わたしは廊下を走り続ける。
 探しても探しても見つからない人を探して。
 ―― どこ?
 珪くん、どこにいるの?
*...*...* ff *...*...*
 大講堂で聞いた、天之橋さんの言葉がまだ耳に残ってる。

 『はばたけ!』


 編入組のわたしは正直言って、転校してきたとき不安のカタマリだった。
 どこをとっても取り得のないわたし、……ちゃんとみんなに受け入れてもらえるのかなって。
 きっと仲良しグループは中学のときにできあがってしまってて、
 わたしが入り込む隙間なんてあるのかな、って。

 ニ、ニブさだけは自信があるけど、そんなの長所でもなんでもないし。
 ガチガチに緊張している入学式当日には、氷室先生から角ばった声で、

 『ネクタイが曲がってる!』

 なんて注意を受けるし。



 でもね。
 1週間もしないうちにその不安は、
 喫茶店で出されるキレイなカットグラスの中の氷みたいに、カシャリと溶けていったんだ。

 『アタシ、藤井奈津実! よろしくね』

 出会って3年経った今でも全然変わらない、底抜けの明るさで今もわたしをひっぱっててくれる奈津実ちゃん。

 わたしはふと目を遣った廊下の先に、3年前の奈津実ちゃんの幻影を見つけて、
 今度は、瞳の中に涙を閉じ込めておくことができなくなって、
 ふるりと目尻に流れ出た涙を制服の袖でぬぐった。


 ……この制服も好きだったなあ。

 中学の時は、なんの変哲もないブレザーだったから、こんな風にスカーフを結ぶデザインって、とっても憧れてて。
 この校章も、センスが良くて大好きだった。

 ハイソックスにもついているコレが好きで、おかあさんにわがまま言って、
 『3足で十分』っていうのを、5足も買ってもらって。
 朝、そっと足を滑り込ませるたびにわくわくしてたこと、覚えてる。

 このグレーのプリーツスカートも。
 氷室先生の目を盗んで、ギリギリまで短くして。

 『あら、絶対、瑞希の方が短くてよ?』

 って主張を曲げない瑞希さんとわたしが言い合っていたら、
 珠美ちゃんがとりなすように、ふで箱の中に入ってる15センチ物差しで、
 ふたりのスカートの長さを測ってくれたっけ。

 (結果は、何度測ってもわたしのスカートと瑞希さんのスカートはまったく同じ長さで、あとで大笑いになったんだけど)


 視聴覚室への移動のときなんか、大慌てで走ってたら、

 『ちゃん、スカートの中、見えそうやで〜』

 なんて姫条くんにからかわれたこともあったなあ。



 ―― それも、今日で、おしまい。



 (うう、涙腺、壊れないでっ!)


 あんまり走って息が切れたきたわたしは、呼吸を整えながらゆっくりと歩いて。
 でも、目は、ある人をずっと探し続けていた。



 ―― どこなの?



 見るもの見るもの、すべてに思い出が詰まっているようで、わたしは視線を移すたびに視界が霞む。



 ダメだよ。
 まだ、泣いちゃダメなの。
 わたしはまだ目的地に着いてないんだもん。



 天之橋さんがおっしゃってたように、はばたけたらいい。
 ちゃんと自分の気持ち、伝えられたら、いい。


 けど、……。




 わたしはその前に、ちゃんと言いたいことがあるのに、気づいた。






 好きとか、好きとか、大好きとか。
 そんなことの前に、伝えなきゃいけないことがある。


 (ありがとう。珪くん)




 出会えて、ありがとう、とか。
 一緒にいてくれて、ありがとう、とか。
 この3年間を、ありがとう、だとか。
 ひっくるめての、いっぱいの、ありがとうを。




 そう。




 わたしたちは。


 大好き、という関係の前に、
 とてもとても大切な親友だったんじゃないかなって、思ったんだ。



 それが……。
 情けないことに、卒業式の今日、突然、ってところがまたわたしらしくて泣けてくる。

 (これは、じ、自分へのクヤし泣きだよう!)


 しおらしくハンカチなんかで涙を拭く余裕なんてなくて。
 流れるものは流れ出るまま、って感じで、わたしは更に走り続けた。





 ねえ、珪くん。
 この3年間。
 本当にいろんなところに出かけたよね。



 席もよく隣りになって。
 そうそう、バイト先も珪くんの紹介で隣り同士になったよね。


 体育祭や、修学旅行、……高校最後の文化祭。



 すべてすべて。


 高校時代の、わたしの思い出のどこかに。
 ―― いつも必ず珪くんがいるよ。




 (珪くんのこと、……ずっと好きでいさせてくれてありがとう)



