*...*...* 仕エル者ノ特権 (雅) *...*...*
「そうか……。じゃあ、この、『こうらいにんじん』をお料理に入れるのは、かなり難しいのですね」
「そうだねえ、はるちゃん。い、いや! すすみません。若奥様!!」
 
 額を寄せて話し込んでいたタカさんは、いきなりぴょこんと上半身を曲げると、すまなそうに頭を掻く。
 その反応に、どうしていいのかわからなくなる。
 一呼吸おいたあと、私は顔の前でぶんぶんと手を振ると、タカさんの視線に合わせて腰をかがめた。
 
「ううん? 今までどおりで嬉しいの。だから、はるちゃんって呼んでください」
「いんや、そういうわけにはいきませんや。今や若奥様は宮ノ杜当主の奥方様だ。
 いやいや。あの六男の雅様が当主になることも意外なら、はるちゃんが奥方様になるのも、
 俺にはまったく想像もできませなんだ。これも、『文明開化の鐘が鳴る』ってね。
 私の頭の中でも、リントンシャン、といった風に鳴ってますわ」
 
 えと……。
 文明開化って、『鐘が鳴る』んだったっけ? 確か、『音がする』だったような気もするけど?
 
 宮ノ杜家料理長のタカさんには、それこそ私が宮ノ杜家に仕えた頃からのお付き合いだ。
 
『ほーんと料理長って大変よねえ。タカさんは宮ノ杜家の方の分だけじゃないのよ。
 私たち使用人の食事を用意しているんだから。それも三食よ。進様、博様、雅さまのお弁当もよ?
 あー。タカさんに『やぶ入り』っていう日は一生来ないんじゃないかしら?』
『あ……、確かタカさんは、千富さんと一緒で、もう帰る実家もなくて、だから、やぶ入りもなくて……』
『もう! アタシはアンタのうんちくなんて聞きたく、な・い・の! それくらい大変だ、ってことを言いたいのよ!!』
 
 なんて、一緒にご飯を食べるたびにタエちゃんはタカさんの大変さを語っていた。
 
 でも私は知っている。
 タカさんはただ、料理を作っているだけじゃない。
 正様や勇さまの二日酔いのひどい朝は、少し柔らかめのご飯に、薄めの味噌汁を準備していること。
 魚よりも肉の好きな博さまに、本でヱギリス風の料理『ろーすとびーふ』に挑戦してること。
 
 『若い坊ちゃまたちの楽しみになればと思ってね』
 そう言いながら、博様、雅様、進様のお弁当の準備を前日のお昼頃から始めること。
 
 だから、思った。
 学校の勉強に、当主の仕事。
 それに、千代子様のお仕事のお手伝いに忙しい雅様になにか元気が出る物を、
 私と一緒に作ってもらえたら、って。
 
 ……それなのに。
 
 タカさんは私の調達した野菜を見て、うーん、とうなり声を上げている。
 
「あ、あの、タカさん、なにか……?」
「それにしてもはるちゃん、じゃない、若奥様。
 いくら精が付く食べ物、といったって、女性の方から即座に高麗人参をご用立てするのは」
「はい? あ、ダメ、だった?」
「はい。雅様と若奥様はなんと申しましても『新婚』。
 このことを千富さんが知ったら私も叱られること重畳。
 ……ええ、ええ、これもお2人のため。私も一緒に怒られましょう。ええ、はい!」
「はい……」
 
 タカさんの言ってることがわからないまま、私は曖昧に頷く。
 精が付くって、元気になる、ってことだよね。
 毎日遅くまで本を読んだり、たくさんの書類と睨めっこしている雅様の顔色が、少しでもよくなれば。
 って思ってるんだけど、『こうらいにんじん』、ってダメだったかな? あまり『効用』っていうのがないのかな。
 
 ぽかんとした私の顔を見て、タカさんは戸惑ったように片頬をゆるめた。
 
「いけませんや。年を取ると、どうもいろいろなことを先走って考えてしまうようだ。
 さて、若奥様の『めにゅう』のご希望をお聞きしましょう」
*...*...*
「お帰りなさいませ。雅様」
「……うん。ただいま」
 
 今日は学校帰りに千代子様のお店に寄る、と言っていたからだろう。
 雅様が宮ノ杜の家に帰ってきたのは、夜の9時を過ぎた頃だった。
 朝、身につけていった高等学校の制服は、ピンと張りがあって、何処にも汚れがない。
 ふぅ、と小さく欠伸をすると、あとをついて歩いていく私の方を振り返った。
 
「今日、お前はなにをしてたの」
「はい……。今日は、普段の仕事と、博様に頼まれた雑誌を買いに銀座に行ってまいりました」
「はぁ? お前、今の自分の置かれてる立場、わかってるの?」
「はい?」
 
 じぃ、と眉間に強い視線を投げかけられて、少し言葉に詰まる。
 目の縁が少し朱い。
 
 明日は、確か日曜日だったっけ。
 今日、これからお出しする料理もまずまずの出来、ってタカさんから言われたし、
 ちょっとでもお元気になればいいな。
 それで、ほんの少しでもいいから、『美味しい』って言ってくれたら、いい。
 お腹がふくれたら、少しはご機嫌も直るかな。
 
