*...*...* 昔噺 *...*...*
 思いがけず降った夕立は、中庭の木々を美しく見せている。
 僕は立ち上がると広縁に出て、真向かいにある部屋に目をあてた。
 景時の所有しているこの京邸の造りは、ほぼ対称的な位置に部屋が配置されている。
 彼女と朔殿、それと白龍のいる居間は『西の対』にあり、僕たちがいる『東の対』とは中庭を挟んで向き合っている。
 ──── まあ、白龍と白龍の神子の動向を見るには適切な場所かもしれない。

『ってお前はまだこーんな、童(わら)っぱのときから、人の話を立ち聞きばかりしてたよなあ。弁慶』
『……兄さんも、一体なにを言い出すかと思えば。
 たえず周囲を意識する。その配慮こそ、熊野別当の任にふさわしいものと思えますが?』

 そう。この僕に言わせれば、どの人間も無防備なのが悪い。
 それを、僕の短所のようにあげつらうのは、自分の欠点を他人にさらしていることに等しい。

「そして、二人は結婚し、ずっとずっと幸せに暮らしました。……どう? 白龍、面白かった?」
「うん! ねえ、神子。もっと神子の世界の話を、して?」
「望美の話は、宇津保や更級と違ってとても興味深いわ。特に、女性が自由なところが良いと思うわ」
「そ、そうかな? えへへ……。そんなこと言うと、私、調子に乗っちゃうよ?」

 井戸端に行き、偶然を装って彼女の居る対に向かってみると、彼女の明るい声が廊下まで広がっていた。
 屈託のない声を聞く限り、僕の思惑はただの杞憂なのかという気がしてくる。

『短期間に花断ちを習得したあいつのことだ。根っから剣が好きなんだろう』
 ……そうかな? 『好き』という動機だけではあれだけ苦しい鍛錬を続けることは難しいはず。

『望美ちゃん、ってホント素直でイイ子だよね〜。朔と仲良くしてくれて嬉しいよ』
 素直な心映えなのは解る。だが、その分、余計に、剣に向かう彼女は別の人間のようにも見える。

『先輩は、なんでも一生懸命なんです。ええ、小さい頃からそうでした。……だから、俺は助けずにはいられないんです』
 懸命さの間にほの見える弱さは、彼女の本質。だとしたら、どうして何体もの怨霊を躊躇いもなく倒すことができる?

 僕の思惑。
 そう。あの異世界から招かれたという彼女は、本当に見た目どおりの、『ただの普通の女の子』なのだろうか?

 彼女たちの居間では、また小さな笑い声が生まれている。
 ──── 今なら沸き上がる僕の疑問に、解決策が見つかるかもしれない。

「おやおや、3人とも楽しそうですね」
「うん! 神子の話、とても楽しい」
「あら、弁慶殿」
「すみません。せっかくの語らいの場を、お邪魔してしまいましたか?」

 白龍は、望美さんの隣りにいると心が伸びやかになるのだろう。
 戦場にいるときの緊迫した雰囲気はどこにもなく、ごく普通の少年のように、彼女の膝に寄りかかるようにしている。
 朔殿は、といえば、日頃冷静な彼女に似つかず少しだけ目の縁を赤らめているようだ。

「弁慶殿にお茶でも。ほら、白龍も一緒にいらっしゃい? ちょっと手伝って欲しいこともあるから」

 朔殿はなにか感じるところがあったのだろう。白龍を連れて小気味良く立ち上がる。
 僕は彼女から少し離れたところに座ると、やや身を固くしている彼女を見つめた。

「久しぶりですね。君がそんなにゆっくり部屋にいるのは」
「はい! 朔と白龍とお話していたら、あっという間でした。……あれ? 夕立、止んだみたいですね」
「ええ。先ほど急に日が差してきましたから」
「えっと、じゃあ、私、剣の練習してきます」

 彼女は僕を避けるようにしてそそくさと立ち上がると、部屋の隅に置いてあった剣を手に取る。
 まるで僕からの尋問を避けているような様子に、僕は畳みかけるように問いかけた。

「それにしても……。君は、どうしてこれほどまでして戦うのでしょうね」
「はい?」
「以前、京を護っていた神子は、自ら手を下すことはなかった、と史実にあります。
 だから僕もてっきり今度の神子も、八葉に護られるばかりの存在だと思っていましたよ?」

 寝食を削りながら得た、学問。
 こんなことが将来どんなことに役立つのか、皆目見当は付かなかったけれど。
 なるほど、神子を身近に見てから、僕の龍神に対する考えは少しずつ形を変えていった。

(どうにも、彼女はただ護られる、という立場に甘んじている性格ではないらしい)

 神子に備わっていて、八葉には備わってないもの。それはすなわち、怨霊を封印する力だ。
 彼女が、その封印する力を強める、というなら話はわかる。
 しかし、彼女はただひたすらに、剣を極め、戦うための力を蓄え続けている。
 ──── それは、一体なんのためなのか?


