*...*...* カンタン ナ コト *...*...*
「ね、葉月くん。今度のお休み、ね……。はばたき山に行かない? 
 ほら、今年はいつもより紅葉が早く見れるんだって。急に寒くなって来たから」


 放課後。
 あっさり睡魔につかまって眠りこけてた俺に、が声をかけてきた。
 今日、は……。水曜か。バイトはない、な。
 俺はぼやけた意識と視界の中、に焦点を合わせるために目を細めて尋ねた。



「……おまえ、どうして俺なんか誘うんだ?」



 わからない。
 俺といても、楽しいことなんてないだろう、と思う。
 人気スポットを知ってるわけでもないし。
 おまえが嬉しくなるような言葉をかけてやれるわけでもない。


 でも、夏休みが終ってから、というもの、
 はなにかにつけて俺を遊びに誘うようになっていた。



「え、っと……、それは」



 俺の唐突な質問には口篭っている。


 いつもいろんなヤツに取り囲まれているおまえ。
 高校からの転入組だ、っていうのに、
 休み時間には男女を問わず、違うクラスからも人が押し寄せて来る。


 おまえの周りに広がる、輪。

 時々、うらやましくもねたましくも思いながら、
 休み時間になるたび、俺は、どうやってこの時間をつぶそうかと苦心するようになっていた。



「俺以外に、いるだろ? そういうの」



 言った瞬間、自分の口を捻(ひね)りたくなる。


 どうしてもっと上手く言えないんだ? 俺。
 そもそも、俺は、どうしたいんだ? 
 行きたいのか、行きたくないのか、……行かせたくないのか。


 しまった、と口を押さえたときには、もう遅くて。
 今まで嬉しそうに俺の顔を見ていたは、かあ、っと頬を赤くすると、
 俺の顔から、先週、冬服に替ったばかりの制服のエンブレムに目を落した。


「だってね、……気になるの。
気になるって理由だけで誘っちゃ、ダメ、かな?」
「…………」


 俺はなんて答えていいか分からずに、カバンを手にして自分のペースで歩き出すと、
 はその場に立ち止まったまま、俺の背中に向かって不貞腐れたような声を上げた。


「葉月くんはっ、……葉月くんはね、ウソつきなんだよ」
「……は?」




 口ベタだ、とは思う。
 よく思ってる。

 でも、どうしてこいつにいきなりウソつきだ、なんて言われなきゃいけないんだ?


 思わず振り返ると、は、一瞬怯んだような表情を見せて、更に言い募った。


「本当は寂しいくせに。
 本当は、誰よりもみんなと仲良くしたいって思ってるくせに。
 でもそれを諦めちゃってるんだよ。葉月くんはっ!!」


 仁王立ちをしながら、はそれだけ言うと、はぁ、と肩で息をした。


 諦めた? 
 ……そうかもしれない。

 どんな風に取り繕っても、独り歩きしていく虚像。
 話をすれば、調子に乗ってる。
 黙っていれば、天狗になってる。
 そのどちらにも属してるつもりのない俺は、誤解されたままの楽な道を選んだ。

 そのうち俺は、自分の感情さえも上手く表現することができなくなってしまったような気がする。



「……俺と話してたって、ツマラナイだろ?」



 しゃれた会話も、優しい言葉も、なにも持ってない俺。
 ツマラナイヤツ、って言葉も、自分で言うのもなんだが、しっくりくる。



「そんなことはね、葉月くんが決めることじゃないでしょ? 」

 それに、ね……、と首をすくめながら言う。

「……少なくとも、わたしは、すごく、楽しい……」
「……ふーん」


 はいたずらを思いついたコドモのように目を輝かせて、


「……んだよ〜? 」
(葉月くん、そんなこと、わかってるでしょ?)


 と言わんばかりに、俺を表情を盗み見している。

 こいつ……。なんなんだ? 
 俺は視線を前に向けて、もう薄暗くなりかけた廊下を歩きはじめる。
 するとすぐ、わっ、待って〜と言う声とともに、パタパタと後をついてくる気配がして。




 その空気を。
 案外、嫌がってない、……むしろ、心待ちにしてる自分に気付いた。



 ――今まで、いろんなヤツが俺の周囲を取り囲んできた。
 そのどれもが、俺じゃない俺に惹かれて、来る。
 そんな気がしていた。

 取材や写真。
 そんな虚像に、つられて来るヤツになんて興味なかった。


 俺より性格のいい男なんて、たくさんいるだろうし。
 見た目が良くて来るのなら、俺より良いヤツが現われたら、あっさりそっちに流れていくだろうし。



 俺を、取り囲む、虚像。
 いくらもがいても、独り歩きして行く、ソレ。


 いつからか俺は、虚像とのギャップを埋めるよりも、
 その虚像とともに歩くようになった。

 その結果、失うものもあったけど、好きになったやつに迷惑かけるより、ずっとましだと思ってた。


 この前のビリヤード場での、悪意だけに満ちた暴言とか。
 オフの日にいきなり追いかけられること、とか。
 俺の個人的な事情で。

 おまえに、迷惑をかけたくない。
 おまえにイヤな思いをさせたくない。





 ――好き、な、ヤツ、に?





