*...*...* Squall (H's side) *...*...*
「葉月くーーんっ、こっち向いてっ。はい! 2カメ、OK!」

 ライトが一気に突き刺さる。
 目を見開いていられないほどの閃光だ。

「今晩20時にゲラ刷り出さなきゃ間に合わないんだよ。撮り直しが利かないんだ」

 カメラマンは必死だ。
 4つもあるカメラをフルにセットアップして飛ぶように走り回っている。

『20着よ? 葉月』

 今日、俺が2時間の間に撮影する服の数。
 スタジオに入るやいなや、マネージャが申し訳なさそうに言ってたのを思い出す。
 ということは、着替える時間を抜いても、6分に1着の間隔で撮影を終えなくてはいけないわけで。

(疲れる、よな)

 好きで始めた仕事じゃない。
 洋子姉さんに迷惑がかからなければ、いつでも辞めたい、そう思ってる。
 けど、俺の体調や睡眠時間のことまで、何くれとなく気を使ってくれるマネージャーやスタッフに囲まれて、なかなか辞めたいとは言い出せないでもいた。

「キミが表紙になると、ぐっと読者からの反応が増えるんだよね〜。はい、今度はこっちね」

 シャッターと同時にカメラマンの手も口も目まぐるしいまでに動く。チカチカする。

「だからさ、来月も、ね。……お願いだよ? 葉月ちゃんっ」

 両手を合わせてまるで神でも崇めるかのように、カメラマンは俺を見上げる。
 ── 俺が戸惑うのはこういう時だ。

 どうして笑えないモデルをそこまで使いたがるのか。
 俺のどこがいいんだ? この髪のせいか。目のせいか。

(自分の価値がわからない)

 猫もそうだ。数が少ない品種の方が珍重がられる。あれと同じなのか?
 ── 俺は見せ物なんだろうか?

『ねっ。葉月ちゃん!』
『……はい』

 言われるがままに返事をする。多分この回答が一番短いから。

 カメラマンや他のスタッフが嫌いというわけじゃない。
 ただ戸惑いの方が大きくて。
 俺に向けられる好意をどう処理していいのかわからなくて、その戸惑いがそのまま、今の俺の表情になる。

 不思議なもんだよな。
 小さい頃は、その色がゆえ、周囲から疎んじられていたというのに。
 今は、その色がゆえに珍重されるんだ。

 周囲を見渡す。

『ちゃんと食べてる?大丈夫?』

 いつも俺の体調を気にかけてくれるマネージャー。

『見た目よりずっと猫っ毛なのね?』

 楽しそうに俺の髪をセットするメークアップアーティスト。

『葉月くんの右斜め30度からのカットってすごくいいよ?』

 俺の写真をいつも宝物のようにして見せてくれるカメラマン。

 親切なスタッフに囲まれている職場。決して居心地が悪いわけじゃない。
 いつもこの職場からは、自分たちの好きなものを好きな人間同士、一緒に作りあげていこう、という熱気みたいなものを感じる。
 けれどその中にいる多分俺だけが、スタッフの温度に調和できないでいるんだ。

 そしてその温度差はひどく場違いなような申し訳なさを俺の中に芽生えさせてて。
 ……俺をちょっとだけ、依怙地にさせているような気がする。

「はい。次の衣裳、お願いっ」

 声に追いかけられるように俺は合板で囲ってあるだけの控え室に入る。
 急いでクローゼットの中の『09』というナンバーが振ってあるジャケットを手にした途端、ドアの向こうでマネージャーが呼び立てる。

「ごめんね、葉月、急ぐのよ」

 彼らが必要なのは俺の外見だけだ。
 俺は使ったことのないスチールの椅子のわきを通り抜けると、ドアを開けた。

 ── 再び人形になるために。
*...*...*
 照明を落す音。
 機材を片付ける音。
 『お疲れ様』の声が飛び交う中、俺は軽くシャワーを浴びて制服に着替えた。
 背中越しにシャワー室のドアを閉めると、髪に付いている水滴を振り払うようにかぶりを振る。

(俺の外見、か……)

 撮影中にふと思った自分の考えにやりきれない思いが込み上げる。

(……あいつもそうなのか?)

 こんなときに浮かぶ顔はただひとり。

 あいつは。
 ……だけはそんな俺の見た目に惹かれたとは思いたくないけど。

 でも実際はどうなんだろう?
 というより、そもそもあいつは俺を好きでいてくれるのだろうか?

