*...*...* 彼がくれた香り *...*...*
 今日は文化祭。
 柔らかい秋の日差し。さざめく声が校内に溢れている。
 今日は他の学校からもたくさん人が集まってくるからか、いつもにない賑わいを見せている。
 そして手芸部の1年生は、『カジュアル』というモチーフで、ファッションショーを行うことになっている。

「いよいよだね! ううっ、緊張するよ〜」

 ドキドキが止まらない。

 大丈夫だよね。この1ヶ月、みんなで一生懸命作ったもん。
 1週間前からは、手芸部のみんなで、『モデルウォークの極意』なんて言って、 リーダーの教科書を頭に載せて何度も歩いたりもした。
 傍目から見たらちょっと退きそう、だけど、そこは団体プレイだったから問題ない、よね? うん。

「大丈夫。ちゃん、元気いっぱいって感じで可愛いわよ」

 ふんわりと白いウエディングドレスを着た先輩が、わたしのカットソーワンピースの肩を撫でてくれる。

「ありがとうございます。先輩こそ、……素敵」

 わたしは振り返って目を見張る。

 10代の時の2歳差、ってこういうときに表れるのかな。
 いつもの制服を着てわたしたちにいろいろ指導してくれる先輩とはまるで別人。
 ふんわりと香る香水。
 うっすらと上気した頬が、白いドレスに映えてて、まぶしいほどで。
 大人の女の人、って感じで。

 わたしは自分自身の出番も忘れ、うっとりと先輩の姿に見とれる。
 ── わたしも、あと2年大人に近づいたら、今日の先輩みたいにキレイに微笑んでいられるのかな?

「じゃ、1年生から入るわよ。準備オッケー?」

 手芸部部長のユリ先輩の声が始まりの合図となって、手芸部全員が体育館へと移動する。
*...*...*
 どうしよう、どうしよう。
 緊張、してる、か、も……。
 ことん、ことん、って動悸が耳元で響いてる気がする。

 次々と友達が舞台に上がっていくのをわたしは舞台の袖から見送っていた。
 あ、ミホちゃんてばズルい。
 モデルウォークなんて恥ずかしくて出来ないって言ってたのに、
 すっ、すっ、と腰から脚を出す歩き方はすっごくサマになってるよ〜。

 じわり、と手の平に熱がこもる。
 ……あ、そっか。

 『手に汗握る』って、本当のことだから、慣用句になったのね。

「きっと、そうだよ。絶対そう」

 ……なんて自分でツッコミを入れてる場合じゃないかも……。
 わたしは湿り気を増してきた手の平をもう一度握りしめた。

 緊張、が、解けない。

「……
「は、はい!!」

 えと手芸部ってオンナの城なのに、この声、って……?
 わたしは周囲をきょろきょろと見渡した。
 声の主は、舞台袖と黒幕の間に、ひっそりと立っている。

「葉月くん! 来てくれたんだ!」

 葉月くんはいつもとは違うわたしの格好をさらりと眺めて。
 ふと、わたしが手にしているバックに目を留めた。

。そのバック、肩から提げたほうがいいんじゃないか?」
「そっかな?」

 ワンピースの端切れで作ったバック。
 それは、ちょっとしたコサージュを付けたら、急に表情が引き締まって、今日の主役のワンピースよりもずっと大好きな作品になっていたんだっけ。

「そっちのほうがバランスとれてると思うけど」
「えっと、……こうかな?」

 コサージュの部分を見える方に持ってきて、っと。
 わたしはバックを肩に提げると、神妙な顔で葉月くんの方に向き直る。

「……ああ。さっきより良くなった」
「葉月くん。あの、ありがとう。来てくれて……」

 葉月くんはどうしてわたしがお礼を言うのかが分からないみたいだった。
 特に表情に何の変化もなくて。
 いつものようにゆったりとわたしを見つめている。

 でもわざわざ舞台裏まで来てくれるなんて。

 (少しでもわたしのこと気にかけてくれてるのかな)

 なんて頬がゆるゆると溶けそうな気がしてくる。

 ── 不思議。

 話してる間に、さっき感じていた緊張はどこか遠くへ飛んで行ってしまって。
 わたしはいつもの落ち着いたわたしに戻っていくのを感じた。

「じゃ、俺、客席に行くから」
「うん!」
「頑張ってこいよ」
「うん! ……っ?」

 そのとき。
 さらり、と、ふわりと。
 ミントのような爽やかな香りが空を舞って、わたしの頭上に触れた。
*...*...*
 うわーん。
 もう、泣いちゃいそう。
 大、大、大失態だよ。
 舞台からでも、客席にいる奈津実ちゃんとタマちゃんが、あちゃーって顔したのがわかったもん。

 どうして? どうしてカジュアルな洋服で、わたし、転ぶのかな!?
 たいして長い脚ってワケでもないのに、もつれた、っていう表現がぴったりな転び方。
 ファッションショーってあまり男の子には人気のないイベントなんだけど、
 このときばかりは、異様に男の子の声が響いていたような……?

