*...*...* 決意 *...*...*
春の陽気が穏やかに包み込む午後、僕たちは簡単な昼餉を囲んでいた。戦のさなかなら、果物や干飯を口にする程度だが。
今は梶原邸にいることもあって、朔殿、そして譲くんが用意する温かいものを食すことができる。
「なるほど。怨霊はそんなに多く現れているのか」
九郎は、六波羅よりもここ梶原邸の方が大きな息がつけるのだろう。
さらさらと かゆを喉にくぐらせると、朔殿が淹れる茶を立て続けに3杯飲んだ。
そして京の蒸し暑さに眉をひそめ、着物の袖を肩口までまくっている。
「ご馳走さま。俺、片付けてきます」
「いいのよ、譲殿。もっとゆっくりして」
「いえ。こういうのは一気に片付けてしまった方があとが楽です。ほら、白龍も行くぞ?」
「朔殿。急に来てすまなかったな」
「いえ。ちょうど兄上の分があったので。九郎殿は気にしないで」
朔殿はさらりと微笑を浮かべると、譲殿、白龍のあとを辿るように部屋を出て行く。
3人がいなくなった部屋は、気が抜けたような間延びした空間を作る。
だが、僕と九郎、2人だけの空気というのは妙に落ち着くのも事実だったりする。
「九郎。六波羅の様子はいかがですか?」
「ああ。兄上からお褒めの言葉をいただけたぞ。今回の木曽との合戦は見事であったと」
「ふふ、それは良かったですね」
「みなに渡す恩賞も俺の裁量に任せると言っていただけた。ただ景時には特別な計らいをせよ、とのことだったが」
「景時に、ですか。──── なるほど」
僕は笑みを浮かべたまま相づちを打ちながら、心の内で算段する。
なるほど。さすが景時は鎌倉殿の懐刀と評されるだけある。
今回の木曽との戦に関してだけ評せば、景時は、物資の調達と、人員の確保。
いわば裏方の作業に徹しているように僕には見えたが。
和歌にも通じ、朝廷にも通じるだけの風雅さを持つ景時を鎌倉殿はそれなりに優遇している、ということか。
「ときに、あいつはどうした?」
「あいつ、とは?」
「望美のことだ。姿が見えないが」
「この時間なら庭にいると思いますよ。……ほら」
耳をそばだてるように首を傾げると、空気を切る音とともに、彼女の小さなかけ声も聞こえてくる。
ときどき、『柄を強く握らずに』という自分への忠告だろうか、そんな物言いも届く。
『ゆっくり、だけど、確実に……。もう1度』
九郎にもその声が届いたのだろう。
ふん、と鼻を鳴らすと椀に注いだ白湯を口に含んだ。
「九郎。気になるなら見にいってあげたらどうですか?」
「くだらないことを言うな。どうしてこの俺が」
「おや? 彼女のことを気にしている様子だったので、僕は進言したまでですよ」
「剣は遊びじゃない。1月や2月で習得できるはずがないだろう。どうせ、いずれ飽きるさ」
「望美さんも遊びじゃないと思いますよ。
元の世界に帰るためには努力を惜しまない……。いや、僕は、彼女にはそれ以上の決意を感じていますが」
怪しい、と断言できるほどの根拠もなく。
だからといって、源氏方の軍師としての勘、と言い張ることもできないもどかしさは、確かに今の僕の関心を集めるには十分で。
彼女と向き合っていると、ときどき何か言いたげな目にぶつかる。
女性の曰くつきな視線には、何かしらの思惑があるのが世の常だが、彼女にはそうしたものはない。
龍神に見初められた神子という存在は、清廉であることを求められるのだろうか。
九郎としても彼女の努力は認めざるを得なかったのだろう。
顔中に不機嫌さを滲ませて早口になる。
こういうところは、初めて出会った少年の頃とちっとも変わらないのが、少し可笑しい。
「そんなことは俺だって分かってる。だからこそ、余計に不可解なんだ。……よし、わかった」
