*...*...* 夢で逢えたら *...*...*
どうしよう。いつも日付変更線をまたぐころ、ふと鳴る着メロが今日は鳴らない。
今のわたしは、お風呂も済ませて、ベットの上。明日の学校への支度も準備万端。
お気に入りの毛布を膝下にかけて、完全に Waiting モードなのに、な……。
わたしは机の上にある、そこだけ凍ったように静かなシルバーピンクの携帯をじっと見つめた。
もう、寝ちゃったかな。
まだ、仕事から帰ってないのかな。
こういうとき、奈津実ちゃんなら、思い立ったらすぐって感じで連絡を取れるんだろうな、なんて考える。
この前も、奈津美ちゃんと電話で話してて、
『す、好きな人に電話するの、って、ドキドキしない!?』
って、力を入れて訊いてみたら、あっさり切り返された。
『はあ!? アンタ、もう、何年付き合ってるのよ? ふーん、2年! どうして2年も経って、ドキドキしてるのよ。どうせ……』
『ん? なあに?』
『どうせあの王子は、相変わらずアンタにゾッコンなんでしょうが!?』
『……っ。……ゾッコンって!』
『っかあ〜、真っ赤になってるところが目に浮かぶなあ。ニブいところは相変わらずってわけね。こりゃ葉月も大変だ〜、っと』
なんて散々からかわれたんだっけ。
でも、わたしは……。
すぐ考えちゃうんだ。
寝てるの起こしちゃ悪いもん、とか、
仕事中でスタッフの人が周囲にいたら、電話出るのも大変かな、って……。
べべつに遠慮してる、ってわけじゃないんだよ、うん。
いつもね。
珪くんにとって、自分が、少しでも安心できるような存在であればいいな、って思うんだ。
ほら、勉強や仕事で忙しいとき、とか。アクセ作りで、没頭してるとき、とかなんかは、
わたしの存在は、忘れちゃうくらい軽いものであっていい。
でも、彼がわたしを必要とする時は、さりげなくソバにいられたらいい、って。
……うう。自分で言っててなんだか矛盾してる気がしなくもない、けど……。
「あーんっ、もう、寝ちゃえ〜!」
自分にふんぎりをつけるようにつぶやくと、わたしはいつまで経っても肩を震わせないケータイをそっと撫ぜて、布団の中にもぐり込んだ。
*...*...*
(…………?)ふと、意識を手放そうとした瞬間に、くいっとこっちの世界に引き戻される、そんな感じ。
気のせいかな、……って、まだ目覚めようとしない自分と格闘。
……って、この音楽は……。
わたしは、がばっと上体を起こすと、微かに光っているケータイに手を伸ばした。
「も、もしもしっ。わたし……」
この着メロは大好きな人専用だから、液晶画面は見ないでもわかる。
わたしは壁にかかっている時計に目をやる。
……こんな時間に連絡って、珍しいよね……。どうしたんだろ?
「……」
「ん、わたし……。お仕事お疲れさま。……今、帰り? 今日は寒かったから……。風邪、引いてないかな?」
珪くんは、わたしの名前をつぶやいただけだというのに、わたしは矢継ぎ早に訊きたかったことを尋ねてしまう。
でも、『嬉しい』と『心配』が止められないんだもん。
わたしは家族と暮らしているから、時間時間になればおかあさんの料理がテーブルに載り切らないほど並ぶけど。
今日の夕食に出された、ほかほかと湯気までも美味しそうなシチューを見て、わたしはぼんやりと珪くんを思い出していたのを思い出した。
珪くんは、わたしの問いには答えずにその声音をからかう。
「……おまえ、寝てただろ?」
「う、ううん、起きてたよ〜」
「……ムリするな。声でわかるから」
って小さく笑う珪くんの声が、いつもより掠れていて、わたしはそこでようやく、電話をもらったという喜びから覚醒した。
「……どうしたの?」
この質問ははぐらかされないぞ、という決意を込めて問いただす。
……たぶん、きっと。
片隅に湧き出た不安の色が、じわじわと部屋一帯に広がってくる。
珪くんは、コン、と辛そうに咳き込んだ。
「なんでもない。……今日で、仕事もキリがついたし。2、3日もすれば治る」
治る、とその言葉を聞いて、わたしの中の疑問はゆるゆると確信へと変わる。
「いつから?」
わたしの口調にやや戸惑ったようなため息を漏らした後、珪くんは言いたくなさそうにボソボソと言葉を繋いだ。
「……今日の午後。……今日寒かったろ? ロケで春物の撮影だったんだ。だから、だと思う」
「ん……」
「寝れば、治る。……なんとなくおまえの声が聞きたかっただけ」
「珪くん……」
「じゃ、遅くに悪かったな……。お休み」
わたしの返事を待たずに、ケータイからは無機物の音が聞こえ始めた。
「って、ちょっと待って! って、あ……」
わたしは通話終了ボタンを押しながらため息をついた。
どうして、そう、なのかなあ。
きっと深夜の電話、ってことで気を遣ってくれたんだろうけど……。
わたしは、ピンクのパジャマを脱いで動きやすいトレーナーに着替えながら、ちょっと怒ったり、悲しんだり、していた。
珪くんはわたしに関して、いつも、なにも、言わない。
もっとこうしてほしい、とか、ああしたい、とか。
さりげなく、束縛してくれたらいいのに、なんて思ったりもする。
(頼って、欲しい)
身体がつらいとき。心がナニかにぶつかって、悲鳴を上げているとき。
独りじゃできないことでも、二人なら、できるよ。
話し合う。
その結果、その時点では、二人でなんの解決方法を見出せなくて、ため息だけが残る夜でも。
それが、これからの、お互いのことを知る良いきっかけになればいい、って思うから。
わたしのこと、知って、欲しい。
わたしは珪くんのこと、もっと知りたいって思ってる。
付き合いだして2年も経っているのに、こんな考え方、ヘンかな?
