*...*...* Surely *...*...*
一体どれくらいの時間が過ぎていったんだろう。昼下がりからずっと、俺は人の足元ばかりを見ている気がする。
男の足。もつれるようにして続く女の足。
ふと目の前で立ち止まる。けどその足たちは目的地を見つけて別の場所へと急ぐ。
……こうなることはやる前から分かっていたことなんだ。
それでも。
俺は自分の作ったシルバーに対する、客の反応が見たかった。
客はどんな表情でそれを持ち上げ、シルバーは人肌のぬくもりを得て、どんな表情を返すのか。
……そう考えていたのは、俺の思い上がりなんだろうか?
現状はそれ以前、で。
作品に関心を寄せてもらうどころか、声すらも掛かってこない。
時折、立ち止まろうとする脚はあるが、俺が顔を上げる前にまた足早に通り過ぎてしまう。
だんだん長くなる人影が、夕方に近づいてきたことを知らせる。
そういえば、あいつ……。
俺がフリマに出ることを聞いたとき、あいつ、すごく嬉しそうな顔してたっけ。
『良かったら、お手伝いしようか?』
『……いや、いい。いつも一人でやってるから』
『ん。わかった。頑張ってね』
本当は二人でやれたら、そう思っていた。
休日、あいつの顔を見ながら同じ時間を過ごせたら、楽しいだろうということは分かっていた。
けれど、何となく今のような状況になることはうすうす感じでいて。
多分俺は、誰からも声の掛からないこの状況を見られることが恥ずかしかったんだと思う。
── もう、帰ろうか。
俺はキレイに並べたシルバーを1つ手に取り、ため息をついた。
全部、やり直しだ。
一からデザインを組み直して。焼きの時間や温度を確かめて。そして、それから……。
「珪くん!」
「……」
思いがけない声を聞いて、息を呑む。
そこには淡い色のキャミソールとブルージーンズを着こなしたがいつもの笑顔で微笑んでいた。
確か、このフリマに来るとも来ないとも言ってなかったのに。
「どうしたんだ? こんなところで」
── 正直言って、複雑な気分だ。
来てくれたこと自体は嬉しいのに、この並べたときとほとんど変化のない自分の持ち場は、まだ何一つ作品が売れてないことを示していて。
見られたくなかった、という気持ちが消そうとしても消えないまま、俺のわだかまりになって、そっけない口調になって身体の外に出てくる。
はそんな俺の素振りにも気付かないのか、俺の前のしゃがむと明るく話しかけてきた。
「きれいだね……。 ねえ! もしかして、これ全部、珪くんが作ったの?」
「……まあな」
「すごいなぁ……」
は愛おしそうにリングを持ち上げて、軽く撫でた。
その拍子に、夕焼けのヒカリとシルバーの輝きとの肌色が優しく1つの色に交わって、何とも言えない良い表情を生み出した。
(……そうやって、可愛がって欲しかったのかもしれない)
俺が良い、と思った作品を俺以外の人に。
いろんな人の反応を直接見て、捉えて。
これからの作品を作るのに役立てたかったんだ。
「珪くん?」
ぼんやりした俺を気遣う声がしてもなお、俺はを見つめ続けた。
……おまえの反応が見れただけで、充分かも、な。
そんな風に慈しんでくれるなら、また新しい作品を作る気持ちにもチカラが籠もる気がする、から。
はシルバーのリングを元あったところにそっと戻すと、俺の顔を覗き込んだ。
「本当にどれも素敵だね。どう、売れ行きは?」
「……見ればわかるだろ」
二人して目の前のクロスを一目する。
そこには寸分無く並べられたシルバーが、スペースもなくきっかりと並べ立てられていて、作品が一つも売れてないことを示している。
恥ずかしいけど、仕方ない。売れてないのは事実なんだし。
「そっか……」
はくるりとクロスの上の作品を眺めて、くすりと小さな笑い声を漏らした。
「ね。珪くんの隣りのスペース、ちょっと空けて?」
「なんだ?」
「いいから、いいから!」
はするりと俺の横に座ると、軽く咳をし首の中心を撫でた。
そして茶目っ気たっぷりな笑顔で俺の耳元に囁いた。
「……ちょっと恥ずかしいから、あまり聞かないでね」
「おまえ……?」
……マズい。
こういうときのこいつって、なんかとんでもないことを思いついたときだ。
は少し俺から離れると、背筋をピンと立たせた。
……一体何をするつもりなんだ?
『わぁ〜!! カワイイーー!! ステキーー!!』
「……お、おい……」
『え〜!? そんなに安いんですかぁ? もう、全部欲しいーー!!』
いつもより一オクターブ高い声。周囲の人間が振り返るほどのボリューム。
……なんだか追っかけをやっている女の声に似てないか?