「九郎?」
「ここでお前と話していても仕方ない。直談判あるのみだ」
九郎は勢いよく立ち上がると、つかつかと中庭に向かった。
障子を経て映る影は、望美さんをより小さく、九郎をより大きく見せている。
僕は部屋の隅に積み上げてあった経典を手にすると、襖の近くで様子をうかがう。
良くも悪くも九郎の物言いはまっすぐだ。それに対して彼女はどんな反応を見せるかな。
「望美、もういい加減諦めろ。剣はちょっとやそっとで身につくようなものじゃない」
「九郎さん。どうしたんですか? いきなり」
素振りの音が止む。
小走りに近寄る音。それに少しだけ息を切らした望美さんの声が聞こえる。
「剣は少しばかりの鍛錬で上達するものじゃない。女ならば、裁縫や料理など他にやることもあるだろう」
「料理、ですか……。だって、料理は私、剣よりも苦手なんだもの」
「はぁ!? ここには朔殿という立派な手本もあるんだ。少しはお前、女らしく、だな!」
……やや九郎の言葉には、九郎自身の女性の好みも反映しているように感じられるが。
やはり聞く相手が違うと話しぶりも変わるということなのだろうか。
望美さんは僕と話すときよりも明るい口調で九郎と向き合っている。
2人は薄縁に腰を下ろしたらしい。声がより近くに聞こえる。
「私、続けます。剣の練習」
「望美。お前、人の話を聞いているのか?」
「剣が使えないと私も困るもの。怨霊と戦うのにも困るし、怨霊に襲われたとき、みんなに迷惑がかかるのもイヤなの」
「みんな? 讓のことか?」
「讓くんもだけど、白龍も朔も弁慶さんも九郎さんも。みんな、です。全員です。私のそばにいてくれる人、全員。
私、守られるんじゃなくて、みんなを守るくらい強くなるって決めたんです。……だから」
「なっ。お、お前、なにを言って……」
九郎は、自分より弱い存在の彼女から『守りたい』と言われたことが心外だったのか、二の句が告げられないらしい。
大げさな咳払いが聞こえてくる。
「そうだ……。九郎さんはどうして剣を習ったの? 守りたいって思う人がいたの?」
望美さんはあどけない声で尋ねている。
「守りたい人、か」
「はい。九郎さんの花断ちはとても綺麗だったから。その、たくさん練習したんだなって思ったの」
春の堀川は、冬の間に力を蓄えていた花が一斉に花開く。
一瞬の静けさを察知した鶯が、遠くでたどたどしく鳴き始めた。
「俺はそうだな……」
「はい」
「物心ついたときから鞍馬に閉じ込められていて、剣の鍛錬くらいしかすることがなかったんだ」
「九郎さん……」
「……いや。俺も兄上の世を作るために剣を習ったのかも知れない。兄上と兄上が作る未来を守るために」
「じゃあ、九郎さんが守りたい人は、頼朝さんなんですね」
「の、望美! 滅多なことで兄上の名を口にするんじゃない!」
照れなのか、それとも本心からの思いなのか。
九郎は普段よりも柔らかな口調で望美さんを咎めると、小声でぽつりと独りごちた。
「──── お前なら花断ち、極められるかもしれないな」
*...*...*
その日の午後。僕と望美さん、朔殿と譲くん、そして白龍は、景時を捜しに長岡天満宮まで足を伸ばした。
九郎はちょうど鎌倉殿からの文が届くかもしれないということで、堀川に待機するという。
心なしか望美さんは焦っているように見えた。
早く鞍馬の結界を解き、花断ちを習い、無数にいる怨霊を倒す。
彼女の目的は、誰の目から見てもわかりやすすぎるほど明確だった。
朔殿とたわいのない話をしたり、譲くんとふざけ合ったりしている様子は、いかにも、16歳、
いや、神子の世界の元服は20歳だと聞いた。だからその分幼いのか。
