*...*...* One out of many *...*...*
「そっか、葉月くん、いないんだ……。ちゃん、さみしい、よね?」
「……う、ううんっ、全然っ! 全然へーきっ」
「わたしはさみしいな。―― 鈴鹿くんがいなくて」

 神様のパレットにあるとびっきりなブルーを溶かしたような空と、
 一雨降ったらもう散ってしまいそうな桜の色と。

 そのとき、そのときね。

 ちゃんのぼんやりした横顔が、とてもきれいだなってわたしは思っちゃったんだ。
*...*...*
 わたしとちゃんは、高等部に入ってからのお友達で、奈津実ちゃんや有沢さんたち中等部からの持ち上がりのお友達とは違うんだけど、よくショッピングモールでぱったりと顔を合わせたり、ほら、わたしおっちょこちょいだから、面倒見のいいちゃんのことおねえちゃんのように頼ったりしているうちに、親友、っていうのかな? わたしにとってとっても大切な人になったの。

 そのとき、ショッピングモールでのお買物をすませて、開店したてのカフェでわたしたちはお茶をしていた。ガラス張りの壁が肌寒くなった夕方にはぴったりのカフェ。
 ちゃんは出されたミルクティにそっと息を吹きかけてる。わ、まだはば学を卒業してから、2ヵ月も経ってないのに、ちゃんってこんなに綺麗だったっけ? なんて目の前にいる女の子をちょっと不思議な気持ちで見つめる。わたしはだんだん落ちて来る陽を浴びてきらきらしているちゃんの頬がとっても素敵だなって思う。

 いつかな? いつだったのかなあ……。
 ただのクラスメートから、ああ、わたし、ちゃんのことが好きだな、って思った瞬間は。

 うん、やっぱり、高1の時の体育祭、あれかな?
 3年経った今でも、こんな季節になるとわたしいつも思い出しちゃうんだ、あのときのこと。

 あのとき、わたしたちは放課後のLHRで、体育祭の出場種目を決めていた。
 体育祭の花形は何と言ってもクラス対抗リレー。あれって、運動神経のあるなしが一目でわかっちゃう種目だよね。だから、か……、クラスで選手を決めるとき、誰も決して立候補しないの。
 その時ね、もう顔しか思い出せないようなクラスメートだったけど、ん……、誰だったかなあ、あ、松原さんって言ったかな、彼女がいきなり挙手して言ったの。

さんがいいと思います。中学の時、陸上部だったって話だし』

 このまま沈黙ばかりの話し合いを続けていたって、やがてみんなにフェアなくじ引きになる。松原さんはそのとき自分が選手に選ばれるのイヤだったんだろうね。
 そして、中学からの持ち上がりのうちの誰かを指名したら、その子の属するグループの女の子全員を敵に回すと思ったのかな? まだどんな派閥にも属してないちゃんを指名したの。

 わたし、すぐウソだってわかった。
 席も近いこともあって、わたし、ちゃんが運動あまり得意じゃないから、手芸部に入ろうかなあ、って言ってるの聞いてたし、中学の時、陸上部だってことも聞いたことがなかったから。
 でも、その提案を聞いたときにはもうどうしたらいいの〜って勝手に慌てちゃって。
 とっさに、

『そんなのウソです』

 って言葉が出てこなくて。


 こんな時、よく奈津実ちゃんのわたしに対する評価……、トロい、っていうのは本当だなあ、なんて自分が情なかったりもしたの。だって、わたしがそのときしてたこと、ってオロオロといろんな人の顔色を見て、自分の手を胸の前で握りしめてたこと、だけだったんだもん。

 案の定、ちゃんはプチパニック状態だった。

『えええ? わ、わたし、脚太いし、じゃないっ、脚遅いし、そんな、クラスの代表なんて無理です、えっと……』

 必死で立ち上がってモゴモゴ言ってた。けどその小さな声は松原さんサイドの複数の声にかき消されちゃったんだ。

『それは、大変結構。我がクラスのエースとして頑張るように』

 結局、それを遠くから眺めてた氷室先生は、メガネのフレームを持ち上げるとカツカツとちゃんの苗字を黒板に書いた。

 ―― その日から、ちゃんは変わった。

 バスケ部のマネージャーで放課後は忙しいわたしは、チャイムが鳴るとすぐ体育館へ飛び出して行く。
 マネージャーって奈津実ちゃんが言う、

『糟糠のツマって感じ〜? タオル渡してお疲れサマって言ってればいいんでしょ?』

 と現実はかなり違うと思うんだ。
 バスケは激しい運動だから、ユニフォームの綻びのしょっちゅうだし、ね。ボールの空気圧の管理、バスケコートのテープ貼り、体育館の予約管理、他校との練習し合いのスケジュール、やることいっぱいあるんだから!
 ト、トロいのわかってるもん、だから、時間かけなきゃって、そのときわたしは、勉強よりマネージャー業の方を一生懸命やってたって今も思うんだ。

 でもね。
 あの日から、ちゃん、わたしとほぼ変わらない時間にジャージに着替えて飛び出して行くんだよ、グラウンドに。

 ボールを蹴る音。
 凄まじいまでの砂埃り。
 いろんな運動部のたくさんの掛け声。

 わたし、ユニフォームを洗うフリをしてこっそり ちゃんの姿を探しに行ったの。

 ── あ。

 そこではね。
 グランドのはしっこの、ほんの片隅で。
 ……何度も何度も100mダッシュの練習してるちゃんがいたの。

 体力ないんだ〜、なんて恥ずかしそうに言うちゃん。遠くで眺めてみても……。うう、やっぱり脚は早いワケではないみたい……。
 わたしも運動オンチだけど、マネージャーやってバスケ部の選手の基礎体力データは作り上げてたから、ちゃんのどこをどうしたら、もう少し記録が良くなるのか、っていうのはなんとなくは分かったの。