でも、ときどき、彼の目のイロが明るく輝く理由や影が落ちるワケ。
そう。
珪くんをカタチ作る全ての感情のスペシャリストになれたらいいって思うんだ。
きっと珪くんは今夜も、熱で夜更けに目が覚めたとしても、軽く頭を振って、また、枕へ頭をうずめちゃうんだろうな。
そうやって、1人で暮らし始めた頃から、独りでいることに慣らされてきちゃったんだろうけど……。
いつもわたしが頼ってばっかりっていうのはなんだか寂しい気がする。
せめて、体調が優れないときは頼ってくれたらいいんだよう!
『わたしにできることは何でもするから、……言ってね』
『わたしの行動の中で、……これはしてほしくない、とか、立ち入らないでほしい、とか、いうこと、ある? あったら、教えて』
なんて言うたびに困ったように首を左右に振って、
『おまえのままでいい……』
って目を細めて笑うから、そこで話は終わっちゃってたりしてる。
……でも、今日は。
明日の朝、わたしはおかあさんからも珪くんからもお小言をいただくのを、覚悟で、
真っ白な LL.Bean のダウンジャケットを羽織ると、音を立てないように階下のキッチンへと向かった。
*...*...*
午前1時。ぐぐって冷え込むな、と思っていたら、空から氷のカケラのような雪が降ってきた。
それは、わたしの髪の毛にまとわりつくことなくカサカサと肩に落ちていく。
『この冬一番の寒さがやってくるでしょう』
って、ニュースキャスターのお姉さんはノースリーブのパーカーを着てあったかそうなスタジオで笑顔振りまいてたっけ……。
わたしは周囲を見回すと、自分の白い息が、いつもよりキラキラしているのに気がついた。
仕事とはいえ、こんな寒い時に薄手のシャツやランニングを着て撮影だもの。
風邪引いて、当たり前、よね……。
わたしは、恐る恐る玄関のドアノブに手をかける、と、そこはなんの抵抗もなく、すっと開いた。
(そんなに具合、悪いのかな……)
鍵をカチャリと閉めることくらい、普通の人からしてみればなんてことない行動の一つ。
でもそれさえも忘れちゃうくらい、辛かったのかな……?
心配が身体をじわっと締め付けて、わたしはブーツのファスナーを外すのももどかしく、かじかんだ指でそれを降ろすと、パタパタと玄関に上がった。
不法侵入? なんて思わなくもなかったけど……。
いいの。あとでちゃんと説明すればわかってくれるはず。
トントンと薄暗い廊下を通り抜け、かすかに軋む階段を昇る。
2Fの一番つきあたり、の左側が珪くんの部屋だ。
「……珪、く、ん?」
様子を見るだけ、寝てたら帰るから。……こんな夜更けにごめんね。
なんてもごもごと言い訳をしながらきぃ、とドアを開ける。
一番小さい照明が一つついただけの、オレンジがかった部屋。
でもそこは、なぜか、雪の夜道を通り抜けてきたわたしからしてみれば、ようやくたどり着いた、って思わせるほど、ほっかりと明るい空間をかもし出していて。
そっと、部屋の端のベットに視線を走らせる。
……そこには。
「珪くん!?」
真っ赤な頬。やや呼吸の速い胸。
いつものクールな表情はあとかたもない、苦しそうな眉。
かろうじてパジャマに着替えたんだろう、という感じで、着ていた服は床に散らかっている。
体温計を取り出すまでもなく、かなりの高熱だってことがわかる。
……これでも、寝てれば治る、って思ってたの ―― ?