彼女は大人と童の間を行き来している少女のようだ。
──── ただ、1点、剣の鍛錬への執着を除いては。
「兄上はいないみたいね」
「本当? うーん、残念。会えるといいなって思ってたけど……」
「ごめんなさいね、望美。あとで兄上に会ったら、しっかり注意をしておくわ」
「ううん! そんな、いいよ! 景時さんだって忙しいんだよね、きっと」
ふい、と大きな風が舞い、地を覆っていた花びらを巻き上げる。
目の前が桜色に染まる。
春のうたかた、と表現するには禍々しいほどの朱い色が広がっていく。
望美さんはその空気を感じ取ると、顔色を変えた。
「白龍、危ない。下がって。桜花精でしょ? こんなことは止めて!」
「神子、我ヲ知ルノカ? ソンナハズハ……」
望美さんは一瞬のウチに刀を抜き取ると、目の前の桜に斬りかかる。
ふわりと舞った花吹雪の中、血の色の怨霊は2つに分かれると、望美さんの背後でまた1つになった。
「危ない! 望美さん!!」
僕は手にしていた懐刀を抜き取ると、朱色の中心を見据える。
一太刀、か、と武器を手にしたとき、体勢を整えた望美さんは僕を守るように怨霊の正面に身体を滑り込ませた。
「させない! 私の仲間に手出しはさせない!!」
「クッ、神子ハ、ダメカ。ナラバ……」
望美さん相手では勝ち目はないと思ったのか、桜花精はまた自身の身体を分身させると、
与しやすいと考えたのか、朔殿と白龍に向かっていく。
花断ちを身に付けたい、と言っていた望美さんは、たくさんの花びらを切り刻んでいく。
それは死に立ち向かおうとする壮絶な美しさ、というよりもむしろ、花と戯れている舞人のようにたおやかだった。
「そこか!」
桜花精の急所に望美さんの刃が刺さったのだろう。
絶叫を目がけて譲くんが矢を放つ。
譲くんの矢が桜花精ののど元を射貫く。
そこに袈裟がけに斬りつけた望美さんの白い刃が突き刺さる。
朱い血のような飛沫が、桜色の花びらを色濃く染めて、桜花精は粉々に散っていった。
「先輩! 怪我はありませんか!?」
「うん。みんなは? 大丈夫??」
肩を弾ませながら、望美さんは周囲を見渡す。
よほど怖かったのだろう。白龍は彼女の胸の中で震えている。
望美さんは、白龍を抱き、朔殿の手を握り。
そして、譲くんを見上げ、最後に僕を見て、ようやくほっと笑顔になった。
──── 君は、一体……。
沸き上がる疑念を抑えきれず、僕は問う。
「望美さん、どうやら僕は、君の実力を見誤っていたようだ」
「いえ、まだまだです。私」
『謙虚』というのは、彼女のいた世界では美徳の1つに数えられたのだろうか。
望美さんはそれこそ真剣な顔でかぶりを振る。
「この腕前なら、十分九郎を説得させられたのではないですか?」
「そんなことないです」
「本当ですか? 君にはまだ、僕が知り得ない力が秘められている気がしますよ。僕の予感を越えるような」
僕の疑念に答えるつもりがないのだろう。
望美さんは、何事もなかったかのように淡々と刀を鞘に戻すと、肩をすくめて笑っている。
その姿は歳以上に幼くて、また僕はわからなくなる。
「みんな、ケガがなくてよかったです」
「まったく、兄上はどこに行ったのかしら? 結界を早く解いてもらわないといけないのに」
「朔、ありがとうね。明日また探しに行こうか」
本当の神子殿というのは、どちらなのか。
見た目同様に幼いのか。僕など足元にも及ばないくらいの慧眼の持ち主なのか。
無知なのか。実は何もかも見通しているが故の無知を装っているのか。
「とりあえず今日は邸に戻りましょう」
譲くんは望美さんの風上に立つと、彼女の肩を守るようにして歩き出した。