*...*...* ココロの温度 *...*...*
 デジカメを買った。
 ずっとずっと前から欲しかったもの。
 ほら、ケータイに付いているカメラって、画像が小さいって思ってたの。
 しかもわたしの機種は古いから望遠機能なんてもちろんなくて。

「わたしね、もっと遠くからでも撮れるのが欲しいの。あとね、大きくてキレイな写真が撮りたいの」
「はぁ? 遠くからでも撮れる? それって『ズーム』のことだよね? あとは、大きくて、キレイ……? あ、! それって『画素数』のことでしょ?」
「えっと……。そう、とも言うのかな?」
「アンタね〜。ヒムロッチの言うことばっかり聞いてガッコの勉強ばっかりしてるから、一般用語をそんなにも知らないのよ。よしっ。この奈津実さまに任せておきなさいナリ〜」
「わーん。奈津実ちゃん、嬉しいよう!」
「こらっ。小動物みたいにひっつかないの!」

 っていう会話を夏休み前からしていて。
 少しずつ貯めていたお小遣いと、夏休み、いつもより長めに入った喫茶店のアルバイト代を合わせて、わたしは奈津実ちゃんの行きつけというカメラの量販店に何度か足を運んだ。

。アンタ、『記録メディア』については、なにか希望ある?」
「きろ……。な、なにかな?」
「あー。いい。この奈津実さんの独断と偏見で『メモリースティック Pro』にしとくから」

 なんて、少しだけ、ううん、かなりわたしの生活の中ではあまり利用しない横文字を何度か奈津実ちゃんは尋ねてきたけど、そのたびにわたしは何も応えられなくて。
 でも奈津実ちゃんは、自分のお薦めをクレーム無しで受け入れられることを喜んでくれたみたい。上機嫌で自分のお勧めラインナップ商品をどんどん決めていった。

 そして、最後には、

「うーーんっ。アンタの言うこと、全部聞いてくれるのは、コレしかないって」

 と言って渡された小さな無機質のモノ。
 それは奈津実ちゃんのリッパなお墨付きをもらって、今、わたしの手の中にある。
 朝、学校に行く前にいつも、机の上に置いてあるそのコのでこぼこを確かめるように撫でてみる。

「一緒に、頑張ろうね」

 大きな一つ目小僧のようなメタリックピンクの相棒に声をかけて、今日の1日が始まる。
*...*...*
「先輩、パーティドレスの仮縫いなんですけど、ここ……」
「ん。どうしたの?」

 夏休みが終わったばかりで、まだ教室のあちこちに残暑がいっぱい残っているような季節。

 わたしの所属する手芸部は、早くも文化祭の準備が始まった。
 当日、バザーや喫茶店をやるコたちはまだのんびりムードだけど、手芸部とか美術部、氷室先生率いる吹奏楽部なんかは、もう企画の立案に慌ただしい毎日を送ってるみたい。

 ときどき廊下で、しなやかな髪を耳にかけながら通り過ぎる三原くんも、瑞希さんの話ではこの頃は美術室に閉じこもってるとかで、全く会わなくなっちゃったっけ……。

「よしっ。頑張るぞ〜」

 わたしは6限目の授業が終わると、小走りで被服室へと向かう。
 高校3年のわたしにとって、文化祭は、言わば3年間の部活の集大成だ。
 作成するモノが、ドレスの中では一番難しいとされる優雅なウェディングドレス、というプレッシャーもある、けど。

 それ以外に、『願い』のような思いもあった。


 ── 一緒に。
 手芸部で過ごせる仲間との一緒の時間を大事にしたい、って。


 暖かくも寒くもない、夕焼けが素敵な、とっておきの放課後。
 顧問の先生に見つからないように毎回みんなで用意している、小さなパッケージのお菓子。
 ときどき、部の話よりも、テレビでやってるドラマやCDの話の方が多くなっちゃったりもする、楽しい時間。

 そんな中で過ごす部活動の時間、が、あと少しで終わるんだな、ってことを、わたしは誰が言い出すこともなく、なんとなく感じ取ってた。
 本当はみんな心の奥底で分かってた、と思う。
 けど、敢えて何も言わないで。みんな『お別れ』という言葉を透明なオブラートに包んで、心の一番キレイなところに置いている。

 わたしたち3年生は2回、『さよなら』の経験をしている。

 1年生のとき。
 生まれるのがたった2年しか違わないお姉さんたちがとてもおとなっぽく見えて。
 教えてもらうことすべてが、とても難しく感じたっけ。

 上級生と下級生の間に挟まれた、2年生のとき。
 かわいい後輩から受ける質問に、あたふたして答えた。それを優しくフォローしてくれる先輩たちに囲まれて、それに頼り切ってる自分がいた。

 そして3年生。


 もう、後がないの。頼る先も。


 (がんばれ、自分)


 部活動が行われている被服室全体を見回す。
 笑いさざめく友だちや後輩たちがまぶしくて。

 その映像をずっととどめておきたいと願う自分もいる。


 するとね、不思議なの。
 夜、眠りに就くときなんかに、その映像がキレイなスローモーションで頭の中をリフレインすることもあるんだよ?