「ねえ、ちょっと、お前、聞いてるの?」
「あ、はい! 聞いてます」
「この僕が聞いてやってるのに、なに嬉しそうに顔、歪めてるんだよ」
「あ、ごめんなさい。質問は、なんでしたでしょうか?」
 
 真面目にお尋ねしたのに、雅様は顔を真っ赤にして早口で言い募る。
 
「あーー。もう、この馬鹿! ゴミ! ゴミ以下!! お前なんてゴミになっちゃえばいいんだ」
「えっと、質問は……」
「もういい。僕が全部まとめて回答するよ。
 お前は僕の奥さんなの! だから、博の頼まれごとなんて聞く必要、ないの! わかった!?」
「は、はい!!」
 
 もし、最初からそう言ってくれたら、私、もっと嬉しかったかもしれないけど。
 今は、これ以上、話を続けて、これ以上雅様を疲れさせたくない。
 私は雅様と一緒に部屋に入ると、持っていたかばんを机の隣りに置いた。
 
「あの、今日は、ぜひ召し上がっていただきたいものがありまして」
「は? そんなことで僕が釣られると思ってる?」
「えっと……。実は、少し」
「……馬鹿じゃない?」
「あの、すぐ! すぐお持ちします。だから少しだけお待ちくださいませ」
 
 口では意地悪を言いながらも、少しだけ雅様の口調が優しくなったのを見て、私は急いで部屋に料理を運ぶ。
 掛け時計に目をやる。
 うん、温めるようにお願いしておいた料理は、ちょうど食べ頃になっているはず。
 
「雅様。見てください。まずは、じゃーん。にんじんの『ぽたーじゅ』です」
「はぁ? お前、また僕に喧嘩売ってるわけ? にんじん嫌いな僕にこの料理、あり得ないんだけど」
「いえ、あの、まずは一口お願いします。あの、ですね、今日、ずっとこの料理にかかりきりだったんです!」
「……お前が?」
「はい。あの、ヱギリスの料理の本を博様からいただきまして。
 その中に『ぽたーじゅ』という汁物には『ばたー』と『なまくりーむ』を入れるとありまして」
「ふーん」
「色も黄金色、と言いますか、その……。すごく栄養があるんですって」
「……まあ、お前がそこまで言うなら食べてやってもいいけど」
 
 祈るような気持ちで私は雅様の口元を見つめる。
 あ……。すぷーんを手のしてくれた。もう少し、かも。……あと、少し。
 
 空腹に誘われたのか、雅様はすぷーんをひらりと口元に滑り込ませる。
 本当に、『ひらり』という表現がぴったりの仕草に、改めて宮ノ杜の人ってすごいんだなあ、って思ったり、する。
 私も志栄堂パーラーに何度か足を運んで、ようやくすぷーんの使い方を覚えたけれど。
 こんな風に、風が舞うような動きは絶対できない。
 
「どう、ですか? 美味しいですか!?」
「……ま、まあね」
「やった! よかった!!」
 
 日頃、『箸を濡らす程度』しか食事を取らない雅様に、たくさん栄養を摂ってもらう。
 そのためには、いわゆる消化がよくて、『こうたんぱく』のものがいい、とそのお料理の本にはあった。
 
 『こうたんぱく』がなにを意味しているかはわからなかったけれど。
 この『ぽたーじゅ』は確かに少ない量で、滋養がありそうなところが、雅様にぴったりだって思う。
 
 でも……。
 
 せっかく博様からいただいた料理本の中には、私が読めない漢字や、それ以外にもたくさんの横文字が並んでいた。
 (私がもし、高等学校へ進学していたら……)
 この本もすらすら読めたのかしら?
 雅様が時折読んでいる洋書、も、表紙の名前くらい読めたかな、と思ってしまう。
 
 そうだ、これからもし、その、勉強する機会とかあったら。
 雅様がやっている勉強の横で、一緒に本とか眺めていられたら、いいなあ。
 
 いつもは私の相談に乗っていただいてばかりだけれど。
 雅様が困っているときとかでいい。ほんの少しでも雅様の相談相手になれたら、いいなあ。
 
 
 ぼんやりしていたからだろう。
 ふと気がつくと、雅様のぽたーじゅのお皿は空っぽになっている。
 
「今日の夕食はこれで終わり?」
「すみません。次は、にんじんの『さらだ』になります」
「は!? ってお前、またにんじんなの? お前、一体なに考えてるの」
「えっと……。雅様がお元気になるように、でしょうか」
「お前、馬鹿じゃない? にんじんばかり出されて僕が元気になると思うの!?
 やっぱりお前、最低! ゴミ。ゴミ使用人!!」
 
 私は雅様の声を聞きながら、ちんまりとさらだの乗った皿を目の前に置く。
 
 
 
 ともに近くに暮らすようになって半年。
 
 これは私の確信。
 雅様は優しい。
 だから、きっと、お願いすれば食べてくれる。
 
 
 ──── そう、これは、『仕エル者ノ特権』
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