*...*...* Melt *...*...*
 ……おかしなモノだよな。

 あいつと出会う前は、自分にまるで関係がなかった、祝日やクリスマス、正月などのイベントの日。

 その季節が近づくと、マネージャやスタッフに自分の無知さかげんを指摘されて。
 言われたときは納得するけど、そんなことは自分の記憶の中には全く残らなくて。
 結局過ぎてみればどれもみんな同じ1日に過ぎなかった。

 けれど今はまるで違う。
 そんな日がやってくるたびに、あいつと関係を再確認したり、一緒にいられることに感謝したり。

 ── 口ベタな俺は、こういうとき出来る限りのことを、目の前のこいつにしてやりたいと思う。

 面倒なだけだったイベントの日。
 こういう日がもっと増えればいいのに、なんて思ったりもする。

 ── あいつは、バレンタインから1ヶ月後のこの日を、どんな風に思ってるだろう。


 先月より確実に日差しが強くなった、春の海。
 心地よい音と共に押しては返す波の音につられて、俺たちは海辺を1歩1歩進む。

「え? い、いいよ。そんなっ! お返しなんて気を遣わないで?」

 俺の隣りに寄り添ってる陰は、ぷるぷると首を振る。その上に乗っている真剣な眼差し。
 少し長くなった髪が、あごの下あたりでゆらりと揺れた。
 そのたびに微かに陰の射す頬がやけにオトナっぽく見えてくる。

「……どうして?」

 高校を卒業してからの、初めてのホワイトディ。

 確かに高校3年間の間に、から毎年手作りのチョコをもらっていた。
 寝不足なのか、目の縁を朱くして、恥ずかしそうに差し出した。
 手からは微かにカカオの匂い。

 ちゃんと寝たのか尋ねようとすると、パタパタとスカートを翻して走っていったクラスメイト。
 それが1年経った今は、こうしてクラスメイト以上の関係を繋げていける。
 卒業と共にとの絆を断ち切らなくてはいけないのか、と悩んでいた1年前の自分がウソみたいだ。

 ── 遠慮すること、ないのに。

 ただのクラスメイトに渡すお返しと、こうして恋人通しになってからとではまるで思いが違うのだから。

「えっと、じゃあ……。その日、珪くんの仕事の都合がつけば、一緒に夕ご飯、食べよっか?」
「それは基本。……それから?」
「え? えっと、えっと……っ」
「おまえ、バレンタインのとき、頑張ってくれたろ? だから……」

 その事実に、すごく感謝していること。愛しさが募って溢れそうになっていること。
 俺もおまえに、もらっただけの気持ちを、いや、それ以上の気持ちも乗せて渡したいと思ってること。

「うーん。……一緒にいられるだけでいいよ〜」

 俺のそんな気持ちにも気付くことなく、は気持ち良さそうに春の風に当たっている。
 繋がれたところから伝わる、ひんやりとした細い指の感触を弄びながら、俺は質問を替えた。

「……おまえの気持ちはわかった。じゃあ、この日の予定は俺が決める」
「ん……?」
「拒否権なし」
「ええっ!? ちょっと待って? あの、もう一度話し合おう?」
「ダメ。……ついでに」
「はい? ついでに?」

 夕凪が止んだ、と思ったら、突然冷たい海風が押し寄せてくる。
 のクリーム色のコートが大きく風をはらんではためいた。
 俺は風から守るようにの身体を腕で囲む。

「わっ、急に……。なあに?」

 防ぎ切れなかった風が朱い小さな耳を露わにする。

 今まで、俺は、何度この場所に口付けただろう?
 今では想像の中でも、の正確な耳の窪みまで思い出すことができる、ほどに。

 俺は注ぎ込みようにして言葉を繋ぐ。

「……その日、泊まっていけよ」

 耳朶にぬくもりが残るように、と願いながら、俺はわがままを言った。
*...*...*
 海でと別れてからの毎日は、寝不足続きだった。
 あいつの欲しいモノが具体的にあるのなら、それを手に入れる、という方法もあったけど。
 あいつの希望は『一緒にいたい』それだけに過ぎなかったし。

 (今の俺に、何ができる?)

