*...*...* 明日へのヒカリ *...*...*
「……あ! 始まるよ!」

 ヒュルヒュル、という音の後に、細くうねった煙が立ち昇る。
 その後の昼間のような明るさ。
 顔まで落ちて来るような、炎。

「ね、ね? コワくなんてないよ? ほら、きれいでしょ?」


 早矢(さや)の頬に自分の頬をぴったりとつけて、は花火を指さす。
 早矢は、最初は大きな音に驚いた様子だったが、そのうち色とりどりの花火が 上がるたび、嬉しそうに手を叩き始めた。

 今日は恒例の花火大会。
 去年はまだ早矢が小さいから無理だろう、ということで、家族3人で見に来る のは初めてだったりする。


 3人で。
 みんなで浴衣を着付けて。

 片言だけど人間らしい言葉を話し始めた、早矢。
 その早矢を嬉しそうに抱きしめている、
 そして。
 その2人を後ろから見つめている、俺。


 もう、決して消えることのない現実がここにある。


 俺ほど、……今の自分に感謝している人間っていないだろうな。


 と結婚して。……子供ができて。
 俺のこと、俺以上に理解してくれるが、いつもそばにいて。
 そのと、俺との家族を授かることができて。


 もう、何も、いらない。
 このまま穏やかで、変わらない時間が過ごせていけたら、と。
 いつも、そう、願ってる。


「……そう? 早矢も好きなの? この色」

 いろいろ早矢に話し掛けていたが、くるりと俺を振り返って言う。


「ね、珪くん? 早矢もこの色、好きなんだって!」
「ん?」
「……あ、消えちゃった。…ん、と、待っててね……。あ、あれ!」

 いつまでも消えない金色のしだれ花火の後、やや小粒の花火がポンポンと威勢 のい い音を立てて上がる。

「ミドリ、か」
「そう! ……早矢? 早矢の大好きなパパの、瞳の色、だよ。しっかり見て? 」

 しかしの熱意もどこ吹く風、といったようで、早矢はたくさん並んでる出店 の方 に目を奪われていた。

「ははっ。早矢は食べ物のほうがいいみたいだな」

「も、もう〜〜! ほら、早矢、せっかく見にきたんだから、花火、見よう?  ね ?」


 ほらこっち、と、は早矢の顔を花火に向けさせる。
 ……が、早矢の視線はあっさり出店のほうに流れてて。

「く、悔しい〜! ほ、ほらっ!」


 早矢はなおも言い募るをゆったりと見た後、俺に手を伸ばしてきた。
 これは。

『抱っこ、して?』

 の合図。

「また俺の勝ち、だな」

 俺は嬉しそうに手足をゆする早矢を抱き上げると、出店に向かう。
 は、いつもこうなんだから! と口ではブツブツ言いながらも、嬉しそうに 俺た ちの後をついてきた。
*...*...*
「わぁ…!! きれいだね〜」

 淡いピンク色をしたイチゴミルクのカキ氷をほお張りながら花火を見る。

 時々、こんな氷のような、早矢の唇のような、そんな愛らしい色の花火が 上がるから、そのたびにわたしは花火に見とれる。
 早矢は初めて食べるカキ氷に夢中で、ふっくらした白い頬にピンク色の氷をい っぱいつけていた。

「んもう、ほら」

 わたしは、浴衣がシミになっちゃう…と小言を言いながら、頬の氷を指ですく うと 口に入れた。

「ん?」

 そんなわたしたちを、困ったような、複雑な表情で見つめる珪くん。

「コイツが女で良かった……」

 今月で2歳になる早矢の頭を愛しそうに撫ぜながら言う。

「どうして?」
「オトコだったら、……嫉妬しそうだ。おまえたちに」
「ヘンな珪くん! ……男の子だって女の子だって、自分の子には変わりがない でしょ?」
「そうだけど、な」


