*...*...* 目ヲ閉ジテ従ウダケ (進) *...*...*
窓の外は、墨を流し込んだような暗闇が広がっている。この前、進様と一緒に観に行った舞台の幕間みたいだ、と思いながら。
私は続きの間に置かれているベッドを見て顔が熱くなる。
──── 進様との結婚式。
『まあ、はるちゃん、可愛いわ! とってもよく似合ってるわよ』
初めて着た洋装に、進様の文子様は優しいお声をかけてくれた。
『……言葉がないな』
進様も、眩しそうに眼を細めながら、そう言ってくれた。
はるばる田舎から出てきてくれたお父さんもお母さんも。
それだけじゃない。
タエもフミも初めて『どれす』を身につけて、はしゃいでた。
最高の親孝行ができたって思う。
だけど……。
私は再び続きの間に目をやって、ため息をつく。
私自身、同級生の中では結婚が遅めだったし、幼馴染みの中には、もう二人目を出産したって子もいるけれど。
『やっと、君の全てを手に入れることが出来る』
って、進様の言葉の意味は、……つまり、は、今夜、『ソウイウコト』をするんだよね……。
「ど、どうしたら……。って、どうしようもないんだけど、どうしたら……!?」
同じ女性、でとても親しい人。
今まで、私にいろいろなことを教えてくれた人の顔が浮かんでくる。
お母さん。
……駄目だ。お母さんのそばにはいつもタエとフミがいたし、お父さんもいた。
タエやフミにわからないように聞くのも難しいし、こんなこと聞かれたら、死んじゃいたくなるほど恥ずかしい。
たえちゃん。
たえちゃんなら、きっと、私に宮ノ杜のいろんなことを教えてくれたように丁寧に教えてくれる、かな。
だけど、多分、私の想像が正しければ、たえちゃんもこういうこと、きっと初めてだろうし、
いろいろ聞くのは、無理そう、かな?
それとも、
『も、もう!! アンタって本当に馬鹿!? そんなこと、相手の進様に聞けば解決するでしょ!?』
って恥ずかしまぎれに大きな声、出すかも。
だだだけど、だけどたえちゃんだって、そんなこと、三治さんに聞けないでしょ。聞けない気持ち、分かるよね……?
千富さん。
『わたくしは、あなたの東京の母だと自負しています。困ったことがあったらなんでも聞くのですよ?』
千富さんは、今朝少しだけ潤んだ目をして、私の手を握ってくれた。
それはとても嬉しくて、今の不安を思わず口に出してしまいそうだったけれど。
口を開こうと思ったときに、ちょうど文子様が入ってこられて、結局聞けず仕舞い、だったっけ……。
「ううっ……。お、落ち着け、心臓!!」
「はる? 風呂、お先にいただいたよ。君も入ってくるといい。気持ちがよかったよ?」
「あ! す、進様!?」
「ふうん。これが『新婚旅行』かあ。母さんも粋なことをしてくれるよね」
結婚早々、姑と同居っていうのも はるちゃんも大変でしょう?
私の家に来ることはいつでもできるのだから、一泊くらい夫婦水入らずで楽しんでいらっしゃいな?
なんでも結婚式の夜、どこか特別な宿を借りて泊まることを『新婚旅行』といって、
あのハイカラな玄一郎様と文子様も箱根まで新婚旅行に行かれたらしい。
文子様は、玄一郎様のこととなると、今もうっとりと楽しそうに話される。
文子様の気持ちはとても嬉しかったけれど……。
考えてみれば、私、宮ノ杜の個性的なご兄弟に囲まれて暮らしていて、
進様とこうして二人きり、っていう時間の方が少なかったかも。
「うん? どうしたの? はる」
「あ! はい! そうですね。お風呂ですね。じゃあ、私、いただいてきます!!」
どうしよう。
進様と二人、この宿に着いて。進様は汗をかかれたとかで、お茶も早々にお風呂に行かれて。
それから小半時の時間はあったのに。
私ったら、奥の間のベッドを見て、勝手に赤くなったり青くなったりしてた、だけ、だった。
手拭いも、着替えの浴衣も出してない。
馬鹿馬鹿。それどころか、風呂上がりに進様がいつも飲まれる湯冷ましも用意してない!
部屋の隅っこには、進様と私の荷物が、つくねん、と置きっぱなしになっている。
──── こんなんじゃ、私、結婚早々に、呆れられちゃうかも……。
ううん? もしかして、呆れられるだけじゃすまなくて、その先の、離縁、とか!?
お辞儀をして、進様の横をすり抜ける。
そうだ。今日は朝は早かったし、一日中慣れない洋装を着ていて、汗、たくさんかいたかも。
髪の毛も、『せっと』とか『すぷれい』とかでカチカチになってる。
洗って、取れるのかな。大丈夫かな?
ああ、もう。初めてってわからないことだらけだ。
今まで、宮ノ杜家に使用人として仕えた初日が、人生で一番緊張した日だ、って思っていたけど。
今日はあの日を塗り替える一日になる。自信があるもん。
「……わっ! 進様、な……?」
「はる」
どあを開けようとしたそのとき、強い腕で腰を絡め取られて、私はすっぽりと進様の胸に納まる。
湯上がりの進様は温かく良い匂いがする。
それに比べて、私、って……?
髪もひどいし、汗もかいてる。早く、逃げなきゃ!
「あ、あの、お風呂をいただきたい、というか……!」
「まったく。……可愛いなあ」
「は、はい? あの……」
「いや。久しぶりに二人きりになって、自分も抑えがなくなってしまった、というか」
「進様……・?」
「やっと、おおっぴらに君を可愛がることができるようになったのが嬉しいんでしょうね、自分は」
もがく私に、進様の腕はびくともしない。
浴衣を通して感じる筋肉はとても固くて、ますますどうしていいかわからなくなる。
「だ、だけど、ですね! これから、その、そうだ。
夕食を仲居さんが運んでくださる、というお話ですし。
その、なんといっても私、お風呂もいただいていない状態で……」
「そうですねえ。とりあえず仲居さんは断りましょうか?」
「はい?」
「お風呂のことは……。自分が、そのままの はるさんで構わない、と言ったら、君はどうしますか?」
「ど、どうします、って……?」
「自分はさんざん待ちましたよ」
「あ、あの!」
「……もう、待たない、と言ったら?」
進様はそう言いながら、私の顔のあちこちに唇を落とす。
……蜘蛛は、捕らえた獲物にすぐ とどめを刺さない。
少しずつ、少しずつ、様子を見て、糸を這わし、弱らせて。少しずつ浸食していく。
蜘蛛と進様と違うところ。
──── それは、とても甘い浸食。
「ふふ。ようやく大人しくなりましたね」
「……い、息が、出来ないです、私……」
舌ごと絡め取られるような口づけに、肩で息をする。
胸元は大きく乱れ、崩れている。
ガクガクと膝に力が入らなくなったのを見て、どうしてだか進様は嬉しそうに笑った。
「やっと君の全てを手に入れることが出来る。何があっても離さないから、そのつもりでね」