*...*...* 小さな虹 *...*...*
初夏の昼下がり。はいつものように、俺の家に来ていた。
付き合い出してから、……いや付き合う前からも、よく俺の家に来ていたけど、
この頃は、ここで週末の1日をのんびりと過ごすのが日課になってきている。
「……あのね、珪くん、来週なんだけど……」
「……ん?」
「来週は、ちょっと美容院に行きたいから、ここには来れないかもしれないの。
……だからまた2週間後に、お邪魔するね!」
さっき飲んだコーヒーのカップを丁寧に洗いながら言う。
そんなに水が冷たいわけでもないのに、指先が赤い。
「……美容院?」
「……そう。卒業以来、一回も切ってないんだー。さすがに一回切りそろえないと、ね」
「髪、伸ばすのか?」
「うん! もうちょっと伸びたら、パーマにも挑戦してみようかなって。
……奈津美ちゃんも、卒業してからパーマをかけたの。
この間会ったんだけど、すっごく雰囲気が変わって、大人っぽくなってたよ」
「……パーマ?」
「そう……。珪くんみたいに少しネコっ毛だと、
ふわっとして素敵なんだろうけど、わたしのはまっすぐ、だから。
パーマ、かけたらどうなるのかなって」
キュッと水を止めると、乾いたフキンでカップを拭く。
……3年間パイトしてただけある、手際の良さ。
「……来週も、来いよ。ここに」
「……へ? あ、あれ? 今、お話したよね……? 来週の話」
「……俺が、切ってやる。の髪」
*...*...*
俺はを庭に連れ出すと、丸イスに座らせた。「わぁ、このイス、くるくる回るんだー。
えへへ、足が付かないから、面白い〜」
そう言って一人で遊んでいる。
こういうところ、かわいいよな。
無邪気、というか、天真爛漫、というか。
上手く言葉にできなくて、ついからかうと、
「子供っぽいって思ってるでしょ?」
って逆に食ってかかってくるから、困る、けど。
「ちょっと待ってろ」
俺はの髪をスプレーで濡らし、すばやくブロッキングした。
「……えと……? 珪くん?」
「なんだ?」
「……どうして、こんなこともできるの?」
「……バイト中、パパッと切られるとき、あるんだ。……それで、覚えた」
「……って、普通、それじゃ、覚えられないよう……」
「ほら、切るぞ。……動くなよ」
俺はに気付かれないように、肩上の長さで髪を切っていった。
は暢気に鼻歌を歌っている。
「……よし。次は前髪。……どれくらいの長さにするんだ?」
「んと、ね。眉毛と目の間くらいの長さ、でお願い……」
「……わかった。少し目を閉じろよ」
「はい」
が目を閉じてから、俺はの前髪にスプレーをかけた。
きらきら、きらきら。
長い睫(まつげ)がほっそりとした鼻梁に陰を落とす。
そこへスプレーの粒子と日の光が重なり合って。
俺はの顔に、小さな虹を見たような気がした。
キレイ、になったよな。
もともとかわいいヤツだったけど、
大学に入ってからは、幼いばかりだった表情に、
時々、はっとさせられるような、大人っぽさが加わって。
毎日見ている俺さえ、見とれてしまう時がある。
……俺が変えた、と思いたいけど。
何度抱いても、恥らってばかりの。
自分のモノ、になったはずなのに、なっていないようなもどかしさ。
……幼い頃のように、また俺の横を通り過ぎて行ってしまうのか……?
「……珪くん? 出来た?」
その声で、現実に戻される。
「いや。まだ。……悪い。もう一度目を閉じて」
「ん」
素直には目を閉じる。俺を信じ切っている顔。
「……ほら、できあがり。見てみろよ」
そう言って、鏡を渡す。
「……えっと、自分で言うのはヘンだけど、か、可愛い〜」
「……だろ?」
「でもでも、横も後ろも大分切っちゃったね。伸ばすつもりだったのに」
「いいんだ。……その髪型、ちょっと子供っぽいけど、おまえに似合ってるから」
俺は笑いながら言う。
「もう……。またそうやってからかう!
わたし、やっと、ちゃんと、珪くんに追いついたんだから!
もう、同い年なんだから、ね!」
俺の胸をゲンコツで軽く叩きながら、さらに言葉を重ねる。
「わたし、19才になるまでのこの一年、
珪くんが見間違えるくらい、大人っぽくなってやるんだから!
一年後、ビックリしないでよね!?」
その仕草と言動が可愛くて、もっとからかいたくなるんだ、おまえ。
「……じゃあ、慣れてもらわないと、な」
「え?」
「俺とこうすること」
「!!」
そう言うと、俺は少し屈んで、丸イスに座っているにキスをした。