 一緒に、作っていこうね。ドレスも、思い出も。


 後がないとわかっているものほど耀いて見えるのか、この頃のわたしは部活の時間をとっても愛おしく感じていた。
 去年作ったパーティドレスや、その前のカジュアルな装いなどを、後輩たちは1年遅れ、2年遅れで真剣に取り組もうとしている。


 わたしは、カバンの上からカメラの存在を確かめるように触れる。
 だから、わたしはこのコを買ったんだ。


 ── 役に立てたらいいな、って。


 わたしは後輩の由美ちゃん相手にカメラを向けた。


「じゃあね、由美ちゃん。ちょっとそこで立ってみて? 写真撮るから」
「はい。こうですか?」
「うん。こうして撮っておくとね、あとでチェックしやすいの。ダーツの位置とか、フレアの広がりなんかが……」


 そして撮った写真を出力してみんなでミーティングの材料にする。CGを使ったりして、変更後のデザインもチェックする。
 仮縫いの状態と、だんだんゴールへ近づく今、の状態を比較できたり、もする。


「わっ。これ良いアイデアですよね。っていうか、どうして今までこの方法、思いつかなかったんだろう?」
「あはは、文明の利器、だよね。この頃デジカメもPCもかなり安くなったし」
「じゃあ、先輩、我が手芸部に名を残すワケね。『デザイン創作過程の一考法』なんて言って」
「や、それだけは恥ずかしいから止めて〜」


 後輩たちが着る色とりどりのパーティドレスの写真が机いっぱいに広がる。どれも本人が大好きな、思い入れのあるイロを身に纏ってる。その上に、わたしたち3年生が着るウェディングドレスの白が重なる。


 白ってとても鮮烈なイロだ。
 絵の具の中では、簡単に、どんなイロにも負けちゃうのに。
 こうして別のイロと隣り合わせたとき、一番に輝きを放って、決してどんなイロにも負けないんだ。


 この光沢のある白い布が、糸によって形造られて、自分にピッタリのサイズになってわたしにまとわりつくとき、わたしは部活にさよならを告げる。


 完成して、お披露目して、……さよなら、か。


先輩?」
「あ、ごめんなさい、ぼーっとしてて……っ。次、じゃあ、リエちゃんのドレスの仮縫い、見てみよっか」


 淋しい、なんて言わない。言ってる時間が惜しいもの。
 わたしは笑顔を作ると、次の写真を指さした。
*...*...*
「これね、大活躍なの! 小さいけど、やることやってくれる優れモノなんだよ!」
「……よかったな」

 いつもの体育館裏でのお弁当の時間、わたしは、自宅から持ってきたカメラを手に珪くんに話をした。

「ドレスの仮縫いも順調なんだー。すっごく楽しいの! やっぱり、ほら、記憶だけだと、忘れちゃうことってあるでしょう? こうして撮っておけば、自分が忘れちゃったことも思い出せるもの!」

 珪くんの返事も聞かないでわたしは話し続けた。それはきっと、カメラが自分の思ってた以上の効果を上げていたのが、嬉しくて仕方なかったから、なんだと思う。

 珪くんは眠くなったのか、仔猫を周りの侍らせて芝生の上に横たわった。
 そして、なにかふと考え事をしてるかのように黙り込んだ。


「あ、っと……。ごめんね、わたしばっかり」


 も、もしかして、珪くん、カメラ、苦手、かな?
 そうだよね、本人が意欲的に取り組んでるとはとても思えない(失礼だけど本当だよね?)モデルのバイト中に、イヤってほど見てるもんね。

 撮られることがイヤ、どころか、カメラを見るのもイヤなのかもしれない。


「いや……。デジカメって、どれくらい前に出来たんだ?」


 突拍子もない質問にこちらが戸惑う。えっと、でも、この話は確か奈津実ちゃんから聞いたはず……。
 わたしは要所要所を思い出しながら説明した。


「ん〜。1970年頃にデジカメの原型はできたみたい……。でもこんな風に使いやすくなったのは、95年くらいからだって!」
「そうか」


 珪くんはすくっと半身を起こして、わたしを見つめる。
 さっきまでとはうってかわって、淋しそうな目をしている。
 仔猫たちが一瞬眠そうな目を開けて、ご主人さまを見つめ、また目を閉じる。

「珪、くん……?」


 翡翠のイロが、いつもより濃く、影を落としている。


 目のイロは、ココロの温度だ。
 こういうとき、黒目じゃない人って可哀想かも、とちょっとだけ同情する。
 だって瞳を覗き込めば、簡単に心の変化に気づかれちゃう、ってことだもの。
 でも同時に、そんな素直な瞳が羨ましい気がする。


 クチよりも、行動よりも、目のイロで心の温度を伝えられたら、どんなに素敵だろう?