 2年前の夏。
 早矢を産んだわたしに、

『頑張ったな』

 とだけ声をかけた珪くん。

 でもね、早矢が無事に産まれた喜びで泣き通しだったわたしより、ずっとずっと目 が赤 かったの、わたし、知ってるんだから。

 それは早矢が夜明けに産まれて、寝不足だったから、ではもちろんなくて。
 後になって意地悪く問い詰めてみたら、返ってきた返事。



『……どんなコトバでも、足りないくらいの感動だったんだ。
 好きなオンナ、と結婚できて。好きなオンナ、との子供が授かって』

 きっと、女にはわからないかも、な。
 汗で濡れたわたしの前髪をなぞりながら、そう言うから。

『そ、そうかな?……『オンナ』のところを『男』にすれば、わたしも同じ気持ち、だよ ?』

『いや、『深さ』が、……さ、違うんだ』
『?』
『……好きなオンナが、命をかけて、自分の子を産んでくれたんだ、と思うと』
『…………』

『……ときどき、泣きたくなる』


 女として、妻として、母として。
 もう、これ以上ないくらい、幸せを分けてもらって。

 そして、それは、珪くんも。
 ……わたしとおんなじだといいな、って。

 なんて以前は、……だといいな、なんて、弱気な態度? だったんだけど。
 今は、

『わたしとおんなじくらい、珪くんも』

 って思えるようになってきてて。


 見てれば、わかる。

 絶えず微笑を浮かべた唇。
 穏やかな瞳の色。
 落ち着いた物腰。

 付き合ってからもしばらくは珪くんの表情に浮かんでいた、控えめな雰囲気、 と
いうのか、少し人より後を行くような、寂しそうな印象はもう全くなくなってて 。
 この頃は、コトバではうまく表現できないような、優しい表情をしてることが 多く なった。

 特に、早矢を見つめる時の目は、たとえようもないほど優しくて。


 もし、わたしや早矢の存在が、少しでも珪くんの力になってるのなら。
 ……嬉しいなあ、って。

 珪くんの寂しそうな顔は、もう、見たくないから。

「ほら、俺、……時間的に融通の利く仕事だろ? だから……、できるだけ早矢 のそ ばにいてやりたい、って思う」

 そう言ってこの2年、育児に関するできるだけのことをやってくれた。

 ……そのおかげで、早矢はすっかりわたしの言うことを聞かないパパっ子になっち ゃっ たけど。

 それもまた幸せなのかな、って。


 珪くんにそっくりな目元を受け継いだ早矢。

 笑った表情もそっくりなら、少し膨れた表情までそっくりで。
 早矢の顔を見つめていると、早矢がイタズラしてもなにしても、怒る、とか、 カ る、とか そんな感情は、この2年、全然浮かんでこなかったよ。



 でもね、たまに珪くんとケンカすることもある。
 ……珪くんに言わせると、

 『ケンカ、じゃなくて、話し合い、だろ?』

 って言うことらしい、けど。

 その話し合いの殆どが、早矢に関すること。

 育児の方針っていうのかな?
 珪くんには、珪くんの。
 わたしには、わたしの価値観があって。
 恋愛時代みたいに、新婚時代みたいに、

 『ん、じゃあ、珪くんの良いようで、いいよ?』

 なんてしおらしいことも、言える状況ばっかりでもなくて。

 わたしも早矢に関することで、正しい、って思ったことは一歩も退かないから。
 今夜も早矢の寝ている部屋のエアコンをつけるかつけないか、でちょっと揉め て。


「わかった。……おまえの良いようでいい」
「ん。ありがとう」

 家に帰って、はしゃぎ疲れて眠ってしまった早矢を眠らせて。

 わたしは手早く冷たい飲み物を用意して珪くんに渡した。

「おまえ、強くなったな……。このごろ押されっぱなしだ、俺」

 珪くんはソファに腰掛けると、苦笑交じりに呟いた。

「そうだね。やっぱり、母親になると違うのかな?」

 それは、自分でもちょっと思う。

 言ってしまってから、……あ、珪くんに、こんな強い口調で言って、良かったか な、 とか。
 ……こんなわたし、珪くん、あきれちゃってるかな、とか。

 どうか、キライ、に、ならないで、とか…。


 ……イロイロ。たくさん。

「ん〜〜」


「なんだ、気にしてるのか?」
「ん……。ちょっと反省中〜〜。さっきのことに関しても。他のことに関しても 」

 そんなことか、と珪くんは小さく笑って、わたしの腕を引っ張った。

「ちょ、ちょっと、待って……? あの、汗、かいてるし……っ!」

 浴衣の上から、身体の線を確かめるようにさする指。

「……俺の腕の中で、オンナになって、母親になって、こんなに強くなったのに 。
 こういうときは、変わらないんだな」

 わたしは必死で、迫ってくる珪くんの胸を押しのける。


「ホントに汗かいてるから…っ。……このまま、なんて、イヤだ」
「俺はかまわない」
「…………」
「……どんどん変わっていくおまえも、変わらないおまえも、……俺、全部好きだか ら」


 ホントかな?
 どうして、わたしが、欲しい、って思ってるコトバ、そのままを。
 いつも珪くんは、くれるのかな?

 あまりにもバレバレな自分が悔しくて、わたしは珪くんを茶化す。


「強いところも?」
「そう」
「妙に照れちゃうところも?」
「そう」


 お互い、瞳の中を覗き込んで、……微笑む。


「こんなに、汗、かいてても?」
「そう。……もう、黙れよ」
「ん……」


 目を閉じた瞼の裏には、さっき見た花火のヒカリ。
 これからの行為を確信させるような、キス。



 部屋には帯を解く音だけが残った。
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