週末遊びに行く約束、また今度にしてもらってもいいかな?
ごめんね。』
夏休み半ば。
花火に行ってから最初の週末、あいつからこんなメールが届いた。
*...*...* After *...*...*
あいつを抱くという行為を経てからの俺は、どこかおかしい。俺はベットの上に転がると、見慣れた天井を意味もなく見つめ続けた。
あれ以来、を『思い出す』ということはまるでなくなってしまった。
……片時も、忘れることができなくて。
思い出す、という隙間がどこにもないからだろう。
あいつが俺を受け入れてくれた、と。
俺と同じ想いを、あいつも持っていてくれた、と知った夜から。
俺は、形無いものから、明らかに形あるモノが好きになったのだ、と今は確信を持って言える。
今までだって、あいつを想う気持ちに、なんの迷いもなかった。
なのに振り返ってみると、その気持ちは今抱いている気持ちとはまるで異なるもののように感じる。
……抱く以前とは比べものにならない。
── あいつへの狂おしいまでの感情。
俺の中に生まれた変化はなんなのだろう?
(抱いて、から……)
記憶力が良い、ということがこんなに残酷なモノとは今までの俺は知らなかったと思う。
自分の部屋で抱いたことをこんなに後悔するとは、あのときまで考えもつかなかったから。
気配を感じる。匂いが残ってる。
いろんな記憶がまとわりつくのに、記憶の主は遠くにいる。
俺のパジャマを着て、恥ずかしそうに笑ってた。
抱き上げて昇った階段。
首に回された腕がひんやりと冷たかったこと。指先が震えていたこと。
女というよりはまだ少女に近い、頼りないまでの華奢な身体。
涙で縁取られた瞳にたまらなく煽られた。
身体を開いて暖かみに身を沈めると、泣くような声を上げた。
見えないモノから守るように俺の頭を抱きかかえて。
何度も俺の名前、呼んで。
繰り返し思い出しているうちに、自分の中だけに住み続けているあの夜のが一人歩きを始めた気がする。
自分の中に住み続けると、目の前にいる現実の。
今がもし夏休みじゃなかったら……。
その不一致を、顔を見て、話して、確かめて、一つに同化させることができるのに。
── そこまで一気に考えてため息をつく。
……相当、重症、だな。
俺はベットから起き上がると、机の上にあった携帯に手を伸ばした。
「葉月ちゃん? なんか疲れてる〜? 目の焦点、合ってないよ〜?」
夏休み中も滞りなく予定が組んである撮影。
カメラマンの斉藤さんは、心配そうな表情を浮かべてシャッターを切る手を止めたっけ……。
俺は手にした携帯のファンクションキーを意味もなく押し続けたりした。
どうして次に会う約束を1週間後に決めたんだろう?
溢れてくる思い出の洪水。
……ほんの少しでも気を抜いたら、たやすく押し流されていきそうな。
俺は手にしていた携帯を無造作にベットに置いた。
(……会いたい)
*...*...*
「ったくねーちゃん、子どもっぽいよな。今週ずっと暑かっただろ?だからクーラーかけっぱなしで寝てたら、ノドの調子、やられちゃったらしいんだ」
の自宅に行く途中。
俺は偶然、市民プールからの帰りだという尽と自宅近くの公園で会った。
「俺が腹出して寝てたんじゃないの〜、って言ったら、絶句してた。わかりやすいキャラだよな〜」
……目に浮かぶよな。
隠すことが苦手な。
本人は隠し通せているつもりなんだろうけど。視線を外すクセですぐわかるんだ。
「母さん、もうすぐ帰ってくるから、それまでねえちゃんの部屋でゆっくりしてて。
ねえちゃんももうすぐ目が覚めると思うし」
「……わかった」
尽は2階へ続く階段を指し示すと、コーヒーでも淹れるよ、と手をひらつかせながらキッチンへ向かう。
俺は差し出されたスリッパを履くと、ゆっくりと階段を昇っていった。