 だけどね。
 わたし、伝えることができなかった。

 なんか、見ちゃいけないんだ、って思ったの。
 これはちゃんだけの大事な世界で、秘密の話で、経緯を知ってても横からズカズカ入り込んで、

『あのね、もっと脚のストライドを広く取ったらどうかな?』

 なんて絶対言っちゃダメだって思ったの。

 何日か、ちゃん独りきりの練習が続いて。
 ちゃんはわたしになにも伝えることはしなかったけど、隣りの席から微かに漂うシップの匂いで、かなり無理してるんだってことはわかった。

 わたしね、

『もう、止めて』

って何度言おうとしたかなあ。

 ちゃんのいた中学はどうかわからないけど、はば学は体育祭もお遊びみたいなものだから、リレーで負けたからって、誰かが何かを言うわけじゃないよ、って。だからもっと気楽にやったらどうかなあ、って。

 でもわたしが知らないことになっていることを、どうしてちゃんに伝えることができただろう。

 こ、こんなところがグズってことなのかなあ(涙)
 いっぱい推敲したメールで伝えたらわたしの言いたいことは伝わるかなあ? それとも玉緒からさりげなくちゃんの弟の尽くんに言ってもらおうかなあ、なんてあれこれ悩んでいた週明け。

 その日は珍しく雨だった。

 わたし、授業中、窓の外を見ながら、もう仔犬みたいにはしゃいじゃって! だって、バスケ部がいつもやってる体育館と違って、ちゃんの練習フィールドはグラウンド。雨だったら、今日は練習なしだもんね。

 でもね。
 放課後、 ちゃんたら、いつもどおり授業が終るとさっさとジャージに着替えて教室を出て行こうとしたの。
 わたし、 ちゃんの背中に声をかけずにはいられなかったんだ。

『あ、ちゃん……』
『ん、なあに? たまちゃん』
『あの……。今日は、なし、だよね……?』

 『練習』っていう目的語を外してみたんだけど、わたしがなにを言いたいのかすぐわかったみたい、 ちゃんが目を見開いているのがわかる。うう、わたし、やっぱりマズいこと言っちゃったのかな?

 流石にバツが悪くて語尾が小さくなったわたしに、ちゃんははにかむように笑って。
 そして、すれ違いざまわたしの耳元に囁いたんだ。


『内緒、だよ?』


 ふわっと、肩のラインで切りそろえられた髪がなびく。
 その時感じた、ちゃんの匂い。
 香水のようにきつくはなくて、もっとさりげないんだけど、忘れられない香り。


 わたし、今でも覚えてるんだ、って言ったら、ちゃんなんて言うだろう?


 それから体育祭前日まで、判で押したようにちゃんの練習は続いてた。
 男子はノーマルにクジで決めてたから、クジ運がいいっていう葉月くんがリレーの選手だった。

 ね、ちゃん。
 わたし、ずっと見てたんだよ。

 ちゃんの毎日の練習風景。
 日増しに濃いピンクがオレンジ色に染まるころ。
 一つの長い影が、ふたりのそれになったこと。

 ヘンなの。
 わたし、こんな季節になると、いつもちゃんと葉月くんのジャージ姿を思い出すんだ。
 エンジ色の、はば学の。


 ね、ちゃん……。
 わたしたち、たくさんの人の中から出会ったんだね。

 わたしとちゃんも。ちゃんと葉月くんも。

 さっきみたいに、1年間同じクラスにいながら名前が思い出せない人もいる。街ですれ違っても、気付かない人も。
 でも卒業しても、まだ連絡を取り合って、近況を伝え合うって、そんな友達に出会えたわたしはとってもラッキーだったんじゃないかな、って思うんだ。
 わたしが、鈴鹿くんのこと相談するのってちゃんしかいないって思うように、ちゃんも、葉月くんしかダメっていうことがきっとたくさんあるんだよね。


 ね、 ちゃん、お願い。
 本当はすっごくさびしいクセに、さっきみたいに『全然へーき』なんて、わたしの前では強がらないで?


 ふと、わたしの目の前にあるオレンジジュースが空の色と重なる。
 カラン、と氷の溶ける音がちゃんの注意をわたしに向ける。


ちゃんは、葉月くんが帰ってくるまで、あと、2週間?」
「ん、と……。13日、かな?」
「わたし、わたしはね、鈴鹿くんが帰って来るまで、あと、23日なの」


 葉月くんは高校時代から続いているモデルのお仕事で、鈴鹿くんはドリームワールドツアーの遠征で、今日本にはいない。
 わたしは、えへんと空咳をしてちゃんを見つめる。

 いつもわたしがちゃんのこと、頼ってばっかりだから、ここは少しだけキャラチェンジ。



 強くて、弱い、人。
 頼もしそうに見えて、裏で泣いてる女の子。
 きっと、陰で100mダッシュを何度もやって、当日には当然のように1等を取る、わたしの、親友。


 ―― 大好きだよ。


 きっと葉月くんに伝えたら、なんだか彼、むっとしちゃいそうだから、これはわたしの中だけの内緒。
 わたしはちゃんの白くて小さい手を取って言った。


「ね……。葉月くんと鈴鹿くん帰ってきたら、4人でダブルデートしよう?」


 約束、だよ?
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