 …………。






「……ったい」


 俺は背中に軽い衝撃を感じる。


「や、やだな、……いきなり立ち止まったら」


 ますます鼻が低くなるよう、と、
 自分の鼻をつまみ上げて屈託なく笑ってるを見て。


 ――俺もついつられて微笑んだ。


 そう、なのか……。
 そんな簡単なことだったんだ。


 迷惑かけたくない。
 イヤな思いをさせたくない。




 ――おまえに。おまえだけは。





 わかってた、俺。

 おまえが虚像じゃない俺を見ていてくれてたことくらい。
 10人のうち10人が俺の容姿のことを話題にするのに。
 容姿のことなんて一言も口に出さなかったことくらい。


 いつも話すのは。

 俺がなにを考えてるか。
 なにを思ってるか。
 と。
 俺の体調。
 俺の表情。



 元気かどうか、寂しくないか、って。
 口には出さなくても、ただ、ずっと見守ってくれていたことくらい。


「ちょ、ちょっと、は、葉月くん!?」


 つかつかとの手を取って歩き出すと、はつまずきながらもひっぱられるようについてくる。




「…………」
「葉月くんっ?」



 こうやって。
 自分が守ってやれるところに、ずっとおまえがいれば。
 おまえが俺以外の誰かと、遊びに行くなんてことを否定できる立場になれれば。




 ――今の俺の気持ちの整理もできるんだろう。



 本当は。
 とても、とても、簡単なことだったんだ。


 わかろうとしなくて。
 ただ、目を逸らしてただけなんだ。





 

 こいつは、俺を。
 ――受けいれてくれるだろうか?
*...*...*
 日暮れも、冬服に替ってからというもの、急激に早くなった気がする。
 ぽつりぽつりと街灯が揺れ出すのを目の端にとらえて、俺はようやく我に返った。



「……ここ、どこだ? 」
「も、もう〜。ここは、わたしの家。
 葉月くん、ずっと無言で、ここまで来ちゃったんだよ? 」
「そうか……」


 は息を調えながら、俺からそっと手を離した。
 そして。

「あ、でも、時々、なんか、言ってたな……。
 『簡単なことなのに、どうしてわからなかったんだ』とか……」

 今日出た数学の宿題、難しいもんねー。
 それを頭の中で解いてたのかな? 葉月くん、いつも宿題やってこないから。
 でも、やってこないのに問題解けるなんて、不公平だよね? 神様も。


 なんてブツブツ言ってる。


 このくるくるまわる瞳も。
 小走りに寄ってくるときに、弾むように跳ねる髪も。




――全部、守ってやりたい。





「……悪い」

 謝る俺に。

「ん。でも、……こんな葉月くんも好きだから、平気だよ?」



 ……俺がずっとわからなくて、ずっと悩んでいたことを、あっさり返す。
 まるで、いつもさりげなく交わすあいさつのように。


 唖然としている俺のことを、 不思議そうな表情(かお)で見つめるから。
 俺も、……試してみたくなったんだ。





「じゃあ、また明日な。……





 初めて呼んだ、名前。
 ……俺と同じ反応が返ってきたら思いきりからかってやろう。






 …………。






 ところが。





「あ、あ、あの!! って、って、だ、誰のこと、かなっ!?」





 予想以上の、反応。


 ここは、の家の前で。
 ここには、俺としかいないのに。
 はクルリ、と身体を回転させて、空を見たり、足元を見たりしている。

 ……おまえといると、いつもコメディにしかならない気がする、のは、気のせいじゃないのかもな。




「……おまえしかいないだろ?」

 笑いを押さえ切れなくなって、吹き出しながら言うと。

「んっと、じゃ、じゃあ、け……」

 と言いかけてクヤしそうに唇をかんでいる。


「どうした? 言ってみろよ」
「い、い言われなくたって、言うわよ! 言うんだから〜〜っ!」
「……ほら。待っててやるから」
「…………っ」
「ほら」
「う〜〜。っと……。…………け……ぃくん……?」

「……聞こえない」

 少し屈んでの視線に目を合わせながら言うと。
 は恥ずかしそうな表情(かお)で俺を見上げて。




「ホントはね……。ずっと前から、言いたかったよ? 珪くん。……って」


 と聞き取れないような小さな声でささやいた。
 そして。




「……ね、知ってた? 
 『珪』って、わたし、この世で一番大好きな名前なんだ〜」



 そう言うと。
 は肩の荷が降りたかのように、ほわっとため息をついて、まぶしそうに笑った。
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