*...*...* イチバン *...*...*
この高校がやや、小高い山の中腹にあるから、か。この季節の夕焼けのきれいなこと、と言ったらない。
校舎の壁も、体育館の屋根も。
校庭全体までもが、茜色の粉をまぶしたように金色に染まるんだ。
そしてわたしは、結構この季節が好きだったりする。
わたしはベランダの手摺りを鉄棒のように、きゅっとつかむと、腕の力に身体を預けて、ぐぐん、と伸びをした。
「ふぅ〜」
こうしていると、今、手芸部でちくちく制作しているウェディングドレスの純白さが、やけにまぶしいんだよね。
「あと2週間で本当に形になるのかなあ?」
と、必死にマネキン相手に腰の部分のダーツを手繰り寄せていたわたしに、日頃可愛がっている後輩は、
「先輩は、ファッションショー、誰にエスコートしてもらうんですか?
やっぱり、葉月先輩ですよね? 付き合ってるんだし」
と、まくりたてたものだから、わたしは思わず持っていた針山を豪快に落としてしまった。
どうして、
『やっぱり』
で、
『付き合ってる』
ことになってるの!?
この前、部員が、うっかり落ちていた針が足に刺さって大騒ぎした、っていう一件もあって、
今では、部活動の開始と終了時には、使用する針の数をカウントすることになっている。
1本でも数が合わないと、いつまでたっても帰れないから、わたしは机の下にまでもぐりこんで、いそいそと針を拾った。
うう、ちゃんと全部あるのかなあ、これで……。
あと、1本。
わたしはあちこちと視線を這わすと、机の脚の後ろの、きらりと光る銀色の尖端を見つけて。
「やんっ。あった!!」
と、嬉しくて思わず挙げた声、と、ガツンと、机に頭をぶつけた音、と。
……どちらか先だったのかな。
「あ?」
「やだっ。先輩!?」
「動揺しすぎですよ〜〜」
すっかり頭を抱えてうずくまっているわたしを、
後輩たちはおかしそうに笑って、そっと手を差しのべてくれる。
「だって、だって、みんなっ。
わたしと珪くんが付き合ってる、なんて言うから!!」
たまたまずっと一緒のクラス、でね?
たまたまいつも隣りの席になるんだよ。
『クジ運いいな、俺』
って、くすりと笑って……。
って、焦って、全然訊かれてもいないことをあたふたと言い募るわたしに、さらに後輩たちは大受けしている。
本当に。
友達、で。
それ以上、でも、それ以下、でもなくて。
それ以上、に見られて、私は、気持ちがほっかりほころぶことはあるけど……。
珪くんの、気持ちは、わからないから。
やっぱり、自制しちゃうところも、あって……。
やや、雰囲気が暗くなったわたしに、後輩は、やや改まって。
「うーん、じゃあね。先輩。言葉をかえますね?
今、先輩が、一番、って思ってる人、に、ファッションショー、エスコートしてもらえるといいですね?」
赤ん坊をあやすように言う。
…………。
自分のキャラ、だ、って半分諦めてるけど。
尽、って弟もいて、自分では結構お姉さんぽいって思ってるけど。
(あ、笑わない、そこっ!)
珪くんや、回りの友だち、果ては珠美ちゃんまで、
『ちゃん。……ちょっと、言葉悪いけど、……わたしと同じくらい、トロくさい……?』
って、笑いをこらえて言うんだよね……。(って、目は思いきり笑ってるんだ、これが)
「ってやっぱり、先輩は葉月先輩ですよ」
と、なおも楽しそうにわたしをからかう後輩の由美ちゃんに、
「ふーんだっ。由美ちゃんてば、わたしの心配より、自分の心配してたらいいんだからっ!」
くやしまぎれに、ぴしっと人さし指を突き付けると、由美ちゃんは、
「は? 私はもう、無事、契約完了ですよ〜〜」
と、カラカラと笑った。
*...*...*
学校からの帰り道。日暮れもだんだん早くなって。
こうやって文化祭の準備で帰りが遅くなるわたしを、
『おまえ、チビだから』
って、珪くんは、バイトのない時は、こうして家まで送ってくれるようになった。
(なんでも暗いと闇にまぎれて見えなくなる……。それくらい小さい、ってことらしい)
『一番』かあ……。
わたし、の、一番。
珪くんに、一番の人がいるのは知ってる。
でも、その人のことを訊こうとすると、いつも珪くんは淋しそうに笑って、話をそらしてしまうから。
いつからか、わたしも尋ねることはしなくなっていた。
楽しかったデートも、そのこと、を聞いたときは、ぐぐん、と落ち込んでしまって、
あの後、いつものわたしにしては珍しいくらい、無言で家まで歩いたっけ……。
「ん?」
「う、ううんっ。何でもない!!」
斜め下から、珪くんのあごのラインとそれに続く白い首を見つめて、わたしはため息をついた。
今は一緒のクラスで。
朝、学校に行けば、隣りに珪くんがいる。
一日の大半を『特別な関係』じゃなくても、一緒に過ごしていられる。
わたしが気付いたこと、思ったこと。
とりとめなく話し続けていても。
聞いているような、そうでないような顔して。
でも、要所要所で。
『ああ、そうだな』
と、笑ってくれる。
あきれる程につまらないこと、を、言っても。
『……いいな、おまえらしくて』
と、目を細めてくれる。
このまま。
秋が過ぎて。
冬になって。
クリスマス、お正月。
寒いけれど華やかなイベントたちを見送ってから。
わたしたちは本格的に受験体制に入る。
受かっても受からなくても。
わたしたちの精一杯を試験にぶつけて。
高校を卒業する。
―― 珪くん……。
……それから。
それから、は、どうなるの?
