*...*...* Departure 〜Tsukushi's Side〜 *...*...*
 かたん、と玄関のドアが開く音。
 あ、ねえちゃん、やっと帰って来たのか。

『あいつの、フォロー頼む』

 まあったく、葉月ったら難しいこと俺に押し付けちゃって。
 フォロー、フォローね!
 んなこと言ったって、ねえちゃんの出方次第で、
 俺だって、態度変えなきゃいけないし、これって結構、難しいぜ?

 でもねえちゃん、ああ見えていつもあっけらかーんってしてるから、こっちがあんまり心配することもないのかな。
 俺は頭をポリポリ掻きながら、階段を駆け下りて、

「よっ、ねえちゃん、お帰り〜、って、ど、どうしたんだよっ!?」

 明るく声をかけながら、途中から思いっきりあわてた。
 見ると、夏だって言うのに、たった今南極から帰ったんじゃねーかっていうくらい、真っ青な顔して、……そう、玄関に立ち尽くしてる。


「は、葉月は?」
「ん、ここまで送って来てくれて、たった今帰った」
「なーんだ、家に上がってもらえばよかったのに、な、あはは……」

 くそ、笑い声に力が入らないな。3人でいて、なに話せ、って言うんだよ。

「結局泊まってきたんだよな〜。母さんへの言い訳料として、へへ、またお小遣い追加しちゃおうかな〜?」

 ねえちゃんの様子が知りたくて、俺は軽くフェイントをかけてみる。
 すると、ねえちゃんは玄関端にちょん、と靴を揃えて、

「ごめん、尽、……ちょっと眠らせて?」

 と、ささっと俺の傍(わき)を通り過ぎて行った。


 ――重症だな、あれは。
 いつもだったら、俺のあんなセリフにさえババっと赤くなって、

『ね、お願い、内緒にしてて?』

 なんて頼みこんでくるのに。
 俺と顔も合わせようとせずに、さっさと自分の部屋に閉じこもっちゃった。

 さて。
 どうしたもんかな〜。

 俺は理由(わけ)もなく、ぐるぐるとリビングを歩き続けては、ねえちゃんの部屋の位置の天井を見上げた。

 葉月は、見た目がイイ男ってだけでなくて、性格もなかなかよろしい。
 それはわかってる。
 や、ちょっと無器用っていうかぶっきらぼう、って言うか、はじめは誤解されやすい性格かもな。。

 でも、なんてったって、ねえちゃんのことすごく大事にしてくれてたからな。
 葉月といるねえちゃんは、いつも見るからに幸せそうで。
 俺はそんなねえちゃん見てたら、まあ、いっか、と思えるようになってきて、は、いた。


 でも、これから。
 いつ帰って来るかわからないような状態でねえちゃんを放っておくとなれば、話は別だ。
 やっぱ、突然聞かされて、……相当ショックだっただろーな。
 さっきの様子を見てるに『眠らせて』なんて言ってたけど、本当は寝付けなくてぼーっとしてんだろーな。

 ったく、しょーがねーな。
 頼まれたんだし〜、……っていうのは言い訳で。
 俺はねえちゃんが心配でたまらなくなって、

「ねえちゃん、入るぞ」

 と、その返事も待たずにねえちゃんの部屋に入った。


「……やっぱ、寝てないんだ」
「ん……」

 ベットに横になっているものの、ねえちゃんの目はぼんやりと空(くう)を見ていて。
 疲れすぎて、目が冴えてる、っていうか、瞼が開けていられない程腫れ上がってるのに、その奥の瞳だけはきらきら光って。
 その疲れ切ってる様子が弟の俺から見てもせつなくて、思わずその瞼を撫ぜたくなるほどだった。

 俺はなんだか無性に悲しくなって、横になっているねえちゃんに向かって言った。

「な、ねえちゃん。もう、そんなツラい恋なんて、やめちゃえよ。
 ねえちゃんならさー、もっと、簡単で分りやすい恋ってのが  よりどりみどりであるだろ? 
 なんなら、俺、大学のオトコ、リサーチしてやるからさっ? な、そうしろよ。
 ねえちゃん置いてくオトコなんてこっちから払いさげて、さ」