いつも聞く、の声というのはどちらかと言えば小さい方で。
ともすれば一緒にいる藤井や姫条の声にかき消されてしまうほど秘やかなものなのに。
「……おまえ、どうかしたのか?」
の意図がわからなくて、俺は目の前の楽しそうに目尻の下がった横顔を見つめる。
は振り向くと俺の視線を包み込むようにして笑った。
「えへへ。見ててね、珪くん。……きっと、ね。大丈夫。あ、いらっしゃい!」
の声と笑顔に釣られたのか、早速二人連れの女達が寄ってくる。
「あ、ホント! カワイイ!! それいくらですか?」
「安〜い!! これください!」
「でしょう? 重ねて着けても、イメージが変わって素敵ですよね」
「あ、お姉さん、良いこと言う〜。じゃあ両方ちょうだい」
「はい。どうもありがとうございます」
は慣れた様子で客を捌いている。
そのてきぱきとした様子はアルカードで見るの姿にも似て。
……さっきまで客だったのがウソみたいに、この場に馴染んでいるのが不思議だった。
人は他人が興味を持っていることに興味を示すモノらしい。
それからは人が人を呼ぶ状態になって、途切れることなく客が押し寄せてきた。
「あっ、あのペアリング、ステキ! ねぇ、買おうよ!」
「お、いいじゃん! お兄さん、これちょうだい」
「……はい。どうも」
「ちょっとお兄さん、こっちもお願い」
「……はい」
息つく暇もないとはこういう状態のことを言うんだろう。
さっきまでの閑散とした雰囲気はウソのような賑わい。
それを経て、すべての作品が捌けた後では、さっきの喧噪がウソみたいだ。
が来てから、空気の流れが変わった。
客足も、定まらず。
1つとしてモノは捌けなくて。
持ってきた作品を全部持って帰ろうとまで考えていたのに。
こいつ、が、来てから。
今、目の前にあるのは、シルバーが載っていた黒いクロス1枚だけ。
「すごい。全部売れちゃったね!!」
「……おまえ、商売の才能あるな……」
「ううん? 珪くんの作品が素敵だったからだよ?」
は綺麗な仕草で立ち上がると、目の前のクロスの埃を落として丁寧に畳んだ。
「一目見て思ったの。売れないのがおかしいくらい、珪くんの作品、きらきらしてたよ?」
「……じゃあ、どうしておまえが来るまで売れなかったんだ?」
「みんな、分かりやすいモノに飛びつきたいんだろうね。人が買うなら自分も、って」
「じゃあ、俺が作った作品もそうなのか?」
……わからない。
じゃあ、俺の作品は、作品が良いから売れたワケではなく、人が買うから、という理由で売れたのだろうか?
「最初、はね。きっかけはそうかもしれない。けど、これから身に着けていくうちに、じわじわって珪くんのシルバーの良さがわかると思う。……大丈夫だよ」
は自信たっぷりに言い切る。
……大丈夫。
この言葉、よく、じいさん口に出してた。
(大丈夫、大丈夫だよ、珪)
(世の中、そんなに悪いことばかりじゃないよ)
(願っていれば、いつかは叶うんだ。ゆったりとした気持ちでハッピーを待ち受けているのも、楽しいぞ)
のすんなりとした手が、黒いクロスの上、一つの芸術作品のように白くまぶしい。
── こいつといると安心できる。
きっと、大丈夫だ、と。
何もかも上手く行って。
次も、これからも、と、明日へと続く言葉を繋げることができる、と。
── そうなれば、いい。
「あ、忘れてた!!」
すっかり身軽になった帰り道。
は急に立ち止まると情けない声を上げた。
「どうした?」
「わたしもひとつ欲しかったな……。珪くんの作ったシルバー」
「そうなのか?」
「素敵だなって思うの、いっぱいあったのに……。売れちゃったことは嬉しいんだけど、ちょっと残念、かな?」
……そうだよな。元はと言えば、こいつがフリマの売り子をする予定はなくて。
見るに見かねて手伝って、今に至るワケ、で。
「うう、あのシンプルなリングも素敵だったし、あのバングルも……」
は頬に手を宛てながら、なおも残念そうに口をとがらせている。
「……」
俺はすぐそばにあるの頭を撫でた。
杏色のさらりとした髪。
風が吹くたび、もつれもせず、俺の指の間からさらさらとこぼれ落ちていく。
今よりもっともっと小さくて。
地団駄踏んで泣いてた頃と、変わらない、感触。
「……いつか作ってやるよ。おまえに似合うの」
大衆向けの作品じゃなくて、俺がおまえに似合うと思うデザインのヤツを。
── 俺の気持ちも込めて。
「珪くん、本当? やったー!!」
俺の声を聞いた途端、は顔を上げ、パッと表情を綻ばせた。
夕焼け空が続く坂道。
めまぐるしく変わる表情がとてもきれいで。
許されるなら、おまえを。
── ずっとこのまま留めておきたい。……俺のそばに。
俺は胸の中に浮かぶ暖かい気持ちを持て余しながら、への思いを伝える。
「……ああ。約束」