今まではただ、受動的に日々を過ごすだけで会えてた偶然が。
これからは。
能動的に、手繰り寄せなくては、会えない。顔が見れない。
2人、の、意志、で。
……2人、なんだよなあ……。
わたしは、口をへの字に曲げながら、またため息をついた。
勉強、や、運動、のように。
わたしの努力だけで、なんとでもなるなら。
……こんな思い、しなくていいのに。
「すごい顔」
ふと気付くと珪くんは、困ったような顔して、わたしを見下ろしていた。
「い、いいの。いつもノーテンキなわたしにも、たまにはこんな日があるの!」
「……こんな日?」
「…………。わぁって、叫びたくなる日。
自分の汚い感情に流されちゃう日。……不安で先が見えない日」
自分の内にある、熱い、もやもやしたものが、どれだけたっても昇華しきれなくて。
その対処方法も知らなくて。
ただ時間が過ぎるのを、膝を抱えて待つ、だけ、の日。
―― 暗くて、良かった。
泣かないようにしかめっつらしてたせいで、目と鼻だけが、きっと、真っ赤だ。
お互い無言で歩き続けるうちに、見馴れた自宅の門灯が見えて来た。
わたしはなぜかほっとして、小走りに門扉に走り寄ると門に手をかけて珪くんに早口でお礼を言った。
「ありがとうね。送ってくれて。じゃ、わたし……」
言っている間に、視界がぼわっと揺れてくる。
マズい。
これじゃ、泣いちゃうよ。
わたしは、すぐ泣く女の子、って大キライだった。
泣く、なんて、勝手だ。
相手に弁解の余地を与えないで、すぐ『降参』のためのワイルドカードを引き出させるなんて、卑怯だ。
そう、思ってたから。
理由もなく泣かれたら、珪くんだって困るよ。イヤだよ。そんなの。
でも一番困ってるのは。
どうして泣いてるのか、まるで分かってない自分自身の扱い方、なんだ。
珪くんといると、ひどく泣きたくなってくる時がある、この卑怯な自分なんだ。
くるっと背中を向けて玄関に入ろうとした、その時。
―― 背中に突き刺さるような声がした。
「」
その声の調子に、わたしは一瞬怯んで歩みを止める。
声をかけてくるってわかってた。かけてきてくれるって知ってた。
でも。
こんな顔じゃ、振り返れないよ。
「俺……。そんなに頼りないか?」
続けて声がする。
「おまえがなに悩んでるかはわからないけど、訊いてやることくらい、俺だってできる」
「…………」
「そんなに頼りないか?」
重ねて問いかける、声。
頼りにしたい。
頼りたい。
……でもね。
今はその時期じゃない。
自分で自分の気持ちが整理できない、この段階では。
場当たり的な感情で、キミの胸を借りるのはイヤなんだ、わたしは。
「、こっち向けよ」
「…………」
「こっち」
振り向くことも、振り向かないことも、後悔しそうなこの瞬間、に。
珪くんは、ぐいっとわたしの肩を持って、わたしの身体を反転させた。
「……やっぱり」
ちらりとわたしの頬に視線を落とした、かと思ったら。
背中に大きな手の平を感じて。
―― すぐ目の前に珪くんの肩があった。
*...*...*
どれくらい、そうしていたんだろう?珪くんは、最後に思い切るようにきゅっとわたしの身体を抱きしめると、腕をほどいて。
ふと思いついたように、わたしの頬を撫ぜた。
「落ち着いた、か?」
「ん……」
今まで、フォークダンスとか、その他の偶然は別にしても。
こんなに長い間、珪くんに触れていたことは初めてで。
―― 思ってた以上に、広い肩。大きな手。ぬくもり。匂い。
思わず、もう一度、って、手を伸ばしたくなる、人。
でも、わたしは。
―― 彼の、一番、じゃ、ないから。
これ以上のこと、望んじゃいけない。期待しちゃいけない。
明日には何事もなかったように、いつものように『おはよう』って言わなきゃ。
言うんだ。……言えるかな? いつものわたしみたいに。
あ、また、だ。
収まっていた涙、が、簡単に満タンになる。
わけのわかんない感情が駆け巡る。
わたしは珪くんの胸をぐぃっと押しのけると、言った。
「あの、ごめんね、珪くん。
あのね、今日、涙腺、壊れっぱなしなの。
自分でも止め方がわかんないの。だから、もう……」
帰って……?
と、続けた言葉は、また、あっさり、珪くんの胸の中に消えた。
「……遅くなるよ?」
「構わない」
「……帰れなくなるよ?」
「いいな、それ」
「わ、わたしが、よくないの〜〜!!」
必死にうーうーもがくわたしを、珪くんは、腕の中に囲って嬉しそうに見ている。
「……もしかして、楽しんでるでしょ?」
「……ああ、とても」
……珪くんのこと、無口だ、っていう人はいっぱいいる。
確かに発する言葉は短めで、聞いた感じは無愛想だ、とも、思う。
でも、わたしは。
珪くんの一言一言に、笑っちゃうことが多いんだ。
笑うわたしを見て、珪くんも笑う。
そんな珪くんを見て、わたしも笑う。
珪くんは、笑ってるわたしの頬にゆっくりと指を滑らせて、言った。
「もう、泣くな」
先のことはわからない。
卒業後のことも。
たった2週間後の、ファッションショーのことも。
でも、今。
この瞬間が嬉しい。
珪くんの指の感触が残っている、この冷たい頬が愛しい。
なだめるように、励ますように、見つめててくれるその視線が、嬉しい。
いつか。
……伝えたいな、伝わるかな。
キミは、わたしの。
―― 一番だ、ってこと。