*...*...* たった1つの音 *...*...*
校内の中庭には、夏の頃の攻撃的な光とは全く違う、柔らかい日差しが落ちてくる。校外からも学生が遊びに来ているのだろう、今日の校内はいつもとは違うざわめきに包まれている。
文化祭当日。
……別に『独り』でいることをいつもは寂しく思ったことはない。
小さい頃から、孤独はむしろ自分のすぐ隣りにあって。
友達、と言えるほど親しくはないけど、むしろ揶揄や喧噪が取り囲むよりはマシだ、と思えるほどで。
けど、周りが浮き足立つようなこんな日は、他人と自分との落差は確実に広がる。
まるで小さな子どもが大きな服を着せられたみたいで。
服と身体との隙間がとても居心地が悪い、と思う。
『気にしないで、父さん。……こっちはこっちで楽しくやるから』
『……本当か? 珪』
時折、思い出したかのように携帯に連絡を入れる父さん。
父さんはうすうす俺のこんな状態を心配しているのだろう。
気持ちが震えるタイミングを見計らったように、電話をかけてくる。
『父さんも母さんも、仕事ばかりで珪の近くにいられないこと、申し訳なく思ってる。
だから、身体だけは大事に、な?』
『……わかってる』
わざと陽気な声を出して、父さんを安心させる。
周囲と波長を合わせるために、俺も少しだけ足掻いてみたりもするんだ。
目を合わせて、話しかけて。声を聞いて。
(俺の居場所はどこにあるんだろう)
それを確かめるために。
*...*...*
『……ね? 良かったら葉月くんも来て!』『……何やるんだ? おまえ』
『えっとね、手芸部のイベントでね。午後から講堂でファッションショー、やるの!』
文化祭の数日前、パタパタと廊下を忙しそうに走っていたが、俺を見つけて声をかけてきた。
大きな瞳がくるりと回る。ヒカリを帯びて、生き生きと輝いてくる。
こいつの嬉しいときの顔。
その途端に、中に映っている俺自身が歪んで、泣いてるように見える。
── 別に独りが好きなわけじゃない。
ただ……。
……ただ、俺は、今、目の前のこいつに対して、もどかしいまでの思いが湧いてきて。
夏休み前までは、なんでもなかった。
過去の思い出を少しだけ共有した女の子。
しかも女の子自身にはそのときの記憶もない。
まるで独り相撲のような、俺だけの宝物。
それが。
少しずつ、秋の風が立ち始めて。
の日に焼けた手の甲が日増しに褪め始めて、から。
(独りでも平気だった俺が、平気じゃなくなってきている……?)
目を開けば、視界にあいつの欠片を探して。
休み時間は寝ているようでも、耳だけは別の生き物になって敏捷にあいつの声を聞き分けようとしている。
俺の煮え切らない態度に、はふと不安そうな顔をする。
『あ、もしかして、葉月くん、当日、何か用があるかな?』
『……いや』
近づいて、手に入れて。
再びまた、おまえという存在を失ってしまったら……?
『んー。男の子はファッションショーなんて、あまり興味持てないかもしれないね。ごめんね、ムリなこと言って』
『いや。……見に行く』
夏休みが終わってから、は手芸部の友人たちとあちこち走り回っているようだった。
ある日の放課後、遅く。
もう夕焼けが長く影を作る時間になって、 教室で寝過ごした俺が目を覚ましたとき、ひょっこりが教室に荷物を取りに来たことがあった。
『あ、ごめんね。起こしちゃった?』
『おまえこそ、……遅いな。何やってるんだ?』
『部活だよ? もう少しもう少し、なんてやってたらどんどん遅くなっちゃって……』
『……送ってく』
『え? いいよ。葉月くんの帰りが遅くなっちゃうよ?』
『いいから』
俺は椅子から立ち上がると、フックにかけてあったカバンを手に取る。
俺の意志が固いのがにも伝わったのだろう。
は、ちょっと待ってて、と慌てて部室へと向かう。
廊下へ続く教室のドア。
教室一面はオレンジ色の洪水で、セーラー服さえも金色に染まるんじゃないか、と思える中。
後ろ姿のはドアに手をかけ、ありがとう、と小声でつぶやいた。
*...*...*
まだ、ファッションショーまでには時間がある。けれど、ファッションショー以外に特に見たいと思えるイベントもない。
……とりあえず、講堂へ行くか。
そこであいつに会えたなら、良いことだし、あそこは客席は薄暗いから、もしかしたら昼寝もできるかもしれない。
俺は、ふらりと廊下を歩き出す。
瞬間、背後で無遠慮な悲鳴が上がった。
「わっ。あれ、見てよ。このまえ表紙に出てた『葉月珪』じゃない!?」
「ウソーー。見たい! あ、通り過ぎちゃった」
「追っかけようよ。早く!」
俺は真っ直ぐ前を向いてそのまま廊下を曲がると、一番近くにあった教室に入りドアを閉めた。
「あれ? もう、見失っちゃったよ!」
「逃げ足早いね〜。逃げ慣れてるってカンジ?」
「もう、行こうよ。友達が模擬店でサービスしてくれるって言ってたから!」
……行った、か。
俺は小さくため息をつくと、声が遠ざかるのを確認して廊下に出た。
いつも、こうだ。
俺を形作っているのは確かに俺なのに、周囲の人間は、俺の見た目だけで全てを判断して、珍獣のように扱う。
── 誰も、俺の内面は決して見ようとしないんだ。
……さて、どうしようか。
(人気のない体育館裏であいつらとのんびりするか……)
行き先を折られた今、俺の足が向かうところは、結局いつもの場所で。
俺はゆっくりと歩きながら、口の中で飴玉のようにたった1つの音を転がす。
『』
一番小さくて、一番不器用な子猫に付けた名前。
初めて体育館裏に来たときは、他の猫にやられたのか、前脚にひどい擦り傷があった。
無理矢理薬をつけると、鬱陶しそうに全部舐めてしまった。
軽くガーゼを貼ってやれば、小さなもう一つの前足で必死になって引っ掻いている。
「……。いるか?」
こいつから、どうしても、目が離せない。
その理由は名前のせいなのか、それともケガをしているせいなのか。
不器用そのものの振る舞いがあいつにそっくりだから、か……。
俺がゆっくりといつもの定位置に座ると、初めは草を踏み分ける音に怯えていた猫たちが、次々と集まってきた。
俺の指を噛むヤツ、膝に乗り込もうとするヤツ。
そんな中、だけは先に来た猫たちに遠慮して、ずっと遠くの場所で俺の方を見て首をかしげている。
「。おいで」
俺はそろりと手を伸ばし、小さな身体を抱え込んだ。
生きているモノからしか生まれない、かすかなぬくもり。震え。
少し強張った俺の指先からは、の鼓動が伝わってくる。
無邪気な子ども時代の延長のように、屈託なく、あいつに触れることができたなら。
── 今の俺はどれだけ救われるだろうか。
それから数時間後。
俺は、ごく自然にの頭に触れていた。
今、猫のを撫でているときと同じ、寸分違わない仕草で。