 答えの出ない質問を自分に問いかけて俺は笑いたくなる。

 誰にでも親切で素直なだから……。
 あいつはただ単純に無器用な俺の世話を焼いているだけかもしれなくて。

 外見にも違和感を覚える。
 内面は欠点だらけだ。

(……どこへ行こう)

 スタジオから続く、人一人しか通れないような細い通路を歩きながら俺は考える。
 こんな日はまっすぐ自宅に帰っても辛いだけだ。

 こんな思いに支配された夜は、たいていやることも決まっている。

 作りかけの3000ピースのパズルをするか、
 それか、臨海公園で上がりかけの月が真南を過ぎて落ちていくのを見るか。

(寒いところで頭を冷やすのもいいかもな)

 俺は後者の考えを選び、鞄を手にしてスタジオを出る。

「……ん?」

 ポケットに入っていたケータイが自分の存在を知らせてくる。
 『気付いて?』と言わんばかりにランプを点滅させている。

 俺のケータイの番号を知っている人間は限られている。
 今日はこうしてスタッフと顔を会わせていたわけだから、バイト先からの連絡ではない。
 父さんも母さんも時差の関係で、この時間には連絡してこないはずだ。
 ……とすると。

 小さな予感は大きな確信へとなる。

 俺は再生ボタンを押した。

『あのね、うっかりして珪くんのリーダーの教科書、間違えて持って来ちゃったの。お返しするから、今日6時、ショッピングモールの入口で会えるかな?』

 留守電からはの申し訳なさそうな声がする。

(やっぱり)

 今日は木曜日。いつもならあいつ隣りの喫茶店のバイトに入ってるはずなのに。

『今週は変則的なんだー』

 は残念そうにそう言うと、俺とは校門の前で手を振って別れていた。
 俺は非常階段を2段飛びに駆け降りると、食い入るように液晶を見る。

 6時15分。
 辿り着くまでの時間、1分でも惜しくて、俺は走る。
 不安が広がる。俺の中でだんだん大きな雨雲のようにもたれかかってくる。

 いつの頃からか、と待ち合わせをするときには、いつも決めた時間よりも早く待ち合わせ場所に行くようにしていた。

『おまえ待ってるの、嫌いじゃないから』

 口ではそう言いながらも、言い足りない事実もあった。

(隙がありすぎるんだ。おまえ……)

 ショッピングモールについて、目を凝らす。

 6時21分。
 12月に入ってからというもの、辺りは賑やかなクリスマスソングと照明で昼間みたいな明るさだ。

(……どこだ?)

 俺はあたりを振り返る。

 心配性、なのかもしれない。
 自分に自信がない、とも思う。
 ── あいつを一人にしておくのがこんなに不安なんて。

 はなにか言えば、聞いてくれそうな気がする。受け入れてくれそうな気がする。
 そしていつか、なにもかも許してくれそうな気がする。
 だから、おまえの周囲には自然と人が集まるんだろう。
 おまえに甘えられているふりをしながら、実はそれ以上におまえに甘えにいくために。

 俺はようやくのことで、黒いダウンジャケットの後ろに見覚えのある淡い色のパーカーを見つけた。

 人を見極めることを仕事としているキャッチセールスの人間なら、おまえの優しさにまみれた隙を簡単に見抜けるに違いない。
 そして、こういうナンパ好きなオトコも、また。

「ご、ごめんなさいっ」

 大柄な男の影、小さい悲鳴のような声がする。
 元々小さな声で話すだ。これでは周囲の人間は聞き取れないだろう。
 仮に聞き取れたとしても、こんな密やかな声では恋人同士の他愛ないケンカだと思うかもしれない。

「……調子に乗ってるの、おまえだろ?」

 俺は背後からの肩を掴むとオトコの顔を立ち睨みつけた。
*...*...*
 再び雑踏のクリスマスソングが俺の耳に入ってきたのはそれからしばらくしたあとだった。

 は留守電に入っていたとおりリーダーの教科書を手にしている。
 そして、一気に気が抜けたのか瞳だけが別の生き物のように涙を流している。

 俺はにかける言葉もないまま、その場に立ち尽していた。

(こいつは俺のなんなんだろう?)

 友達、というには近過ぎる。
 その単位でひとまとめにされたなら、俺はとてもやりきれないに違いない。

 恋人、というにはまだ中途半端だ。
 なぜなら俺はに対してなんの意志表示もしていない。
 またも俺に対して友達以上の好意を見せてこないから。

(じゃあ、どうしてなんだ?)

 こんなにもこいつの泣き顔を見たくないと思う気持ちは。
 胸の奥に湧いて、抑え切れなくて、少し痛い感情は……?