 きっと、卒業式、というこの空気の中で。

 天之橋さんの言葉。
 抱き合って泣いている級友たち。
 この景色も今日が最後だ、という想い。


 そんなこんなが混ざり合って、自分が少し感情的になってるんだとは、思う。
 けど。
 ありがとう、って気持ちを、この感謝の思いを、蕾のまま摘み取るなんてわたしにはできないよ。


 校舎の中をどれだけ探しても見つからなくて、わたしは、靴箱の方へと足を進めた。


 『おまえ、今度の週末空いてるか?』

 ちょっと頬を赤らめながら、……それでいて口調はどこかぶっきらぼうで。

 『うん!』

 って返事するわたしの頭を嬉しそうにくしゃりと撫ぜてた、人。

 時々、ハラリと靴箱から零れてくる白い封筒に、わたしが勝手にヤキモチを焼いて。

 『もう、もう、珪くんなんて、その女の子と遊びに行っちゃえっ』

 なんて暴言を投げかけたら、怒りもしないでため息まじりに、

 『……そんなこと、しない』

 って、呟いてた、人。


 ……どうして?
 どうして、キミは、そんなに愛しいんだろう ――。


 ちらりと珪くんの靴箱を覗き込むと。
 ―― 珪くんの革靴がない。


 あ、もしかして珪くん、体育館裏のに会いに行ったのかな?
 この前も、

 『こいつら、……俺たちが卒業したら、食べ物に困るかもな……』


 なんて、ちょっとだけ寂しそうにまだまだコドモのをなでていたから。


 わたしはすばやく靴を履き替えると、校舎を出て校庭の花壇を横切る。


「あ、さん!」
「……さん」


 見ると、去年の春にわたしと守村くんとでコスモスの種を植えた花壇で、
 今度は、有沢さんと守村くんが、紫と白のムスカリの手入れをしているところだった。


「わぁ、……綺麗……」


 その2色のコントラストはとても涼しやかな色と香りを持っているのに、
 なんだか一足早い春の訪れを感じさせて。
 わたしは一瞬足を止めて、それに見入った。

 そんなわたしを見て守村くんは微笑む。


さん……。葉月くんなら、あちらの方に行きましたよ?」
「え? ……どうして……?」

 どうしてわたしが珪くんを探してるってことがわかるの?
 目を見開いて首をかしげてると、


「わかりますよ。そんなことくらい」
「……さん、ようやく気がついたのね……」


 ふたりはそう言って立ち上がると、少しだけ目を細めた。

「ほら、葉月くんって、最初はちょっと取っ付きにくいところがあるけど……。
 僕は中学からの付き合いだから分かるんです。
 彼って、良い人です。植物みたいに、自分に向けられている愛情には敏感だと思います。
 ……なにも言わなくても、さんの気持ち、受け止めてくれてますよ。
 だから……。頑張ってくださいね」
「……私もそう思うわ……。2人とも、気持ちのいい人たちだから、上手く行って欲しいって思ってるわ。
 私たちみたいに……」
「……へ? わ、私たちみたいに???」


 途中まではしっかり把握できてたつもり……だったけど、
 最後の有沢さんのセリフが引っかかって、わたしは素っ頓狂な声を出した。

 そんなわたしのリアクションを見て、ふたりは声を上げて笑う。

「ま、そんなところがさんのいいところですよね」
「そうね……。4人で一流大学に行っても楽しめそうね、この調子だと」
「もう、ふたりとも〜。ままた、わたしのこと、からかってるでしょ!?」


 ひとり駄々っ子のようにふくれっつらになったわたしを、守村くんは朗らかに笑い飛ばしながら、
 ……ふと真面目な顔になって言った。


さん……。葉月くんのこと、よろしくお願いしますね。
 ……僕、昔の葉月くんより、今の葉月くんの方が好きです。
 幸せになって欲しいって思ってるんです。彼には」
「守村くん……」
「……彼のそばにいてあげてください。これからもずっと」
「……ん!」




 珪くん……。


 キミはいつもどこか寂しげで、人の輪の少し外にいたけれど。
 こんなに素敵な友達がいたんだね。
 キミのこと、理解して、見守って。幸せを願ってくれる人が、いたんだよ?


