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「……冬の公園って好きじゃない」

 ベージュ色のコート。瞳と同じ色のマフラーを身に着けて、珪くんはぽつりとつぶやく。

 お世辞にもきれい、とは言えない深いグレーの空の下。
 春には薄いピンクで彩られる公園の木々も、2月のこの時期は寒そうに枝を震わせている。

 ── 2月の厳寒期。

 立春とは名ばかりの寒い寒い昼下がり、珪くんとわたしは映画を見たあと、こうしてふらりと冬の公園に来ていた。

 実はわたしも、冬が、というより、寒いのが苦手。
 朝、布団から出るときも、玄関のドアを開けるときも、他の季節より、気合、と表現するのはヘンだけど、ほんの少しだけ心構えが必要だったりするもの。

「この前読んだ本に書いてあったんだけどね……」

 わたしたちは近くにある売店で温かい飲み物を買って、ベンチに座る。
 そして二人、ぼんやりと空を見上げた。
 わ、さっきよりも雲が低い気がする。
 こんな重たい鉛色の空じゃ、帰りは雪になるかもしれない。

「開花直前の桜の木の幹を切ってね、お湯でぐつぐつ煮るとね、その幹からは桜色の樹液が出るんだって」

 わたしは手渡されたミルクティのプルトップに指をかける。
 ……あ、あれ?
 手袋をしてるからか指がホールに引っかからない。手袋を外さないと開けられないかも……。

「……っと。で、でね? 冬の寒さが厳しい程、深い深い桜色の樹液が採れるんだって」
「……貸せよ、それ」

 ミルクティを押し隠すようにして話を続けると、珪くんはわたしの手の中のモノを取り上げた。
 そして、プルトップを開けるとそっと手渡してくれる。
 わたしはそれをごく自然に受け取ると、隣りから発せられる視線を絡ませて笑った。

 背景が変わるだけで、いつも変わらない珪くんがそこにある。

 いつもキミとこの公園を見てきたね。
 心の底辺にまで突き刺さるかと思うくらい眩しい、夏の日差しも。
 新しい教科書。新しい友達。
 桜の花びらさえも新しい匂いを漂わせてるんじゃないか、って思う、春の桜も。

 3年間の季節を一緒に通り過ぎて、今、わたしたちはここにいる。

「だからね、その樹液を染料にしている染師さんは、染め上がった布を見て、この冬がどれくらい寒かったかを思い出すんだって」

 ── 寒さが厳しい程、仕上がりが素晴らしいんですよ。

 もうかなり年を重ねて来たのであろう、その道一筋の頑迷さをたたえた職人さんは、染め上がった布を愛しそうに撫ぜていた。
 わたしは、その姿がとても素敵だ、って思ったんだ。

「つまりね、冬が寒ければ寒いほど、桜の花の色は濃く、きれいになるってことだよ? そう思ったらなんだか冬が寒いのが嬉しくなってきちゃったの」

 今をイヤだと嘆くことは簡単だから。

「春にしてみたら、冬ってかけがえのない時間なんだよ、きっと」

 いろんな想いを矯めて、育てる、助走期間。

 寒さが厳しいほど、次の春を待つ気持ちを膨らませることができたら、いい。
 冷たさが深いほど、今隣りにある温もりを大切にできたら、いい。

 ふと気付くと、わたしはミルクティ片手に、エラそうに一人語りをしていて。
 珪くんはそんなわたしの顔を、まじまじと覗き込んでいた。

 どうしよう。また『ヘンなヤツ』って笑われちゃうかな?
 ヘンなヤツで、ニブいヤツ、って、自覚は満点なんだけど、自覚してても隠す方法を知らないから、やっぱり珪くんから見たら『ヘンなヤツ』に違いなくて……っ。

「……えと、以上、です……」

 語尾がオバケのしっぽみたいに消えてなくなる。
 恥ずかしくてたまらない。
 この口から浮かんで立ち上る白い息みたいに、わたしが今言ったこと、珪くんの記憶の中から消えてしまえばいいのに。
 あああっ、でも珪くん、一度聞いたこととか忘れないんだったっけ?

 がっくしと肩を落とすわたしに、珪くんは肩を小刻みに身体を揺らして笑っている。
 隠しているつもりでも、手に持った缶コーヒーが揺れてるから、わかってるんだからっ。

「……いや。おまえのそういうところ、助かる」
「こういう、お笑い系のところ?」

 赤らんだ顔を隠すように、こてんと頭を珪くんの肩に預ける。
 若草色のマフラーは冬の匂いがする。
 引き締まった口元だけが、わたしの視界と心をいっぱいにする。

「それ以外にも。……こことか」

 じわりと伝え伝わってくるぬくもりは、幼い頃、とっておきの宝物を忍ばせてきた、温かい手の平に似てる。


 寒い冬は、春待つ季節。
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