「それが、どうかしたの?」
「いや……。だったら間に合わなかったワケだな」


 間に合う……?
 わたしは首をかしげる。


 珪くんは、何に間に合いたかったんだろう?
 95年ってまだわたしたちが小学生の頃。それに間に合わなかった、と言うんだから、珪くんの言ってるのはもっともっと昔。
 珪くんには、そんな昔のことでそんな悲しい瞳をするほど、ツラいことがあったのだろうか?


「珪くん……?」
「今はいい。……おまえ、そばにいてくれるだろ?」
「う、うん」


 ワケがわからないままに頷くと、珪くんはまぶしいモノを見るかのように目を細める。
 わたしは珪くんの表情に照り返されるように曖昧に笑う。

 ……ええと。
 デジカメが便利だよ、って話をしてて。撮っておけば、自分の忘れちゃったことも思い出せるから、って。
 そしたら、デジカメはいつ出来たんだ、って。……間に合わなかったワケだ、って……。
 んんん?


 不意に珪くんの顔が楽しそうに綻んだ。


「わかりやすいヤツ」
「ま、また、からかってるでしょ〜〜!」


 いいもんね、負けないもん、とばかりにわたしは立ち上がると、デジカメの電源を入れた。


「あ、おいっ」
「クヤしいから、珪くんを激写するもんね〜。『葉月珪・学園でのひとこま』って言って売り込んじゃおうかな?」


 つられて立ち上がった珪くんの横をすり抜けるようにして、わたしはカメラを構えた。


 ファインダー越しにキミを見る。
 わ、こんな風に見えるんだ。
 ファインダーの中の彼は、わたしがカメラから覗いてるの見て、ちょっとむっとしてる。

 弱まった、夏の陽差し。
 セーラー服と素肌の隙間を通り抜けていく風。
 芝生のちょっと褪めた緑色。

 その中で珪くんの色素の薄い髪が揺れる。
 いつもはきっちりと着こなしている、制服。
 その中に納められた臙脂色のネクタイが、珪くんの動作に合わせてびっくりしたように飛び出した。


 (とどめて、おきたい)


 こんな素敵な映像、きっと今夜眠る前にもわたしの頭の中、駆けめぐること、わかってる。


 でも、イヤなの。

 この記憶が、これから過ぎていく季節に紛れて、少しずつ思い出せなくなることが。
 やがてこの思いを、この映像と共に忘れてしまうかもしれない、ということが。


 ……あ、まただ。
 手芸部にいるときと同じ感情に陥る。
 もう、こういう時間はあと少しだよ、ってココロの声が告げる。

 手芸部にさよならした数ヶ月後、わたしは、珪くんにも、さよならって言わなくちゃいけないのかな……?


「おい、どうした?」


 ファインダー越しに珪くんが問いかける。
 その真剣なまでの眼差しがイタくて、わたしは思わずシャッターを切った。


「……えへへ。う、売れるかな?」


 気が抜けたかのようにカメラを下に降ろす。
 ツンと熱いモノが目に飛び込んで来たような感触。それはやがて涙になるモト。
 わたしはそれを紛らすかのように、笑って言った。



 いつの間にか珪くんはわたしのすぐそばにいて。
 そして、いつになくきっぱりとした口調でわたしに告げる。


「写真、……撮る必要なんて、ない」
「ごめんね。珪くん苦手だよね、写真撮られるの……」


 膨らんでいた風船がきゅっとしぼんだような、切ない感情が沸き上がる。
 あれ、でも、どうして『写真を撮るな』じゃなくて、『撮る必要がない』んだろう……?


 あれこれ考えていると、謝罪の言葉の向こうから、ひとつひとつ言葉を区切ったような声が届く。


「おまえが、ずっと、俺のそばにいれば……」


 見上げた顔が赤い。
 腕を掴まれて、トクンと勝手に胸の鼓動が高鳴る。


「……そうしたら、写真なんか見なくてもいいだろ?」


 ええと……。  ……それって、それって……!?


「えっと、えっとちょっと待ってっ!! 全部まとめて考えてみる!」


 両のこめかみに手のひらを当てて、うんうん悩み出したわたしを仔猫と珪くんは楽しそうに見ていたっけ。



 後日出来上がった写真は、いつもの優しそうな珪くんとは違う、ちょっと必死な表情で。
 入学式の日、手をさしのべてくれた珪くんに少し似ているような気もするけど、そのときよりも、もっと凛々しく、そして切なさを纏っていた。



 ── わたしに対するそれだけの思いを持っていてくれたことに気づいたのは、それから2つの季節を通り過ぎた、肌寒い春の日のこと。
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