(珪くんのバカ)
どんなに愛しく思っていても、それを本人に伝えてても。
代わってあげられることとそうじゃないことってある。
身体の調子、っていうのは、『代わってあげられないもの』の最たるもの、で。
「……珪くん……!」
返事、して。
……いつもみたいにわたしの頭を撫ぜて、そして、笑って?
何度も名前を呼んでも、珪くんはわたしのいる世界に戻ってこない、そんな気がして、
わたしは必死に声をかけ続けた。
電話をもらってから。
そっと自宅を飛び出すとき、慣れない夜道を1人、進むとき。
自分の身体に染み込む寒さに比例して、心配がどんどん増してたんだ、ってようやく気づいた。
病人の珪くんにムリなこと、求めてる。
わかっていても止められなくて、わたしは布団から出ている肩を軽く揺さぶった。
「珪くん、……珪くんっ」
何度かの揺さぶりの後、珪くんの重たげな瞼が薄く開いた。
「……」
「……ん。良かった……っ」
珪くんの熱を帯びた瞳がわたしを捉えたのを見て、わたしはストンとフローリングの床にしゃがみこむ。
……わたし、しっかりして!
ダメだよ、病人に心配かけちゃ。
珪くんが目を覚ましたのに安心したわたしは、やや自分のペースに取り戻した。
「どう、かな……? クスリも食べ物も持ってきたよ。ほら、頭を冷やすアイスノンも!」
「……準備、いいな、おまえ」
「えへへ……。出張サービスですv」
起こしちゃったからには、と、わたしは手早く持ってきたクスリを飲ませて、アイスノンをのせた枕の上に珪くんを誘(いざな)う。
珪くんは、幼子のようにわたしの手の中をなすがままにされて、頭を動かすこともつらいのか、ゆっくりとまた横になった。
わたしは布団を掛け直しながら、珪くんを落ち着かせるためにとん、……とん、とある一定のリズムを持って、彼の肩を撫ぜて。
そして眠りに誘うような、小さな声で話し続けた。
「明日には治っちゃうよ。ウソみたいに元気になれるよ」
「……そうだな」
「治ったら、どこ行こうか? 観たい映画もあるし、新しくできたカフェも一緒に行こうね」
「……ああ」
あ。汗が出てきた……。クスリが効いてきた証拠かな?
わたしは乾いたタオルで、生え際や首筋の汗を拭いて、やや呼吸の落ち着いてきた珪くんを見つめた。
「……じゃあ、お休みなさい。珪くん……」
ずっとあお向けになっていた珪くんは、そっとわたしの方に向き直ると、熱を帯びた目でわたしを追って、 ぼんやりした声で囁いた。
「……。夢か、これ……」
「ん、そう……。わたしが今ここにいるのは、珪くんの夢だよ」
わたしは笑って答える。
……だって、不法侵入だし、ね。黙って自宅から飛び出してきたってわかったら、怒られちゃうし。
このときまでは、
『いい夢見たな、……ラッキー』
なんて軽い返事が返ってくるとばっかり思ってた。
……それか、ゆっくりと眠りに沈んでいって返事がないか、のどっちかだと。
けど。
珪くんの返事は予想外のものだったんだ。
「少し寂しいけど……。良かった……」
熱を帯びた、真っ赤な唇が緩慢に動く。
「ん? 良かった?」
「これが夢なら、……おまえは風邪引かないだろ?」
いつも自分のことより、わたしのこと、考えてくれるんだね。こんなに体調が悪いときでさえ。
わたしは瞳が潤むのを抑えることができない。
守って、守られて。
この2年を駆け抜けてきた気が、する。
「えへへ、そうだね……。ほら、もう、安心して眠って……」
わたしのことは気にしないで。今は自分の身体を治すことだけ、考えて。
珪くんの呼吸が規則的になったのを確認して、わたしは肩に置いていた手をそっと外した。
夢で逢えたら、いいな。
わたし、どんなに枕にお願いしても、珪くんの夢を見ることができないから。
わたしは床に散らかった服をたたむと、そっと帰り支度を始めた。
午前3時。
今から帰って眠ったら、今夜は珪くんの夢が見れるだろうか?
夢の中では、次のデートの予行演習をしてたりするのかな?
『おまえは風邪引かないだろ?』
って心配してくれた珪くん、……ごめんね?
わたしは心の中で謝りながら、部屋を出る前に珪くんの形のいい唇にキスをする。
どうか彼の熱が、この繋がってるところからわたしへと移行して。
―― 彼が元気になりますように。