 歩き方は何度も練習した。
 先輩たちのウエディングドレスとは違って。
 裾をつまんで、ヒールを履いて、ってワケじゃないもの。
 楽しそうに笑って、舞台の中央に行き、一回ターン。
 今度は舞台後方に下がって、もう一度今度は反対向きにターン。
 最後に舞台前方に行き、微笑んで一礼。
 それだけだったのに。

『ターンを華麗にやれるといいよね〜』
『ああ、スケートの選手みたいにね。くるくるって、私たちでも2回転くらいは出来そう?』
『いいね。やってみよっか』
『あ、わたしはパスさせてね? わたしがトロいの、みんなよく知ってるよね?』
『……、あんただけできない、って言わないよねえ?』
『……はい?』

『みんなでやることに意義があるの!』

 うう……。
 頑張ったの。頑張ったんだよ? 一生懸命練習したもん。

 けど、結果がこれじゃあ、ね……。

 舞台袖にいるミホちゃんが、早くこっちこっちって手招きしている。
 わたしは挨拶もそこそこにその場を走り去った。
 拍手のような、笑い声のような喧噪も一緒に付いてきて、わたしはいっそう泣きたい気持ちになった。
*...*...*
「ま、も気を取り直してさっ。こういうこともあるよ。来年からは男子の入場率も上がるよ。それに貢献したと思って!」
「……奈津実ちゃん。全然フォローになってないよう……」
ちゃん? バックとワンピース、おそろいですっごく可愛かったよ。あの、……転ぶ前までは、良かったと思うの」
「タマちゃん。それってやっぱり、転んでからは良くなかった、と……?」
「ほれ、なんかおごってあげるから、元気出して! 姫条がたこ焼き焼いてるって言ってたからそこ行ってみよう!」
「ううう……」

 結局。
 わたしはファッションショーの中にお笑いを取り入れたオンナ、ということで、 特に先輩達にも咎められることなく、こうしてファッションショーの後の自由時間を楽しんでいる。

(……葉月くん)

 葉月くんも、見たのかな? わたしの失態。
 たしか客席に行くって言ってたもん。絶対見たに決まってる。

 その、……そのっ。
 やっぱり一瞬だけでも、スカートの中も見えちゃったりしたんでしょうか……?

「うわーーん!! もうもうっ!!」
、思い出し笑いは、もういいから」
「ひどいよ、奈津実ちゃん!」
「ほら、ご当人が来たよ」
「へ? ご当人てなあに?」

 振り返って。
 わたしは思わず手にしていたたこ焼きを落としそうになった。

「は、葉月くん!?」

 うう、せっかく助言してくれたのに、あの大失態は、あの……。
 なんてフォローすれば良いんだろう?

 わたしがぱくぱくと言葉もなく口を動かしている間に、目の前の男の子は、おっとりと口を開く。

「……まあ、アレはアレでな……」
「うう……」
「退屈しなかったし……。おまえらしかった」

 あの……。
 おまえらしい、って、それ、褒め言葉なんでしょうか?
 ドジなわたしは、わたしらしい、ってことなの、ね……?

「ありがとう。気を使ってくれて」

 わたしはため息混じりに返事をした。
 葉月くんがどういう気持ちで言ってくれてるのかわからないけど、ちゃ、ちゃんとお礼は、言わなきゃ、だよね。

 でも……。
 こんな風に言ってくれる彼に聞けるわけない。

 『スカートの中、見えた?』

 なんて。

 複雑な表情を浮かべているわたしは、葉月くんからしたら相当落ち込んでいるように見えたのだろう。

「いや……正直なところ。……気にすんなよ」

 葉月くんはそう言いながら、ファッションショー前と同じ仕草でわたしの髪を撫でていく。

 彼の手は大きくて、どこまでも柔らかくて。
 ファッションショーの前に感じ取った、透き通る香りも一緒にこぼれていって。

 (男の子、なんだ)

 なんて改めて余韻に浸っちゃったり。

 ……ああっ。でもやっぱり知りたい。

 スカートなの。
 わたしが知りたいのは、転んだときのスカートの話、で!
 葉月くんが見たかどうかってことなの!

 ……なんて。
 本人に聞けるわけ、ないし。

「うう、……わたし、何度今日のシーンを思い出すんだろう。きっと夢にも出てくるよ。あの失態と笑い声、ワンセットで」

 わたしは再び奈津実ちゃんとタマちゃんがいるテーブルに戻ると、ため息をついた。

「ねえ、タマ。貴重なモン、見たよね」
「うん。見た」
「また、そうやって言う〜! お願い。忘れて」
「……ははーん。はわかってないわけだ」
「そうみたいだね、奈津実ちゃん」
「え? わかってないって何が? あ、たこ焼き、全部食べちゃったの?? もう一回買う!」
「こりゃ葉月もかわいそうだ。……っと、たこ焼き? いいよ、姫条にサービスしてもらおっか」

 奈津実ちゃんとタマちゃんの意味ありげな目配せにもメゲず、わたしは姫条くんのやってる模擬店へと向かう。


 ふと髪が揺れる。
 葉月くんがくれた香りも香る。
 わたしはなぜか、ファッションショーの前の彼の手を思い出して幸せな気持ちになった。
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