*...*...* Now in the beginning *...*...*
 ふとクリーム色のカーテンが揺れる。すき間から細い糸のような柔らかいヒカリがこぼれ出して、その先がベットの端まで届く。風がそよぐたびに細い糸は珪くんの髪を亜麻色に照らす。

「あ……」

 何もビックリすることないのに、剥き出しの肩をフトンから覗かせている珪くんの寝顔を見て、今更ながら慌ててる自分がいる。

(昨日、結婚、したんだったっけ……)

 手を伸ばせばすぐ届くところに珪くんがいるのに、ここにある自分の身体はまるで自分じゃないみたいに心もとない。

『ようやく俺のものになった』

 何度も自分を納得させるようにつぶやく珪くんにお互いの境目がなくなるほど抱かれて、眠りについたのは明け方だったんだ。

 こうなるまでにどれだけ一緒の夜を過ごして、一緒の朝を迎えたんだろう?
 珪くんが眠っている。その隣りにわたしがいる。そんな景色は今までたくさん見てきた。
 けれど、今日。
 心の中に去来するキモチはまったく違うもので。

 もう、帰る場所が一緒だということ。
 帰る間際、もう珪くんの淋しい表情を見なくて済む、ということ。
 お父さんにも、お母さんにも(そして尽にも/笑)言い訳しないで、堂々と珪くんと一緒にいられるということ。
 不安になる要素なんて何一つないこの空間で、好き、という気持ちが高鳴るにつれ、見えない未来に潰されそうになってた今までの自分にお別れできるんだ、と信じてた。

 ……昨日までは。

 不思議だ。
 それともヒトは一つ階段を昇ったら、また新しい不安が出てくるものなの?

 わたしはそっと珪くんの横に身体をすべり込ませる。
 無意識に珪くんの腕が動いてわたしを抱き寄せる。眠ってても現れる何気ない仕草に、わたしは涙腺が壊れたかのようにまた泣きたくなる。

 片想いだったわたし。
 ただ珪くんの姿が視界の端に捕えられれば、それだけで幸せだと思ってた頃。
 付き合い出して。
 心も身体も時間を重ねる程、狂おしいくらいに惹かれるようになると今度は失ったときの空虚に怯えた。ずっとずっと自分の隣りに珪くんがいてくれることを祈った。
 そして結婚した今。
 愛するキモチを持ち続けていくことに不安がよぎる。

 友人たちを囲んでささやかな結婚披露パーティを終えて、ふたりでふわふわとこの新居に辿り着いた昨夜。
 どこからともなく桜の花びらが舞って来る小さな公園を近道にして通り抜けた先にある小さなマンションがわたしたちの新居だった。
 春の風がわたしたちの頬を撫ぜる。風までも、空気までもが祝福してくれてるようで、わたしたちは顔を見合わせてはただ微笑んで。人目がないことをいいことに気の赴くままにお互いの身体に触れてはジャレあうようにキスを交してようやく新居に辿り着いた。

『やっと帰さなくてすむようになった』
『珪、くん……』

 わたしはもどかしそうにボタンを外す珪くんの手を握りしめた。

 もう、この手を離さなくてすむのかな。
 今まで珪くんとたくさん笑った。たくさんケンカもした。
 不安を感じたとき、いつも一番に思い出すのは珪くんの手だった。
 ねえ、知ってる? 珪くんの手がわたしに与えてくれた、たくさんのこと。

 繋いだときの温もり。
 わたしがわたしでなくなっていくときの敏捷な動き。
 そして。

 (このひとといればわたしはだいじょうぶ)

 その安心感。
 この手を。── わたし、もう離さなくていいのかな?

『……見ててね……』
『ん?』
『わたしのこと、見ててね。ちゃんと、ずっと、見てて。わたしが道を間違えないように』
……』
『間違えたときは教えてね。ちゃんと叱って……?』

 幸せの頂点にいるのに泣くなんて可笑しいと自分でも思う。でも、抱え切れない程の幸せと不安と喜びとがわたしの中で交ぜ合わされて、言葉より涙が溢れてくる。

『バカ……。おまえが間違えるわけないだろ?』
『わかんないよう……。これからは』

 愛されていることに慣れて、その状態が当然になって、我が侭になるかもしれない。
 時間が、わたしを、そして珪くんも、変えていくかもしれない。

 大事なものは目には見えない。
 だからヒトは迷うんだ。どんなに大きくなっても。
 決して短くない時を生きてきて、ようやく今になってわかったんだ。


 ふたり、で。ふたり、が。変わらないでいることの難しさを。


 ふと、優しく背中を撫ぜる温もりに気付く。その手は快感を引き出すためでもなく、ただ穏やかな、わたしを宥めるためだけの動きをしていた。

『珪くん……』
『な、……。俺、どれだけの間おまえのこと、見てきたと思う?』
『ん……。高校卒業と同時にお付き合い始めたから……、えっと』
『……違う。5歳のときからだ。……おまえあの頃とちっとも変わらない』
『そうなの……?』
『今なら、俺、卒業のときの自分より確信を持って言える。……、永遠を始めよう、ふたりで』

 わたしは言葉の代わりに、顔を胸に埋めた。
 それが始まりの合図だった。
*...*...*
 太陽が少しずつ昇り出し、春の日差しがこげ茶のフローリングにまで脚を伸ばす。
 穏やかに眠り続ける彼の髪を撫ぜると、わたしはまっさらなシーツを巻きつけてベットからキッチンへ向かった。


 わたしには大好きな言葉がある。

 珪くんに。
 珪くんの。
 珪くんへ。

 一番大好きな言葉は……。


 珪くんと。


 はじまりは、今。
 一緒に始めようね。これからの未来を。
 柔らかな風が吹く、この季節に、この場所で。
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