 そのことが、こんなにも嬉しくて。
 口を開いたら、胸の中の熱い塊りと一緒に嗚咽まで漏れてきそうだったから、
 わたしは軽く頷くと、守村くんの指差した方へと走り出した。
*...*...*
 あそこ、かな?
 多分、きっと、あそこ。


 わたしたちが3年前の入学式の日、初めて出会った場所。

 わたしはスカートが翻るのもかまわずに、
 えぃっ、と走り幅跳びのように、校舎から体育館へとつながる渡り廊下を飛び越えた。
 中、見えちゃったって平気だもん。
 それよりも早く、早く珪くんに会いたい。



ちゃん!」
「ったく、っ。おまえって、横着だな〜!」


 ひらり、と、カッコ良く決まった、と思った瞬間、体育館の方から声がかかった。


 って、……この速度じゃ、急に止まることができなくて、
 わたしは数メートル走り続けてから、ようやく踏み留まると声の方へと顔を向ける。


「わわっ、珠美ちゃんに鈴鹿くん。……どうしたの、こんなところで」
「おうっ、後輩たちが最後に俺のプレイを見せてくれって言うからさ、今、勝負してきたところだよ」
「……もう、しばらくは鈴鹿くんのこんな姿、見れないかなって思ったら、わたしなんだかじんわりしちゃって……」


 珠美ちゃんはそう言って手にしていたチェックのハンカチをきゅっと握った。


「あーもうっ。泣くなよ。紺野は。おまえってすぐ泣くんだな」


 鈴鹿くんは絆創膏を貼った方の頬を少し赤くしながら、珠美ちゃんの頭をぐりぐりって撫ぜてる。
 珠美ちゃんはそんなしぐさを心地良さそうに見上げると、わたしが肩で息をしているのに気づいて。


ちゃんは、えっとその……。葉月くんを探してるのかな?」
「ん……。そう、だけど……」


 なんで、おっとりしてる珠美ちゃんにまで、そんなことがわかるの?


「えへへ……。日頃ぼんやり、って、あ、ごめんね。のんびりしてるちゃんがそんなに慌ててるのって、
 この3年間、いつも葉月くん絡みだったから」

 なんて懐かしい目をしながら言う。
 鈴鹿くんまで、

「なんだ、、葉月が見つかんないのか? 早く会えるといいな」


 なんて、壊れかけてる涙腺に拍車をかけるようなこと、言う。


「……どうして?」


 どうしてみんな、わたしのこんなささやかな感情にまで敏感でいてくれるの?
 止められない涙を目を大きく見開くことで抑えていると、珠美ちゃんが、口元に微笑を浮かべているのが見えた。


「ん、なんかね、鈴鹿くん、体育の授業がバスケの時、いつも言ってたの。
 『葉月ってあいつ、ホントはすっげーいいヤツだぜ。俺の目に間違いはないぜ』って」
「そうだよっ。ったく紺野は、何度言っても首かしげてたけどよ」

 鈴鹿くんが珠美ちゃんを補うように言葉をつなげた。

「……あいつのパスって、優しいんだ。ちゃんと人見て投げてた。
 最初は運動神経がいいだけで、だたの偶然だと思ってたけどよ。
 ボールは正直だからな、ちゃんと投げるヤツの思いまで運んでくるんだ。
 ……だからよ、おまえも……。その、なんだっ?」
「ん?」


 あれ? なに、鈴鹿くん、真っ赤になって口ごもってるんだろ?


 わたしがふたりの顔を交互に見つめていると、鈴鹿くんはいたずらっぽく珠美ちゃんと目を合わせて。


「紺野、いくぞっ」
「うん。せーーのっ」






「「  頑張って!  」」







 そう言って、わたしの背を押した。
*...*...*
 ぐるぐるぐる。

 目が回るくらいの興奮の中にわたしはいる、と思う。


 嬉しいとか、ありがとうとか。
 今、わたしの中にある感情はすべてが陽性のイロをしていて。


 ひとり、で、生まれた、と思ってた。
 ひとりの力、で、大きくなったって、思ってた。


 でも、違うね。

 ね、珪くん。



 わたしたち、見えない人の力に、想いに、こんなにも支えられてたんだね。


 『ありがとう』も言いたいけれど、
 わたし、珪くんが、こんなにもまわりのみんなに愛されてるんだよってこと、
 真っ先に伝えたくなっちゃったよ。


 ビックリするかな?
 納得できないかな? あんなに賢い人でも理解できないことがあるのかな?
 でも、いいや。


 わかんなかったら、思い切り背伸びして、珪くんの両頬をわたしの手の平で挟んで。
 無理やりでもこっちに顔向けて、わからせてあげる。教えてあげる。


 これからもずっとふたりで大事にしていこう?



 出会えた人たちに感謝を。
 出会えた偶然に感謝を。



 そして、神様。
 わたしはきらきら光るステンドグラスを空に仰ぐ。
 ……最愛の人に出会えた、感謝を。



 今。
 わたしの気持ちは、 ff(フォルティッシモ)。


 言わなくても伝わるなんて、ウソ。
 珪くんへの、『ありがとう』って気持ち。
 珪くんがみんなに愛されてるっていう事実。



 わたし、言っても言っても言い足りないよ。




 あふれて、はじけて、止まらない思いを抱えて。
 わたしは大きく息を吸い込むと、教会の中へ入っていった。
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