(俺、見ていられないよ。こんなねえちゃん)

 なんてのは、恥ずかしくて口には出せないけど、な。

「もう、やめて」

 ねえちゃんは静かな声で遮った。

「あ?」
「もう、お願い。……言わないで」
「ねえちゃん……」

 あのね、尽、……と、ねえちゃんは弱々しく微笑んで、一息つくと、

「珪くんとわたし、っていうか、ね……。こういう相手、っていうのは、ね。
 きっとずいぶん昔から決まっちゃってるのよ。
 止められないの。代わりもきかないし。
 他の人じゃ、埋まらないのよ。……少なくともわたしの場合は」

 と、歌うように一気に言った。

「へ、へえー」

 そうなもんですか。ってことは、好きな子が複数いる俺なんかは、一体なんだっていうんだろう?
 俺の考え込んでる様子を見て、ねえちゃんは、小さく笑って言った。

「尽も、いつか、わかるようになるよ?」
「ちぇ。大人ぶっちゃって」

「あはは。確かにちょっと背伸びしてるかも」


 ねえちゃんは小さい身体をさらに小さくして首をすくめる。
 俺はねえちゃんがほんわり笑ったことに安心して、ようやく顔色の悪いことに関心が移った。

「それにしてもさー。ねえちゃん、メチャ顔色悪いぜ〜。
 なにも食べてこなかったのかよ? 待ってな〜。今、ねえちゃんの好きなもの作って来てやるから」

 それを聞いてねえちゃんは、にっこり笑って嬉しそうに半身を起こした。

「わ、嬉しい。わが弟ながら、気が利くよね」
「オトコもオンナも、身体が弱ってるときって、狙い目なんだよな〜。俺もねえ ちゃん相手に経験値アップしとくのもいいかなってさ!」
「つ〜く〜し〜? まったくもう、狙い目、なんてなによう! 人が参ってるときにアンタって子は!」

 俺はねえちゃんが怒り出すのを見て、思わず笑ってしまった。
 良かった。それだけ元気があれば大丈夫、な?

「ほらっ、横になりなって」
「……ん」

 ねえちゃんは、俺の手の誘導に従って、再び横になりかけて。
 あ、そう言えば、尽におみやげってけーくんから、ってカバンを取ろうとベットから下りて。
 2、3歩歩いたところで、気の抜けた風船のように、くたん、と足元に崩れおちた。


「お、おいっ!ね、ねえちゃんっ! ねえちゃん!?」


 話しかけてもゆさぶっても返事をしないねえちゃんにあわてふためいた俺は、 タクシーを呼びつけると1番近くの病院に駈け込んだ。
*...*...*
「検査結果は陰性ね……」
「そう、です、か」

 一瞬、俺の横から安堵のため息がもれる。

「なにか強いストレスがあったのかな?
 女の子の身体は繊細だから、大事にしてあげないと、ね」
「はい……」

 先生はくるっと椅子を回転させると、点滴の用意しといて? と看護婦さんにこと付けた。
 そしてゆっくりとねえちゃんに向き直って。


「あとね、さん。……自分の身体は自分で守らないと」
「え?」
「さっき、私が陰性ですね、って言ったとき、あなた、ほっとしてたでしょ?
どんなに時代が進んでも、子供、産むのも育てるのも、女だからね〜」

 そうよ〜、避妊はちゃんとしなきゃ、ね?と、
 先生は俺の顔を見てガッハッハと笑いながらカルテを右端のトレーにポンと置いた。

 こ、このセンセ、女だっていうのに、ゴーカイだな。俺に言ってどーすんだよっ。
 って、ねえちゃんと俺はそっくりな顔してるし、
 さっきから、俺、ねえちゃんねえちゃんって連呼してるから、
 まあ、姉弟ってことわかってんだろうな。