「べ、弁慶さん……!」
「はい?」
「……私が、剣の練習をするのは……、それはっ!」

 声の調子に驚いて、僕は視線を畳から彼女の顔へを向かわせる。
 剣を取り、振り返った彼女の顔は、深い悲しみに満ちていた。
 潤んだ瞳は、庭の木々のように大きな雫で溢れそうになっている。

「……まいったな。君が泣くような質問をしたつもりはなかったのですが」
「いえ、私が勝手に……。ごめんなさい」

 固く結ばれた唇。端の方は白く色を失っている。
 見上げてくる目に初めて、僕は彼女の意志を感じ取ったような気がした。

「弁慶殿、お待たせしました。望美。あなたの分ももう一杯淹れたわ」
「うん! 神子。もう一度、お話を聞かせて」

 廊下を滑るように歩く音に続いて、2人の明るい声が飛び込んでくる。
 彼女は手にしていた剣を置くと、朔殿と白龍に向けてほっとしたような微笑を浮かべた。
*...*...*
「望美。なにをそんなにそわそわしているの?」
「えーっと……。ほら、雨が止んだから、ちょっと剣の練習をしてきたいなあ、って」
「あら? 午前中も頑張っていたじゃない。今日は少しだけゆっくりしたら?」

 僕に一瞬でも感情を吐露したことがいたたまれないのだろう。
 彼女はそそくさとお茶を飲み干すと、立ち上がろうとしては朔殿にたしなめられている。

「私、もっと、神子の話を聞きたい」

 僕は白龍の言の葉をおぎなうように、言葉を繋いだ。

「ふふっ。そんなに興味深い話なら、僕も一度君の話を聞いてみたいな」
「え? 弁慶さんも?」
「ええ。僕もずいぶんと応龍については勉強したつもりだったけれど。
 こうして、目の前に白龍と白龍の神子がいることなんて、滅多にないことですからね」

 話し方。間の取り方。視線の重ね方。
 人が話すのを見る、というのは、思いの外、その人となりを把握することが容易になる。
 ここで周囲に紛れて彼女を観察するのもよいかもしれない。

「じゃあ……。その、少しだけ」



 やがて、彼女はある意志を持って話し始めた。

「昔、……別の時代の、別の国のお話なの。ここにも一人の神子がいたの」
「神子? その神子は神子みたいな神子?」
「あはは。それはどうかなあ〜。それは、白龍の想像でカバーして、……じゃない、白龍の想像で考えてね」
「望美、それから?」

 朔殿は、彼女の口元を、期待を込めて見守っている。
 白龍はといえば、愛おしそうに彼女のを手を握っている。。
 僕は目を閉じると、話の続きを待った。
 彼女は、苦しそうに息を吐いているのを感じる。

「ある男の人がずっとひとりぼっちで悩んでいたの。この世の憂いは全部自分のせいだと言って」

 彼女は不可思議な話を続けた。
 神子と一緒にその男は、この世の憂いとなる原因を解いていく。
 ともに、悩み、見つけ。ようやくすべてが終わろうとしたとき。

「その男の人は、悪者と一緒に死んでしまったの」

 彼女は話し続ける。

「神子は後悔してね……。その時誓ったんだって。もう二度と、同じ思いはしたくない、って。
 『この人を守れるだけの強さを持てるように』って。
 ──── こうやって神子は、たくさん時空の狭間を越えて、いろいろな世界に飛び立ってるんだって」
「神子……」
「あ、……さっきのお話みたいにハッピーエンドにはならなかったね」
「『はっぴーえんど』?」
「うん……。『めでたしめでたし』ってお話とは違うね、ってことなの。
 ごめんね。ちょっと淋しい終わり方だったかな? これで、このお話はおしまい」

 数秒の静寂のあと、白龍が彼女に抱きつかんばかりにしてたどたどしく言葉を紡ぐ。

「すごい、神子! 私がさっき、話した話……。『神子は代々何人も存在する』って話が入ってる」
「ふふ、そうでしょう?」
「つまり……。幾人もの神子が居て、その神子たちはいくつもの時代をさまよっているのですか。にわかには信じがたい話ですね」

 僕の問いに、彼女は年相応のあどけない笑顔を向けた。

「えっと、これは即興の作り話なんです」
「それにしては良くできていましたよ。細かいくだりなどは特に」

 昨日の書読みが目に来ているのか、すぐ近くにあるはずの彼女の顔が二重に見える。
 目を凝らして見つめているからか、彼女の微笑みはいつも以上に優しい光に満ちている。


 ──── この既視感はなんだろう。
 さっき彼女の話の中に出てきた男は、以前、僕が、僕である前の話なのか。
 そして、以前、目の前にいる彼女は僕を助けて、またなんらかの時空を経て、目の前に現れたのか。

「空言をまるで本当のことのように話すのは、物語の本質なんですって。望美はその力があるわ」

 朔殿はすっかり魅せられたように彼女の顔を見つめると、近くにあった急須に手を伸ばした。
 彼女はかぶりを振ると、今度ばかりは力強く、剣の練習をする、と言って立ち上がる。

「じゃあ、僕も。少し所用を思い出しました」

 誰に告げるでもなくそう言うと、僕も共に席を立つ。
 そして彼女の背後を、彼女の歩幅に合わせて歩き始めた。
 昨日まで感じていた、僕を拒絶するような気配は、彼女にはもう、ない。
 むしろ、取り巻いていた不安がほどけたような、柔らかなたたずまいを感じた。




「……面白い話をありがとうございます。僕が読んだ史実にはどこにもないお話でした」
「──── 私、弁慶さんにお話できて良かった、です。ありがとうございます」

 望美さんは初めて僕の目を見て微笑むと、一礼をして中庭へと向かった。
←Back