 あれこれ考えた結果、俺が手にしていたのは20本の4Bの鉛筆とまっさらなスケッチブックだった。

 思えば、卒業式に手渡したリングを、あいつは殊の外、大事に扱っていて。
 大切に扱いすぎる結果、洗い物の前後では取り外していたから。

 今度は、あまり取り外さなくてもいいやつを。指輪とセットで。

 手は面白いようにスケッチブックの上を走っていく。
 まるで、手は一つのツールに過ぎなくて、自分の脳内がそのままくっきり現れるかのようだ。
 大学生になった今は、高校のときよりも時間の自由が利く、と言っても、これほど根を詰めたのは久しぶりのような気がする。
 でも、こうして夜が白み始めるまでデッサンをしている俺は、1年前の自分を彷彿とさせてどこか懐かしい作業だった。

 白いスケッチブックに浮かぶのはあいつの顔。

 ── あいつ、これ見て、なんて言うだろう?
 俺が作るどんな作品に対しても、どこか良いところを見つけて喜んでるあいつだから、な。

 けど、今の俺が求めているのは、あいつの合格点じゃなくて、あいつの最高点なんだ。

 だから……。
 俺にしか描けないあいつのイメージが、きっと、ある。

「……ん?」

 見ると鉛筆の先は丸く小さくなって。
 俺は次の鉛筆を取り出すと、イメージのままに描き進めた。

「……これで、いい」

 うっすらと朝の光が飛び込んでくるカーテンの隙間。
 ようやく満足するデッサンの左端に日付を入れて、俺は大きく息を吐いた。

 疲れているはずなのに、妙に気分は高揚している。
 相手のことを思って用意する贈り物。
 贈るって、相手が嬉しいだけじゃなくて、こうして準備をする自分も嬉しいモノなんだな……。
*...*...*
「素敵……。どう、かな……?」

 外で夕食を済ませた後、俺の家に戻って。
 の淹れたモカを飲み終えると、俺は小さな包みをに渡した。

 乳白色の肌。
 華奢な鎖骨のくぼみが、クローバモチーフのデザインをさらに引き立ててる。

 は俺が手渡したシルバーのネックレスを胸に当てて不安げに俺の表情を見守っている。

 普段、シルバーモチーフをネックレスにする場合、黒い革紐を使うことが多い。
 けど柔らかな色彩を持つこいつにはなんだか黒はそぐわないような気がして、柔らかなベージュ色の革紐を使った。
 俺はの面差しを見て、自分の選択に間違いがなかったことに満足する。

「……正解」
「はい?」
「良く、映える」

 俺は、彼女の存在を確かめるかのように手を伸ばした。

「……つけてやるから、こっち来いよ」
「ありがとう。自分で着けるからいいよ?」
「ネックレスって、その人その人に合う、ぴったりの長さがあるから……。おいで?」
「ん……」

 革紐はチェーンのアジャスターとは違い、自分の好きな位置で固定することができる。
 だからこそ俺は、に似合う長さを見つけてやりたかった。

 は素直に俺のそばにくると、うつむき加減に首を差し出した。
 背中に垂らした髪が2つに分かれて。
 日頃あまり見ることのないうなじが、ほんのりと白く光っている。

「……なんだか、ドキドキする……。珪くん、できた?」
「もう少し」
「ううう……」

 俺の息がかかるのがくすぐったいのか、の身体が心なしか堅くなる。
 うなじからなだらかに続く背中が、春色のカットソーの奥で見え隠れする。

「……できあがり」
「嬉しい。じゃあ、ちょっと待ってて? 鏡で見てくる!」

 は飛び跳ねるように、俺の腕の中から抜け出そうとする。

 その様子が、本当に嬉しそうで。そしてこいつの喜びは、瞬間のうちに俺にも連鎖してきて。
 ── やっぱり、嬉しい。

 今まで。
 こいつの子どものような天真爛漫さに、俺はどれだけ救われてきただろう?
 こいつの反応が、存在が。
 いつも俺に新たな想像力を与えてくれるのだ、ということ。
 ── どんなに感謝しても、きっと、しきれない。

 俺は遠慮がちに俺の腕を解こうとする、の手を押さえた。

「……その前に」
「え? なあに?」
「俺にもっと、見せてくれ」
「ちょ、ちょっと、……珪くん?」

 俺はそう言いながら、カットソーの肩についているボタンを取り外していく。
 このクローバーモチーフがどれだけおまえの肌にとけ込んでるかを見るために。
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