「……守りたくなんかありません」
「……って、ねえちゃんっ?」


 見ると、ねえちゃんは唇をきゅっとかみしめながらスリッパの先を見つめている。

「ね、ねえちゃん!せ、先生、すみません。ねえちゃん、 今、少し余裕がないっていうか、なんて言うか、 思ったことそのまま出ちゃうタイプなんで……。へへ」


 すると先生はすっと目を細めて、トレーに置いたカルテを覗きこんだ。

「あなたまだ21歳よね……? じゃあね、言い方を変えるわ。 今、あなたに子供ができたら、彼は喜んでくれる?」
「そ、それは……!!」

 わ、センセ、またそんな地雷を踏むような質問をしちゃって……。
 俺はおそるおそるねえちゃんの顔を覗きこんだ。
 ねえちゃんは先生の質問をゆっくりと解釈した、かと思ったら、その顔は悲しそうに歪んで、ほろほろと涙を流している。

 ……子供、ね〜。

 もしそうなったら、葉月なら大喜びしそうなもんだか、
 やっぱ、しばらくいなくなる、って聞いてから、
『喜んでくれるか?』なんて訊かれても、困るだろーな。ねえちゃんも。

 手の甲に爪のアトがくっきり付くほど握ったねえちゃんの手を見て、先生はとりなすように言った。

「私は、やっぱり子供は祝福されて産まれるのが一番だと思うの。
 まだかまだか、って待ち望んで産まれる子、がね。
 まあ、予定外の妊娠であっても、ほとんどの場合は、産まれてくるまでに
 祝福される体制がととのうことが多いけど」


 先生の声は慈愛に満ちていて、心からねえちゃんのことを
 心配しているのが解かったから、何だか俺もしみじみとした気持ちになった。

 それ、は、ねえちゃんにも伝わったのだろう。

「……はい」

 とおとなしく返事を返している。


「ま、ゆっくり休んでね〜。心も身体も」

 そう言うと、先生はぽんぽんとねえちゃんの肩を叩いた。



 診察室を出て。
 病院の会計を済ませる間、ねえちゃんは申し訳なさげにロビーの長椅子に腰かけていた。

「ねえちゃん、さっき、どうしたんだよ?」

 いつものねえちゃんにしては珍しい。
 あんな風にいきなりケンカふっかけるような口調で切り返すなんて。

「ん?」
「先生にくってかかっていったろ?」

 ねえちゃんは、膝を抱えながらぽつりとつぶやいた。


「ん……。あの、先生がおっしゃった、『自分を守る』って言葉、
 ますますわたしと珪くんを隔てるような気がして。悲しくなっちゃって。
 ……珪くんと違うイレモノの、自分の身体がうらめしいくらいなのに……」

 わ、また、目がウルウルしてる。
 ったく、ねえちゃんの涙腺はどーかしちゃったんじゃないか? っていうくらい、湿りっぱなしだな。

『違う、イレモノ』

 一緒のイレモノ、だったら、なにも考えなくても済む、から、か……。

(そんなに、好きなのか)


 俺はなんて相槌を打っていいのかわからなくて、黙っていると、
 ねえちゃんは、誰に聞かせるでもなく朴訥(ぼくとつ)とした口調で話し出した。

「わたしね、珪くんには夢を諦めてほしくないの。
 珪くんね。本当に嬉しそうなんだよ?
 デザインのデッサンしてるときとか、宝飾に関する本を読んでるときとか。
 わたし、そんな珪くんを見て、ああ、夢中になれるものがあるって素敵だな、って、
 ……初めて思った……」
「そんなっ、残されたねえちゃんはどうなるんだよ?」

 身体に変調来たすまで、悩んだんだろーが!?

「ん、わたし、残されたなんて思ってない。
 わたしさえ辛抱すれば、珪くんは、……なんて被害者的な考えも……ね。
 ただ、やりたいこと、やってきてもらいたいんだ。けーくんには。
 ……今までいろんなことあきらめてきた人だから」
「ねえちゃん……」

(今、どこ見てる?)