「そんなに怖かったか? 悪い、遅くなって」
「う、ううん! わたしが勝手に呼び出しちゃったから……っ!」

 は『勝手に呼び出した』という事実だけを責めて泣く。
 ……こういうところがニブいんだよな。
 きっとおまえは『俺に迷惑かけた』って言いたいんだろう。

 胸の奥が鈍い痛みも伴ってかすかに軋む。

 本当は。
 『迷惑』ととらえるのではなくて。


 ── もっともっと『頼り』にしてほしいと思っているのに。


「なあ、……」
「ん……。なあに?」

 おずおずとは返事をする。
 は俺のことを怒っていると思っているのかもしれない。
 怒ってるわけじゃない。
 でも、なんて言ったらいいのか分からない。
 俺の口先から言葉が飛び出そうとしている。言いあぐねる。

 でもどれもしっくりした言葉じゃなくて。


「……心配、させるな」


 俺のことは、どうでも、いいから。

 告げた途端、俺はその言葉がとても的確だったことに気付いた。


 伸ばした手と冷え切った手が重なる。
 言葉よりも引き寄せたい。無事だった、って身体で知りたい。

「おまえになにかあったら……。きっと俺、一生後悔する」
「珪くん?」
「もう、後悔するのはイヤだ」

 俺を見つめるの瞳がガラス玉のように澄んでいくのがわかる。
 その中には華やかなネオンの光と、俺が映っている。
 こんな目で見られたら俺の中の汚い思いまで簡単に見抜かれてしまうかも知れない。

 おまえが笑う理由が俺でありたいと思うように、
 おまえが泣く理由も俺でありたいと思っていること。
 ── おまえに触れるのは、俺だけでありたいと思っていることを。

「……悪い。行くか?」

 俺は視線を外す。
 このままこいつの目を見ていたら、何を口走るかわからない。

 は、というと。
 小さな子どものようにぎゅっと俺の手を握って、ようやくほっとした表情を浮かべていた。
*...*...*
 の自宅に着いて、俺はずっと繋ぎ続けていた手に入っている力を緩めた。

 ……こうしていつものこと、近くに感じていられれば安心なのにな。
 どこにいても。離れていても。

 離れ際に軽く小指と小指が交差する。
 その仕草に、俺はふとこの前と行ったゲームセンターでしていた赤い糸の話を思い出す。

『見えない糸が連れて行ってくれるんだよ? 大好きな人のところへ』

 おまえ、大きな目をくるりと回して嬉しそうに言ってたよな。

 ── 本当にそんな糸があればいい、よな?

 なあ、
 俺の赤い糸がおまえに伸びてる。途中で絡まっている。そのうち時間が解いてくれる、と。
 俺はそう信じていていいんだろうか?

 門扉を開く音とともに、俺たちは手を離す。

「じゃあ、また学校で、な。あまりムリするなよ」
「えっと、ありがとう。また、明日ね?」

 いつもの会話を交わす。でも今日はなぜか離れ難くて。

 ── それはも同じだったようで。

 門の扉の向こうとこちらで俺たちはぼんやりとお互いの顔を見合っていた。

「手……」

 の震える声がする。
 俺は言われるままにの前に手を差し出す。

 は大切なもののように俺の片手を両手で受け取ると、そっと手首の窪みから指先へと指を這わした。

「……わたし、珪くんの手、好きだな」

 俺は意外な気がした。
 手の形なんてきっと誰もが同じで、俺はどうしてこんな特徴のない手を褒めるのかわからなかったからだ。

 の指の感触は不思議と心地が良くて。
 ともすれば、泣きたくなるような感情も伴っていて。
 が離さなければ、俺はずっと手放せないままでいただろう。

 ── ずっと触れていて欲しい、と。

……)

 何度か曲線を辿ったあと、はふっと安心したように息をこぼして俺の手を離す。

 俺はその手を軽く握ると自分の鼻先へ寄せた。

 これ、おまえのだ。
 いつも俺が安心する香り。

「手。……おまえの匂いがする」

 こんな些細なことが、今日の俺を臨海公園から真っ暗な自宅へと呼び戻す。
 ── おまえの香りを纏ったこの手があれば、もう寂しくない……か。

「あ、あのっ。恥ずかしいから、手、洗っていって?」

 は口を金魚みたいにぱくぱくさせて、頬以上に耳の先まで赤くしてあわてている。
 ……おまえのこういう顔って結構面白い。

 俺はふざけた調子で言い返した。


「……そんなもったいないこと、するわけないだろ?」
←Back