の誕生日、の自宅に来たことはあったけど、部屋に入るのは今日が初めてだった。
クリーム色の優しい壁が、なんとなくの雰囲気に似通ってるような気がした。
小さな花が飾ってある玄関。小さな額縁に入った水彩画がその壁に彩りを添えている。
……こざっぱりとはしてるけどどこか寒々しい、俺の家とは大違いだな……。
階段を昇り切ると、手前が尽の部屋、奥がの部屋になっている。
尽とお揃いのルームプレートが、姉弟の仲の良さを伝えてくるようだった。
……あいつと尽の場合、どちらが年上かわからないけど、な。
の部屋の前に来て、俺はノックしようとして手を挙げる。
そして、挙げた手は目的を果たさないまま、耳の横で止まった。
ワケもなく緊張する。
あいつ、大丈夫だろうか。
突然来た俺を、どうやって受け入れるだろう。
結局、寝ているのを起こしては可哀想だ、という気持ちに負けて、俺はノックはしないまま音を立てないようにドアを開けた。
「……」
シンプルだけど女の子らしい部屋の中、色とりどりのクッションが可愛らしく並んでいる。
一番奥の窓側にベットがある。
クーラーのファンの音だけが聞こえる、静かな、部屋。
気配はあるのに、まったく動きがない。
俺は二歩、三歩と足を進めて、枕に頭を埋めているを見つけた。
丸みのある頬が削げて、多少やつれているように見える。
白っぽいパジャマが色褪せて見えるほど、の顔色は白い。
長くなった前髪がうっとうしいのか、ピンクのピンを2本さしている。
心持ち開いている唇が熱のあることを知らせるかのように、濃い朱色に艶めいている。
(……辛い、か……?)
おそるおそるの頬に手を滑らせてみても、は軽く眉根を寄せたまま、また眠り続けていた。
俺の手が冷たいのを差し引いても、かなり熱が高いのが触れた肌から伝わってくる。
高くもなく低くもないすっきりとした鼻梁と濃い睫が、頬に長い影を落としている。
「」
俺は熱を含んだ手をそっと抜き取ると、もう一方の手を滑り込ませた。
そして相手が目を見開いていないことを良いことに、しげしげとの顔を見続けた。
── まるでこの顔の中に答えがある、と言わんばかりに。
(どうしてこんなに惹かれるんだろう?)
華奢な、小さな、少し色素の薄い女の子。
ちょっとした人混みへ入り込んだら、簡単にその中へ紛れ込んでしまいそうな女の子。
こいつ自身が発する力は決して強くない。
……けれど。
頬にかかっている髪をかきあげると、少しだけ髪が指に引っかかったのか、はぽっかりと目を覚ました。
「……悪い。起こした」
「……珪くん?」
いつもより力ない目が、一瞬大きく見開いたあと、俺を認めて細くなる。
嬉しいモノを見つけて、おまえが微笑む瞬間だ。
「様子、見に来た」
「ん……。もう、だいぶん、いいんだよ?」
は怠いのか、ノドの調子が悪いのか、少しかすれた声でそう言うと、俺の手を取った。
そしてそのまま両手で握りしめると、ことっと向きを変えて、その上に頭を載せて笑った。
「来てくれて、ありがとう」
手の甲に触れる、さらさらとした髪の毛の先
手の平を通して確実に伝わってくる、頭の重み。
そんな、小さな、刺激。
なのに、その刺激は、俺に伝わる頃には『愛しさ』も連れてやってくる。
は俺の中にある少年時代そのもので。
きっと、俺の一部分なんだろう。
小さくて。暖かくて。
── 自分以上に愛しい存在。
「えへへ、知恵熱、かな? 急に体調崩しちゃって……」
「……先週、刺激が強すぎたのかもな」
「…………。な、なんてこと、言うの〜」
どうやら思い出すのも恥ずかしい、って感じなんだろう。
からかうように言うと、は口よりも早く頬を赤く染めている。
── これは熱だけが理由じゃないみたいだ。
「……また、熱、上がりそう」
赤みが差した場所の熱を取ろうと唇を寄せたとき、耳元での声がした。
それを俺は幸福な気持ちで聞き入った。