 ねえちゃんの、視線の先には、なにがあるんだ?
 

 静かな口調の中の告白には、ねえちゃんの強い気持ちが滲み出てきてて。
 葉月への思い、というかが溢れて。
 溢れて、というより、それは大きな渦になって、ねえちゃんの周りを取りかこんでいるようだった。

(スゴイな)

 ボキャ貧な俺が言えるのはそれだけ。

 まぶしいよ。そんなねえちゃんたちが。
 なにがあっても、気持ちを繋いでいこう、とする、その姿勢が。
 思い、思われて、なお、その関係に甘えないで、進んでいく2人が。


 俺は無機質な病院の壁を見てて、……気付いた。
 俺はまだ、それほどまでに人を愛したことも愛されたこともないんだってことに。
*...*...*
 病院から処方された鎮静剤でようやく眠ったねえちゃんを確認して。
 俺はリビングでナイター中継を見ていた。
 大好きなチームが先制してて、いつもならご機嫌で鼻唄の一つも出るところだけど。

 ……参ったな、今日は。
 俺は肩をぐるり、と回しながらため息をつく。

 病院ってひどく疲れるんだよな〜。
 人のいろんな思いが交錯してる場所だからかもしれないな。雰囲気が暗くて。

 その時、リビングの電話がせわしなげに鳴り響いた。

「誰だよ〜。ようやく寝たっていうのに〜、っと、もしもしっ!!」
「……どうだ? あいつの様子」

 葉月からの電話だった。
 まあ、今ってケータイでなんでも用が足りちゃうから、こうやって自宅に電話して来るなんて、珍しいよな。
 それだけ、心配ってことか。ねえちゃんのことが。

「あ、ねえちゃん? あ、うん、ああ、良い調子だよ? 絶好調っていったところ? あ、あはは……」

 ねえちゃん、眠る間際まで、

『ね、けーくんには黙ってて。お願いだから……』

 なんてそれだけを気にしていたから、俺もそれは死守しようかなっと……。
 でも俺、焦ると、余計なことばっか話しちゃうんだよな〜。

「……ふーん」

 疑わしげな葉月の返事。

 ちくしょー。
 どうして俺がこんな間に立って、どきどきそわそわしなきゃなんないんだよ?
 あ、なんか、ハラ立ってきた。
 葉月との電話越しの沈黙が気になって、いっそ、本当のこと言ってやろうか、と俺は息を吸い込んだ。
 その時。


『他の人じゃ、埋まらないのよ』
『けーくんには、やりたいことやってきてもらいたいんだ』
『……今までいろんなことあきらめてきた人だから』


 ねえちゃんの声が響く。

 その声音は、優しくて、ふわふわしてて。
 でも、揺るぎない覚悟を持ってて。
 あああもう!! しょうがねーな。ねえちゃんたちは!


「葉月〜、この貸しはデッカイからな、覚悟しとけよっ!!」

 俺が半ば怒鳴りながら言うと、相変わらずの葉月のぼそぼそ声が返ってきた。

「……わかってる。一生かけて払うから」
「そうだよっ!! ったくもう」

 叩き付けるように受話器を置いてから、俺は気付いた。


『一生』?

 ――あ、ふーん。そうなんだ。
 一生、なんだ。

 俺、さっきハラが立ってて、うっかりスルーしちゃったんだな。
 ったく、いつもの俺らしくないぜ。

 ……一生、かぁ。
 今からねえちゃん、叩き起こしてでもして教えてやろうか?
 んでも、そんなことしたら、葉月の楽しみを奪っちゃうことになるのかな?
 でもな〜。だいたい想像つくぞ。

 ねえちゃん、

『一生かけて払う』

 って聞いたって。
 きっと、文字通り受け取って。

『そんなに長いこと、かからないでしょ?』

 ってきょとんとした目で見つめ返してくることくらい。



(ねえちゃん、頑張れ)


 俺は多分、話を聞いてやるくらいしかできないけど。
 そんなささやかなことが、これからの励みになるのなら。

 ――なんだって、やるから。
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