈津実ちゃんはわたしを見て微笑む。

 正々堂々。
 彼女にはそんな言葉がとても良く似合うと思う。
 誰に対しても明るくて、優しくて。
 涼やかな目は今日の澄んだ水色の空、そのままを映している。
 淡いブルーは彼女の決意をとても誇らしやかにしていて、わたしはまた泣きたくなった。

「カッコいいよ。奈津実ちゃん……。大好き」

 鼻をすすり上げてそれだけのことを伝えると、奈津実ちゃんはやれやれといった風情で首をすくめる。

「なあに?」



「……コクる相手が違うでしょ?」
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